放課後
「……陽太くん、一緒に帰ろ」
HR終了直後の放課後。
昼休みに交わした約束の通りに、陽太は小森先輩の買い物に同行するよう流れとなったのだが。
なんと、小森先輩の方から、陽太の所属する一年六組の教室にやってきた。
「ちょ、小森先輩……! す、す、少し待ってて!」
勿論、一年六組の教室はざわっとなった。
上級生、しかも美人とも言える女の子が、クラス内で誰彼構わず勝負をしかけて九割強の確率で敗北する空回り系男子、平坂陽太と知り合いであるだのと。
「なんだ、一体どういうことだ、おい平坂」
「抜け目ねー、平坂マジ抜け目ねー」
「おう平坂、明日学校来たら説教な」
「抜け駆けとか似合わないからパン買ってこいよ平坂」
「二分な平坂」
特に、男子一同は黙っておられず、例外なく陽太のことを取り囲もうとするのだが。
「う、うるせェよ。おまえらにはまったく関係ないことだかんなっ。あと、パンは明日だ明日!」
帰り支度を済ませた陽太、何とかその包囲から脱出し、教室の入り口に到達することが出来た。
「お、おまたせ、先輩」
「……うん」
そんな陽太を、微かな笑みで迎えてくれる小森先輩。
その笑顔がとても眩しくて、陽太は胸を突かれるような心地を得るのだが、何とか目を逸らさずに済んだ。
「……行こっか」
「お、おう。今日はとことん、つ……つ、付き合うッスよ」
「……?」
彼女と肩を並べるのに陽太はまだ少し気後れするのだが、一方の小森先輩はいつもと変わらない、眠たげな半眼で歩いている。
今のこの状況にあっても、特別な意識はしていないらしい。
それが、陽太には少し複雑であった。
「……そういえば、今日、陽太くん部活は?」
「ああ、今日は休みッス。毎日やるワケじゃないんで」
「……そうなんだ。ちょうど、よかったね」
「でも……た、例え部活があっても、オレは小森先輩を優先するッスよ」
「……陽太くん。部活サボっちゃ、メッ」
「う…………………………は、はい」
雑談を交えながら、陽太は小森先輩と一緒に、東緒頭校付近の商店街を歩く。
緒頭町はわりと田舎の部類であるが、この商店街はいつも元気である。夕刻という時間にあって、シャッターを降ろしている店舗は一つも存在していない。
「ホント、いっつも騒がしいよな、ここ」
「……陽太くんは、ここが好きじゃないの?」
「いや、別に好きじゃないとかそういうのは思わないけど、よく飽きもせずにここまで大騒ぎできるよなーって」
「……わたしは、好きだよ。いつも楽しそうで、わたしもなんだか楽しくなってくる」
「そ、そッスか」
楽しいと言いつつも、小森先輩のテンションはいつも通りに見える。
「それに」
「? それに?」
「……陽太くんと一緒だと、もっと楽しくなる。今日、初めてわかった気がする」
「――――!?」
そのテンションのままで、そのようなことをサラッと言ってくるものだから、陽太は一瞬呼吸が詰まり、彼女に見えないところで狼狽えるばかりである。
なんなんだ、この人。
本当に特別な意味で言ってないのだろうか?
でも、『陽太くんと一緒だと』ときちん言っている辺り、やはり特別な意味で言っているのだろうか?
