疑惑と秘密

「兄? 兄って誰のことだ? バラキは昨日までピンピンしてたぜ?」

僕は弥勒に問い詰めた。

「知らないわよそんなこと。それこそ、貴方の方が詳しいんじゃなくて?」

一瞬の間、破ったのはニキだった。

「まぁ僕も知らないけど、普通に考えて長男に『五郎』なんて名前は付けないだろうから兄がいても驚きはしないさ。それよりどちらかと言うと、僕は神経病院だったことの方が驚きだね」

「神経病院?」

そんな話あったか?

「薫さんの話を全部書いていてくれたんだ、お前よりよっぽど優秀な相棒だ」

「……全くだ」

僕は誤魔化すように頭を掻いたが、すぐに弥勒が話を戻してくれたのでそれ以上居た堪れない心地にならずにすんだ。

「さて、少し話を整理しましょう。一昨年の6月10日朝、当時の原木精神病院で院長のご遺体が発見された。便宜上、原木父とでも言っておきましょうか。原木父の死因はモルヒネの注射による自殺、モルヒネは鍵に手が届く人間なら誰でも手に入れられる状況だった」

ニキがそれに続ける。

「そしてその後の供述は少し食い違う。原木の話によると、看護婦であったお小夜さんはその後すぐに辞めた、と言っていた。だが恐らくこれは嘘で、本当は患者さん達の言うように、節子との仲が悪化して辞めたんだろう。なにより薫君が葬儀の席で薫君が節子さんと話した時にはまだお小夜さんは務めていたのだから。そして看護婦が辞め、例の噂が流れる。『受付嬢が兄を殺した』、か……」


こうして結局僕と君とで再び原木外科に向かうことになった。ニキも来ると言って聞かなかったが(ニキはやる気が出るまでは遅いが、1度やると決めたら絶対にやらないと気が済まない奴なんだ)、バラキと僕らの為に土産の桜餅の約束と引き換えに何とか諦めてもらった。

「やぁバラキ、久しぶりだな、元気にしてたか?」

「まぁそれなりにな、今日は探偵さんとは一緒じゃないのか?」

まぁね、と笑いながら僕は待合室の椅子に座った。相変わらず患者は居ない。受付では節子さんが相変わらず忙しそうにしている。

「足はもういいのか?」

原木も診察室から出てきて隣に座った。

「足?」

「額縁落としたの、本当だろ。左足の指先の方が、右足より若干腫れていた。まぁ死にゃあしないだろうけどよ」

何だかんだ言いながら、やはり医者である。

「バレてたか、ああ、もう大丈夫だ。それよりバラキ、今度こそ真面目にちゃんと美味いコーンビーフの出る店にでも行かないか? ちょっと値は張るが浅草のあたりに美味い店があるんだよ」

「何言うんだ、俺は彼処の酸っぱいコーンビーフも気に入ったぜ」

こうしてまたしても僕らはこの道を、もう何度も往復したこの道を歩き出した。


「どうしたハシヅカ、ソワソワして」

「いや、病院に財布を置いてきてしまったかもしれない……すまないが先に行っていてくれ、すぐ追いつくから」

僕は病院から数間のところで君とバラキを先に行かせ1人引き返した。作戦通りである。さて、ニキの相棒として汚名挽回といこう。ん、汚名は返上か?

僕が戻るとやはり受付には節子さんが1人座って忙しそうにしていた。

「やぁ、節子さんだよね、今ならお兄さんも居ないし、いくつか聞きたい事があるんだけど」

そう言って僕は背広のポケットから帳面を取り出した、ニキに言われた質問事項は全部ちゃんと書き記してある。

「えっと……まずは前に働いていた看護婦さんについて聞きたいんだけど……」

無言。

「あんまり、仲良くなかったんだったね、お小夜さんと……何かあったの?」

無言。

「節子さんは大人しくて、嫌なことがあっても相手に言えなそうだもの、大変だったろう?」

無言。

「お小夜さんに、何か言われたのかい?」

無言。流石にそろそろ堪えてくる。

「大丈夫、バラキには内緒にしておくから、話してくれ……」

無言……ではなく節子さんは声を殺して泣いていた。いやぁ慌てたね、僕だって女性経験が無いわけではないけど、こんな年下の女の子に目の前で泣かれるなんて初めてだったものだから。


こうなってしまってはたとえ多少不自然だろうと仕方ない、と僕は節子さんが落ち着くまで背中を摩ったり気晴らしに話し掛けたりと色々してみた。そして十数分の後、彼女は落ち着きを取り戻し僕に向かって頭を下げた。

「お見苦しいところを、失礼致しました」

それでも気丈に振る舞う節子さんには気高さすら感じられた。

「兄に、五郎さんに話さないと約束してくださるのであればお話します」

「約束するよ、必ず」

僕は狡い、僕が例え本当にバラキに話さなかったとしてもいつか誰か経由で伝わる事だろう。だがきっと彼女はそんな狡さとは無縁の人生を送ってきたのだろう。だからこんな口約束だけの僕を信用するのだろう。

「お父様を殺したのは、私です」

節子さんは、そう呟いた。


「想像以上の収穫だった」

僕は土産の桜餅をニキと弥勒に渡して話しだした。今回はちゃんと帳面に書いたことを。

「節子さんとバラキは実の兄妹じゃないらしい、異母兄妹って奴だな。まぁ昨今じゃあ珍しくはないだろうが……で、だ。節子さんはバラキのことが男性として好きなんだと。どうしてもバラキに病院を継がせたかった。だから原木父と当時病院に居た原木の兄にあたる耳鼻科医の三郎を殺したらしい。それを看護婦のお小夜さんに見られ、口封じを恐れたお小夜さんは辞職、晴れて節子さんとバラキの2人の病院になったわけだ」

僕は自信たっぷりに手帳を閉じた。

「ちなみに一郎は生まれてすぐ夭折、四郎は女郎と駆け落ちして行方しれずらしい」

ニキはゆっくりとこちらを見た。そして桜餅を飲み込んでこう言った。

「…………で?」

「いや、で?、って。以上が節子さんから聞いた話だけど」

やはり桜餅一つでニキを買収するのは些か無謀だったようだ、とても不機嫌である。

「逆だよハシヅカ、犯人が誰であれ、節子さんでは絶対に有り得ないんだ」

そう言うとニキは手元にあった本を僕に差し出した。黒い手帳大の本で、表紙には金文字で「Medizinal-Kalender」と書いてある。ニキに所持品があるとは思えないので恐らく弥勒のものだろう。

「ドイツ語か……?」

「中は日本語だ。355頁開いてみろ、モルヒネの項目だ」

そこには「C17H19NO3」と書かれていた。

「原木が言ってたろ、分かる、って。事務員の節子さんにそれが毒薬だと判別は付けられない、仮に彼女が独学で知っていたとしても、彼女に皮下注射はできない。医師である原木が何の躊躇いもなく『皮下注射で死んだ』というのだからちゃんと皮下注射だったのだと推察される。ならば外部の犯行でないと仮定すると、容疑者は原木父、原木兄、原木、お小夜さんの4人だ。兄殺しの方は兎も角、父殺しは始めから節子さんでは、絶対に有り得ないんだ」

僕は本を閉じた。ニキが笑っている、人を馬鹿にしたように、世界を見下したように。そうか、もう分かっちまったのか。

「さて、決着を付けに行こうか」

ニキは立ち上がった、ニタリと笑ったまま。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

重箱の隅の秘密 六条弥勒 @Miroku_Rokujo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