僕を殺したいと彼女と彼女は言った

蝉土竜

僕の血が欲しいと彼女は言った

「それでは、両手を合わせてご一緒に──いただきます」


 行儀良く両手を合わせ、ノノは僕の首筋にかぶりついた。


 牙が皮膚に突き刺さり、甘い痛みが全身を支配する。


 体の一部が持っていかれる感覚。


 大切ななにかが零れ落ちていく感触。


 身体が悲鳴を上げ、この痛みに抵抗しろと脳に指令を出している。


 だけど僕は、意識を失いそうな痛みに耐え続けた。


 六畳半ほどの自室で、男と女が二人きり──などと呼べばえらいロマンチックで甘美な響きがするかもしれないが、現実はそうじゃない。


 だって、片方は化物なんだぜ。


 人の血を吸い、肉を喰らい、日の光を憎悪する、正真正銘の化物。


 もはや語るに語り尽された、旧時代の怪異。


 けれど未だに人の間で伝え聞かされる、怪異の中の怪異。


 化物の中の化物──吸血鬼。


 今、僕を愛おしそうに抱きしめながら首筋に喰らいついている彼女は、正にそれなのだ。


「ふぇー、まーぐん、ぎょうもずっごくおいじいおー」


「いらんこと言わんでいいから、ちゃんと食べてから喋りなさい」


「はーい」


 ごくりごくりと。


 ちゅーちゅーと。


 血を吸う音が室内に蔓延る。


 あー、毎度毎度、この時間は退屈だ。

 

 なにせ、吸ってるノノは快感に浸れても、吸われてる僕は、ただ黙ってされるがままなんだから。無抵抗無警戒を極めたまま、ただノノの背にそれらしく手を回しているだけなんだから。


 ずるいよな、こういうのって。


 僕だって、たまには良い想いをしたっていいはずじゃないか。


 などと考えている内に、ノノは身体に流れていた血液を半分ほど絞り尽して、首筋から口を離した。


「ふぁー、やっぱりマーくんの血は最高だね。頬っぺた落ちちゃいそう」


「そりゃ良かった。褒めてもらえて光栄だよ」


「ホントにー?なんかめんどくせえ、ダルいなあ──って感じの顔してるんだけど」


「どんな顔だよ、それ」


「こんな感じ」


 室内の照明は全て消しているので、頼りになる光は、窓から差し込む月明かりだけ。だから、ノノがゼスチャーしてくれても、どんな顔をしているかなんて、さっぱりわからない。

 人間である僕は、ノノみたいに夜目が利かない。

 光がないと、まともに相手の顔を確認することさえできないのだ。


「ごめん、ノノ。全然見えないや」


「えー、人がせっかく迫真の演技してたのにー。ねえ、やっぱりマーくんも私と吸血鬼やらない?人間なんてくだらないしさ、さっさとやめちゃってさ、一緒に甘々なノーライフ生活を送ってみない?」


「断る。ていうか、その話はするなって前に散々言っただろ」


「そうだっけ?ま、いいや。マーくんと一緒にいられれば、それでハッピーなわけだし」


 ハッピーの基準がえらく低かった。


 誰かと一緒にいられればそれで満足だ、なんて僕にはちっとも思えない。


「お前さ、ホントに良いのか……」


「なにが?」


「いや、だって……故郷に両親や兄弟を置いてけぼりにしてるんだろ。なのに僕なんかと一緒になって生活するとか、損してるとしか思えないぞ」


「大丈夫大丈夫。みんなも案外適当にふらーっとやってるから。それに人間の一生は短いから、誰かと同棲してても、ちょっとした小旅行ぐらいにしかならないんだなあー、これが」


「……同棲が小旅行って」


 なんの冗談だよ、それ。


 吸血鬼の生き方を人間の物差しで測ろうとしたのが、そもそもの間違いではあるんだろうけどさ。


 でも、小旅行はないだろ。


「ちょっとした遊び程度の気持ちでしかない、ってことか」


 言うと、ノノは必死に首を振って否定した。


「違うよ、遊びなんかじゃない。私はこれからもずーっとマーくんと一緒に生きて、マーくんと一緒に死ぬんだから。マーくんが死ぬときは、私が死ぬときなんだよ」


「それってつまり、永遠に生きる──っていうのと同義だろ」


 自分で言っておいて、凄く悲しくなった。


 なにが楽しくて、こんな世界で──


 こんな平凡でくだらない、残酷で無慈悲で醜悪な世界で生き続けなければならないのか。


「永遠なんて、ないよ」


「吸血鬼が言うと説得力が違うな」


「でしょ。だからね、マーくんはちゃんと私が殺してあげる」


 不死身の貴方を、殺してやると。


 目の前の少女は言った。


 肩口で切り揃えられた艶やかな銀髪に、深紅の瞳。玉のような肌と女性らしいグラマーな肢体。そして、男も女もみんなまとめて魅了できるほどの、整った相貌を携え、ノノは僕の首に手を回した。


 僕は彼女の腰に手を回すことで、それに答えた。


「期待せずに待ってるよ」


「愛してるわ、マーくん」


「そんなの嘘だ。お前は血が欲しいだけで、人を愛してなんかいない」


 続けて語ろうとする口を、ノノの口が塞いだ。


 粘膜と粘膜が混ざり合う感触がする。


 口を割るように、舌が入ってきた。


 変な気分だ。僕らはこれっぽっちも愛し合っていないのに、どうしてキスなんかしてるんだろう。


「これでわかったでしょ。ホンキだって」


「さあ、どうかな。これも罠かもしれない」


「……じゃあ、もっとしてあげるね」


 告げて、ノノは僕をフローリングの床に押し倒した。そのまま勢い良く首にかぶりつくと、残りの血液を全力で吸い始めた。


 急速に意識が消失していく。


 まるでタチの悪い白昼夢のよう。


 ああ──願わくば、この情事が早く終わってくれますように。

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