『仮面山荘殺人事件』ネタバレありレビュー

 僕は〈営業中〉の札のさがった谷藤屋たにとうやのドアを押し開けた。『仮面山荘殺人事件かめんさんそうさつじんじけん』を読み終えたためだ。その間、何度かこの店の前を通りがかったが、そのいずれもかけられている札は〈準備中〉だったことは言うまでもない。


「こんにちは……」


 予想はしており、果たして店内の様子はまさにその予想とおりだったのだが、一部だけが大きく違っていた。レジに立つ谷藤穂愛ほあいこと、アイちゃんは確かに僕の予想にたがわず、この前のように仮面、いや、覆面を被っていたのだが、その覆面が以前のものとは異なっていた。今度のそれは真っ赤な色をして、両側頭部に湾曲した長いツノが生えている。マスクは後頭部部分が解放されたデザインのようで、アイちゃんの髪の毛がそのまま露出している。


「アイちゃん、それは――」

「谷藤穂愛はリバプールの風になった」

「はあ?」


 なにを言ってるんだ、この人、と出かかった言葉を僕はかろうじて飲み込んだ。


「で、永城えいじょうはん」と、赤いマスクのアイちゃんは、構わず話し掛けてきて、「でやってん『仮面山荘殺人事件』」

「は、はい、えーと、面白かったです。アイちゃんが『裏表紙のあらすじは事前に読むな』と言っていた意味も分かりました。確かに、強盗が乱入してきたところは驚きましたね。いつ事件が起きるんだろう? とハラハラしながら読んでいたところに、あのサプライズ。最高でした。さらに、あのあらすじには、とうとう起きた殺人事件が強盗の仕業ではありえない、ということまで書いてあるんですね。あれも伏せておいたほうがいい情報だと思いました。いや、あらすじを封印させたことは、アイちゃんのファインプレイでしたね」

「せやろ」


 と、アイちゃんは嬉しそうな声を出す。得意気な表情をしていることがマスク越しにも伝わってくる。


「ミステリの構造としてもよく練られていましたね。高之たかゆきは確かに婚約者である朋美ともみに対して殺意がありましたけれど、直接彼女の死に手を下したわけではなく、ピルケースに残っていた薬については、まったく与り知らないところだった。だから、高之の視点に立った形で話が進み、高之自身も朋美の死に疑惑を持った心理描写がされていても、なにもおかしなことはないんですね」

「視点人物が犯人という、意外な犯人。森崎もりさき家の人たちの目的は、犯人をあぶり出すことではなく、殺意の有無を確かめることだったという、意外な動機。さらに、朋美の死は結局自殺だったという、意外な真相。ミステリのおいしいところを、これでもかと詰め込んだ、ほんま贅沢な一作やったな」

「本当ですね。僕、途中に出てくる警官コンビのあまりの無能っぷりに腹が立ったんですけれど、それらも全て計画のうちで、つまりは見事に作者の手のひらの上で躍らされていたということですからね。脱帽するしかありません」

「さらに凄いのは、タイトルやな」

「タイトル?」

「永城はんは、この作品のタイトルにはどんな意味があると思うてる?」

「それは、もちろん、この作品に描かれる、一連の事件、強盗犯の立てこもりから雪絵ゆきえの殺人事件まで、すべてが高之を嵌めるための芝居だった。つまり、彼以外の登場人物全員が〈仮面〉を被っていたということを意味しているんですよね」

「そのとおりや。でもな、それが分かるのは、本を読み終えたあとやないと無理なんやないか?」

「えっ? それは、確かにそうです。本を読む前、読んでいる途中は、まだ一連の事件が本当のことだと思っているわけですから」

「でも、永城はんは、この『仮面山荘殺人事件』というタイトルに何の疑問も持たへんかったんやろ? それはおかしいやないか?」

「あっ! 言われてみれば!」

「なんでやと思う?」

「……なんででしょう?」

「『仮面』や! まさに作中に、タイトルどおりの『仮面』が出てきたからや!」

「仮面……あっ! そうです、出てきていました。確か……別荘の玄関の上に掛けてあったという……」

「ほいで次にはな、人質の中に裏切り者がいるかもしれへん、という展開になるやろ」

「そうです。あっ、そう、そこでも僕、思いました。このタイトルは、そのことを意味しているのかと」

「せやねん! この、いかにもなタイトルやのに、どうして読者はそれをおかしいと思わへんのか? それは読者がタイトルの意味を誤解してまうからやねん。タイトルの『仮面』は、登場人物が芝居をしているという、概念としての『仮面』やのうて、最初は、舞台となる、実際に仮面が玄関先に掛かった別荘のことを表している、物理的な『仮面』のことやと思うてしまうねん。『リラ荘』や『ロートレック荘』と同じ、舞台の名称をそのままタイトルに使うただけなんやな、と勘違いしてまうわけやな。で、さらにストーリーが進むとな、自分たちの中にいる裏切り者、つまり協力者の『仮面』を被っている人間がいて、このことをタイトルにしてるんやなと、読者は二重にタイトルの意味を誤解してまうねん!」

