05 ありふれた現代病《ディストピア》(3)




               × × ×




 それは近い将来、ごくありふれたものになるだろう現代病なのだ、と。


「ある研究者によれば、このままいけば将来的に人間は自らの意思で生命活動を停止できるようになるそうよ」


 と、手にしたスマートフォンの画面をこちらに見せながら、殻倉からくらいのりは言った。


「……は?」


 見せられても、俺には彼女の言いたいことがさっぱりだった。

 いのりのスマフォに映っていたのはプログラムのコードかと見紛うほど画面いっぱいにびっしり映る英語の文章だったのだ。いのりの言葉を鑑みるに、何かの論文だろうか。


「何……? ……読めないの?」

「…………」


 まことに遺憾ながら。

 単語をかいつまんでなんとなく意味を察することくらいは出来るが、専門用語や固有名詞と思しき見たこともない単語もあって、ハッキリ言ってさっぱりである。

 どうやらこの子、ひとにカードを渡そうとするような頭の悪い子かと思えば、こういうお嬢様キャラにありがちなハイスペック設定らしい。


「これはHLSに関する論文」

「……なるほど」


 海外の論文ならネットで調べても見つからないというか、俺には得られなかった情報である。読めないし、見逃していたのだろう。……ということに納得した。だけどまださっきの言葉の意味はさっぱりだ。


「で……自らの意思で? 生命活動を停止できるようになるっていうのは……何? SFの話?」


 首を吊ったり飛び降りたり、自ら命を絶つ自殺……というのとは、ニュアンスが違うように思う。

 それはまるで、スイッチを切るように、自ら想うだけで心臓がその鼓動を止めるようになるかのような、それが当たり前の機能になるとでも言うかのような……。


「SFじゃない。HLSという病気が指し示す未来の人類の姿」

「……SFじゃん……」


 HLSは心臓と精神こころを冒す病のはずだ。いのりの言っていることとどことなく似ている気もするが――


「この研究者は、HLSは精神病の一種で、社会や自身の将来を悲観した若者が生きる希望を喪失した時に発症するものとしている」

「……要するに心の病気ってことか? だけど、実際に心機能に異常をきたしてる例もあるじゃないか」

「病は気から」

「……はい?」

「そういう言葉があるでしょ。現に世の中には精神的な問題から肉体的な機能に支障が出ているケースもある。過去のトラウマから喋れなくなったり耳が聞こえなくなったり、また、これは脳の異常によるものだけど、幻肢痛っていう、失ったはずの身体の部位に痛みを感じるという症例もある」


 以前テレビで「脳を騙す、脳に信じ込ませる」といった言葉を聞いたことがある。

 マジックだったりダイエット法だったり「科学ってすげー」と様々だが、要は人間は脳を騙すことで見えているはずのものが見えなくなったり、僅かな食事でも満腹になったりするようになるということだ。


 野球部時代はよく監督が「気合いだ気合い」と精神論で焚きつけてくれたが、確かに気分が冴えない時はパフォーマンスも悪くなるし、逆にテンション高いと何もかも上手くいく時がある。プロのスポーツ選手はそうしたメンタルを特に気にするものらしい。もちろんそのパフォーマンスも日々の練習があってこそで、メンタルは精神面まで完璧に仕上げたいという考えかもしれないが。

 恐怖で身が竦んだり、興奮して汗をかいたりと、精神の変化が肉体に影響を及ぼすという話は理解できるのだ。


 ただ、生きることへの絶望がそのまま心臓に悪影響を与え死に繋がることになるというのは、すぐには受け入れ難い話だ。


 それなら会社をクビになって路頭に迷ったり、恋人にこっぴどくフラれて傷心して絶望する人なんていくらでもいる。そのまま自殺なんて話もよくあるものだろう。そういう人たちもHLSを患っていそうなものだが。病が発覚する前に死んでしまったということなのだろうか。それとも、みんながみんなそうとは限らないのか。


「人間は進化するの」

「……俺ちょっと君との会話に不安を覚えてきたんだけど」


 未だ鼻歌をやめないメイドといい、何なんだろうこの人たちは。

 ……お金持ちって変わってるのかな。


「新人類って言葉、知ってる?」


 俺のぼやきに構わず、いのりはまたひとを不安にさせるワードをぶっこんできた。


「……なんか、新しい人類なんだろ」

「自分たちとは考え方や価値観が違う若者を指して、昔の人が言った言葉らしいわ」


 その「昔の人」がどれくらいの年代を指すのか俺には分からないが、まだそちらには含まれていないと思いたい。彼女からすれば俺も「頑固じじい」らしいから……。いのりが本当に高校生なら二つくらいしか変わらないと思うんだけどな……。


 それはともかく。

 彼女の言う新人類とやらは、そのもの俺がいのりに対して抱くイメージである。

 ……ということは俺、やっぱり「昔の人」になっちゃうのか?

