第21話

 此処までまるでその場に居た様に、見て来たかの様に語るアシュレイの姿にエレナはある種の違和感を感じていた。


 アシュレイなりの事情や思いはあるのだろうが、独自に調べたにしては余りにも内情に詳し過ぎる上に、情景が思い浮かぶ程に細部に至るまでの描写が的確過ぎる。


 十年前からアシュレイがメルヴィス家と関りを持っていたとは考え難いとしたら、この件でアシュレイに協力している第三者が存在している事はまず間違いはないだろう。


 メルヴィス家に限らず貴族間の、或いは身内の揉め事で公な場に明確な物証や証言の記述が残される事は稀な話と言っても良い……この手の揉め事は家名に傷を残す恥部であり、対外的な意味合いからも立法府からの仲裁を嫌うゆえに、内々に事を収め処理される事が大半を占める言わば秘め事、秘事である。


 となれば尚の事、公開されているかも定かでは無い当時の資料をアシュレイが入手出来たとしても、此処まで情報を得る為にはメルヴィス家に深く関わりを持つ人物からの協力が必要不可欠であったろう事は疑い様も無い。


 少なくとも十年前の当時から外部からでは無く、渦中にあった内部にあって全てを見て来たであろうアシュレイの協力者が、その人物の思惑が果たして何処に在るのかを、アシュレイと依頼主を繋ぎ全ての鍵を握る人物ゆえにエレナは見極めなければ為らない。


 俗欲ゆえか或いは私的な怨恨なのか……それとも何か別の意図が其処に隠されているのかを。


 ゆえにエレナは耳を傾ける……今は聞き役に徹する為に。


 「そんな歪んだ家族関係の中でも救いはまだあった」


 と、アシュレイは語る。


 「当時まだ五歳であったシェルン・メルヴィスは幼さゆえに、姉であるレティシア・メルヴィスとは違い義母となったレーニャに良く懐いていたそうだ、必然的に歳の近い弟となったヨハンにもな」


 親族間の関係は修復が難しいまでに壊れてしまったとしても、それはあくまでも現当主であるカダート・メルヴィスを巡る恩讐に過ぎず、言ってしまえば一代限りのモノ。


 問題行動が有ったとされるレティシアはいづれは他家に嫁ぎメルヴィス家を離れる存在であり、シェルンが成人を迎え跡目を継ぎさえすれば問題の多くは解決される、と周囲の者たちがそう考えていたとしても不思議な話では無い。


 最良では無いがそれが最善の選択肢である、と。


 「実際に家族内ではカダート・メルヴィスを緩衝材として上手くやっていたらしい、レーニャは夫を立てる良妻として実の子であるヨハンと分け隔て無く、シェルンに対しても変り無い愛情を注ぎ育てていたとされているしな」


 翌年にはレティシアは貴族の令嬢が通う王立の女学院へと編入し、住まいを寄宿舎に移す事となり、結果としてその事が後の数年間に渡る平穏な期間を齎した大きな要因だったのだろう、とアシュレイは推測を交えてエレナに語って聞かせる。


 「レティシアさんがまるで一方的な悪者扱いですね」


 「本当のところはそれこそ当事者たちにしか分からねえだろうし、当時あの女、じゃない……レティシア嬢が虐待の真偽は別に置いても情緒不安定だったって事だけは否めねえ事実らしいしな、幼さゆえってのもあるんだろうが、時期を早めて編入させたのは距離を置かせて様子を見たかったんじゃねえのか」


 「呈の良い厄介払いですか」


 「随分と嫌な言い方をするな、成長を促す為だろ」


 感情は差し挟まないとは言ったが、やはりエレナがレティシア・メルヴィスに対して肩入れしているが如き言動を聞いてしまうとアシュレイとしては面白い筈も無く、ついつい語尾が荒くなってしまう。


