手前みそ日和 学校司書の不思議旅4

美木間

手前みそ日和

 北風に凍えながら帰宅すると、味噌汁の温い湯気が出迎えてくれた。


 今晩の味噌汁は、淡色辛口味噌に里芋と打豆。

 具材は、母の郷里福井県大野の友人から送られてきたものだ。

 里芋と打豆の残りが入れられたままの段ボール箱に、見慣れない藁包みが新聞紙にくるまれて入っている。その納豆の藁包みのようなものは、三等分され、それぞれのくびれが藁ひもで結ばれている。まるでお団子のようだ。

 上着を脱ぎ手洗いとうがいをしてから、その藁包みを手にとった時だった。


「胡麻、黒胡麻がはいっとらんじゃないか。こんなんは、穴馬の味噌汁じゃないわ」


 父のごねた時の大声が響いた。


「ただいま、どうしたの」


 私は藁包みを手に声をかけたが、返事もせずに父は、箸を放り投げるとそっぽを向いた。いつもならすぐになだめながら箸を拾う母が、今回はそ知らぬ顔で台所に引っ込んだままだ。


 気晴らしにと、地区センターの茶話会に出るようになってから、父はごねることが増えた。まあ、何か出先で気に入らないことでもあったのだろう。男年寄の集まりでは、自分を曲げられないもん同士のちょっとした諍いはよくあることだ。


 気晴らしでストレスがたまるのも困りものだが、籠りきりで、行き場のないストレスを家族にぶつけられるのは、もっと困る。父は茶話会初心者で、メンバーや集いのルールに不慣れなだけだから、いずれ要領を得て楽しめるようになるだろう。なってくれないと、困る。

 今日ケンカしても翌日にはケロリとして出かけていくのが決まりごとのようになっているから、まあ、大丈夫だろう。


 母はすっかり慣れたもので、頃合いを見計らって小皿に黒胡麻をのせて父の前に置いた。


「お好きなだけどうぞ」


「冷めてしまった味噌汁に入れても香りがたたん」


 父はまだごねている。けれど、口調がやわらかい。

 以前なら、母がすぐに対応しないことにも怒っていたが、ようやく勝手放題な自分を少しは省みるようになったらしい。


「穴馬に、胡麻あったの」


 普段から、とんでもなく山奥だと聞かされている今は福井の九頭竜ダムの底に眠る父の郷里に、街では目にすることのない胡麻畑があったのかと、中学生の息子が面白そうにたずねた。

 孫の問いかけに、父は相好をくずす。


「胡麻は作っとったよ。ほれ、味噌汁の味噌も、作ったしな」


 父は胡麻を味噌汁にざらっと入れると、お椀をかかげてひと口すすった。


「お味噌って自分で作れるの?」


「そうじゃ。なーんもないとこだったでな、畑で作れるもんは作っとったんじゃ」


 父は食卓から居間のこたつに移ると、みかんの皮をむき始めた。


「教えてやろか、まずな、大豆を蒸してな、そんでな、」


 父の穴馬の味噌作りをきいているうちに、勤務先での味噌作り授業のことが、思い起こされてきた。




 総合学習での国際交流授業は、中二の三学期に行われていた。

 地元在住の外国人に来校してもらい、日本文化と各国文化を発表し合って文化交流を深めるのが目的だ。

 調べ学習の絶好の機会であるため先生方にも好評で、生徒たちも座学ではなく立ち動ける時間とあって、がやがやしながらも真面目に作業に取り組んでいた。


 例年であれば十月の文化祭が終わった頃から準備を始める。

 ところが、今年度で国際交流の授業が終わりになるという通達があり、担当の先生が記念になることをやりたいと言い出したのだ。


「味噌を作りたいんですが、資料ありますか」


 総合学習係の生徒がやってきたのは、新年度が始まってすぐの四月下旬だった。


「味噌?」


「国際交流で味噌を作ることになって」


「その授業って、三学期だったよね。毎年準備始めるのは文化祭終わってからだと思ったけど」


「今年で最後だから、記念になることをやるって、先生が」


「今年で最後なんだ、国際交流。面白いのにね」


 答えながら初耳の情報に資料関連丸投げの予感がよぎる。


「これ、予定表。先生も後で来るって言ってたけど。誰だかの保護者と会うって言ってたから、今日は来ないかも」


 先生から預かってきたというプリントを渡されて、ざっと目を通す。


「味噌作りって、時間がかかるんだね」


「ひと夏越さないと味が落ち着かないとかなんとか言ってた」


 新年度が始まる前に連絡を受けていれば、すぐに資料を紹介できたが、引き継ぎがうまくいっていない年は、非常勤職員への連絡は後手後手になる。それでも予定表が手元にあるだけでずい分助かる。


