06 ありふれた現代病《ディストピア》(4)




               × × ×




「――ここからが本題」


 俺の発言を受け――まるでいないもののようにメイドを無視しながら、いのりはそう切り出した。


 ……ここまで来るとそれはそれで、メイドは自分に構ってほしくていろいろ手をこまねいてるのではないかとすら思えてくる。さすがに子供じゃあるまいし、そんなことはないのだろうけれど。


「今の話で私が言いたかったのは、HLSは要するに心の問題で、当人次第でどうにでもなる、ということ」

「……心の問題が当人次第でどうにでもなるかは怪しいけど」

「気分次第で治るかもしれない相手に、心臓を差し出すなんて馬鹿馬鹿しいと思わない?」


 言われてみればそういう気にもなるが、


「そもそも、心の問題なら心臓移植して治らないだろ」


 ……実は壮大な作り話で俺を騙そうとしているのではないか。


 心臓移植で回復した例は存在する、はずだ。ネットでその記事を見つけた。海外でのケース、死亡率98%から外れた2%。

 一方、いのりの提示した例の論文は初見だし、実際に彼女の言うようなことが書かれている保証はない。それこそネットで拾ってきた適当な文書をそうだと言い張っているだけかもしれない。


「心臓に異状があるのだから、原因は心臓にあるはず。他に調べて分からないから、最終手段として他人の心臓を移植したら回復した――」

「…………」


 まあ、そういうことだ。

 中には適合していない普通の心臓を使ったために死亡したケースや、同じHLS患者をドナーにした心移植で助かった例もある。


「思うにそれは、ドナーとなる適合した心臓を――あなたみたいな予備軍の人間や同じHLS患者のものを――移植したのは、レシピエント側の心臓が既に回復不能なレベルまでHLSが進行していて仕方なく行ったものよ。実際は、そうなる前に……移植する必要なく回復できるはず」


 日頃「死にたい」と考えていても、いざ『未知の病気』を発症して死を身近に感じると見える世界も変わるだろう。心境に変化が訪れても不思議じゃない。そうして、「生きたい」と思えるようになれば、HLSも改善される――


「あるいは移植したことで、『他人の心臓をもらっている』という意識から。この人の分まで生きなければって義務感。そもそも移植した時点で、本人が『生きたい』と望んでいるということだもの」


 生きたいという意思を抱いた時点で病状は回復に向かう。心臓移植は「これで治った」と思える一つのきっかけに過ぎず、そうしなくたって改善できる。

 つまり、生きたいとさえ思えば回復する見込みはあるが――当人にその気がなければ心臓を移植したところで回復しない恐れもあるといのりは言いたいらしい。


 だから。


「かいりに心臓を提供するなんて、命を粗末にするようなことはやめるべき」


 それは暗に殻倉からくらかいりにはそもそも生きる気力がないと言っているようなものだ。

 そういう人物なのか、それともいのりが単に嫌っているだけなのか。


「そんな風に無駄死にするくらいなら、生きて世のため人のため、ひいては人類のために働くべき」


 やっぱり本人に会ってみなければ実際のところは分からない。


「未来の人類を救うために命を使う方がよっぽど有意義」


 ……この子の台詞もいちいちあれだし。


「……それから、パパが、」

「パパ」

「……何」

「いや別に」


 お嬢様らしくていいと思う。うん。


「父があなたに何を言ったのかは知らないけど……臓器提供に関してHLSには〝順番待ち〟をせず移植を受けられる『特例』があるとはいえ、そこに金銭の授受が発生することは認められていない。大方、こっそり援助をするとか言われたんでしょうけど……『特例』だからこそ、厳しくチェックされる


 そこはさすがに高校生、いろいろと詳しいようだが、推測の域を出ない部分もあるようだ。


「バレないようにやってくれるかもしれないだろ?」


 実際、〝見返り〟が違反に当たるのかどうか。どこまでが金銭の授受に入るのか、臓器取引になるのか。

 むしろこの『特例』こそ、それが曖昧になるのではないか。


 通常、心臓移植は臓器提供者ドナーが脳死判定を受け、且つそのドナーが臓器提供の意思を示していた場合において行われるものらしい。

 そしてその移植には〝順番待ち〟が存在する。臓器提供を受ける側……レシピエントの病状だったり、今すぐ移植しなければ死んでしまうという緊急度だったりと優先順位がある。

 ただ、そうした緊急事態になっても、心臓は角膜などと違って保存できないから、必要だからとすぐ用意できるものではない。そのため心臓に疾患を抱えた多くの人たちが自分の順番を迎える前に亡くなってしまうのだ。


 しかし、HLS患者にはそもそも〝普通の心臓〟が適応しない――いのりの言葉通り体質に変化が見られるため、仮にその『今すぐ移植しなければ死んでしまう状態』になっても、運良く『通常のドナー』が見つかったとしても、その心臓は移植できない。