「タイトルからして、そんな仕掛けがしてあったとは!」

「もう、永城はんは、この『仮面山荘殺人事件』というタイトルを見ても、まだ未読の頃と同じ印象は絶対に持てへんやろ。そこがこの作品の恐ろしいところやねん。『リラ荘』も『ロートレック荘』も、読む前もあとも、タイトルに対して持つイメージは一切変われへんけど、こればっかりはちゃうねん。もう昔みたいに、『仮面が飾ってある別荘で起きるから、〈仮面山荘〉かー、あはは』なんてお気楽な印象は持てへんねん。もうあの頃には戻れへんねん。ただのバックドロップが必殺技として通用していた、あの時代はもう帰ってきいへんねん」


 またおかしなことを言い出したため、僕はバックドロップ云々は聞かなかったことにして、


「確かにそう考えると恐ろしいですね。読んだ人と未読の人とでは、タイトルに対しての感じ方が全然違ってしまうという」

「さらに言うとな、サブタイトルもいかしてるやろ」

「確かにそうでした!『第何幕』という冠が付いているんですよね。もろ舞台の形式ですね。考えようによっては、あまりに大胆な仕掛けですね。この事件まるごとが舞台であると、章タイトルで明かしてしまっています」


 僕は、おののいた。赤いマスクを被ったアイちゃんも、うんうんと頷いて、


「うん、恐ろしい作品やった。でもな、永城はん」

「なんですか?」

「この『仮面山荘殺人事件』ちょっと看過できひん問題があると思えへんか?」

「看過できない問題? これほど完璧な作品なのに? えーと……何ですか?」

「タイトルやねん」

「タイトル?『仮面山荘殺人事件』というタイトルに問題が? どこにですか? ついさっき、あんなに凄い仕掛けのあるタイトルだと絶賛したばかりなのに」

「だって、永城はん……この作品では結局、『!」

「……ああっ!」

「これはどういうことやと思う!」


 アイちゃんは、レジカウンターを平手でばんばんと叩いた。


「つ、つまり、どういうことになるんでしょう……?」

「タイトルが虚偽を書いているいうことや! しかもな、私が読むなというた、裏表紙のあらすじに何が書いてあったかを思いだしてみい!」

「あらすじに……どんな文面でしたっけ?」

「こう書いてあるんや、ええか……『八人の男女が集まる山荘に、逃亡中の銀行強盗が侵入した。(中略)恐怖と緊張が高まる中、ついに一人が殺される。(中略)七人の男女は互いに疑心暗鬼にかられ、パニックに陥っていった……。』」


 アイちゃん、あらすじをそらで言い切った。アホの子に見えても、こういうところはやっぱり谷藤家の血を引いているんだなと感心する。


「でや、永城はん」

「でや、って?」

「おかしいやないか」

「何がです?」

「だって、この作品では、!」


 アイちゃん、さらに強くカウンターをばんばんと叩く。


「た、確かに、それらはすべて芝居のうえでのことでしたけれど……」

「せやったら、タイトルだけやのうて、あらすじにも虚偽を書いとるいうことやないか! 地の文に虚偽は書かないいうんはミステリの大原則や」

「タイトルやあらすじにもそれは適用されますか?」

「されるに決まってるやないか! 地の文いうんは、小説世界の外にあるものやで。一人称やってもそれは同じや。『私は歩き出した』とか、いちいち言いながら歩いてるやつ見たことあるか? いたら絶対頭おかしいやん。永城はんが町を歩いてるとき、『永城は町を歩いていた』とか、どこかから声が聞こえてくるか? 聞こえてきたらごっつ怖いやん。せやったら、タイトルやあらすじかて同じことや。言うてみれば、広告に嘘を書くのと同じようなものやないか?『RPG』って書いてあって、いかにもな中世の騎士やモンスターがパッケージに描かれたゲームやのに、買ってきて遊んでみたら、どう見てもシューティングゲームやった、みたいなもんやないか!」

「何の例えなんですか? うーん……でも、タイトルはともかく、あらすじでそれを封じられたら、それこそこの作品なんて、なにも紹介文の書きようがなくなってしまいませんか? ある程度は致し方ないと僕は思いますけど」

「そこのところをなんとかするんが、プロの作家であり編集者やろ! フェアなタイトルやあらすじなんて、見つけろ、てめえで」


 拳を握りしめたアイちゃんは、やおらカウンターを出ると、


「この怒りをぶつけに、ひとこと言うてくるわ!」

「どこに? 誰に?」

「燃やせ燃やせー怒りを燃やせー」

「アイちゃーん! 店番は?」


 僕の声も無視して、狭い店内を駆け抜けて外に飛び出してしまった。慌てて追いかけたが、すでにアイちゃんの姿は商店街の遙かかなたに去っていた。赤い覆面を被った女の子が走っていく。職質とかされないといいけど。

 再び仕方がなくそのまま店に残った僕は(この前といい、客はひとりも来なかったが)、一時間ほどして姿を見せた谷藤さんと出会うことができ、楽しく歓談をしてから家路についたのだった。

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ミステリ専門書店〈谷藤屋〉不定期営業中 庵字 @jjmac

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