 それはさておき、インターネットで調べれば、レシピサイト、味噌会社のサイト、個人の趣味のサイトと、生徒でも調べることはできる。

 ただ、一時期インターネットでの調べ学習偏重で、所謂コピペが横行し収拾がつかなくなってしまったため、最初のとりかかりは紙媒体でとなったのだ。先祖返りではあるが、学習活動で利用してもらえるのは、学校図書館としてはありがたい。


「いつまでに必要なのかな、味噌の資料」


「五月の連休明けの総合の時間に、第一弾やるって言ってました」


 生徒は言い終わると、廊下で待っている部活仲間をちら見して、


「じゃ、部活あるんで」


 と、去っていった。


 国際交流の調べ学習では、各クラス内で、語学班、社会班、理家班、芸術班の4班に分かれる。


 語学班は、招待する国の言葉を調べて発表日の会話を担当する。日本のことわざを紹介することもある。

 社会班は、歴史班と地理班に分かれて、国の基本情報を調べる。日本を知ってもらうもののテーマを決めて調べる。

 理家班は、理系と家庭科の融合班である。お国グルメの紹介や、調理などを担当する。料理は、分量と化学反応など数字と実験が重要なので、理系チームは意外に熱心に取り組んでくれる。

 芸術班は、お国の音楽を調べたり、日本の伝統音楽を当日演奏したり、国旗を模造紙に描いたり、民族衣装を作ったり、着物の着付けを招待客にしてあげたりと大忙しだ。


 少子化の波は部活が強くて人気校のここにも押し寄せてきている。勤務を始めた時は、各学年5クラスあったが、5年目の今では、各学年3クラスに減っていた。

 それでも、生徒の人数に対して、資料の絶対数は足りない。

 地元の図書館へ団体貸出の手配をして、パスファインダーを作成する。

 パスファインダーは、レファレンスツールの一つである。特定の主題に沿った資料や情報を探すため、自館で提供できる関連資料を一覧できるようにしたリーフレットだ。念のため、インターネット資料も、出所を確認して載せるようにする。 

 味噌の切り口として、「スローフード」「ヘルシー」「薬」「発酵」などのキーワードも面白い。テーマは広がっていく。一通り作成してから、生徒たちに話をきいてみると、面白いものが出てくるかもしれない。


「さて、と。図書館に寄っていきますか」


 声に出して自分をけしかけると、一日の仕事で消費したエネルギーが、少し蘇る気がする。

 勤務時間終了とともに、一杯コーヒーを飲んで、最寄駅の図書館に向かった。



 資料の手配は、電話で図書館に依頼してもいいが、できれば自分の目でも確かめたい。資料の写真の大きさ、イラストのイメージが内容にあっているか、文字のサイズ、形などなど、確認したいことは多々ある。 

 本来であれば、生徒たちにこの作業もしてもらいたいが、限られた時間ではそこまでは無理だ。大事なことだとは思うが、省略しなければならないことの多いのが、従来型の学校の弱点なのかもしれない。


 考えをめぐらせながら、基本資料になりそうなものを、まずは書架からざっと抜いていく。


 ひと口に味噌といっても、米味噌、麦味噌、豆味噌、といった麹の種類による違い、塩分と麹歩合で変わる甘口、辛口、大豆を煮るか蒸すかや発酵熟成の期間で変わる、白、黄みがかった淡色、赤といった色による違いなど、身近であっても奥が深い。

