曼殊沙華ノ流派

 髑髏に彼岸花が活けられた絵を見たことがある。

 曼荼羅流という、明治末期に絶えた華道の流派が活けた花を描いた物だというが詳しいことは分からない。ただ分かるのは、私の祖母がその曼荼羅流の家元だったということだけだ。

 曼荼羅流とはその名の通り、曼殊沙華とも呼ばれる彼岸花を活けることを生業としていたという。

 地獄花なんて別名もある彼岸花だが、ネズミ除けに田んぼの畔に植えられたり、救荒作物として飢饉のさいには人々を救う役割を果たしている。そして、仏教において彼岸花は天井の花という意味合いを持つらしい。

 逆に彼岸花の球根は食べられるよう処理を施さなければ有毒なものなので、不吉な花ともされている。地獄花という異名があるのも、そんな彼岸花の性質から来ているのだろう。

 相反する意味を持つ1つの花は、きっと人間そのものを表している。

 そして人間そのものを表す花が、家の庭には咲き乱れているのだ。

 祖母が大切に育てていた彼岸花は、赤ではなく無垢を象徴する白だ。

 曼荼羅流は代々、白い彼岸花を活けることを良しとし赤い彼岸花を活けることはしなかった。

だが、私が幼い頃に見た生け花の彼岸花は艶やかな赤色だ。そして、その赤が彼岸花の活けられた髑髏の白さを美しく引き立てていた。

 祖母から聞いた話だが、髑髏に飾られた彼岸花はもともと白かったのだろいう。それを、祖母がわざわざ染めたというのだ。

 祖母が最も愛した祖父の血によって。

 曼荼羅流の宗家を継ぐのは女であり、その女に娶られた男はその身をもって当主の最高傑作になったという。

 即ち、自らの身を犠牲にして愛する人の生け花を美しく飾り立てたのだ。

 そう、祖母はこの世で持っても愛する祖父を殺し、自身の最高傑作たる生け花を完成させたのだ。そしてその生花を絵として残した。

 生前祖母は言っていた。

 生け花にしたからこそ、祖父は永遠になったのだと。だから、本当はこんな絵もいらないのだと。

 孫である私に曼荼羅流を引き継がせるために、この絵を描いたとも――

 縁側に座る私は、庭を眺める。

 白い彼岸花が、まだ青い楓を取り囲みながら庭を覆っていた。そんな彼岸花を赤く染めあげるものがある。

 無数の男たちの首だ。

 眼を抉られた首。頭部の皮膚と頭蓋骨を取り外され、桃のように艶やかな脳を覗かせている首。中身そのものを取り除かれて、真っ赤な彼岸花が差された首もある。

 もちろん、私の祖父と同じように髑髏になっている男たちの首もある。

 彼岸花だけでは趣がないので、菊や竜胆、コスモスなどの秋の花と、まだ青さの残る薄や竹を活けて白い表面に彩を添えられるような作品に仕上げてある。

 今日は曼荼羅流が復興するその記念すべき日だ。

 祖父の一途な愛を、祖母の芸術的な愛し方を理解しなかった両親は、曼荼羅流を捨て一般庶民へと成り下がった。

 両親は季節の花の愛で方もしらなければ、あの絵の価値――祖父の命が宿った祖母の最高傑作を封じ込めた作品――すらも理解せず、私が祖母の形見分けで貰ったその絵を無断で捨ててしまった。

 あのときの悔しさは、今でも忘れることができない。だから、両親には私の処女作になってもらった。

 今でも夢に見る。

 夜中に寝室で眠っている2人に斧を振り下ろしたその瞬間を。首を一刀しようと思ったが上手くいかず、私は2人の体にたくさんのためらい傷を作ってしまった。

 それでも抵抗する2人を動かなくなるまで切りつけ、その首を胴体から切断することが出来たのだ。

 今でも、あのときのことを思い出すと気分が高揚する。私は父と母の首に生えた毛を丁寧に剃刀で橇上げ、2人の頭部を切開して美しい脳が露になるよう加工した。脳を剣山の代わりにし、私は2人の柔らかな脳に白い彼岸花を突き刺していったのだ。

 すうっと白い霧が、花で飾られた男たちの首を優しく包み込んでいく。愛しい作品たちを見つめながら、私は次回作への構想をひたすら練っていた。

 早く、私も最愛の人を見つけたい。

 祖母と祖父の最高傑作を超えるような生け花を造るために。


 


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黄昏夜話 猫目 青 @namakemono

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