僕に案内してほしいと彼女は言った

 今朝目覚めてから、やたらと首が痛い。

 ノノのやつ、血を吸うのはいいけれど、もう少し加減ってやつを覚えてくれないかな。あいつ、激しく絞り尽すのが愛情表現だって勘違いしてる節があるから、今度するときはビシっと言っておかないと。


 ベッドの中で満足気な表情を浮かべたまま、僕を抱き枕みたいにして眠るノノをどかして、そそくさと登校の準備を終える。


 玄関を飛び出して、通学用の自転車に乗ると、少し早めのペースで学校に向かう。


 高校二年生になって半年以上が経過した現在、クリスマスと冬休みへの期待に胸を膨らませる十一月二十四日の今日、遅刻ぎりぎりの時間帯に焦る学生が一人。


 それは正しく僕だった。


 校門を越え、駐輪場に自転車を停めると、駆け足で教室に向かう。


 この調子でいけば間に合うことは既に承知の上ではあったが、皆勤賞がなくなるかもしれない瀬戸際に立っていると、どうしても焦りが出てしまう。

 別に優等生でいたいわけじゃないけれど、貰えるものはしっかり貰っておきたくなるのが、人の性というやつだろう。


 教室の扉を開き、既にほとんどの生徒が着席して雑談している中、歩を進めて自分の席に着く。すると、後ろの席にいた宮小島が声をかけてきた。

 サイドテールにアンダーリムの眼鏡が特徴の彼女は、僕が二年生になってからできた友人の一人だ。


 「菜々原、今日はおっそいねえ。真面目くんなあんたがこの時間帯に来るなんて、随分と珍しいじゃん」


「昨日夜更かししててね。目覚ましの音に気が付けなかったんだ」


 半分は真っ赤な嘘である。


 片方は本当だけど。


「夜更かしぃー?どうせあの銀髪の外人さんとイチャイチャしてたんでしょ。ああ、やらしいやらしい」


「まさか。あいつは食事して風呂に入ったらすぐに寝ちゃったよ。なんにもしてない」


「どうだか……不純異性交遊で生徒会に訴えてやりてえなあ、マジで」


「それだけは勘弁してくれ。事実かどうかはともかく、生徒会の連中は苦手なんだ。あんまり関わりたくない」


 以前、ノノが僕を付け回していたとき──ていうか付き纏っているのは今も同じだけど、当時の生徒会長のせいで、まるで漫画みたいな学園異能バトルに巻き込まれてしまったことがある。