どこまでも無防備に見えて、実はそうでないかも知れなくて、どこまでもわからない。
「……陽太くん、着いたよ」
「あっ……は、はい」
悶々としているうちに、陽太は小森先輩と共に目的地に着いたのがわかった。
『
屋内はオーソドックスな傘からマニアックな番傘まで様々な商品置かれており。
その奥のカウンターで店番をしている、長身の初老の女性は、
「いらっしゃい! おっ、平坂さん家の坊じゃないかっ! 久し振りさねっ! 大きくなったねっ!」
「あ、はい、こんちは……」
やたら威勢が良く、何より声が大きいことで評判の、鋼守屋の店主であった。もちろん、陽太とも顔なじみである。
陽太自身、この人のテンションがわりと苦手ではあるのだが、
「おっ! 今日はカノジョ連れかいっ! よく見れば、去年の春に一度来てくれたお嬢ちゃんかっ! また来てくれたんだねっ!」
「……うん。新しい折りたたみ傘、買いたくて」
一度来た客の顔を絶対に忘れず、必ず元気に挨拶するという人柄から、多くの人に親しまれている辺りが、絶対に嫌いになれない人でもあった。
「まあまあ、ゆっくり見て行きんしゃいっ!」
店主の大声に送られながら、陽太は小森先輩と一緒に傘探しを始める。
専門店だけあって、もちろん、折りたたみ傘のコーナーも存在する。
プラスチックの丸い柄の可愛い外見のものから、木製の柄で黒一色の渋い系のものまで、種類は様々だ。
「…………」
種類が多いだけに、小森先輩、少々迷っているようであった。
傘を一つ一つ手に取っては、眠そうな半眼で睨めっこしている。
その様子を、陽太はボーッと見守っていたのだが、
「坊っ!」
「はいぃっ!?」
いきなり後ろから店主に大声で呼ばれて、陽太は反射的に肩を震わせた。
見ると、店主の女性が少々怒った顔でこちらを睨んでいる。
「坊も、ちゃんとカノジョの探し物を手伝ってやんなっ!」
「え、えぇぇ?」
「しっかり似合うやつを選んでやるんだよっ!」
「あ、は、はい」
そういえば、わりと世話焼きだった、この人。
それを思い出しつつも、店主の言うことも正しいと思ったので、陽太も陽太で傘探しを開始するのだが。
「……陽太くん、これとこれ、どっちがいいと思う?」
小森先輩の方が、先に大まかな選定を終えたようであった。
二つの折りたたみ傘を手に、こちらへと訊いている。
片方は濃いピンクをベースにした黒の水玉模様、もう片方は空みたいに明るい水色の無地だ。どちらも柄はプラスチック製の丸型で、少々サイズが大きめにも見える。
「うーん……どっちも良いと思うッスよ」
「坊っ!!」
「は、ふぁい!?」
何も考えずに感想を漏らした矢先に、またも後ろから店主の大声が来た。
例の如く、怒り心頭であった。
「どっちも良いとかそういう優柔不断が、カノジョを一番困らせんだよっ!」
「え……えええ……」
「ちゃんと坊が選んでやれっ! カノジョもそれを望んでるさねっ!」
「は、はい」
気を取り直して、陽太は小森先輩の手の二つの傘を見やる。
ちなみに、小森先輩は店主の大声の中にあっても全然動じてない様子である。雷が弱点の彼女なのだが、それ以外の大きな音はわりと平気だったりするのだろうか? よくわからない。
それはともかく。
「えっと、こっちッスかね」
陽太が選んだのは、水色の方であった。
理由はなく、ほぼ直感的に。
小森好恵という女の子に、よく似合う色だと思った。
「……うん、私もなんとなくこれが良いかもって、思ってた」
その選択に満足したのか。
小森先輩も緩やかに笑いながら頷いて、もう片方のピンクと黒の水玉模様の傘を丁寧に棚に仕舞う。
その丁寧さに『選んであげられなくてゴメンね』という彼女の気持ちが込められているように、陽太は感じた。なんとなく。
「……店主さん、広げてみても、いい?」
「おうっ! お嬢ちゃんの相棒になるかも知れないモノさっ! 存分に見てやんなっ!」
「……ん」
許可を得て、周囲を見渡してから、小森先輩は少しモタモタとした手つきでその折りたたみ傘を広げる。
広げた傘の芯を肩にしつつ、その具合を確かめる小森先輩の姿は、その傘の鮮やかな色も相まって、
なんだか、綺麗だ……。
率直に思わされ、陽太は思わず見惚れてしまうのだが、そこで、
「BOW!」
三たび、店主の大声が後ろからやってきた。
「ひゃい……って、おばさん、なんか発音変わってなくね?」
「そんなことはどうでもいい! ちゃんとカノジョのセンスを褒めてやれっ!」
「お……おう」
それは、言われなくてもするつもりだ。
ただ、どのような言葉で伝えればいいものかと、陽太が思考を始めたところで、
「……陽太くん、ちょっとだけ、持ってみてくれる?」
小森先輩、どういうわけか、広げたままの折りたたみ傘をこちらに手渡してきた。
「? 先輩?」
その行動の意図が分からないまま、陽太は頭に疑問符を浮かべつつ、広げたままのその傘を受け取る。
最初の見た目に感じたとおり、折り畳み式ながらも、中々大きいサイズだ。二人くらいが同時に入っても、カバーできるような……。
「……うん、大丈夫」
「え……!?」
と考えていた矢先に、傘を持つ陽太のすぐ隣に、小森先輩が寄り添ってきた。
無論、陽太は大いに慌てた。
「せ……せんぱぃ? な、な、なにを?」
「……? もし、陽太くんが傘を忘れても大丈夫なようにって、そのための傘だから。二人で入れるか、確かめてるんだけど……」
「え、えええぇっ!?」
もしやそのために、小森先輩は傘を買いに行こうと?