 教養を得ると言う事は人格面を形成する上で重要な要素である。


 女学院と言う地域社会は確かに狭い世界かも知れないが……しかし、他者と触れ合う環境に身を置く事で物の見方や価値観を育んでいく場でもある。


 環境の変化に寄って性急にでは無く、ゆっくりと歳を重ねる事で成長を促すと言う意味に置いて、アシュレイはカダートの判断が間違っていたとは思わない。


 ゆえにこの辺りの話に関してアシュレイが疑問を抱いた事は無かった。


 しかしエレナはアシュレイとは異なり漠然と、では無く色濃く残る違和感を感じていた。


 余りにもカダートの気質に合わぬ所業ゆえに。


 歳の頃を考えてもアシュレイが言う様に学院に入れてしまう事が最善手であろう事は間違いは無い……しかしエレナの知るカダートならば、娘が幼さゆえに過ちを犯したと言うのならば尚の事、世の厳しさを身を以て教える為に市井に放り出す。


 それくらいは遣り兼ねない常識に囚われぬ破天荒な男であった。


 友を想えば決まって思い出すそんな一場面が在る。






 ビエナート王国の王都、セイスラシーズの裏路地を闊歩する一人の若き騎士の姿が在る。


 輝く黄金色の髪に蒼き瞳と白色の肌を持つ、選ばれし優性民族ルクセリア人としての特徴を有する若者の姿を目にすると、路地に佇む人々は怯えた様に、蜘蛛の子を散らす様に或る者は身を隠し、或る者は逃げる様にその場から立ち去っていく。


 そんな周囲の光景など一顧だにぜず、気にも留めず路地を進む若者こそ、若き日のアインス・ベルトナーその人であった。


 路地の突き当り、小さな扉の前で自分を待っている薄汚い小男にアインスは無言のままに硬貨を収めた革袋を投げ渡し、帯剣している柄の紋を男に見える様に僅かに掲げて見せる。


 天秤と剣を象る十字紋。


 刻まれたその徽章の意味を知らぬ者などこの国に居よう筈も無い。


 ルクセリア人の誇り足る、選ばれし神の信徒にして使徒、聖堂十字騎士団の紋を。


 腰を折り、引き攣った蛙の様に諂う様な笑みを浮かべて扉の奥に、地下に続く階段へと案内する小男の背に向けるアインスの眼差しは実に冷ややかなモノであった。


 小男に連れられて進む地下通路は薄暗く、じめじめとした嫌な湿気に満ちた空気の淀みにアインスは眉を顰め、錠前が掛けられた扉が開け放たれ、足を踏み入れた一室の隅に裸で胡坐を掻いて座っている男の姿を目にしたアインスは、もう何度目になるであろう、不快げに嘆息する。


 「外交特使殿……メルヴィス殿……いい加減にして貰いたい、赴任してからまだ五日目だと言うのに、これでもう二度目ですよ……貴方は学習するという事を知らぬのですか」


 「いやっー助かった、本当に済まんな、まさか酒に一服盛られるとはな……いやいや油断したわ……具合の良い女だったからこう……な?」


 丸裸の男に身振りで説明されてもアインスとしても返答に困る……それに説明などされずとも、売春宿を兼ねた酒場の地下室に監禁される事態など推して知れる。


 娼婦に騙され身ぐるみを剥がされて逃げられた挙句に酒代と宿代を払えずに拘束されたのだろう、としか他に考える余地が無い。


 「店の者が気を利かせて私の邸宅に遣いを走らせねば貴方は殺されていた、この二回とも運が良かっただけだと心得て貰いたい、此処は貴方の国ではないのだ、全ての店がそんな律儀な真似をするとは思わないで頂こう」


 「分かってる、分かってるって、その辺は俺の国でもそう変わらんよ、怖い顔をしなさんな、若者よ」


 四十を超えているであろう、裸の中年に真面目な顔で若者扱いされてもアインスとしては納得し難いモノは有りはしたが、この男の滞在期間中の護衛の任を、護衛武官としての任を賜った以上、この男、カダート・メルヴィスの身に何かあればそれはアインスの責任問題となる。


 公の場での警護中ならばいざ知らず、職務外の時間まで世話を焼くなど正直御免被りたいとは思えども、さりとて迷惑千万、と切り捨てて見捨てた結果、自分が被る不利益を考えれば無視する事もまた難しい。


 この様な下らぬ事で家名を汚す様な真似だけはアインスとしても避けねばならなかったのだから。


 しかしまだ若さが残るアインスの表情には語らずとも抱く不満の色がありありと窺え、小男が持って来た、返された自分の衣服をそそくさと着込んでいるカダートの様子を無言のまま渋い表情で眺め見ていた。