 おかげで、生徒会役員の証であるバッジを付けてるやつを見る度に、地獄のような思い出を回想してしまうようになってしまったのだ。


「仕方ない。菜々原の平穏のためだ……お昼のカツサンド一つで黙認してあげよう」


「こいつ、友人を平気で脅迫しやがった……!」


「友?なにを言う、世の中全てギブ&テイクよ。友情だなんて一銭の価値にもならないものは、そこいらのドブにでも捨てるといいわ」


「お前にとって僕はその程度の存在なのか!」


 白状にもほどがあった。


 どうやらここ半年での学校生活の中で、僕と宮小島の間で友情は育まれなかったらしい。


「うーん、菜々原を金と比べると……ちょい下ぐらい?」


「下かよ!上じゃないの!?」


「えー、だって金がないと世の中渡っていけないじゃん。その点から考慮するに、菜々原を取っても利益はないじゃん。だから結果として、金を取ることになるわけじゃん」


「途端に訳のわかんねえキャラ付けすんじゃねえよ。語尾になんでもじゃんじゃんつけてれば許されると思うなよ」


「ごめんくぽ。許してくぽ」


「全然反省してねえ!」


 相変わらずのやり取りだった。


 気兼ねなく話ができるという意味では、宮小島の右に出る友人はいないだろう。毒づくのも気が許せる間柄だからこそ──というやつだ。


「ところで菜々原。今来たばかりなら、あの話も知らないよね」


「強引な話題変更だな、おい……まあいいんだけどさ。で、話ってのはなんだよ」


「それがさ、伝え聞いた噂によると……今日うちのクラスに転校生が来るんだって」


「へえ、転校生かあ……って転校生!?この時期に!?」


 また随分と急な滑り込みだ。


 別に焦らなくたって、学校は逃げたりなんかしない。家庭の事情諸々はあるかもしれないが、この時期に転入するのは、いくらなんでも早計過ぎる。


 一体どんな事情があるんだろう。


 引っ越しとかの関係で休暇が取れないから、今しかこの土地に来るタイミングがない──とかなのかな。


「そうそう。あと三週間ほど我慢すれば冬休みでしょ。なのにさ、わざわざ今日転入してくるらしいのよ」


「奇妙な噂であることには違いないな。でもそれ、本当に事実なのか?デマの可能性だってあるんだろ」


「前園のやつが担任に直接訊いたって言ってたから、間違いないって」


 なるほど、じゃあ噂話やデマって可能性はないか。


 あいつがこの情報の発信源だというのなら、嘘は有り得ない。


 やつは真実しか伝えないし……。


 前園が心変わりとか有り得ないもん。


「どんなやつが入ってくるんだろ。男かな、女かな」


 独り言のように呟いた言葉に、宮小島は即答する。


「女の子だって。しかもかなりレベル高い子らしいよ」


「その言い方だとRPGのキャラクターみたいじゃねえか……容姿のレベルが高いんだろ」


「うん。他のクラスのやつはもう職員室で見たんだって。ああ、早く私もこの目で確認したい……できることならその子のブロマイドを売り捌きたいなあ」


「おい、心の声が漏れてるぞ」


 恥ずかしそうに片手で首元を擦る宮小島。


 動作は凄く可愛らしいのに、発言のせいでちっとも萌えなかった。


「失敬失敬。つい本音が漏れちゃったザウルス」


「だから語尾に変な台詞つけるのはもういいんだよ!どうやったってお前のキャラ付けは決定してんだ!半年間の努力を無駄にするような真似はよせ!」


「いいじゃん、ケチ。ここらでテコ入れしておかないと菜々原の記憶から私が消えちゃうかもしれないでしょ……」


「やめろ。僕を若年性健忘症患者みたいな扱いをするな」


「ある日突然記憶を失った菜々原は、私を見て言ったのです……君の名は──と」


「頼むから話を合わせてくれ……頼むから話を合わせてくれよ!勝手にあっちやこっちに話題を飛ばさないでくれ!」


 心からの懇願も虚しく、返事がする時間を奪い去るように、チャイムの鐘の音が教室に鳴り響いた。


「あっ、もうこんな時間か。さあ、菜々原──話題の転校生のお出ましだよ」


「都合が悪くなったから切り上げやがったな……ま、いいか。僕もその転校生とやらを拝見させてもらうさ」


 チャイムの音が止んだあと、教室の扉が開く。


 担任の榊原と一緒に、一人の女生徒が入ってきた。


 ショートボブの黒髪が、歩く度にふわりと揺れる。まるで教室の時を凍らせていくかのように、段々と室内が静まり返っていく。榊原と一緒に入って来た転入生は、壇上に立つと、直立不動の状態で指示を待った。


「ほら静かにしろ。あー、お前らも既に知ってはいるだろうが……彼女が今日からうちのクラスに転入してくる生徒だ。宇鏡、軽くでいいから自己紹介をしてやってくれ」


 言われて、チョークを掴む転校生。


 黒板にさらさらと達筆な字を書くと、正面に向き直り、真一文字に結んでいた口を開いた。


「……宇鏡アリカ。色々とお世話になると思うから……よろしく」


 自己紹介にしては手短過ぎる淡泊な発言をしたあと、宇鏡はぺこりという擬音が付きそうな角度で、ちょこんとお辞儀をした。


 今日に限り、この時に限り、彼女が相手に限り。


 今、クラス全員の意思は一つとなった。


 どう反応すればいいか、クラス全員が困っていたからだ。


 リアクションが返ってこないというのに、焦る素振りも見せず顔を上げ、眉一つ動かさず、再び直立不動で指示を待つ宇鏡。

 その姿は、古式ゆかしい伝統の日本人形を連想させる。


 透き通るような白い肌は、見ようによっては不健康とさえ思えるぐらい、突き抜けた白さだった。身体つきは細く、華奢だというのに、黙っていても目が離せない存在感がある。

 緊張感などまるで察することのできない堂々とした態度が、そうさせているのかもしれない。


 しかし、けれども、大事なところはもっと別の場所にあった。


 なによりも、宇鏡を宇鏡たらしめているのは、その眼だった。


 眠そうに半開きとなった瞳は、この世に存在する一切の穢れを寄せ付けないであろう美しさを放ち、蒼く輝いている。


 宝石みたいにきらきらとした眼に、僕はたちまち釘付けとなった。


「お、おう……よろしく頼むぞ宇鏡。みんなも宇鏡が困っていたら、手助けしてやってくれ」


 榊原が静寂を打ち破ると、細々とした拍手がわき起こった。


「でだ……宇鏡はまだ転校してきたばかり。校内の特別教室や施設に関してなにも知らない。なので、この中の誰かに学校案内をしてもらおうと思う」


 ざわめく教室の喧騒を余所に、僕はじっと宇鏡を見つめたまま、動くことができずにいた。


 まるで金縛りにでもあったみたいだ。


「静かに!静粛に!本当は多数決でも良かったんだが、あまり時間もないので、相手は宇鏡本人に決めてもらう。それでいいか、宇鏡」


「……はい」


 室内の騒がしさが頂点を迎えた頃、宇鏡と目が合う。


 そのままひたすら見つめ合っていると、彼女はぼそりと呟く。


「じゃあ、彼で」


「……えっ?」


 思わず間抜けな声が出てしまう。


 こうしてクラス全員の視線を一身に受けながら、僕は無事に宇鏡の案内役に任命されたのだった。

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僕を殺したいと彼女と彼女は言った 蝉土竜 @semimogura

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