第42話 碩学の悪魔

 異常事態の連続で疲弊していたかのように見えた城南市も、立ち入り禁止地区を定めるまでに追い込まれたが、それでもなお日常を取り戻そうとしていた。

沙羅はアスモデウスを部屋に置いて学校に登校していた。アスモデウスは契約違反だと不満そうな顔をしていたが、沙羅は「傍にいることを許すとはいったが、四六時中いっしょにいることを許すわけではない」と屁理屈をこねた。なおも納得できないといった感じのアスモデウスだったが、そこは惚れた弱みか、しぶしぶ引き下がることになった。惚れられた側が「惚れた弱み」を思い知ることになるとは沙羅も思い至る所ではなかった。


 教室に入った沙羅に、クラスメートの堺汐里が声を掛けた。

「おはよー、沙羅ちゃん」

「おお、シオリン。おはよう」

「ねえねえ、沙羅ちゃんって十和田愛実先輩と知り合い? この前一緒に帰ってるとこ見ちゃってさ」

「え? 知り合いっていうか、多分そうなんだろうけど」

家族同然で暮らしていることは黙っていた。

「私がいうのもなんだけどさ、帰宅部レギュラーで頭もそこそこの愛実のどこに興味を持ったって言うのさ」

「それは、その……」

汐里は言い淀んだ。

「その?」

「あの、暗闇で悪い男に襲われそうになってたところを助けてくれて!」

「想像できない」

「とにかく会わせてくれない?」

「うーん、会うくらいなら、とりあえず連絡とってみるけど、あまり期待しないでよ?」

「やった!」


 「それで、その契約者さんが何の用なんだ? あ?」

「いきなりすごむのはやめようよ、ベル」

汐里と愛実の対面の場は相麻探偵事務所となった。

対面してすぐ、問題が発覚した。汐里は契約者だったのである。そして、顔見知り程度に愛実を知っていた彼女が愛実に興味を抱くようになったきっかけは、というと

「あの……どちらさま?」

「愛実先輩、忘れたんですか……? あの、アルゴとかいう奴の説教にいったとき、爆風から私を庇ってくれて……」

そう言われて、愛実はようやく思い出した。

「ああ、あの時の! けがは大丈夫?」

「はい、お陰様で! 愛実先輩こそ、あの後、敵に思いっきり突っ込んでいきましたけど……」

「なんとかなったよ。教会はボロボロになっちゃったけど」

「いやー、流石です! 正義のヒーロー!」

「褒められると照れるなあ」

「半分以上はアタシの手柄だからな」


 「そして、その正義のヒーローを見込んで、愛実さんに依頼したいヤマがあるのですよ!」

「できることがあるなら、頑張るよ」

「愛実のやつ、大人しいわりにおだてに弱いのか」


 「その、私の友達なんですけど、その人も契約者で」

「やっぱり悪魔絡みじゃねえか! 頼んでくる奴が契約者だって時点で悪い予感はしてたけどよ!」

「私の友達、大人しかったんですけど、それでかいじめを受けてて……それで悪魔と契約してから、なんか気が大きくなったっていうかなんていうか……」

 愛実の脳裏に資憐の顔が浮かぶ。


「あ、でも、殺しなんかしてないですし、残る傷もつけてないんですよ」

「傷跡が残らないようにって、一番悪質じゃねえか……」

「私もなんとか説得したり、悪魔同士で戦わせたりしたんですが」

「悪魔はお前の奴隷じゃねえ!」

「私の悪魔弱っちくて……今も呼んでるんですけど、出てこないんです」

「……なんか、必死こいて戦ってるアタシらがバカに思えて来たな。何だよ気楽に契約契約って」


 「でさ、汐里ちゃんの契約してる悪魔と、そのお友達が契約している悪魔って名前分かるかな?」

 愛実が二人の会話に割り込んだ。

「はい、友達のはちょっと分からないんですけど、私のはケルベロスっていうらしくて……」


 ケルベロスの名を聞いた瞬間、ベルがむせた。

