04 ありふれた現代病《ディストピア》(2)




               × × ×




 車内には会話のない沈黙と、音楽に合わせたメイドの陽気な鼻歌が響いている。


 一方で同じ後部座席に座っている女の子は耳にイヤホンをしていて、会話する気がないようだし、完全に自分の世界にいるって感じだ。そもそも車内音楽が流れているのにイヤホンってどうなのだろう。

 うちの学校に来るまでの道中もこんな空気だったのなら、この女の子とメイドの間には相当深い闇があるような気がする。

 というか仮にも主従関係……厳密にはメイドを雇っているのは殻倉からくら氏であってその娘ではないのだが、このメイドもメイドで音楽とか勝手にかけていいのだろうか。就業時間中じゃないのか。


 ……分からん。


 俺はなんだかいたたまれず、窓から外の景色を眺めるばかりだ。

 うちには車がなく、学校やバイト先もほとんど歩いて通える範囲のため、車に乗る機会がほとんどない。車内からの街並みは見慣れたものであってもどこか新鮮に感じる。たまに乗るバスからだと目線が高いから、赤信号で停まっても隣の車線の車の中とか覗けないし。


「あ」


 ふと思い至って、俺は鞄の中を探る。あったあった。ガムだ。息すっきりなやつ。

 車内とはいえ密室で女の子と……二人きりではないが、こういう環境だと少し自分の息が気になる。別に普段からいつかの朝のように臭い訳では断じてないものの、万が一ということもあるし、エチケットを気にして何が悪い。

 ガムを口に含み噛んでいると口の中に爽やかなミント味が広がり、吐き出す息も清涼感あるものに――



「それ」



 と。



「やめてくれる」



 例の女の子が誰ともなしにそう呟いた。


 すぐにはなんのことだか分からなかった。

 車内音楽が気に入らないのか、メイドの鼻歌が気に喰わなかったか……そこまで考えて女の子がイヤホンをしていることを思い出した。それでもある程度は周りの音も聞こえる訳だが。

 もしかしてガムを噛むくちゃくちゃいう音が気に障ったとか? 気を付けていたつもりなのだけど。

 ……今度からはタブレットにしよう――


「におい」

「……あぁ」


 納得。とはいえガムを出しても既に俺の息はすっきりミント。窓を開けるくらいしか対処のしようがない。その窓も後部座席からは開けないようで、赤信号で停車したのでメイドの方を見るが無視を決め込んでいるのかなんなのか、反応しない。

 それにしても、せっかく口臭対策したのにな……ままならないものである。


 女の子の方を見ると、相変わらず視線は手元のスマートフォンだが、右手はもうリズムを刻んではいない。


 ――ようやく口をきけそうだ。


「えーっと……」


 しかし、何をどう話したものか。まったく考えてなかった。

 既に殻倉氏から俺のことは聞いているかもしれないが、まずは名乗るところから始めるか。俺の方はまだ相手の名前も知らないのだから。


「俺は君代夜明きみしろよあけ。高三だけど。……そっちは」


 ……我ながら情けなくなるくらいにたどたどしい。

 バイトで接客には慣れているつもりだったし、最近は彩透さいとうとも挨拶を交わすくらいなのだから普通に女子とも話せると思ったのに。中学からこっち、野球部やってたもんだから男としか話してないもんな……。


 気まずさから視線を窓の外に向ける。そのタイミングで車が動き出した。


「心臓、ね」

「は……?」


 女の子がようやくこちらを一瞥する。それからスマフォを持った手を膝の上に置いて、右手で片耳のイヤホンを外した。冷え切ったような白い顔がこちらに向き、冷めた瞳が俺を映す。


「それとも、心臓売る人?」

「…………」


 彼女の口調に棘を感じた。俺は自分の顔が険しくなるのを自覚する。


「臓器売買って犯罪なのよ。死んだら地獄行きね」


 シニカルに口元が歪むが、目はまったく笑っていない。


 ……何なのだろう、この子は。


 俺はてっきり、彼女は心臓を……生きることを望んでいるのだと思っていた。

 だけど、違うのか。


「きみは……」

「違うから」

「……何が」

「勘違いしてるようだから言っておくけど、

「それって……」


 俺はバックミラーに視線を向ける。メイドの無表情が映っているが、彼女はこちらの会話には口を挟むつもりはないのか、まるで耳に入っていないとばかりに鼻歌を続けている。それにしても顔は全然楽しそうじゃないのに鼻歌とのこのギャップたるや……。


 メイドから女の子の方に顔を戻すと、今度は女の子の方が俺から顔を背けた。


「……殻倉氏の娘さん、じゃないのか? ……それとも――」

「私の名前は殻倉いのり。HLSを患ってるのは〝かいり〟の方」


 てっきり娘は一人とばかり思っていたが、姉妹だったのか。

 ではその、いのり――ちゃん? いのりさん? いのりちゃんでいいか――は、どうしてこの車に乗っているのか。見れば鞄が脇に置かれているし、学校帰りの送り迎えの最中といったところか?