いや、オレ、滅多に傘忘れないんだけど、そのもしもの時のために?
つーか、これから先、またオレと相合い傘で帰って良いとでも?
マジで?
ああもう、この人、ホントに何を思って――
いつぞやの相合い傘を思い出し、なおかつ彼女の今回の買い物の意図を知って。
陽太は、嬉しいやら恥ずかしいやらで、その熱で頭がいっぱいになりそうなのだが。
「……あ、でも、ちょっと、はみ出るかも」
小森先輩、どうも、傘の中に二人で立ったときの広さが少々気になったようで。
「……もう少しだけ」
「――――っ!!」
ぴったりと、身体をくっつけてきた。
陽太と小森先輩の身長差は、わずか五、六センチ程度。
彼女の息遣いを、間近に感じた上に。
腕に当たる、この柔らかな感触は――
もしや、こ、これは……お……お……お――っ!?
「……ん、これで、大丈夫……陽太くん?」
身体をくっつけたまま、小森先輩は上目遣いでこちらを見てくる。
無論のことながら、陽太は視線を合わせられない。
――今のこの状態を、言うべきか、言わざるべきか。
悶々と考えるのだが、答えは出ない。どちらにせよ、良くないことが起こる気がする。
そうだ、店主のおばさんっ!
先ほどから、どうするべきかの助け船(?)を的確に寄越してくれる店主へと、陽太は振り返って縋るような視線を向けるのだが、
「…………グッ」
店主はにこやかな笑顔で、親指を立てるだけだった。
その指をへし折ってやりたくなった。
――ここは、自分でどうにかするしかないらしい。
「せ、先輩……あの……」
「……?」
ええい、ままよ。
そんな気持ちで腹を括り、陽太は小森先輩を見返して。
「……その……あ、当たってます」
「……………………」
一瞬、彼女は何を言われたかわからなかったようだが。
「……!?」
今の現状にやっと気づいたのか、顔を林檎のように紅潮させて、小森先輩はへなへなと力が抜けてへたり込みそうになるのだが……寸前で堪えたようで。
紅潮する顔のままで陽太から離れて、己の身体を浅く抱くようにしながら、ほとんど涙目でこちらのことを見てきた。
あ、まずい、やっぱ怒らせたか……いやでも、このまま何も言わないのは……!
そのように危惧して、なんとか言い訳を捻りだそうとする陽太なのだが、
「……あ」
「あ?」
そんな思考とは裏腹に。
小森先輩は何事かを思いついたかのように、ピンと背筋を伸ばして、震えながら涙を我慢するかのように笑って見せて、
「……あ、当ててた、のよ?」
そうして、飛び出してきたのは――精一杯の、彼女の強がりであった。
そのいじらしい姿が、陽太に、またもゴトリと音を響かせて。
「……………………」
傘を持って直立の姿勢のまま。
陽太は、とうとう燃え尽きた。
☆ ★ ☆ ★ ☆
翌朝。
HR五分前の予鈴が鳴り響く中。
一年六組の教室にて、自席で突っ伏して悶々としている平坂陽太の姿があった。
クラスメートの話によると、
「なんつーか、茹でダコところか焼きダコみたいになってるな」
「文字通り、頭から湯気出てるよね。しかもすんごい量」
「まるで、誰かのことを想うあまり夜も眠れず過ごしている女子のようじゃのう」
とのことだった。
あと。
「あの人、何考えてんの? 何であれだけオレに対して無防備なの? オレ、どうしたらいいの? ああもう、いろいろわかんねェ……つか……柔らかかった……案外、すごいんスね……」
と、これまた何かを呟いていたようだが。
その言葉の意味を推し量れる者は、残念ながら、やはり誰一人居なかった。
☆ ★ ☆ ★ ☆
同時刻。
二年三組の教室では、自席で俯いてピクリとも動かない小森好恵の姿があった。
クラスメートからは、いつもボーッとしている無口な不思議系クラス委員長と目されている彼女だが。
この時に限っては、
「おー、小森いいんちょ、だいじょぶか? なんだか色々赤くなったり青くなったりしてるぞ」
「何か溢れてきそうなのを、必死に我慢してるって感じだね……何かはわからないけど」
とのことだった。
あと。
「……なんでわたし、あんなこと言っちゃったんだろ……これだとまるで……まるで、え、えっちなお姉さんみたい……恥ずかしい……嫌われて、ないかな……」
と、何かをブツブツと言っていたようだが。
その内容の詳細については、彼女にとっては幸いと言うべきか、誰も気にされないままであった。
ささやかな一コマ 〜一コマシリーズ1 阪木洋一 @sakaki41
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