第18話 襲撃

――――――――時間の感覚が曖昧だ。

「……ここは」

 覚醒とともに目に入ったのは、こちらを覗き込む剣持秀嗣の姿だった。どうやら今原田は、簡素な寝台に寝かされているらしい。

「君は……誰だ? なぜ今さっき、秀長に」

 彼は焦っていた、原田の意識がどこにあったのか、また原田の意識が今まで在った世界の詳細を知っているようだった。

原田が口を開こうとしたとき、彼も何かに気付き、口を開いた。

「似ている、あの人に。それにさっきの絵も」

 原田も、同じことを思っていた。向き合う二人は似たような表情をしていただろう。秀嗣は確かに、先ほどまでの世界にいた人物にも、剣持雪実にも、剣持忍にも似ていた。

「原田泉――まさか」

 神妙な顔つきで、秀嗣はとある名を口にする。

まさか、と言いたいのは原田の方だった。

「なんで、姉さんの名前を」

 破裂音がした、タイヤがパンクした音だろうか。ともかく、互いに引きつけられていた原田そして、秀嗣の意識を逸らす程に大きな音だった。原田は、強い衝撃を受けたことで完全に覚醒し、自分が現在大型トラックの中に捕らわれていることを知った。

「まずい、剣持忍だ」

 荷台に設置されていたスピーカーから声が響いた、百貨店で見えたあの巨漢の焦りの声だった。通信を阻害するようにところどころで、物が壊れる音が入る。

「全員打って出るぞ。俺の妹だからといって、手加減の必要はない。あれは化け物、見た目に騙されるな、一瞬でも躊躇すれば秀長への道は潰える」

 壁にかけていたヘッドセットを取り、秀嗣は仲間に連絡した。

「そちらの敵は、雪実さんと忍さんだけ。俺という足手纏いがいる時に、最も戦闘能力の高い彼女に全ての戦力を注ぐ」

 言ってどうなるわけでもないが、何もしないよりはマシだと思い、原田は言葉を発した。

「なるほど、どうも変だと思っていた。原田君、『依代』への適性を持たぬ君が、なぜ剣持の家や、釜坂君と共闘できたのかが解ってきたよ」

 美術館での意趣返しのように原田は彼を分析しようとしたが、こうも、わざとらしく仄めかされれば、問わないわけには行かないだろう。

「あの世界に、彼は、秀長はいる。俺が貴方と並ぶ『鍵』なんですか」

 精一杯、原田は頭と口を動かした。手足も相手にばれないよう少し動かしてみる。どこにも異常はない、どうやらあの霊威による拘束は解かれているようだし、現実的手段での拘束もない。最悪、足手まといにならないように対処することも不可能ではないだろう。

「あの男の人生は嘘のようだけど、意外に言葉に嘘はない。聞いたなら、そうなのだろう」

 呆れの感情が半分程度だろうか、少し口の端を吊り上げた秀嗣の表情は複雑だった。

 質問はそろそろ出来なくなりそうだった。とうとうトラックはその動きを止めた、破壊の音はどんどん数を増し、大きくなっていく。特にトラックの後部で、一際大きな衝突音が繰り返し響いていた。今、原田の頭が向いている方向なので若干怖い。

「萩島の隊は、もう半数が戦闘不能だ。出るぞ」

 原田は、首だけを僅かに起こし辺りを観察した。荷台の中には長椅子が設けられており、各人が少し距離をとって座っている。運転席などを考慮すると、このトラックの中には合計八人くらいの人間がいそうだ。

「先陣は承る」

 一人が言った。全身黒尽くめの男だった。

「もうこのトラックを長く使うことはないだろう。秀嗣、雨海、一撃で決めるぞ」

「忍さん、避けて!」

 男の纏う空気が普通のものではないことを察知して、原田は彼女の名を叫んだ。

「エンジュ、殺すな!」

 原田に振り下ろされた何かを、秀嗣が少女の腕を掴んで止めた。原田は打算したわけではなかったが、自身にある程度価値が出たことには気付いていた。この賭けの勝算はゼロではなかった。

