過去と今
結局僕ら3人はバラキに追い出されるような形で病院を後にした。
「すまねぇ、今のままじゃお前らにまで何か言っちまいそうだからよ」
声を震わせながらそう囁いたバラキはきっと怒りをを必死に押し込んでいたのだろう。しかし当のニキはといえばまるで何事も無かったかのような面持ちで、だが心なし早足で歩いていた。
「なあニキ、幾ら何でもあれは言い過ぎだろう」
僕が声を掛けた事でやっとニキは振り返った。
「何が?」
「何がって、親父さんが亡くなった話なんて、バラキにとっても良い思い出とは言えないだろ、そんな思い出したくないことを話してくれたのに、あの言い方はないだろ」
ニキは立ち止まった。釣られて僕らも立ち止まった。
「だからどうして。別に僕は話してくれなんて頼んでいない。ただお前に喫茶店に誘われたから行ったら原木が居ただけだ。話を聞く気も謎を解く気もない。第一僕は別に小学校時代から原木と仲が良かった訳では無い」
「けれどお前は僕のビスケットに釣られてバラキの話を聞く気にはなったんだろう」
「それはお前の為だ、原木の為じゃない」
「それとこれとは別だろう」
「別じゃない、僕は確かにお前からビスケットを貰ったが、それはお前から貰ったのであって原木には何の恩もない」
「恩、恩って、お前は対価が無ければ何もしないのか?」
「これが僕なりの労働だ、お前には関係ない」
「お前は原木の何が気に食わないんだ?」
「小学校時代から僕は原木が嫌いだ。というか努力もせずに金だけで勉強できる奴は昔からみんな嫌いだ」
「バラキのこと禄に知らない癖によくそんな出鱈目な事が言えるな」
気付けば往来を行く誰もが僕らを見ていた。いや、本当にこの時は君に悪いことをしたと思う。すまなかった。
このままでは互いに収まらないので、僕らは一度六条院に戻ることにした。仰々しい名前に似合わないボロアパートメントの玄関に着くまで僕らは無言だった。
「で、ノコノコと帰ってきた訳か」
積まれた本に埋もれ、偉そうに声を掛けたこの女がニキのもう一人の世話係・六条弥勒だ。
「はじめましてご機嫌よう、無敵素敵な土星の女王・六条弥勒です、以後お見知り置きを」
「……はじめまして、ハシヅカです。もう大分何度も会ってるけどね」
「そうだったかしら? 私より影の薄い人は覚えられないのよ、ごめんなさい」
そう言ってミロクは君に目を移した。
「自己紹介はしなくて結構、どうせ覚えられないから」
これは僕がミロクに会う度に毎回繰り広げられるやり取りだ。きっと君もこれから散々聞くことになるだろう。本気なのか冗談なのかは分からない。
「ハシヅカ、あまりうちのニキを苛めないであげてくれる、ニキがどうしようもない程の社会不適合者であることなんて百も承知でしょう? それにあなたも、ニキが居なくなったら困るんじゃなくて?」
ミロクはニタリと笑いながらそう言った。確かに僕にはニキが必要だ、ニキの世話をしているのだって結局は僕の為なのだから。でもなんでミロクはそんな事を知っているんだ? だがそんな僕の疑問を他所にミロクは続けた。
「ニキもよ、明日から屋根なし壁なし雨曝しになりたくなかったら努力することをお勧めするわ、私はこの前の巫山戯た自殺事件じゃこれっぽっちも満足していないから」
ミロクはここで大家をしながら小説を書いている。無職無一文のニキがミロクの恩赦でここに住めるのは「小説の題材を提供する」ことの対価にすぎないのだ。だからニキはミロクに逆らえない。
「……じゃあ順番に考えていくか」
ニキは非常に不服そうながら始めた。
「まず不自然に患者の来ない病院についてだ。ハシヅカ、原木と喫茶店に来るまでの途中、挨拶されて大変だったと言っていたな」
「ああ、通る人殆どが原木先生原木先生だった」
「そこまでの知名度がありながら何故あの病院には患者が来ない? だがこれは情報不足だな。よし次に行こう」
ニキはそこで一度言葉を切った。
「次は……節子についてでも考えるか。節子の態度は明らかにおかしかった。本当に過度の人見知りである可能性もあるがそんな妹に受付を任せるとは考えにくい。だがこれも節子を直接知っている人間に話を聞く必要があるな。よし次だ」
ニキは切り替えが早い。何でも考えすぎてしまう僕は見習わなければなどと考えながらニキの話を聞いていた。
「次はそうだな、看護婦についてだな。幼い頃から面倒を見ていた原木が開業するのに突然辞めたのは不自然だ。他の看護婦が来た訳でもあるまいし、この看護婦は何か知っていると考えてまず間違いないだろう。だが当の看護婦は行方しれず、か」
「ニキ、あなた寝不足でしょう?」
突然ミロクが口を挟んだ。
「あなたが物事ひとつずつしか考えられない訳がないもの。どっちにしろ圧倒的情報不足なんだし、あなた少し寝なさい、その間に彼らが情報を集めてきてくれるみたいだから」
ミロクは僕らを見た。勝手に決めるなとも思ったが、ニキの寝不足も圧倒的情報不足も同意できたので僕は承知することにした。
ニキがフラフラと自室に戻るのを見届けるとミロクは立ち上がって本の隙間を縫いながら僕らの元にやって来た。文明開化から70年とはいえまだまだ和服が主流の昨今に、これから舞踏会に行くのかというような、いつもの華美な洋服を揺らして。どこで仕入れているのか知らんが相変わらず衝撃度だけは抜群だ。そして言い出すことも相変わらず衝撃であった。
「さて、手分けして情報を集めましょ。私は病院について調べてみるから、あなた達は節子さんと看護婦について調べてみて」
だから勝手に決めるな、君もそう思っただろ?
