第16話 繋がり
「山梨県警から来ました、黒部です」
東京市内にある消防署の受付で、黒部健二は警察手帳を開いた。
「お疲れさまです。ご用件は?」受付に座る短髪で無愛想な女が訊いた。オレンジが目立つ制服を着ている。
「火災事故の資料を拝見出来ないかと」
「事故資料の閲覧ですか?」女は淡々と話す。
えぇ、と黒部は返事をした。
「少々お待ち下さい」と女は席を立ち、近くのデスクで何かしらの業務をしている中年の男に声を掛けた。
中年の男は無愛想な女と言葉を交わして立ち上がった。愛想の良い社交的な笑みを浮かべて黒部に歩み寄ってくる。
「事故資料の閲覧と聞きましたが」
えぇ、と返事をして、黒部は再び警察手帳を開いて手短な自己紹介をした。笑みを浮かべてはいるが、どこか面倒臭さを滲ませている。
「山梨県警から」男はわざとらしい驚きを見せた。
「捜査の一環で」
「大変ですねぇ、じゃあこちらの方に」
男に促され、黒部は受付の内側に入った。デスクの並ぶ広々とした事務エリアを男の後に続き、パソコンの前に案内される。
席に付いた黒部の横から、男が顔を近づけてパソコンを操作する。黒部は顔を引いて体を少しだけ仰け反らした。
「事故の年月日は分かります?」操作を終えた男が、顔を離して訊いた。パソコンの画面には年月日や氏名、地域名等様々な情報で絞り込み検索が出来るようになっているページが写し出されている。
「大体は」と言って黒部は顔の位置を戻した。
「検索の仕方は分かりますかね?」男の目線はパソコン画面から黒部に移る。
「大丈夫ですよ」愛想笑いを返して、会話の終わりを告げるようにキーボードに指を載せた。
「終わりましたら、また声を掛けて下さい」
了解です、と黒部の会釈をきっかけに、男はそこから離れていった。胸元から手帳を取り出して、検索画面に情報を打ち込んでいく。
目的の火災事故は、すぐさま画面に写し出された。十六年前の三棟を巻き込んだ住宅火災。出火元は木造住宅の灯油ストーブ、と記載されていた。他にも、八十ニ歳という当時の年齢と共に、木造住宅の名義人として、池崎満、という家主の名も載っている。
黒部はマウスを操作して画面をスクロールさせる。死傷者の項目に、山本守、と記載されていた。その下段に負傷者の項目があり、山本碧、山本望、谷村良平、と三人の名が記載されている。
さらにパソコンの画面をスクロールさせて、備考の欄に書かれた「家主の不注意による火災事故」という文字を見て、黒部は顔に渋さを張り付けた。
もう一度火災事故資料を見直して、手帳に木造住宅の家主である池崎満の名と、身元不明である谷村良平の名を書き込んだ。さらに火災現場の詳細な住所を書き込んで、手帳を閉じると共に、パソコンをトップ画面に戻して立ち上がる。
愛想の良い男に声を掛けて、消防署を出る。駐車場に停めていた白のセダンに乗り込んで、手帳を開いた。火災現場の住所を確認して、車を起動させた。
敷地の狭い有料駐車場に車を停めて、黒部は車外に出る。道の狭い住宅街を少しだけ迷いながら、十六年前に住宅火災があった現場に到着した。
当たり前の様に火災の名残は跡形もない。道路で挟まれた区画に、築年数の短そうな一戸建てがニ軒と、壁の綺麗な背の高いマンション、その隣に癖のあるガーデニングが施された門構えの、生活感溢れる一戸建てがあった。
黒部は並んでいる住宅を眺めて、癖のある門構えの一戸建てに近づいた。その門に備え付けられたインターホンを押す。
「はい?」と高いが高齢を感じさせる女の声が、スピーカーから漏れた。
「すみません、警察署からお伺いしました、黒部といいます。少しお話出来ませんでしょうか?」
「はい?」険の混じった返答が漏れる。
「警察署から伺いました、黒部といいます。少しお話出来ませんでしょうか?」慣れっことでも言いたげに、表情を変えることなく同じ言葉を並べた。
「警察ですか?」狼狽えたような声に変わる。
「十六年程前に、この辺りで住宅火災があったのはご存じでしょうか?」女の質問を無視して、問いかける。
「住宅火災?」
「えぇ、十六年前に」
「すぐそこであったヤツですか?」
「そうだと思います。ご存じですか?」
「まぁ、知ってますけど……何でしょうか?」
「お時間は取らせませんので、その当時の事をお聞かせ願えれば」
「見てただけなので、何も知りませんよ」
「それでも構いませんので、よろしいでしょうか?」
「えぇ、じゃあ」
スピーカーから女の声が途切れ、少し離れた位置にある玄関のドアが開いた。初老を越えた女が体を半分だけ出して、訝しげな表情を黒部に向けている。
黒部は会釈をして、ガーデニングの施された癖のある門を通る。玄関に歩み寄り、笑みを浮かべてもう一度会釈をした。警察手帳を開いて、丁寧に見せる。
女は開かれた手帳をじっと見つめて、黒部と目を合わせた。訝しげな表情は変わらない。
頃合いを見計らって、よろしくお願いします、と黒部は警察手帳を閉じた。女が首を傾げて口を開く。
「十六年前の、そこであった火事のことですよね?」目線を隣のマンションに向けた。
「えぇ、それで、どの様な火災だったか覚えてますかね?」早速質問に移る。
「木造住宅から燃え広がったあの火事ですよね? この家も危なかったんですよ。もう大分前ですけど、何かあったんですか?」女の目から怪訝は消え去り、徐々に好奇が浮かび始めた。
