第22話

 「遡って今から六年ほど前か……大きく物語が動き出すのは」


 アシュレイは空になった酒瓶を給仕の女性に下げさせると、代わりに注文した真新しい酒瓶が届くまでの暫しの時間、過去に思いを巡らせる姿は、十年にも及ぶメルヴィス家の恩讐を記録として記憶として編纂している姿は、他者には窺え知れぬ或る種の妄執じみたモノすら感じさせた。


 義理の母と息子の間に良好な関係が築かれ、収束したかに見えた家庭内の不和はレティシア・メルヴィスが女学院を卒業し実家へ戻ると共に新たな火種となって騒動を起こす事になるのだ、と。


 新しく用意された酒瓶を手に自らの杯に酒を注ぐと、アシュレイはまた物語を紡ぎ出す。


 「レティシア・メルヴィスの婚姻問題が新たな一石をメルヴィス家に投じる事になる」


 貴族と言う家柄に生まれた女子に定められた宿命……いや、実際にはそんな御大層なモノですらも無いありふれた慣習。


 それは当然と言えば余りにも当然な話で……もうすぐ十六歳となり成人を迎えるレティシアにこの段に至るまで許嫁、と呼ばれる存在が居なかった事の方が寧ろ異例の事態であったと言っても良い。


 良家の娘は女学院を卒業後に他家へと嫁ぐ……これは本人の器量や容姿の美醜に関わらず、貴族社会に置いての因習であり、まして家柄と容姿に恵まれたレティシアを嫁にと望む婚姻話は数多く、引く手数多であった事は言うまでも無い。


 孫娘の幸せを願うウェインバーグ家と静観するケルニクス家の思惑に違いはあれど、レティシアにメルヴィス家を離れて欲しいと言う思いに置いて共通の認識を持っていた両家の間に不干渉の取り決めが為されていた、とすら噂される程に、本人の意思は知らずとも、レティシアの婚姻は誰もが望むモノであった事だけは間違い無い。


 「これがな……斜め上を行くと言うか……予想外のところから横槍が入ってな、まあ、聞いちゃいるとは思うけどよ」


 「アインス・ベルトナーですか……」


 アシュレイとは別の意味でエレナとしては内心複雑ではある……誰よりもこの件に関しては当事者であるゆえに……。


 ビエナート王国聖堂十字騎士団筆頭。


 ビエナート王国法王庁特別審問官及び司祭位。


 王国伯爵位及び永世神聖騎士爵。


 救国の英雄に後に贈られた賛辞や栄誉は数多に昇り。


 冠する名誉や名声はビエナート王国一国に留まらず、他の四大国から贈られた名誉職などは数知れず、故人では無く当代としてこれらを叙勲するアインス・ベルトナーは最早一国の騎士ならず、救世の騎士として遍く知られる大陸の英雄である。


 吟遊詩人たちが好み謳う詩編の中でも齢二十九になると言われるアインスに特定の伴侶の存在は語られてはいない……しかし仮に伴侶を得るともなれば挙って候補に挙がるのは四大国の王族ないしその直系、とそれこそメルヴィス家の出る幕など無いほどに、アシュレイが言葉を濁す程に、レティシアとの婚姻話など現実味の無い与太話なのである。


 「とは言え、当時のアインス・ベルトナーは北域では無名の他国の貴族……当主であるカダート・メルヴィスがいきなり言い出した許嫁の存在に周囲の人間たちがどれ程面食らったかは分かってくれるだろ?」


 今でこそ先見の明があった、と称されて然るべき事柄ではあっても、当時まだ国交すら結ばれてもいない西域の貴族との婚姻話にどれ程の抗議や反発があったかは推して知れる。


 エレナとしてもこの件に関してだけは周囲の人間たちに些かなりと同情してしまう。


 我が身を振り返っても当時の自分は名誉欲と思想に凝り固まった未熟な若造でしかなく、客観的に歴史的事実だけを見ても西域随一の騎士として大陸で名を知られる様になるのはまだまだ先の話である。


