番外編:美月ちゃんのクリスマスイブイブ

 エレベーターのドアが閉まる。ちょっと前に私を振った幼馴染みの目が焦点を合わせないまま私を見ている気がしたが、エレベーターはすぐに動き出してしまった。五階と六階を隔てる重厚な鉄筋コンクリートを眺めて、フロアに降りる。

 ――ごめん。

 完璧に振られちゃった。道を間違えて、喫茶店で寝て、観覧車で振られる。三連コンボが私の心にクリーンヒットして、もう立ち直れない。

 私はエレベーターを降りると、しばらくその横で夜景を見ていた。夜景といっても目の前はマンションで、その上から星がいくつか見えるだけ。

 ひー、ふー、みー。なんとなしに私は星を数え始めた。ホワイトクリスマスなんて偶然は起きるわけがない。関東平野で雪が降るなんて滅多にないし、自然までそんなにカップルの味方になるなら私はやっていけない。

 数日前、友達に彼氏ができた。高身長なイケメンだった。私はその友達が羨ましかった。イケメン彼氏ってとこじゃなくって、好きな人と一緒にいられるってことが羨ましかった。こちとら何年間も片想いしっぱなしなのに。

 唇にまだ変な感触が残っている。自分から行った。ここまで来て捨てるものはなかった。あんな態度で私が誠を好いていることが伝わらないわけがない。言葉にしようとしたら振られたまで。でも、言葉にできないなら行動に示したかった。私はあなたのことが好きですって。すごい偶然に恵まれたのに、ここで伝えないわけにはいかなかった。

 右目の上についているピン止めを取る。いつだか、誠がくれたピン止め。絶妙のセンスで私の好きなのを選んでくれた。もうところどころ色が落ちてるけど、使わない日はない。

「でも、これも捨てよっかな……」

 これを見ると、どうにも思い出しちゃいそう。

 今日も優しかった。ダメな私をフォローしてくれた。それだけでまた好きになれた。もう十分。誠には新しくかわいい女の子がくっつくんだろう。

 ピン止めを握りしめた。大きく振りかぶった。

 さようなら、私の四年間。楽しかった。

 腕に力を入れる。スナップをきかせて、できるだけ遠くに投げようとして。

「わー、ダメダメー!」

 赤い彗星に止められた。

「サンタさん!?」

「ちょっとどうしちゃったのさ、思い出投げちゃっていいの?」

「いいんです。振られちゃったから、これから変な思いをしないようにするんです」

 サンタさんはトナカイから降りる。サンタさんすごいな。

「お願い、お話聞かせて。全部私に話しちゃえばもっと楽になると思うよ」

 サンタさんがそう言うと、私は家に案内した。


「小学校の高学年の頃から、自然と好きになってました」

 家に帰った私は、サンタさんに長々と恋バナを聞かせていた。全部聞いてもらいますよサンタさん。

「いつからか、それはわかりません。ただ、いつの間にか、家に帰ると誠のことしか考えられなくなって、誠のことを考えると胸がきゅーってなって……はい、典型的なやつです」

「典型的だね」

 サンタさんはニヤニヤしながら聞く。

「まだ小学生でしたけど、私はこれが恋だってすぐ気づきました。ませてたんですよ。少女漫画も結構読んでて、そういうのには敏感でしたから。中学生になって学校が違っちゃってからはもうまったく会わなくなりました。でももう中一の五月くらいには耐えられなくなって、あの、その……卒業アルバムの誠のページを見ながら……一人で、少し、楽しみました……き、気持ちよかったです」

「わーお、生々しいね。ちなみに指は一本? 二本?」

「論点違います!」

 ずっとニヤニヤしてんなこの人。

「でも本当に会えなくて、私の中の誠は小六で止まってて、たまに気持ちがいっぱいになってする時の妄想は全部小六の誠だったんですけど……成長してましたね。身長も私の方が少し大きいくらいだったのに完全に抜かされてて、ちゃんとした高校生になってました。昔の面影もちょっとあって、懐かしかったですけど」

