第三章
「デーシックスさん、敵が撤退していきます。どうやら守り切れないと判断し、御門の防衛を諦めたようです」
仲間の報告に、デーシックスは我に返った。御門の奪取を目前にして、つい思い出に浸ってしまっていたようだ。
長かった。
キリサワの日記を読んで真実を知り、そしてエスセヴンと決別したあの日から、何年経っただろうか。
苦しい生活の中で教会に不満を感じていた者は多く、“開放者”はデーシックス自身にすら予想外の速さで勢力を拡大できたが、それでも教会と対抗できるまでになるには、これだけの月日がかかってしまった。その間の民衆の苦しみを思うと、胸が痛む。
だが、それも今日までだ。
無論、新しい土地が手に入ったところで、すぐに作物が育てられるわけではないだろう。だが少なくとも、希望は持てるようになる。今と同じ苦しみがずっと続くわけではないのだ、という希望を。
デーシックスは自らが率いてきた仲間達と共に、御門の前に立った。開放スイッチを押す。待ちに待った瞬間に、指先の震えが止まらない。デーシックスは、そんな自身を
まだこれからなのだ。ユーロパを出て新たな土地を手に入れたら、そこを作物を育てられる状態にして、実際に作物を植え……そう、やるべきことはまだまだある。
始まったばかりなのだ。ここで既に成し遂げてしまった気になってどうする。
重々しい音を立て、扉が開いていった。扉の向こうには、更にもう一枚扉がある。御門が二重扉になっており、一枚目を閉じなければ二枚目が開けられないことは、事前に得ていた情報から知っていた。
デーシックスは二枚の扉に挟まれた空間に全員が入るまで待つと、最後尾の者に一枚目の扉を閉めさせた。それを見て、隣にいる側近がやや不安そうな様子を見せた。
「デーシックスさん……今更こんなことを言うのもなんですが、どうして教会は壁の外へ……古代文献に書かれているところのアジアとかアフリカといった土地へ行くことを、あれほど禁じてきたんでしょう?」
この期に及んで言うべき言葉では無かったかもしれないが、デーシックスは特に腹を立てなかった。何しろ、ユーロパの外へ出たことがある者は壁ができてからの数千年、誰もいないのだ。いざ自分がその第一陣になるとなれば、不安に駆られるのも無理は無い。
「それについては、だいたいの予想はついている」
デーシックスは側近を安心させるべく、努めて落ち着いた声で話した。
「キリサワの日記には、当時の兵器についても記されていた。土地や物を毒のようなもので汚染し、命を奪う兵器だ。キリサワ達の時代、そうした兵器が凶悪なテロリスト達の手にも渡っており、世情が極めて不安定になっていたという。ここからは俺の想像だが、恐らくユーロパの外では、それらの兵器が実際に使われ、全てが汚染されてしまったのだ。我々の祖先達はその汚染から自らを守るため、空までも覆う壁を築き上げ、その外へ出ることを禁じる教義を作ったのだ。ここが二重扉になっているのも、汚染がユーロパ内に持ち込まれるのを防ぐためだろう。ここには何らかの清浄装置が備え付けられていて、外から来た者は汚染を除去してからでないとユーロパに入れないようにしていたのだろうよ」
「ちょっと待って下さい!それじゃあこの壁の外は毒に汚染されて……」
「話は最後まで聞け。これは、俺が独自に手に入れた古代文献からの情報だが、その兵器による毒の効果は時間と共に減少していくのだという。実際、その種の兵器により壊滅した町が、何年かの間に普通に住めるようになったという記録もある。ましてこの壁が作られたのは何千年も前だ。その当時に使用された兵器による毒の効果など、とうに無くなっている」
恐らく、エスセヴンを含め教会本部は、その事実を知らなかったのだろう。あの時はエスセヴンに対し、怒りと失望を禁じ得なかったが、今にして思えば、やはり彼が私利私欲のために真実を秘匿するとは考えられない。エスセヴンは本気で信じ込んでいたのだ。壁の外は兵器によって全てが滅んだ何も無い世界であり、今もなお毒で汚染されているからけっして出てはいけないのだと。
それにしても、御門の防衛指揮に当たっていた大司教があのエスセヴンとは、何という運命の巡り合わせだろうか。あるいはこれは単なる偶然ではなく、いつの日かこの時が来ることを予期したエスセヴンが、自らその任を求めたのかもしれない。
ユーロパを出る前、最後にもう一度だけ彼と話してみたい気もしたが、ここまで公然と教会に反旗を翻してしまった今となっては、それも叶わぬことだろう。もはや過去は振り返らず、ただ前へ進む他は無いのだ。
「では行こうか、同志達よ。新しい世界が、我々を待っている」
デーシックスは二枚目の扉の開放スイッチを押した。扉が開いていく。強い風が、外の世界へ向けて吹き抜けて行った。
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