 少女が原田を殺そうとした時とほぼ同時に、先ほどの黒尽くめの男から、忍が接近している方向へ、攻撃が放たれた。

 響いたのは、耳の機能を一時的に失わせるほどの轟音だった。原田は殺意を向けてきた少女と、守ってくれた秀嗣を尻目に、寝台から飛び降りていた。拘束されてない理由を考えれば、ここからが大変そうだが、今の剣持を考えればじっとしていられない。

 原田は見た。男の視線と翳した手の先には、ぽっかりと大きな穴が空いている。トラックの後部はところどころひしゃげ、まだ炎が燻っていた。走ってきた道は抉られ、遠ざかりながらも、アスファルトの溶解は確認できた。

「……噴火か」

 感覚は冴え渡っていた。発動の形こそ光線のようだったが、威力からみても間違いないだろう。

 噴火と神を結びつける例は世界中にいくらでもある、原田は知識を総動する。

 日本で言うと、鳥海山の噴火が大物忌神おおものいみのかみの神威の表れと解釈されているあたりが有名だろうか。また、以前釜坂に聞いた話では、信長が甲州の武田勝頼を滅ぼしたことを、多聞院英俊が浅間山の噴火と関連付けたそうだ。「浅間ノ獄ノ焼ケルハ、東国ノ物恠(ものおじ)」であるという古老の言をひいた英俊は、噴火由来の大風と霰で、信長の敵国の神が押し流されたと説いたという。

 神威を体現し、自然現象を破壊に応用した攻撃方法、直接的な威力なら最高の部類だろう。だが、原田は彼女を信用していた、取り乱したりはしない。

「道路の工事や不通で迷惑を蒙る人の分くらいは、痛い目を見てもらおうか」

 剣持が、飛び乗っていた荷台の上から飛び降りてきた。両手にはそれぞれ、刀と、焼け焦げた鞘の残滓を握っている。

 黒尽くめの男が彼女を指差した。指先に、赤い光が集積している。先ほどのような攻撃は適さないと判断したのか、もう撃てなかったのだろうか、だが、隙などなく、火山の力を持つ彼は、攻撃を再開していた。

 しかし、それでは遅かった、彼女は早すぎたのだ。黒尽くめの男は、『噴火の力』を放った左腕を刺し貫かれていた。戦意喪失と判断し、彼女は徒に傷つけず、すぐさま荷台の外に浮遊させていた別の刀を引き寄せ、その柄で敵の顎を打った。

 倒れ行く男の腕から、彼女は刀を抜き、そのまま態勢を立て直せない男の襟を掴みとって、走り始めた。

 原田の忠告、さらには、途中から自身は距離をとって、遠隔操作で鞘ごと荷台を叩いていた剣持の警戒、両方が噛み合い、可能とした侵入だった。訪れた好機を逃す彼女では、無論ない。

 黒尽くめの男を盾にしながら、剣持はトラックの荷台の中を直進する。

「――――」

 荷台に反響したのは彼女の雄叫びだった。音量は、先ほどの火山噴火を模した響きより下回っていたが、その鋭さは、確かに麻痺した耳朶を貫いて、敵に恐怖を植え付けていく。

 ある意味では、彼女は公平な戦いを望んだのかもしれない。叫びの理由を原田は探ってみた。大音声は否応なく、強者の強襲を伝え、その場にいる全ての人間と、それらの所持する「依代」に宿る神を臨戦態勢にさせている。

後ろには、まだ敵がいるというのに、剣持は七振りの武器を全て前方や、自身の脇に這わせた。   

 完全に突撃を意識し、血路を開くように、ただ前進する。

 複数の異種の腕、槍、茨、電光が彼女に襲いかかる。刃はその全てを、切り裂き、いなし、一人一人の動きを封じようとしていく。ここにいるのは、全て敵の精鋭だったのだろう、結局、全ての敵の動きを止められた時間は、秒にも満たなかった。

だが、剣持はこの僅かな隙で、原田の逃走を阻むためにエンジュという少女が仕掛けた、目に見えぬ仕掛けを破砕していた。原田も、剣持が作り出したこの状況であれば、荷台の外に飛び出すことが可能だった。