「ミロクも手伝ってくれるのか?」
「あらお嫌? なら別にいいわよ、ニキが目覚めるまできっかり15時間、せいぜい彷徨い歩けば? どうせ何も収穫はないから」
ミロクは僕らを見上げた。相変わらず背は低い癖に態度は大きい奴だ。
「……お願いします、女王陛下。でも調べるったって節子さんを知ってる人なんて……」
「あら、たしか節子さんはあなたの弟さんの同級生なんでしょう?」
そういえばそうだった、そうだったけど、どうしてミロクがそんな事を知っているんだ?
「物語の冒頭で話してたじゃない、忘れたの?」
ニキは何でも解いてしまうけど、ミロクは少し違う、どちらかというと「何でも知っている」といった感じだ。今回もそうだ、確かに僕は最初に弟のことを話したが、何故それをミロクが知っているのか。
「じゃ、そういう事でよろしく」
ミロクはそう言い残すと六条院を後にした。呆然とした僕らを残したまま。
正直なことを言うと僕は家が好きじゃない。ニキの世話をしている理由の一つも外出の口実を作るためだ。日は既に暮れかかっていた。最近少し日が長くなってきたから5時か、5時半くらいだろうか。
僕と君とが僕の家、橋塚骨董商に辿り着いたのは丁度そのくらいだった。君は初めて来るんだったっけ? ここが僕の家だ、ようこそ、歓迎するよ。
「馨、居るか?」
弟にはたしか会ったことあるよね、例の自殺事件の時に。暫くして馨が出てきた。
「何?」
「原木節子さんって、お前の同級生だったよな、覚えてるか?」
馨は少し考えていた。
「覚えてはいる、原木神経病院の子だろ。多分僕らの同級で覚えてない奴は居ないだろうなってくらい活発な奴だったから。でもそのくらいしか覚えてない」
活発な奴? 僕らは顔を見合わせた。
「最近お兄さんが継がれたんだろう、この前のさっちゃんの葬儀の時にそんな話をしていたよ」
「その時、節子さんは相変わらず活発な方だったかい?」
僕は念のため聞いてみた。
「いや、大分落ち着いていたね、病院があまり上手くいっていない上に、看護婦とも折り合いが悪いみたいで、少し疲れているみたいだったよ、しーちゃんの隣に僕が座ってて、その隣が節子さんだったから結構話したんだけど、なんか、やっぱ色々あったんだと思う」
結局馨から聞けたのはまぁそんなところだった。いや、この話を君がちゃんと手帳に書いていてくれて本当に助かったよ、ありがとう。
僕の家から原木医院までは少し離れているし、六条院はもっと離れているから僕らはその日そこで別れた。僕は洋服を衣紋掛けに掛けながら先程の馨の話について少し考えてみた。だが後にして思えばそんなことよりもっと気付くべきところがあるだろうときっとニキやミロクに、そして君にも口を揃えて言われてしまうだろうからここでは割愛しよう。恥ずかしいからさ、いや全くだ。
翌朝9時に僕は六条院に着いた。案の定ニキは15時間寝てきっかり8時に起きたらしい。いやでもまさか君の方が僕より先に着いていたとは、少し驚きだったよ。
「やぁおはよう。ニキ、よく眠れたかい?」
ニキは相変わらず大人しかったが昨日に比べて目つきはしっかりしていた。どうやらよく眠れたらしい。
「遅かったじゃないハシヅカ、馨君の話はソイツから聞いたわ。今から丁度私の方の話をしようとしていたところよ」
ミロクはそこで一度切った。一応彼女なりの気遣いなのだろう、だが今日のニキはそんな気遣いなど不要な程には復活しているようだった。
「看護婦が辞めたのはそこそこ最近だったわ、これは当時通っていた患者だったという男が教えてくれたんだけどね、受付嬢と喧嘩して辞めたんだって。馨君も確かそんなこと言ってたのよね」
君はすぐに頷いた。そういえばそんなこと言ってたな。
「そして患者が来なくなったのはその看護婦が辞めてからみたいよ、その人もそうだったみたい。そして面白い噂が流れたそうよ」
ミロクは再び話を切った。これは単に勿体ぶっているだけだろう。
「受付嬢が兄を殺した、って。それであんなに患者が来ないみたい」
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