 まあ弟妹の小学校での流行とか、話を聞いてもちんぷんかんぷんだったりするくらいだしな……。ジェネレーションギャップというやつだ。


「人間の価値観や精神性は時代を経るにつれ変化するし、外国との貿易だったり生活の豊かさによって食べるものが違えば標準とされる体型だって変わってくる。人間は進化するの。良くも悪くも」


 言いたいことはなんとなく分かってきた。

 他にも、技術の進歩で生活が便利になれば衰退する機能もあるだろうし、病気への抗体も生まれれば、免疫が低下することもあるだろう。

 親がそうであれば子にもそれが遺伝し、先天的に『現代的な体質』を持った人間が生まれてくるのだ。人はそうやって命を繋ぎ、進化していく。良くも悪くも。

 もちろん天才の子供が天才であるとは限らないし、両親ともにスポーツマンのサラブレッドが必ずしもハイスペックではないだろう。仮にそうでもスポーツをやらないかもしれない。まあ、今はそういう「親が子に与える精神的な影響」については割愛すべきか。



「そして、HLS発症者というのは――を持って生まれてきた、新人類ではないか」



 ……と、例の論文では述べているらしい。


「HLSに対する一つの仮説」

「……そのタイプの新人類が増えていけば、最初のSF話のようになる、と」

「そういうこと。そもそもHLSとは、新しい進化の兆候、だけど同時に、その進化の悪い側面」


 精神の変化がそのまま肉体に影響するため、生きる希望をなくすことで心機能の低下が起こっている――こころが、心臓と同調している。

 今はまだ〝完全〟ではないから、「死にたい」と思ってすぐに心停止する訳ではないものの、いずれはそうなるかもしれない。そういうことの人間が現れるようになるかもしれない。


「悪いことばかりでもないけど。それは自分の思うように自分の身体を動かせるようになるかもしれないってことだから」


 精神論や根性論っていうものが意味を持つ体質といえば呑み込み易い。

 心停止が出来るくらいなら、きっと通常なら出せない〝全力〟を引き出すことも可能かもしれない。


「プロのスポーツ選手の中には既にそういう体質を持った人間がいるのかもしれないし、そうであればまだ希望も持てるけど、この研究者は

「……というと?」

「経済や世界情勢の悪化。それらによる不安がHLS発症に繋がっているなら――このまま悪化が続けば、近い将来、ほとんどの若者がHLSを発症することになる」

「……それは、さすがに飛躍してないか……?」


 そもそも、『精神の変化が肉体に影響を及ぼす体質』は、HLSの存在から逆算した仮説に過ぎないはずだ。そういう体質だったから、未来に絶望してHLSが発症している、という。だけど今のいのりの話はその仮説を前提としているものだ。根拠がないと言ってもいい。


「先に説明したけど、元来人間は精神の変化がある程度肉体にも影響を及ぼす。つまり、世界情勢の悪化に不安を覚え、それが肉体に変調を起こし――例の『体質』へと進化しているのではないか。その『体質』は精神論の通じる希望的なものじゃなく、そもそも最初からHLSを発症するよう出来ているもの」


 ――『体質』=HLS。


 世界情勢の悪化がトリガーになって、特に感化されやすい人間がその『体質』に進化してしまっている。未来に覚えた不安がそのまま身体を冒すのだ。『体質』は、HLSは、この不安定な情勢下だからこそ生まれる歪みのようなものだと。

 このままの現状が続けば、やがて人類は希望を失い自ら未来を閉ざす。


 人のいなくなった無人の街を想像してしまう。

 今、車の窓から見えている景色から人類の消えた未来ディストピアを。


 ちょっとだけぶるっときた。


「で、でも、あくまで仮説だろ……?」


 世界滅亡だとか地球温暖化の話にも不安を覚える俺である。

 まるでもっともらしく語られてしまったものだから、ついリアルに思えてしまったものの、それらと違ってこっちは話題にもなってないし――


「そうだけど。でも、

「――――」

「少なくともあなたは感受性が強い人間。そういう人間が、HLS予備軍」


 そして実際、俺はドナーになりえる体質の持ち主。

 どういう訳か発症はしていないものの、するリスクはある。

 今の〝震え〟という結果が大きくなるようなら、俺もHLSに――例の『体質』になるのか。


 極端な話、その『体質』は、感受性の超強い人間ということだ。驚いたらショックを受けて心臓が止まってしまうようなレベルの。みんながみんなそうという訳ではないから、今は目立たず、HLSもごく少数しか確認されていない。


 だけど、いじめ、引きこもり、セクハラ、パワハラ……様々な社会問題が年々増加し、顕著になっているように、そうした人間は着実に増えているように感じる。それを苦に自殺する人間だっている。「死にたい」という想いがまるで身体を蝕む呪いのように、あるいはそれこそ病になって、本当に死んでしまってもおかしくないようにすら思える。


 世界情勢と言えばなんだか自分には関係ないもののように聞こえるが、それも所詮は学校や職場という『周囲の環境』を拡大したものに過ぎない。『世界情勢』と一括りにしているだけで、HLSの温床はもっと身近にあるのだ。

 このまま世界情勢の悪化が続けば鈍感な人間でさえいずれは未来に絶望するのではないか。

 そしてそこから逃避するように――心を閉ざすのでは。

 今だって――話は戻るが、引きこもったり自殺する人が後を絶たないのだから。


「……はあー……」


 不安に圧され、心臓が握られているかのように息苦しくなり、俺は胸に手を当て大きく深呼吸した。新車とミントの匂いがする。


「そのにおいやめて」

「……仕方ないだろ……」


 すー、はー、すー、はー……。

 顔をしかめるいのりの横で呼吸を繰り返していると、鼻腔に触れる甘い香りがあった。

 ……これは女の子の匂いか。鼓動が高鳴る。


「単純に、呼吸が浅い、息切れし易くなった、胸が痛む、動悸がする……それだってHLSの初期症状。私の話を聞いて病状が進行したのかも」

「お前は俺を殺す気だったのかよ……」


 いくら臓器提供させたくないからって――と、そこで俺は思い出す。

 壮大で暗澹たる未来を想像させる話につい呑まれてしまったが、今の話と俺たちの間にある問題が実際のところどう関わってくるのか?


 それに――



「HLSは、治せる病気だよな……?」



 ――希望はあるはずだ。



「~~~♪」


 ……ひとが真面目な話してるそばで鼻歌とかやめてくんないかな、マジで。



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