第17話 神國にて彼は待つ

 ―――――あれからどのくらい経過しただろう。ぼんやりと、そんなことを思う。

 

 頬を打つ雫のために、原田は意識を取り戻した。

「原田君、そろそろ目覚めたかな」

 自分を原田君と呼ぶのは、この事件で関わった人の中では剣持くらいだ。こういう考えに辿り着くのだから、声の主はもちろん彼女ではない。耳朶に響くのは落ち着きのある男性の声だった。

「ここは」

意識を取り戻したあと、瞳を閉じていたのは僅かな時間だったが、その間に、ここが普通の場所ではないということは薄々感づいていた。

立ち上がる、先ほどまでとは違い、不思議と肉体は活力に満ちていた。

問題は精神だ、多少混乱がある。原田は深呼吸をし、自分のいる場所を確認しようとする。

 突如、芳しい空気が肺を満たした。目を見開く、空は淀みなく透き通り、やわらかい陽の光は、その恵みを辺り一面に広がる肥沃な大地に与えている。原田はこの世界の風の心地よさ、腰の位置ほどに伸び、見渡す限りに広がり靡く穂波の美しさに心を奪われていた。

「いや、おかしいだろう」

 自分の頬を打ち、正気を取り戻そうとする。先ほどまでは、美術館に居たはずだ。剣持秀長の息子、そして剣持忍の兄を名乗る男に、『依代』に宿る霊威で動きを封じられ、その後に意識すら奪われたはずだった。

だが、今、体は自由を取り戻している。いや、そればかりか体が軽い。どうやら連日の『依代』の回収で蓄積した疲労もすっかり吹き飛んでいるようだ。

 彼岸を思わせる景色の中、原田はなんとか昂ぶる心を抑えた。ここはまともな場所ではない、早く目覚めなければならない。曲がりなりにも、芸術に携わる人間の直観だろうか、原田は、特殊な能力を持たないのに、無意識的にここが確かに存在しながら、現実とは別の世界だと感じ取っていた。

「あなたは何故ここに。私は何故、ここにいるんですか」

 薄々感づいていた。ここが、彼が、これが、この事件の核心だと。情報を持ち帰ることができたなら、原田にとっては大金星なのだが、如何せん早く帰らねば帰れなくなりそうな予感もして怖くもある。

「時間がない、半分だけ答えよう。『ヒデツグ』の力の性質もさることながら、君の本質が、この世界にその身を導いた」

 要は、秀嗣の力だけでは、この世界には到達できなかったということだろうか。原田がとりあえずそう一度仮定したとき、彼の中で何かが氷解した。

「……俺は以前ここに来たことがあります。姉さんが――姉さんの死が解るその直前まで、確かに、ここに」

 彼は思い出した、姉の訃報によって不意に訪れた目覚め。姉の身を案じながらも、寝入ってしまったとき、目覚めるまで、確かに原田はここに、この世界にいたのだ。

「ああ、そうだろうね、悲しいな。等しく悲しんだものが、このような形で出逢い……いや止めよう。予言など、『この私』には向かない」

 あんなにも美しかった空が、罅割れ始めた。

「ここに来ることが出来たという事実は、『依代』とはまた別に、君が私の『成果』を信仰してくれたということだ。ありがとう、これこそが、私の望んだものだったんだ」

 世界が、景色が崩壊し始めた。だが、不思議と不安はなかった、現実に帰れると、原田は知っていた。

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