 「特使殿、これからは女の手配は此方で致しますので、夜間の外出は控えて頂きたい……まして一人お忍びで、などは金輪際許可出来ないと心得よ」


 解放されたカダートを連れて地下室を出たアインスは、裏路地を抜けて通りへと差し掛かる頃合いを見計らってそれを告げる。


 「俺は線の細い着飾った女より、逞しく世を生きる……そんな女たちが好きなんだがなぁ……」


 夜間の外出を禁じる……平たく言えば軟禁に近い厳しい処遇ではあったが、アインスの有する権限の範囲内の裁量であるゆえに強く抗議も出来ず、カダートは息子程も歳の離れた青年に対して情けなく苦情の声を上げるが。


 「好みの女を買いたいのであれば、どうぞ帰国後にご自分の国で為されるが良い、しかし少なくとも我が国に滞在中は此方の方針には従って頂く、宜しいな」


 と、それには聞く耳を持たず、アインスは一方的にそう宣言する。


 「貴方とて国にはご家族が居られるのでしょうに、にも関わらずまるで盛った獣の如く他国で羽目を外して女を漁るなど……奥方殿に知られれば不貞と謗られ、愛情を疑われる、不和の元となるでしょうに」


 「つまらん上に固い事をいうなぁ……」


 今度は逆にカダートがアインスに同情的な眼差しを送る。


 例えて女は華なのだ、と。


 ならば美しい華を愛でるのに誰に憚る事があろう、と。


 「それにな、俺が愛した一番の華たちは、そんな粗末な理由で色褪せる程弱い女たちじゃない、温室に咲く花々の全てがか弱くか細く、頼りなげなモノとは限らんだろ」


 温室だろうが道端に咲く花であろうが、強く逞しく凛と咲き誇る花が俺は好きなのだ、とカダートは懐かしむ様に眼差しを空へと向ける。


 「なあアインス、お前さんはこの国が好きか?」


 「愚問ですね」


 迎えの馬車を目の前に、下らぬ問答などする気の無いアインスは反論の余地の無い答えで返す。

 

 他国の外交特使と政治的な思想を語り合う気などアインスには無い。


 カダートが何を言いたいのかなど問わずとも知れる……しかし異なる信条や思想など今のこの国には必要のないモノである。


 ビエナート王国が主導し知らしめる絶対的な規律と調和のみが争いの絶えぬ他民族国家である西域に真の平和な世を齎すのだ、とアインスは信じて疑わぬ。


 人はその愚かさゆえに争いを止めず、その弱さゆえに互いに憎しみ合う。


 ならばこそ今必要なモノは救済であるのだ、と。


 正しき導きこそが等しく人々を救い共生の道を歩ませる道標なのだ、と。


 聖堂十字騎士団に所属する自分が何故本来の使命とは掛け離れた護衛官などと言う任を拝命し勤めているのか、その理由をアインスは正しく理解し弁えている。


 俗欲に塗れた北域の政治思想などをこの西域に持ち込ませぬ為……自分がその監視者である事を。


 「お偉い学者先生やらから品の良い学問なんぞを学ぶと誰もがそんな杓子定規なつまらん答えを知った様に言いやがる」


 決まって皆が同じ表情で、同じ顔で、同じ言葉を吐き、同じ方向を向く……それが何より気に入らないのだ、と。


 アインスの表情からソレを読み取ったのだろう、王都の街並みへと目を向けるカダートは先程までとはまるで異なる面持ちで語る。


 「何かを学びたいなら街に出て働けば良い、毎日酒場の厨房であかぎれになるまで皿を洗い、毎日足腰を酷使して重い積み荷を運ぶ、そんな過酷な環境下でも逞しく日々を生きる人々の営みに触れる事の方が、余程身になる経験だと俺は思うがね」


 政治的な批判、と捉えるには余りに抽象的である為に敢えてアインスは同じ土俵に上がる事も無くカダートを無視して早々と馬車へと乗り込む。


 俗物が抱く大義無き理念など、この時のアインスには共感など……理解など出来よう筈も無かったのだから。

 

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