 そのため特例として、事前に『移植可能な人物』との『契約』が認められている。


 契約し、必要になったらその人物には心臓を提供してもらうという訳だ。

 無論、その人の死を待ってはいられないから――生きたままに。

 提供の際はもちろん本人の意思による最終同意が必要であり、それを強制することは出来ないとされている。そして同意すれば――同意した時点でレシピエントの開胸手術など移植する準備が始まっているため、基本的に拒否することは許されない。拒否すればレシピエントが死ぬ恐れがあるからだ。


 日本ではドナー契約の対象は18歳以上とされているが、海外では様々なケースが存在するし、通常の心移植同様、脳死判定がされれば18歳未満でも移植は可能だ。それにも当然、本人の意思やその家族の意思が尊重されるところは変わらない。


 この『契約』だが、これはあくまで優先的に心臓を提供することを明らかにするものであって、提供を強制するものじゃないし、契約することで利害が生じることもない。いわば、「この人の心臓は私のものですので、他の移植には使えません」とつばをつけるものだ。

 これが他の病気であれば、ドナー登録という形で他の患者にも移植できるようにされるものだが、HLSは世界的にも珍しい、日本ではごく数例しか確認されていない病気であるためだろう。むしろ法整備されていることが意外に思えるくらいだ。もちろん、先に契約相手のレシピエントが死亡すれば、他のHLS患者のドナーになることは出来る。


 そもそも適応できる時点でその人物の臓器もまたレシピエント同様、変調をきたしているから、実際には「この人の臓器は他の移植には使えません、危険!」と貼り紙するようなものである。危険物扱いか。


 だけどその爆弾が、HLS患者にとっては宝石にも等しいのだ。


 日々ただ脈打っているこの心臓が、誰かにとってはいくら出してもいいと思えるほど貴重なものなのだ。


「こっちは心臓渡すと死ぬんだ。何か見返りがあったっていいじゃないか。骨髄移植なんかは、自治体によって助成制度があるらしいんだし」


 あくまでレシピエント側からの〝個人的なお礼〟として、援助というほどでなくても、俺がいなくなった後の家族をくらい許されてもいいと思う。というか、もうちょっとなんらかの補助制度を設けるべきだ。

 まあそんなことを彼女に言っても仕方ない。


「父が、チェックを恐れて約束を守らないかもしれない」

「それこそ〝契約〟してもらうさ。ちゃんと書類にサインさせて、我が家の家宝として自宅に祀る」


 まだ俺が『HLS心移植適応ドナー』として国に登録する『契約』をした訳ではないし、この話は皮算用のようなものだが――


「別にそっちにたかろうって訳じゃない。俺がちゃんと契約守って死んで、そんでうちの家族が何か困った時、ちょっぴり援助してもらえればそれでいい。そのちょっぴりの額は知らんけど、あんまり依存しないように言い聞かせるさ」


 少なくとも弟妹が自立するまでは頼らせてもらうが、頼り切りになるのはマズいと思う。それで殻倉の方の財政が立ち行かなくなれば必要な時に使えないし、愛想尽かされてむこうから切られかねない。そういうのはサスペンスの定番だろう。

 ちゃんと、その辺の話は家族としっかりつけるつもりだ。


 ……まだ『契約』するかどうかも決めてないんだけどさ。


「理解できない。……自分が死ぬっていうのに」


 いのりは顔をしかめ、吐き捨てるように呟いた。


 まあ一昔前の俺もそう思ったのだろうけれど――


「ちょっと! いい加減その音楽とめてくれないっ」


 痺れを切らしたように、八つ当たり気味にいのりが怒鳴る。

 メイドがバックミラー越しにこちらを見た。こころなしか不満気な顔をしていたが基本的にはやっぱり無表情だ。鼻歌もやめて音楽を止める。途端に静かになる車内である。


 その車内に、俺の言葉がすとんと落ちる。


「親心ってやつかな」

「……え?」


 ぎょっとしたようにいのりがこちらを振り向く。いや、そうじゃなくて。変に敏い子はあらぬ勘違いをするから困る。


「君のの気持ちが、俺もなんとなく分かるから」


 ほのかに白い頬を染めるいのりちゃんである。この子を可愛いと言ったら俺はロリコン扱いされてしまうだろうか。


 別に俺はロリコンでもなければ子持ちでもない。ただ、母に代わって弟妹の面倒を見るようになってからというもの……そういう気持ちが湧くのだ。

 だから分かる。

 親としては、自分の子供には生きてほしいと思う。


 臓器移植のために募金を集め海外へ渡ることを悪く言う向きの人もいる。海外で手術を受けるのだって、誰かの臓器を使い、その国で〝順番待ち〟していた誰かの前に割り込むことになるかもしれないから。募金を使ったある種の臓器売買だと。


 それでも。

 ……それでも、と。

 どんな犠牲を払ってでも我が子を生かしたいと望むのだ。


 生まれて来たからには、幸せになってほしい。


 そうして生かされたことをいつか後悔するとしても、それがたとえ親のエゴでも。

 生きなければ後悔すら出来ないから。

 生きていればいつか幸せを掴めるはずだから。


 そう、信じて――


 それはそっくりそのままこの俺自身にも当てはまるとは分かっていても。


「だから」


 会いに行くのだ。



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