 というか、今日のこのドライブは昨日の件とは関係ないのか?


「この車は……」

「心配しなくても、かいりの住んでるマンションに向かってる」


 一安心するが、今の一言から新たな不安のようなものが芽吹く。


 ……ということは、殻倉かいりは現在一人暮らしをしている?


 これまたてっきり娘さんは俺と歳が近い美少女を想像していたのだが……まあ、いのりちゃんは可愛い方なので容姿に関しては期待できるにしても、年齢は怪しくなってきたぞ?

 娘といえば子供という先入観があったけれど、いい歳したお姉さんな可能性も否めない。


「じゃあ、いのりちゃんは、」

「それやめて」


 こころなしか強めに否定された。反射的だったようにすら思う。それほど嫌だったのか。地味に傷つく。


「……呼び捨てでいいから」

「……じゃあ――いのり、は」


 初めてかもしれない、女の子を下の名前で呼んだの。小学生の時からクラスメイトの女子相手にも名字で呼んでいた子だったから……。せいぜいが妹くらいだろう。


 ちょっとした感動から噛みしめるようにもう一度、「いのりは」と口にして、


「どうして、ここに……? 何か――?」


 殻倉かいりに会うことは俺としては大事な要件で、もちろん殻倉氏にとってもそうなのだと思っていた。単に使いに出されたメイドが仕事にルーズで、別の娘の送り迎えも兼ねているだけかもしれないが――


「…………、」


 いのりが囁くような声で何かを呟く。車内音楽のせいで聞き取りにくいその言葉が俺の聞こえた通りなら、


「……いのちをだいじに」

「はい……? それはあれか、俺に発言は控えろって?」


 陛下の許しもなしに口を開くとはこの無礼者め、斬首にしてやる、みたいな。

 これからは発言するたびに「僭越ながら申し上げさせて頂きます」とか前置きしなければならないのか。


「心臓の提供をやめてって、言ってるの」

「……どうして」


 家族、なんだろ?

 心臓を移植しなきゃ死ぬかもしれないんだろ?


 俺もこの数日、殻倉家のことはもちろん、HLSについて調べたんだ。だから知っている。というか、はいどうぞと用意された資料一式に目を通すより自分で調べた方が信じられるだろうからと、殻倉氏は詳しい説明を省いたのである。

 で、検索してみた。あまり有名な病気じゃないから得られる情報は少なく、はっきりしたのは殻倉氏が言っていたことが真実で、想像以上に珍しい、世界的にもごく数例しかない奇病だということくらいだったが。


 普通の人の心臓が適応しないため、重篤状態になってもドナーが見つからずに移植できず、そのまま死んでしまうケースばかりで――死亡率98%だと。


「あんなやつ死ねばいいの」

「…………」

「お金が必要なら私が工面する。だから、」

「出たよ金持ち発言」

「…………」


 まあ姉妹間の問題にとやかくは言うまい。

 殻倉かいりに関する一意見、あくまで個人の感想です、として受け止めておこう。


「信じられないなら契約書にサインでもする」

「俺は中学生に貢がせるほど腐ってないから」

「高校生よ!」


 意外な突っ込みが入った。こちらを睨んだかと思うと、そっぽを向いて顔を赤くした。それからぼそりと、まるで拗ねたように、


「……じゃあカードを渡す。それなら、貢いだことにはならないでしょ」


 カードってどっちだよ。クレジットか? キャッシュか? どっちにしてもとんでもない提案だ。金持ちは金銭感覚とか危機感が狂っているのか、それともそこまでして――


「なんにしても――俺は誰かに言われて自分の意見を曲げる男じゃないんでね」


 うん、俺はそういう男である。


「……頑固じじい」


 失敬な。せめて頑固お兄さんと言えよ。語呂は悪いが。


 俺はただ、自分の目で見て判断しようというだけだ。


「じゃあ、客観的な判断材料をあげる」

「……?」

「これは専門家の一意見、単なる仮説。だけど馬鹿には出来ない」


 いのりは再びスマフォを手にする。


「あなたがそこまで頑固なのに、お金以外の理由があるとしても――」


 まるでこれでとどめを刺すとばかりに、彼女は少しだけ口元を緩めて、言った。



「HLSは、あなたが命をかけるほど重い病気じゃない」



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