「ケルベロス!? ケルベロスだと!? なんでアタシの眷属が弱っちくてアンタのとこに契約してんだよ!?」

「それが分かれば苦労はしないんですよ!」


 それを見ていた沙羅が話に参加した。

「ケルベロスって三つ首の犬だったよね。ケルベロス、おいでーって言えば来たりするんじゃない?」

「それアタシに言ってんのか? それこそ、そんな簡単にいけば苦労はしないんだよ……ケルベロス、おいでー。」

 すると汐里の契約印が反応し、黒い霧が立った。そして中から由緒正しきソロモンの悪魔、ケルベロスが姿を現した。

 ――小型犬サイズの。

「小さいね」

「かわいいね、なんか首三つあるけど」

「知ってたよ、ああ知ってたさ! 力がほとんどないアタシの眷属がどんな有様か、なんてさ!」

「とりあえず撫でてごらんよ、可愛いよ」

「今は可愛いとかより強いほうが大事だろうがッ!」


 「ケルベロスについては大惨事ってことが分かったけど、そのお友達ってどんな風に人を襲わせてたとか、そういうことは知らない?」

「襲う? 花蓮はそんなことしてませんよ?」

「え? でも、花蓮ちゃん? っていうお友達、悪魔と契約してから気が大きくなったって」


「うん、かなり威張ってるよ。昨日なんか数学の先生相手に――」

「先生に手を挙げるのはかなりまずいんじゃない!?」

「難問吹っ掛けてたよ。結局先生は解けなくて花蓮が解いたんだけど」


「へ? 難問?」

「いやあ、純粋な暴力じゃない分、心を抉られた傷は残るよ、あれは酷い……」

「ちょっと待って、花蓮ちゃんって何をしでかしたの?」

「ん? 急に数学の出来が良くなって、周りの頭いい生徒に問題の解き合いを仕掛けてるんだよ」

「悪魔と契約して、やることが数学バトル……?」

「なんていうか、シュールっていうか情けないって言うか……」


 「つまり、数学が得意な悪魔がいる、ってこと?」

愛実は仕切り直しとばかりに汐里に尋ねた。

「そう、なるのかな。でも不思議だね、数学に特化したのがいるなんて」

「まあ、デビルは人間の欲望を反映したのが多いって言うから、私みたいに数学が苦手で、いっそのこと何か投げ出してもいいから数学ができるようになりたい、って願った昔の人がいるのかもしれないね。ヴァネッサと連絡がとれれば詳しい話が聴けたのかもしれないけど」

「恐るべし、昔の人……」

「うーん、やってることはあまり危険じゃないと思うんだけど、もしかしたら対価にとんでもないものを渡してる可能性があるから、一応調べてみたほうがいいかな? あ、そうだ。汐里ちゃんはケルベロスに何を対価に契約したの?」

「親戚の旅行中に犬を預かってたんだけど、ドッグフードが余ったからそれをあげるよって……」

「ケルベロスが弱くなったのはお前が原因か!」

 ベルは頭を抱えた。


 愛実、ベル、汐里の三人は花蓮の住むアパートを訪れていた。

「何日か学校休んじゃってて、中で何が起きているか……まさか」

「変なこと考えないの。とりあえず鍵空く? ……あ、空いてる」

三人はドアを開け、部屋の中に入った。

「おじゃましまーす……花蓮? 花蓮?」

花蓮の応答はない。

 カーテンが閉められているにも関わらず、玄関の照明はついていない。不気味さに三人は震えあがった。

 障子を隔てて、向こうにもうひと部屋があるらしい。ふすまから明かりが漏れている。

「ひい……もしかして黒魔術案件?」

「いや、ないでしょ……ないよね? ここまで来たんだから引き返せないよ、うん」


 三人は息を呑んで、障子を開けた。すると、通販の梱包材と思われる段ボールや袋が辺り一面に散らかっており、その中心で、花蓮が数学の学術書らしきものと格闘しているのが見えた。