 減速するトラックから飛び降り、原田は、脇目も振らずただ走った。この状況での参戦は彼女を不利にするだけだと冷静に判断しての行動だ。

 逃げ出した原田に目を留めるものはなかった、完全な装備をした剣持は、集団化した彼らにとっても、脅威そのものだ。もう原田などには構えまい。

「そうだ、それでいい。後は僕に任せて」

 挟み撃ちにすべく、原田とは逆の方向を行く敵の集団がいた、こちらに構っている暇はなさそうだが、原田は不審に思った、いくらなんでも無関心すぎると。だが、最後にすれ違った男を見て、合点がいった。その男を、原田が見逃すわけがない。

 ――釜坂だった。気付けば原田の足首には黒い蛇が絡み付いている。釜坂は原田を意図的に逃がしていた――。

「待て!」

 原田が叫んだと同時に、釜坂の『夜刀』の力は消えた。後方からだと、彼は走りながら『依代』である指輪を付け替えているように見える。

 釜坂の指輪が入れ替わったと思われた途端、炎が燃え盛る音がした、最早間違いはない、百貨店で最初に起きた爆発は、原田の無二の親友、釜坂恵一によるものだ。

 追いかけたい気持ちに駆られたが、原田は、とりあえずここから離れなければならないという考えを優先し、市外に通じる県道を走った。途中、バイクが乗り捨ててあった。剣持が乗っていたものだろうか、それとも、釜坂が加わっていた追撃グループのものだろうか。


 原田の逃走を確認し、剣持は後退を始めた。彼女の戦いは、敵の死を恐れながら戦う、明らかな愚行であった。だが、たいした損傷もなく、彼女は十分に戦果を挙げ、無事に退却しかけていた。七本の刃を器用に操り、攻撃を逸らして行く。

 依代の所持者たちはそら恐ろしくなっていった。彼女の強さと精神力、技術、その全てが自身たちとは比較にならぬ高みにあることもさることながら、彼女が七振りの日本刀を、完全に制御する戦闘法に辿り着いた、その特異な思考を何よりも恐れた。

最大の障害である彼女を逃すわけには行かない、だがこれ以上、こんな狂人に関わりたくはない。

 明らかに集団を見越し、全てを一人で相手取ろうとする、狂気にも似た秩序維持への情熱。現代の日本、それも高校生にとって最も遠く、異常とも言える性質を剣持忍は持っていた。

 尻込みしはじめた幾人かを死なないよう弾き飛ばし、この場から脱そうとしていた剣持だったが、後方から迫りくる何かに戦慄し、その機を逃した。

 彼女が垣間見たのは、紅く輝く二振りの剣だった。受け太刀は無理だと瞬時に判断し、回避に徹する。閃光と化したそれを見事に避けきった。

「忍さん、もう戦いを止めてもらえませんか?」

「面白いことを言うね、恵一君」

 剣持は動揺を誤魔化すように、挑発し返すように釜坂の名を呼ぶ。

 二人の踏み込みで、荷台の底が爆ぜたかのような音がした。

 流れるような動きで炎剣を振るう釜坂に対して、彼女はなぜか、刀を持たない左手を振るった。名刀を持つ右手は動かさない、ただ体に沿わせている。

 釜坂は狙いに気付き、全力で体を逸らした。

 彼女が、後方から一刀を引き寄せ、峰打ちで釜坂を昏倒させようとしていたからだ。

 釜坂は、飛来した峰を、即ち剣持の手加減をした攻撃を避けてみせた。流石に長く戦いを供にしただけはあって、自在の刀への対応も辛うじて行えたようだ。

 しかし剣持の全速の踏み込みの真の狙いは、退却の為のものであった。

 彼女は、停止しつつあるトラックから飛び降り、外で待ち構えている追撃グループに斬り込んだ。相手は当然怯む、あれだけの人数の実力者を相手にして無傷、とても人間の力ではないと。

