トアル、狐ノ、嫁入リハ


お天気雨は狐の嫁入りの知らせ。狐火もまた、狐の嫁入りを知らせる合図らしい。

 狐たちは人間に告げる。

 どうか、自分たちの結婚を邪魔しないでおくれ。願わくば、自分たちを祝福しておくれと。




 祖母から聞いた言い伝えを思い出し、俺は車のハンドルをきっていた。なだらかな杉林が周囲に広がる山道を、俺の乗る軽トラックは軽やかに走ってく。さすがスバル製のトラックは乗り心地がいい。

 まばらだった杉が多くなり、あたりは鬱蒼とした雰囲気に包まれる。道も急斜面となり、俺は思いっきりアクセルを吹かしていた。

 この先に、我が家の管理する段上の田んぼが広がっているのだ。曾祖母の代から山を切り開いて作られたその場所で、俺は特産品である高級米を栽培している。

 たわわに実った稲穂はまるで狐の尾のように、秋風を受けてゆらゆらとゆれるのだ。

 去年の秋ごろだったか。家の田んぼで狐を保護したのは。

 右前脚に怪我をしている雌狐だった。

すぐに動物病院に連れて行って、手当てをしてやって、元気になるまで家で保護して――

 森に放しても、ときおりそいつは俺のいる田んぼにやって来てくれる。いけないと分かりつつも、俺はそいつにササミだの、ブダ肉の細切れだのをやってしまうのだ。

 鬱蒼とした杉林が途切れ、白いガードレールの向こう側に段上に耕された土地が見える。刈り入れを終えたばかりの田んぼには、稲木に鈴なりに実をつけた稲穂が垂れさがっている光景が広がっていた。

 その稲木の下に、ゆらゆらとゆれる尻尾を見つける。俺は思わず顔を綻ばせ、軽トラを農道へと進めていた。農道の脇に軽トラを停め、俺はトラックからおりる。尻尾をゆらしていたそいつは、甘えた声を発しながら俺の元へと駆け寄ってきた。

 

 きゅぅん、きゅぅん

 

 俺の足元で、小さな雌狐が鳴いている。俺はしきりに俺の匂いを嗅いでくるそいつに、俺は手を差し伸べていた。鼻を俺の手に押しつけ、狐はふんふんと俺の匂いを嗅いでくる。

 そのときだ。俺の手に水滴が落ちたのは。

  空を仰ぐ。晴天に薄い雨雲がかかり、お天気雨を降らせているところだった。

 あぁ、狐の嫁入りだと俺は思った。


「お前の知り合いが結婚するのか? それともお前、お嫁に行くのか?」

 

 狐に向き直り、俺は問う。夢中になって俺の手に鼻を押しつけていた狐はじっと俺を見あげてきた。青い美しい眼が俺に向けられる。

 泉のように澄んでいて、美しい眼だ。俺がその眼に見惚れていると、狐がそっと口を開いた。


「あなたが、私のお婿さんになるんですよ」

 狐が、しゃべった。


「はぃ?」

 

 驚きのあまり、俺は大声をあげてしまう。すると、狐は不満そうに唸りながらこう続けたのだ。


「だから、あなたが私のお婿さんになるんですっ!」

 

 夢でも見ているのだろうか。そっと俺は自分の頬を抓ってみる。だが、鈍い痛みが走るばかりで、俺が夢から覚めることはなかった。


「もう、しっかりしてください。お婿さんっ!」

 

 狐は地面から前足を放し、後ろ足ののみで立ちあがってみせる。狐が2本足で立っている姿を見て、俺は言葉を失っていた。

 そんな狐の前足には、いつのまにか大きな鎌が握られている。鎌の刃が鋭利に輝くさまを見て、俺は言いようのない恐怖に憑りつかれていた。

 この悪夢はなんだ。

 どうして、俺の可愛がっている狐が喋って、よりにもよって俺の嫁になろうとしているんだ。

 それに、狐の持っている鎌は――


「あなたを、お婿さんにするための道具ですよっ!」


 弾んだ声で狐が答える。

 ぎょっと眼を見開いた瞬間、狐が跳びあがった。前足で器用に鎌を持ち、狐は俺の首めがけ刃を振るう。

 悲鳴をあげるまもなく、俺の首は宙へと跳んでいた。

 



 

 こんこんと、狐の声が聞こえる。

 後ろ足で立った狐たちが列をなして、鬱蒼とした杉林を歩いていた。

 俺の首を持った狐は、白無垢に身を包み角隠しを被っている。眼を見開いた俺の首から流れ出る血が、純白の着物を赤く染めていた。

 そんな様子を、俺は宙に浮きながら見つめている。

 狐が、そんな俺を見あげてきた。


「あなたは、本当に素敵な狐火になりましたねぇ」

 

 うっとりとしたその言葉の意味を思い出し、俺は恐怖に自身を燃えあがらせる。

 彼女の言葉通り、俺の魂――俺自身と言っても差し支えない――は、狐火となって彼女の周囲を旋回しているのだ。

 彼女は教えてくれた。

 狐は人間を伴侶にすることもあると。そして、伴侶となった人間は魂を抜かれ、狐火となって結婚相手の狐を守り続ける役目を負わされる。

 その狐が死ぬまでずっと――

 夢だ。夢だ。これは悪夢だ。

 そう思うたびに、狐火となった俺は美しい蒼の炎を周囲にまき散らすのだ。


「まぁ、そんなに私のことを愛してくれているのですか? 旦那様」

 

 弾んだ声を俺の花嫁は発する。

 言葉を返すことすらできず、俺は彼女の周囲に炎を巻き散らす。蒼い炎は火の粉を放ちながら、狐の花嫁を美しく照らすばかりだ。

 その輝きの中で、狐は妖しく笑ってみせた。


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