第15話 理由



 マンションの階段を駆け上がって自宅の玄関に入るなり、谷村良平は携帯電話を耳に当てた。様々な感情が入れ乱れた険しい顔つきをしている。

 数回のコール音が鳴った所で、玄関の靴箱付近にある自宅の電話機が音を響かせた。表情に苛立ちを目立たせて、受話器を取り上げる。

「もしもし、さっきは取り乱しまして、すみませんでした」電話口の男は、いつもの陽気な口調で謝罪した。

「これから、どうすればいい?」問いだけを、ゆっくりと口にする。

「そうですね、僕としては目的の半分は果たせたので正直いつでも良いんですけど、谷村さんはどうですか? 今日はもう疲れてるだろうしやっぱり明日にしますか? 奥さんをお返しするの」 

「今すぐでいい。どこで返してくれる?」表情とは逆に、落ち着いた口調で訊いた。

「夜中になっちゃいますけど、大丈夫ですか?」

「どこで、返してくれる?」質問を繰り返す。

「じゃあ本当は明日の朝にでもしようと思ってたんですけど、ここは頑張ってくれた谷村さんの希望にお答えしましょう。まぁ、僕もやること無くなっちゃったんで有り難いですし」ハハハ、と男は笑った。

 良平は口を噤んだまま、男の言葉を待っている。

「あぁ、そういえば言い忘れてましたね。女性の遺体は確認しましたので。実は僕も近くに居たんですよ。谷村さんが駅に戻るの見届けてから、確認させて頂きました」軽い世間話でするように、男は話した。

 良平は険しく歪んだ表情を呼吸で落ち着かせる。

「どうでもいい。家族はどこで返してくれる?」感情を込めずに淡々と話した。

「まぁ確かに、谷村さんにはどうでも良いですよね」とまた笑う。「じゃあ、メモ大丈夫ですか?」と訊いた。

 あぁ、と返事をして、良平は電話機の横にあるメモ帳に近づいて、付属のペンを手に取った。

「そこからだとちょっと遠いんですけど、とりあえず言いますね。山梨県の、河口湖、清水コテージ倶楽部、っていう場所に来て下さい。住所は――」

 男がゆっくりと告げる住所を、良平はメモ帳に書きつづっていく。

「そこの入り口に着いたらまた電話して下さい。奥さんをお返ししますから。大丈夫ですか?」

「子供たちは、いつ返してくれる?」唐突に聞き返す。

「あぁ」と男は笑った。まぁ別にいいか、と独り言の様に呟き、会話を続ける。「奥さんをお返しした後に、すぐに会えますよ。正直奥さんは邪魔なんですよね。僕と谷村さんの間には」

「分かった、すぐに向かう」

「はい、お待ちしています」元気良く返事をして、男は急に、あぁっ、と何かを思い出した様な声を上げた。「もう一つ、伝え忘れてました。その、女性の事は安心して下さい。僕がちゃんと処理したので。ここが大事なんですけど、谷村さんがこのまま僕に従ってくれれば大丈夫だと思います。まぁ、結局僕次第なんで」と笑う。

「家族を返してくれるなら、俺はどうなっても良い。約束は守ってくれ」無表情で話す。

「もちろんですよ。家族の為の自己犠牲ですよね。あの時の僕にその考えがあれば、こんなに苦しまなかったのにと思います」いつものように笑った。

「また、着いたら連絡する」静かに話した。

「はい、お待ちしています」

 しばらく互いに無言の間があって、通話の遮断音が流れた。良平は受話器を戻す。そのまま部屋へ上がることなく、再び玄関を出た。

 コンビニのATMで金を引き出し、駅に向かう。帰宅で賑わう改札を通ってから、電車に乗り込んだ。



 深夜一時過ぎ、良平は「清水コテージ倶楽部」の入り口でタクシーを降りた。大きな看板が張られた門があり、山林に囲まれている広々とした敷地に、木造に見える山小屋式住居が幾つか並んでいる。

 周囲は暗く人影は無い。敷地内の奥に続く整備の行き届いていない道筋に、薄明かりを照らす外灯が申し訳程度に設置されていた。

 タクシーが山道に姿を消したのを見届けて、良平は携帯を耳に当てた。長めのコール音が鳴り、男が出た。

「谷村さん、ちょっと予定外の事が起こりまして」陽気な口調は変わらず、「奥さんが、子供から離れたくないって言うんです」と笑った。

「話をさせてくれ」用件だけを告げる。

「僕もそう思ったんですけど、谷村さんもう入り口に居るんですよね?」

 あぁ、と答える。

「じゃあ今から僕が場所を教えますので、そこに向かって下さい。そこに奥さんも子供たちも居ますから。正直奥さんは邪魔なんで引っ張りだそうかとも思ったんですけど、そっちの方が面倒くさい事になりそうなんで。谷村さんさえ良ければなんでけど、どうですかね? どうしても奥さんから先にって言うんなら、無理矢理引っ張り出しますよ」と笑った。

「子供たちもそこに居るのか?」

「はい、奥さんと一緒に」

「分かった、俺がそこに向かう」

「約束を破るような形になってしまいすみません。じゃあとりあえず入り口から道筋を真っ直ぐに進んで下さい。十分ぐらい歩いたら森に突き当たると思うんで、そしたらまた連絡お願いします」

 なぁ、と良平は息を吐き出すように声を出した。

「何ですか?」といつも口調で電話口の男は訊いた。

「お前は、誰なんだ?」

 ハハハっ、と男は笑い声を上げ、「唐突ですね」と言った。

「なんで俺が……家族がこんな目に合わされているのか、分からない」口調が僅かに震えた。目元を険しくさせて、漏れ出そうになる感情を押さえ込んでいる。

「山本、望です」男は唐突に名乗り、「何か思い出しました?」と続けた。

 良平の目線は宙を惑って、何も見つけられずに元に戻った。

「やっぱり、覚えてませんよね」男は落ち着いた口調で話した。「今思えばなんですけど、あの時ちゃんと話せてれば、もしかしたら違ったのかもしれません」

「何を言ってるんだ? ちゃんと説明してくれ。俺が何かしたのか? 妻か? 子供が目的か? 俺たち家族が何をしたんだ」表情に浮かぶ戸惑いに任せて言い放った。

「目的は、谷村さんに答えて欲しい事があるからです。僕にはどうしても、納得できる答えが見つかりませんでした」

「だから……何を言ってるんだ」良平の口調が萎む。

「谷村さんがご家族に会えた時に、全てをお話します。今訊いた所で、本当の答えは聞けないと思うので」

「何だって答える。もう止めてくれ。家族を無事に返してくれ」

「楽しみは取っておくタイプなんですよ」陽気な口調に戻った。「それに、まだ制限はありますけど、ひとまずご家族は無事にお返しします。ここで長話をしてもあれなので、また森の突き当たりに着いたら、連絡して下さい」 

「待ってくれ」

 その言葉を置き去りにして、通話は切れた。良平は携帯を耳から離して顔を上げる。疲労の溜まった険しい表情を浮かべて、暗い道筋を進み始めた。 


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