 救世の騎士として大陸全土で語られる物語の始まりがこの辺りからである事を踏まえても、個人の評価としてもまあ、妥当なとことであろう、と。


 「本当に存在するかも知れない西域の貴族の名を出して良縁に次々と断りを入れていく当主の奇行を前に随分と内輪では揉めたそうだが、好転した事があるとすれば一つ、娘のレティシアが好意的に受け取っていた事とこれを契機として貞淑な才女としての顔をレティシア・メルヴィスが見せ始めたって事だろうな」


 貴族の婚姻は多くの市井の者たちとは異なり男女の恋愛感情を基とした関係の構築が為される事は数少ない。


 大半の者が数度会った程度の相手と結ばれ、愛情とは後の年月を掛けて培い育んでゆくものとされている。


 舞台劇などでは悲劇や喜劇として揶揄される事もありはするが、時代の認識として貴族間の婚姻関係とは個々人の感情や感傷などを差し挟む余地の無い、家と家との結び付きであり政治的な要素の強い習わしである、と言わざるを得ず、そうした意味に置いて周囲の困惑や反発はある種当然の反応であると言えるであろう。


 当時のレティシアが、一人の少女として抱いた淡い想いが、果たしてどの様なモノであったのかは本人しか与り知れぬ事。


 しかし、結果として自分の伴侶となる男性が英雄と称されるまでに名を為した今、理想の体現者として偶像化されたアインスの存在がレティシアに与えている影響を考えればエレナとしては他人事、とは思い難い。


 自分の与り知らぬ事とは言え、レティシア・メルヴィスと言う女性の報われる事の無い愛情の先に、まったく責任が無いと言えるほど無関心になる事は出来なかった。


 「もう一つこれを機にレーニャ・メルヴィスは義理の息子であるシェルン・メルヴィスを身辺から遠ざける様になるんだが……今一つその辺りの関係性ははっきりしねえ」


 時期を同じくするゆえに無関係とは言い難いが、レティシアの動向だけが理由にしては余りにも不可解な点が多い……レティシアとレーニヤの長きに渡る確執の歴史の中で遡ればもっと決定的な分岐点など幾らでもあったゆえに。


 この辺りの心境の変化について疑問の余地は残れども、ともあれレーニャがシェルンに接する態度を一変させ一転して冷遇する様になる事だけは事実であり、余りにも豹変した露骨な態度には、公の場や夫であるカダートの御前以外では姉弟の同席すら許さぬ程に徹底したレーニャの変貌ぶりには、周囲の者たちも驚かされていたらしい、とアシュレイは付け加える。


 「その後の成り行きは今のあの姉弟の関係を見ているお前さんなら察せられるんじゃねえか? うす……」


 薄気味悪い、と口に出しそうになりアシュレイは慌てて自制する。


 「姉が弟に、弟が姉に見せる過度な愛情、共依存って言うんだろ、ああいう関係性をさ」


 嘲笑うのを堪えるかの様なアシュレイの様子に、エレナの不快感を隠さぬ眼差しが射貫く様に捉え、それに気づいたアシュレイは慌ててエレナから視線を逸らす。


 母親と慕う女性から疎まれ遠ざけられたシェルンの心情を思えば、当時まだ十歳程度の少年が負った心の傷は計り知れぬモノがあっただろう……結果的にその代償行為として、代替え行為として、実の姉に母親の温もりや面影を見たとしてもそれが他者に謗られるモノだとはエレナは思わない。


 レティシアにしても同様に、傷ついた弟に対する庇護欲が母性にも似た強い愛情へと転化していたとしても、この時互いがそれを必要としていたのならばしたり顔で誰がそれを非難出来ようか。


 弱さとは決して罪の象ではない。


 エレナとて今の二人の関係に思うところは確かにある……しかしそれは現在の二人の問題であり、過去の彼らの責任ではない。


 互いに支え合い身を預け合って生きるのは尊い様に見えて、決して一人では立てぬその生き方はエレナが真に望む人の在り様とは言い難い……しかし己と考え方や価値観が異なるからと言って、声高に胸を張り正論を振り翳す輩を何よりもエレナは嫌悪する。