「そんなに会わなかったんだ。バレンタインとかは?」

「渡しませんでした。恥ずかしくて」

「そうなんだ……かわいいね美月ちゃん」

「どういう意味ですか」

 私は一息つく。

「こんな感じです。今日一日でまた好きになりました。でももう今日までです」

「そっか、残念だね……でも、明日からは更新された誠くんでできるんだから、はかどりそうだね!」

「一旦そこから離れてくださいよ!」

 何この人実は痴女なんじゃないの? どんだけ下ネタにこだわるのさ……まあやるけど。今日も。

「誠くんのこと、そんなに好きなんだ」

「好きですよ。そんなに好きです」

「どこが好きなの?」

「話が面白いところ、私を気づかってくれるところ、優しいところ、ちゃんとしてるところ、それから……」

「わかったわかった。ちょっとこっちが羨ましくなってくるレベルだから止めてね」

 ニヤニヤが止まった。一本とったね。

「誠くんと、また会いたい?」

「会いたいです」

「誠くんと、また喋りたい?」

「喋りたいです」

「誠くんと、またデートしたい?」

「したいです」

「誠くんと、エッチしたい?」

「したいで――だからそこから離れてくださいよ!」

「惜しい!」

 惜しいじゃないよ。どこに向かわせてんのさ。

「美月ちゃん、今日ね、クリスマスじゃないんだよ」

「知ってます。今上天皇の誕生日です」

「だからね、私はまだ本業が余ってるんだよ」

「こんな変なことしか考えてない人が夢を届けるんですか」

「だからね、明日も働きながら何かモチベが上がるようなのがほしいのよ」

「そうですか」


「だから、明日も誠くんと会って」


「……は?」

 サンタさんはニヤニヤしながら続ける。

「私が働きながらニヤニヤできるように、誠くんと明日もイチャイチャしてきて」

「なんでですか、私は振られたんです。もういいです」

「さっきね、誠くんの家行ってきたんだけど」

「私でも入ってないのに」

「ふっふーん」

 得意気に鼻を鳴らすサンタさん。ムカつくー!

「誠くんね、次は自分がエスコートするって言ってたよ」

「そうなんですか?」

「そうだよ。あの人はね、美月ちゃんのことが嫌いなんじゃなくて、美月ちゃんを楽しませてあげられなかった自分が嫌いなの。だから、美月ちゃんに申し訳ないなって振ったんだよ」

「そうなんですか……私は楽しかったのに」

「美月ちゃんが楽しいのと、美月ちゃんを楽しませるのは違うことなんだよ。だから、それをしたかったんだけど、できなかったんだって。誠くんね、お昼の中学生にもそんなようなこと言ってたよ」

「そうなんだ……なんかめんどくさい人ですね」

「めんどくさいよねー。よく好きになったね美月ちゃん」

「それとこれとは違いますよ。むしろそういうところもかわいく見えてきましたし」

「恋する乙女怖いわー」

「変態サンタさんの方が怖いですよ」

 サンタさんはニヤニヤし続ける。頬の筋肉ぶっ壊れてるんじゃ?

「じゃ、そういうことで。誠くんには伝えてないから、自分で誘ってね。連絡先持ってるんでしょ」

「持ってます」

「てか、それあるならメールくらいすればいいのに」

「しないですよ。恥ずかしくて」

「かーわいー!」

「サンタさんこそ、明日誰かに話しかけてみればいいじゃないですか」

「えー、誠くんがかわいいから誠くんと付き合おっかなー」

「なんで!? 誠は私が落としますよ! 絶対に!」

「でももうおうち上がっちゃったしなー」

「ずーるーいー! 私も行きたい! どんな感じでした?」

「えーっとね、机の上に美月ちゃんとのツーショット写真が置いてあったよ」

「えっ……?」

 それってどういうこと? そんな写真撮ったっけ……修学旅行とか? いやでも……てかそれ、誠って意外と私のことが……

「まあ、嘘なんだけどね」

「ちょっと! これは悪質ですよ!」

「ごめんごめん。じゃ、明日頑張ってねー。あ、メールじゃなくて電話の方が相手の声も聞けてはかどると思うよ。電話しながら喘いじゃえば誠くんの誠くんも元気になると思うよ」

「なんで最後下ネタなんですか! 電話口ではしませんよ!」

「じゃあ電話口じゃないとこではするんだー」

「あー! もういいです! 帰ってください!」

「はいはいごめんごめん。じゃねー」

 ガチャ。玄関のドアが閉まる。サンタさんがあそこまで変態だとは思わなかった。怖いな。サンタさん怖い。

「誠と……電話……」

 何年ぶりなんだろう。誠と電話するの。小学校の時にあるかないかくらい。もしかしたら初めてかもしれない。

 携帯を操作する指が震える。ロック番号を何回も間違えて、三十秒待って、ようやく電話の画面にして、番号をまた何度も間違えて、それでようやく発信ボタンを押す。

 右耳に電子音が鳴り響く。

「出るかな……」

 胸が高鳴る。このドキドキは何にも代えがたい。本当に恋する乙女みたいだ。断続的に鳴っていた電子音がふっと途切れると、音が変わる。

『もしもし?』

 ドキドキは最高潮になった。胸を押さえる。吐きそうなくらいドキドキして、変な声を出さないように細心の注意を払って、息を吸って吐いた。

「あのさ、誠、明日なんだけど――」

 あり得ないなんてことはない。人が想像できることは必ず人が実現できる。例えばこうやって誠と電話したり、デートに行ったり、はたまたクリスマスに雪が降ったり。

 窓の外に、雪が降り始めた。

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あわてんぼうのサンタクロース 奥多摩 柚希 @2lcola

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