第四章

 エスセヴンは深い悲しみに沈んでいた。

 デーシックス達は、行ってしまったようだ。扉の外で待ち受けるのが、どんな世界かも知らずに。

 デーシックスはキリサワの日記の後半を読んでいない。だから、真実を知らないのだ。

 そこには、こう記されてあった。

 地球のEuropeヨーロッパに住んでいたキリサワは、テロ行為に関与した罪で逮捕され、木星の第二衛星Europaエウロパに作られた凶悪犯収容施設へ連れてこられたのだ、と。

 そして、こうも記されていた。

 Europaの環境は本来であれば我々が生きられるものではなく、先んじて投入された自律進化型機械AD2114-H5によって壁が作り上げられ、その内部のみ我々が生存可能な環境に整備されているのだ、と。


 そう、このユーロパは地球のEuropeなどではない。木星の衛星Europaであり、壁の外にはアジアもアフリカも無く、ただ死の世界が待つばかりなのだ。


 自分はいったいどうすれば良かったのだろう。日記の内容を公表すべきだったのだろうか?だが、そうはできない理由があった。

 日記には、Europaに収容されていた凶悪犯達が反乱を起こし、看守達を皆殺しにしたことが記されていた。そして、それに対して地球側のとった対応は、物資の供給を含め、Europaとの行き来を一切断つというものだったらしい。

 当時既にEuropaの収容施設内はテラフォーミングが完了していた。深海の熱水噴出孔に生息する化学合成細菌を改良して植物の細胞内に共生させることで、日光に乏しく十分な光合成が困難なEuropaでも食料を作り出し、ある程度自給自足することも可能になっていた。

 だが、理論的にはそうであっても、生産的な社会体制など築いたことも無い凶悪犯達は奪い合うことしかできず、Europaは混乱に陥ったという。そこで、キリサワの日記は途切れていた。恐らくは、キリサワ自身がその混乱の中で命を落としたのだろう。そして、その後の如何なる資料を見ても、地球との往来が復活したという記録は無い。

 つまり、今このEuropaの地にいる我々は、全員が罪深き凶悪犯達の末裔ということになるのだ。これを知った時の衝撃は今でもまざまざと思い起こせる。デーシックスが日記を見つけてしまったあの日も、その部分がまだ読まれていないという点にだけは安堵したものだった。


 教会では、我々の祖先は地に平和をもたらす重要な使命を与えられ、創造主によってユーロパの地に遣わされたのだ、と教えていた。

 だが実際には、重用な使命どころか罪を犯し、それ故に同族によって追放されてこの地へ来たのだ。この事実を民衆に知られるわけにはいかなかった。

“開放者”達のように教会に反感を持つ者も一定数いるとはいえ、今でもユーロパの民の大半は教会の教えを信じている。

 自分達は創造主によって崇高な使命を与えられた存在であり、自分達がこのユーロパに存在することには大きな意義があるのだという誇りが、苦しい生活の中で彼らを支え続けているのだ。


 それに、“開放者”のような者達にも、やはり真実を知らせるわけにはいかなかった。『壁の外に行けば新たな土地が手に入る。教会から御門を奪うことさえできれば、今の苦しい生活をずっと続けなくても良くなる』というのも、一つの希望であることには間違いない。

 例えそれが偽りの希望だとしても、心の支えになるという点に違いはないのだ。

 もっとも、それは実際に御門を手に入れてしまえば幻と消えるもので、だからこそ、彼らに御門を渡すわけにはいかなかった。教会が彼らにとっての“悪”になり続けることで、彼らにその“悪”さえどうにかすれば全てが良くなるという希望を与え、生かし続けるために。

 だが彼らの規模は予想外に大きくなり、抑えきることができず、このような悲劇を招いてしまった。壁の外に出た彼らは、誰一人として助かるまい。


 エスセヴンは創造主に祈った。だが、どこかその行為に虚しさを感じてもいた。

 これまでも、例えばエイチェス駆除の折に教会では何度も祈りが捧げられてきた。今度こそエイチェスが一掃され、平和な日々が訪れますように、と。

 だが、その祈りが届いた試しは無い。それも当然だ。我々は生まれながらに罪を背負った存在であり、実際には創造主に愛されてなどいないのだから。

 いや、それ以前にそもそも本当に創造主などいるのか。天上にあるという地球からここへ我々の祖先達を送り込んできたのが我々の同族だというならば、創造主によってこの地へ遣わされたというのは作り話、ならば創造主の存在自体がそうでないとどうして言い切れよう。第一、創造主についてはほとんど何も伝えられていないではないか。


 だがそれでも、エスセヴンは祈らずにはいられなかった。

 我らが創造主よ、もし存在するのならば、せめてデーシックス達の魂に安らかな眠りを、と。

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