 ゆえにエレナは願うのだ。


 あの子たちにはもっと多くの人々と多くの異なる価値観と触れ合って欲しいと。


 それは良い事ばかりでは無いかも知れない、身を切る様な痛みや悲しみを、身を焦がす様な怒りや憎しみに晒される苦難の道であるのやも知れぬ……されどあの子らが望んでくれるなら、許されるのなら、己の全てを賭してその傍らに在りたい、とエレナは願う。


 共に悩み、共に迷い、あの子らが導いた答えの先が今の関係のままで在りたいともしも願うなら、その時は全霊を以て害する全てからあの子らを護ろう、と。


 短い余命を下らぬ事に、と愚かしいと、誰もが指を指し嘲笑うならそれで構わない。


 エレナ・ロゼとして何かを為す為に今を生きている訳では無い……ならば己の望むままに望むモノの為に死んで往けるなら、駆け抜ける短い生を名も無き一輪の花として散って往けるなら其処に後悔など有ろう筈も無い。


 「結局のところ、当の昔に破綻していたあの家族を辛うじて繋ぎ止めていたのはカダート・メルヴィスの存在だけだったって訳だが、知っての通り一年前にその本人が戦死した事で全てが崩壊する」


 遺体すら戻る事無く行われたカダートの葬儀の翌日から、当時王立学院へと進学していたシェルンの身に不可解な出来事が立て続けに起こり始め。


 それは寄宿舎での小火騒ぎに始まり、通学途中に遭遇する強盗やら挙句には誘拐未遂に至るまで、数カ月の間に両手では足りず起きる事件の数々は挙げれば枚挙に暇が無く、だが当初から不審を抱いていたレティシアは実の母方の実家であるウェインバーグ家を頼っていた事もあってかシェルンの身が深刻な事態に晒される事だけは辛うじて避けられていたと言う。


 「それ程の事件が続いていたのなら、事件の関連性を含めて全容が明らかにならなかったのですか?」


 「それが一つ一つの事件自体は計画性の無い短絡的なモノが殆どらしくてな、関係性が希薄で安易な犯行ゆえに、ケルニクス家やレーニャ・メルヴィスに繋がる証拠をウェインバーグ家も調査を行った近衛騎士団も掴むことが出来なかったらしい」


 用意周到では無い分或る種に置いて巧妙で、誰もが疑いながらも確証がないゆえに弾劾する事も出来ず緊張関係が続く中で最後の事件が起きる事となる。


 レティシアの求めに応じてシェルンの周辺警護の為に割いていた人員に死傷者が出ていた事もあってウェインバーグ家とケルニクス家は一触即発の緊張状態に陥っていたそんな中で……。


 今から半年前にレーニャ・メルヴィスから誕生祭を祝う身内だけの席に二人は招待されたのだ、と。


 「レティシアさんとシェルン君は求めに応じたのですか?」


 カダートの死と共にレティシアはウェインバーグ家へと身を寄せ、シェルンはメルヴィス家を離れ寄宿舎に住まいを移していた事もあり、実質上の絶縁関係にあったレーニャの求めに二人が応じた事にエレナは違和感を抱いていた。


 「姉のレティシアと叔父のハロルドは止めたらしいがな、頑としてシェルン・メルヴィスは聞かなかったらしい、もしかしたら……或いは淡い希望を抱いていたのかも知れないな……元の関係に、母親との関係を修復する最後の機会だってな」


 だとすればその未練が余りにも哀れで……齎される結果を、その末路を知るだけに、アシュレイの声には僅かなりと同情の響きが感じ取れ……だが、次に語られた言葉の重みにエレナは我が耳を疑う。


 「招かれたメルヴィス家の邸宅で、シェルンとレティシア、レーニャとヨハン……本当に親族のみの内輪の晩餐の席で用意された料理には毒が盛られていた」


 と、母が子を手ずから殺めようとした、と語るアシュレイに、エレナは言葉を失う。


 誰よりも血の繋がりだけが親子の形では無い事を知るゆえに。


 育ての母の深き愛情を知るゆえに。


 それはエレナにとって余りにも救いの無い結末であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

双剣のエレナ ~災禍の転輪~ ながれ @nagare

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