 逃げ切れる、剣持が確信した時だった。

「流石だな、忍」

 先ほど、数回刃を交えた男が、彼女を追いかけ、車から降りてきた。

 地面に降り立った剣持の姓を持つ者の声で、場の空気が変わる。喜色を浮かべる男、冷厳な態度を崩さぬ女が、ここに相対した。

一度男から話しかけただけで、二人の間にそれ以上言葉のやり取りはなく、兄の言下に兄妹の戦いは始まった。

 六振りは、他の人員の対処に使われていた。男を援護するために、再度攻撃が苛烈になったからだ。文字通り剣の舞う中を、二人は互いに全力で、相手を止めようと、斬り合いを始めた。あちらこちらで、火花が散り、戦いは加速する。

 二人の剣士は二十三合切り結び、関の孫六、秀嗣の愛刀が宙に舞った。剣持はすかさず、彼の首筋に刃を突きつけようとし――、

「すごいな……本当に人間か」

 ――突如、右手の自由を失った。

 何らかの力で、剣持の腕は硬直していた。柄を握り締めている時に固まってしまった為に、『経津主神』の力で、そこから刀を操作することもできない。

 彼女は驚きを押し殺し、トラックから飛び散った足元の鉄片を蹴り上げた。他の刀は、他の敵に対応しているための苦肉の策だ。

 だが、その破片も彼の直前で静止する。写真のように瞬間が切り取られた。

「お前こそ、何だ……」

 冷然と彼女は言い放った。

「秀長の息子秀嗣、君の兄にあたる」

 自身もまるで化け物とでも言うように、彼は淡々と述べた。

 他の六振りはまだ敵の迎撃に動いている、だが単純な数の上でも、ひとつの戦力としての質でも負けているのは明白だ、秀嗣が刀を再度拾ってしまえば、剣持に勝機は無くなるだろう。

「そうか、殺すべき相手が増えたか」

  虚仮脅し、彼女でなければこれは、そういう類の強がりだっただろう。だが、このとき確実に恐怖の感情が、秀嗣の中に産まれた。自分に襲い掛かる脅威に対して、彼は今までその感情を抱いたことはなかった。

「ああ、そういえば君は最低限しか殺生をしない主義だったね。……確かに、俺の仲間は誰一人と死んでないようだ……、近藤綺堂は特例かな?」

 彼はその恐れを隠すように言う。

 彼女は制御下にある六振りを瞬時に兄に引き寄せた、包囲されつつある状況で防御を捨てたのだ。秀嗣の挑発は、効き目が有りすぎた。

 この刹那、複数のことが同時に起こった。

 原田がバイクに乗り、剣持に接近した。

 エンジュと呼ばれた少女が、六本の刀と秀嗣の間に割って入った。

「剣持さん、『時』だ――っあぶねえ」

 原田がハンドルを操作しながら、剣持に伝えようとした情報を、釜坂が途中で炎剣により遮る。しかし、剣持にはその僅かな忠告だけで十分だった。原田も、炎剣を回避しながら、なんとか車体のバランスを保持した。

「助かったよ」

 原田がもたらしたものに感謝し、剣持は五本の刀の動きを止め、一振りを自らに翻した。麻痺や幻覚の類を疑っていた剣持にとって、その正体が純然な肉体への干渉でないことは、一番必要な情報だった。

 剣持は自分の右手以外の手と足が動くことは知っていた。おそらく、鍔迫り合いで拳が触れあった時に、『時間停止』のようなものが仕掛けられていたと彼女は推測した。蹴り上げた鉄片の停止が敵の接触無しで行われて理由については、まだ判断は下せないが、少女が庇ったところから推測するに、敵の能力は六振りの同時攻撃に対応できるほど、万能でないことも判明している。

 剣持に迷いはなかった、止まった右手を、左手で操る刀で斬る。

 鳴ったのは、肉を裂く音ではなく、ガラスのようなものが砕ける音だった、神の力により、神の力が破砕した証拠である。剣持の読みが当たった、時間停止されたものは、どんなに力をかけても動かせない。それは、『経津主神』の刀剣操作の力ですら、停止の拘束から逃れられないことからも解る。

 だから、彼女は、外側からの干渉により、自身の止められた部分を出血させることで、強制的に自分の腕の時間を進ませた。

 余剰の力で多少痺れはしたが、彼女はもう自由に動けた。自身が乗り捨てたバイクに跨る原田に向い、剣持は走った。

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七本/禁色 山の下馳夫 @yamanoshita05

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