「いや、捜査中であまり話すことは出来ないですけど、別の事件でその火災を調べる事になりまして」気の良さそうな愛想笑いを作って答える。
「じゃあ私が関係ある訳じゃ無いんですね?」女の顔に安堵が浮かぶ。
「お気を煩わせてすみません」
「いえいえ、それで、火事の話でしたっけ?」薄ら笑いさえ浮かべて、女は訊いた。
「お願いします」
「あの火事って言えばね、ちょっと凄い事があってねぇ」女は何か含んだような言い方をした。
何ですか? と黒部は訊く。
「木造住宅の隣に新築の一戸建てがあったんですけど、私が火事に気づいた時には木造住宅から結構火が燃え移っていたんですよ」楽しげに、女は話している。
黒部は興味ありげな表情を作って相づちを入れた。
「それでね、まぁ顔見知り程度だったんですけど、その一戸建てに住んでる山本さんって家族が見あたらなくて、もしかしたら中に取り残されてるんじゃないかって私パニクっちゃってね、ずっと叫んでたんです」井戸端会議の様に身振り手振りを交えながら、女は話す。
黒部は適度な頷きを交えながら話を聞いている。
「でも出てこなくて、結構火の勢いも凄くてね、近所の人たちでバケツで水運んだりしてたんだけど全然消えないじゃないですか。それでどうなっちゃうんだろうって思ってたら、本当に驚いたんですけど」女は目を見開いて驚きを現した。徐々に口調が興奮を見せ始める。
黒部は若干の面倒臭さに愛想笑いを被せて、細かく首を振った。
「若い男の子がね、急にバケツの水被って家の中に飛び込んで行ったんですよ。もう私悲鳴上げちゃうくらいびっくりしちゃって。だってもう本当に火の勢いが凄かったんですよ。それでね、何が凄いって、その若い男の子ね、二人担いで家から出てきたんですよ。信じられます? そのまま三人とも救急車で運ばれてね、もう私感動しちゃって。本当にこんな人が居るんだなって、それだけは今でもはっきりと覚えてますよ」最後まで話したのか、女は息を吐き出して、感慨に耽った。
「そんな事があったんですね」聞き終えた疲労を鼻息で誤魔化して、黒部は次の質問に移る。
「それで、その火災についてなんですが、原因なんかはお聞きになりました?」
女は感慨に耽り終わって、急に表情を険しくさせた。
「聞きましたよ。木造に住んでたおじいさんおばあさんの不注意でしょ。それで家燃やされてご主人亡くなっちゃったんですから、やり切れないですよね」表情に暗さを加える。
「池崎、さんって方ですよね? その木造住宅に住んでいた方は」
「あぁ、確かそういうお名前でしたねぇ」
「どういう方だったか覚えてますか?」
「そうですねぇ、人の良さそうな方々でしたよ。あの火事の後にねぇ、すぐに揃って居なくなっちゃって、夫婦揃って心中したんじゃないかって噂にもなってましたよ。あの当時の話ですけど」
そうですか、と相づちを打って、黒部は次の質問に移る。
「もし聞き覚えがあればで良いんですけど、谷村、良平、って方はご存じですかね?」ゆっくりと訊いた。
女は眉間に皺を寄せて首を傾げた後、そのまま顔を横に振った。
「では、石田、和己。このお名前に心当たりありませんか? 当時の噂話とかでも良いんですが」
女は口元だけで、石田和己、と呟いて、再び顔を横に振った。
「そうですか、えぇそれでは、お忙しい所ご協力ありがとうございました」黒部は頭を下げて、帰る素振りを見せる。
「それで、何があったんですか?」
女の好奇溢れる顔つきと言葉を丁寧に退けて、黒部は癖のある門構えの一戸建てを後にした。道の狭い住宅街を歩きながら携帯を取り出す。画面を確認して、表情に若干の驚きを張り付けた。そのまま耳に当てる。
「もしもし、お疲れ様です」無愛想な声の男が出る。
「どうした、野口? もう調べたのか?」
「頼まれたお二人ですけど、現住所も東京市内らしくて、すぐに調べられたみたいです。今大丈夫ですか?」
「仕事が早くて助かるよ」黒部は胸元から手帳とペンを器用取り出して、「大丈夫」と告げた。
「山梨県との境付近ですね。じゃあお伝えします」と野口は住所を述べた。最後に「双葉荘、五号室、になります。一応、母親の山本碧と長男の山本望、二人の名が記載されているそうです」と話した。
「ありがとう、それにしても車で来るんじゃ無かったな。電車移動の方が楽だったよ」黒部は笑って、情報を書き込んだ手帳をペンと共に胸元へ閉まった。
「今から向かわれるんですか?」無愛想に訊く。
「まぁ帰りがてら寄れそうだしな。今から行ってみるよ」
「珍しくお仕事熱心ですね」野口は微かな笑い声を混ぜて話した。
「今し方当てが外れたからな。せっかく東京まで来て手ぶらじゃ帰れないだろ」
「じゃあ成果楽しみにしてます」
「あぁ、楽しみにしてろ」そう笑って、黒部は通話を切った。
白のセダンを停めた有料駐車場に戻り、車に乗り込む。手帳を開いて双葉荘の住所を確認する。気合いを入れるような鼻息と共に手帳を閉じて、エンジンを起動させた。
悪魔の二択 さじみやモテツ(昼月)(鮫恋海豚) @San-Latino
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