 米だけのこうじは糀と書くが、麦、大豆、米の諸々ひっくるめたこうじは麹と書く。

 仙台、名古屋八丁味噌、信州味噌、京都の白味噌などの地域による違い。

 奈良・平安時代の醤と未醤から始まる味噌の歴史。


 原材料の大豆について植物の棚4で調べたり、実際に作る手順を調べるのに棚5の料理で調べたり、産業としての味噌作りであれば、流通、開発について棚6の産業・農業で調べたり、図書館で棚を見るというのは、多様な分野の資料をすぐに手にとれるというのが便利なところだ。

 そうして見繕った本を、常に手元に置いておきたいと思えば、本屋に出向いて買う。

 古本屋では、新刊書店にない本を探す。

 図書館を利用するようになって、本を買う機会がむしろ増えている。 

 限られた予算で、本を入手するのに、図書館は必要なツールなのだ。


 そうして集めた資料をもとに、理家班が中心となって、味噌の仕込みが進められ、夏を越し、秋を過ごし、年を跨ぎ、国際交流最後の授業の日がやってきた。



 今回は、ペルー料理の店長とそのファミリーが招待されていた。地元でも人気の店だ。

 鮮やかな色合いで繊細な手仕事の施された民俗衣装をまとい、店長の演奏に合わせて奥さんが歌声を披露する。

 幼い子どもたちは、浴衣を着せてもらってご機嫌だ。

 生徒たちは、理家班手芸部手作りのソーサープリムの帽子をかぶり、ペルーの公用語のスペイン語で、たどたどしくも挨拶をした。


 一通り班ごとのポスター発表が終わると、次は試食体験会だ。


 体育館にセッティングされてクロスの掛けられたテーブルに並んだのは、店長が用意してきたペルーの名物料理。日本人にも馴染み深い味にみんなは舌鼓を打った。


 そして、本日のメインイベントとなる味噌のお披露目だ。

 店長と奥さんは、口にしたことがあるのだろう。お椀を受け取り、笑顔でグラシアスと応えている。子どもたちは、味噌のにおいに閉口気味だが、それでも一口、ふた口味わっていた。

 味噌汁の具は、アンデス地域が原産のジャガイモとトウモロコシだ。日本とペルーのコラボだそうだ。

 私もお相伴に預かった。うん、悪くない。牛乳を加えたら、北海道にありそうなミソスープになるだろう。


 無事国際交流の授業は終了した。


 その日の放課後、教員の勤務時間が過ぎた頃に、今回の担当の先生が、ナスカの地上絵がデザインされたバンダナを持ってやってきた。店長さんから記念にと1ダースほどもらったのだそうだ。その店オリジナルデザイングッズとのことだった。

 いつも忙しなく動き回っている先生だったが、資料準備の礼を私に述べると、珍しく三十分ほど閲覧室の隅に陣取って読書をしていった。


 そういえば、以前、おすすめの本をきかれたっけ。

 なんと答えたか、それとも答えなかったのか。


 窓の外を見ると、日没の暗闇に、グランドの照明が、寒々しく灯っていた。




「ほれ、それじゃ、その持ってるの、それが、玉味噌じゃ」


 父の声にはっとして、私は手にした麦わら包みに顔を近づけて、においをかいでみた。


「麹味噌のにおいがする」


「ほう、そうか。玉味噌は今では麹のにおいがするか」


 父はそこで言葉を切ると、大きなあくびをした。


「昔は貧しくて、麹が買えんうちが作っとったんじゃよ、玉味噌は。そいつを寒風にさらしてから軒下に吊るしてな、味噌の水分が抜けて、うま味だけ残ってな。まあ、麹がなけりゃ、そう旨くはならんがな。そんでも味噌が作れるだけよかったんじゃ」


 現代からは想像もつかない貧しさというのは、確かに存在したのだ。


「味噌を作ると、たまり醤油もできるでな。だいたいのもんは、塩と、味噌と、たまりで味つけしよったんじゃ、」


 父の穴馬の味噌語りは、いつの間にか聞こえなくなった。

 こたつに入ったまま眠ってしまったようだ。

 乾燥するし風邪をひくからと、母が父を起こして、ふとんへとせかす。


 日めくりは大寒、味噌の仕込みには、いい頃合。


 皮をむきかけたまま温まったみかん。


 甘酸っぱさが、部屋に散じて、夜はふけていく。






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