「黒魔術案件だと思ったら汚部屋案件だったーッ」

 汐里が頭を抱えて絶叫した。

 それに驚いて、花蓮が顔を上げた。

「びっくりした、汐里? どうしたの?」

「どうしたもこうしたもないでしょ、今日学校休んじゃって」

「だって数学はもうやったことだし、他の科目はつまんないし」

「ええ、だって友達もいるのに」

「私の頭についてこれない友達なんていらない」

「昨日の『プリンス☆ミヤビ』の話とか」

「何それ?」


 汐里は愛実のほうを振り向くと、号泣して泣きついた。

「愛実先輩、愛実先輩、重症です、花蓮!」

「見て判らなかった? 部屋の惨状見てだいたい察するよね」

「花蓮は勉強嫌いだし、もしかしたら友達をディスったりするかもしれないですけど、ミヤビ様のことは誰よりも一番愛している人なんです! そんな花蓮が、そんな……!」

「友達を大事にする人って言ってあげよう?」


 愛実は花蓮の前に進み出た。

「こんにちは、花蓮ちゃん?」

「あなたも契約者?」

 花蓮が応えた。

「うん、一応。そこに立ってるベルっていう娘なんだけど」

「人型の悪魔もいるのですか……」

「え? 花蓮ちゃんの契約してるのって」

「これです」

 花蓮は筆箱の中から何やら奇妙なオブジェを取り出した。愛実はそれをしげしげと見つめたが、何かは分からない。

「えーと、ごめんね、私最近の魔法少女には疎くて」

「なんかの変身アイテムじゃないですよ、アンドロアルフェス。れっきとした悪魔です。ほら、ここに頭とくちばしがあるじゃないですか」

「……どれどれ、あ、本当だ」

 愛実は手渡された筆箱サイズの鳥の悪魔をしげしげと眺めた。悪魔はまるで人形のようにぴくりとも動かない。

 ――多分悪さとかできるタイプの悪魔じゃないな。

愛実はそう確信した。


「あのさ、この……アンドロメダ?」

「アンドロアルフェスです」

「そう、それ。その悪魔と契約するときってさ、対価がどうしたとか言ってた?」

「言ってました、私は歌声を捧げました。別に音痴で困ることはないので」


「ああ、もうお前ら一回ぶん殴りてえ!」

 ベルが地団太を踏んだ。愛実がそれを押さえつけてる間に、汐里が花蓮のそばに座った。

「ねえ、いいところで区切りにしない? 休憩に外に出ようよ、体もなまってるだろうし」

「学問の道に体力は不要です」

「けんもほろろ……」

 愛実もそばにやってきて、花蓮のノートを覗き込んだ。

「ん、これって……?」

ノートには城南市の地図が記されていた。その中にいくつかの数が書き込まれていた。その数値が何を意味するのか、愛実には分からない。

 しかし、その地図を眺めていて、愛実は何か引っかかるものを感じていた。

「ねえ、花蓮ちゃん」

「何ですか、しつこいですよ」

「三日間、ずっと閉じこもって問題だけ解いてたんだよね?」

「はい、それが何か?」

「花蓮ちゃんのノート、城南市が東部と西部に分かれてるんだ。ここが二つに分けられたのは一昨日の事件からなのに」

「……はっ!?」

 花蓮は初めて違和感に気付いたのか、ノートを一点に見つめていた。そして、沈黙を保っていた悪魔の翼が開かれ、花蓮に襲い掛かった。

 「危ないッ!」

愛実は花蓮を突き飛ばして、その一撃から回避させた。

「ベル!」

「え、こんな狭いところで戦えってのか!」

「狭くて悪かったですね、私の部屋!」

 愛実はベルを憑依させる。しかし、武器の鎌は使えない。リーチが広すぎて、狭い部屋で振り回すことができないのだ。

 一方、小型のアンドロアルフェスにとって狭い部屋は独壇場であった。思うように攻撃のできないベルをあざ笑うかのように、攻撃を繰り返す。

 「痛え、洒落にならねえぞこれ!?」

汐里は花蓮を連れて玄関まで逃げてきたが、突如思い立ったかベルに近づいた。

「あぶねえよ!」

「ベルさん、ケルベロスを呼んでください!」

「ケルベロス? あのちっこいのでどうやって……そうか! 来い、ケルベロス!」

 ケルベロスは現れない。

「そうですかそうですか、優しく呼ばないとダメですか! おいでー、ケルベロス」

 現れたケルベロスは疾風迅雷、アンドロアルフェスを加えてベルの前に降り立った。ベルは仕込み剣でアンドロアルフェスの頭を突いた。小さな鳥の悪魔は、間抜けな断末魔を上げて消滅した。

「……いや、なんつーか……いろいろ疲れた」

「力を抜いていったらそこそこ深刻だった、って……意味わかんない」

 二人は口々に愚痴るのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

デーモンズ・クロス~人の仔らは逢魔が時を行く~ @reitaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