03 ありふれた現代病《ディストピア》(1)




               × × ×




 ――会ってみよう。そう思って、俺は受け取った名刺にあった番号に電話をかけたのだ。



 考え続けていても答えは出ない。

 そもそも、考える……迷うということは、俺の中にあの申し出を受けてもいいという想いはあるのだ。しかし、決断することに踏ん切りがつかないのである。


 家族は大事だ。

 母は元々病弱で――亡き父との出逢いも病院だったというくらいだから――働きに出るのは難しい。これまでは父親の遺産で食いつなぐことが出来たが、それも無限にある訳じゃない。母の治療費のこともあるし、小学生の弟と妹はこれからもっとお金がかかるだろう。俺一人の稼ぎでそれら全てを賄える自信はない。

 今でこそ運動部で鍛えた体のお陰で倒れることなくいくつものバイトを掛け持ち出来ているものの、それがこれから先も続く保証はないのだ。いつ無理が祟って倒れ、働けなくなるともしれない。

 そうした事情を鑑みるなら、殻倉からくら氏の提案は願ってもないものだった。


 ただ――その対価は、俺の心臓。

 つまり、命。


 家族のために死ねるかという話になる。


 ……迷う。


 やっぱり、命は惜しい。惜しいというか、特に不幸な人生を送っている訳でもないのに、「死にたい」と積極的に思う人間はそんなにいないだろう。

 まあ、我が家の現状を「不幸」と見る向きもあるかもしれないが、当事者の俺はそう感じていないのだから、「死にたい」なんて思う謂れはない。そう思うのは親不孝というやつだろう。


 だけど、俺には特に「生きたい」と想う理由がないのだ。


 将来の夢や明確なビジョンもなければ、マエダのように好きな相手がいる訳でもない。

 死ぬまでに彼女の一人くらい欲しいとは思うし、やることやりたいなんて年相応に考えはするのだが、やることはいっときのもので、彼女が出来ても「その先」が俺には見えないのだ。想像は出来るが、その想像に落胆する自分がいる。


 ただ、目標ならあった。

 中学の時から続けてきた野球。高校でも野球部に入って、甲子園を目指していた。

 それで特に食っていこうという訳でもなかったけれど――部には優秀なピッチャーがいて、俺はそいつを甲子園で華々しくデビューさせたかったのだ。甲子園で活躍すればその先の道も拓けるだろうから。


 ……しかし。


 昨年、ちょうど母が病に倒れた頃、俺たちは甲子園にとても近いところにいた。

 念願の甲子園出場を、そのチャンスを――俺が棒に振ったのだ。

 極度の緊張のせいか、ぶっ倒れて試合の流れを悪くし、俺たちは甲子園を逃した。


 母の治療費を稼ぐために部を辞めバイトに没頭し始めたのはその頃だ。

 責任を取って退部したと言えばまだカッコがつくのかもしれないが、家庭の事情を理由に逃避したという自覚はある。


 俺の目標は……夢は、今やもうない。

 あの日以来、毎日が忙しなく過ぎていく。

 恋だなんだと現を抜かす暇もないくらい、「自分」を削って生きている。


 今のようにいくつものバイトを掛け持ちするよりも、いっそ心臓を提供してしまった方が――なんてこの想いは、家族のためなんかじゃなく、こんな現状を投げ出したいなんていう逃避のように思えて、自分が嫌になる。


 俺をこの世に繋ぎ止めているのはそんな想いを否定したい気持ちと、生存本能のような漠然とした何かに過ぎなくて。

 だから、迷っている。

 踏ん切りがつかない。


 それなら――決断するための寄る辺を、他人に委ねてみようと思ったのだ。


 心臓を渡す俺ではなく、受け取る側に。


『それは――』


 ――殻倉氏は少しの間、答えるのに逡巡していた。


 それもそうだろう。


 だって、俺がそのHLSを患っているという殻倉氏の娘に会うのは――誰を殺して自分が生きていくことになるのかを知り、俺は誰を見殺しにして生きるのかを知ってしまうということだから。


 それでも、会ってみたい。

 一目くらい見たっていいじゃないか。漫画の台詞じゃないけど、俺の心臓を捧げるかもしれない相手なのだから。


 そして――


 男の子なら誰もが一度は夢に見るだろう。自分には何か特殊な能力があって、その能力で女の子を助けるのだ。

 俺のそれは生憎と戦ったり誰かを守れるようなものではないけれど、結果的に誰かの命を明日に繋げることが出来る――ヒロインを助けられるのだ。


 君のためなら死ねる……なんて、そんな台詞を言って、有言実行してみたい。


 まあ、相手にもよるが。

 つまるところはそういうことで、俺はその娘さんがどんな人間かを知りたいのだ。

 ちゃんと自分の目で。


「バイトのない日ならいつでも。ちょっと会って、少し話せればそれで」


 夜、弟妹に聞かれないように自宅マンションのベランダに出て俺は殻倉氏と電話している。

 殻倉氏はなかなか答えを出さなかった。


 けれど、やがてその重い口を開く。


『分かった』


 ――俺はこの翌日、知ることになる。

 どうしてこの人がこんなにも俺の提案に渋っていたのか、その真相を。




               × × ×




 唐突だが、このメイドは恐らく殻倉氏が寄越した迎えだろう。


 俺はそう判断し、周囲の視線を感じつつ黒い車に近付く。


「ちょっ、おい、きよたん……? え? 何この状況? お前VIPだったの? それは違うか。じゃあ何? 拉致? 誘拐? 借金のカタに? そういえばお前ん家って貧乏なんだよな? え? マジ?」

「貧乏ゆーな。普通の家庭だよ」

「じゃああれだ、ヤバいバイトしてるんだお前……! 顔はいいから、どこかの体を持て余した金持ちのおばさんに……!」

「どう飛躍したらそうなんだよ。というかやめれ、変な噂が立つ」


 うるさいマエダに構わず、俺は車に乗り込もうとする。外から見るとコンパクトというか小さめの車体だが、中は思ったよりも広々としていそうだ。やっぱりCMで見たことある。新車だった。


「ていうかきよたん、オレの告白サプライズの協力は……!?」


 知るかよんなもん、とでも突き放してやろうかとも思ったが。


「大声出すなよ、サプライズなんだろ。それこその耳に噂が届くぞ」

「ばっ、彼女ってお前、まだそんなんじゃねえよ……!」

「彼女だろ」


 言ってやるのだ。



「俺が告白に協力すんだから、もう彼女になったようなもんだろ」



 君代きみしろ……! と、マエダが感動したような声を上げる。


 俺は振り返らずに、軽く手を振った。ちょっとした優越感を覚えながら後部座席に乗り込む。メイドがドアを閉めた。


「……これで俺に何かあったらあいつがなんとかしてくれるはず」


 協力すると言いながら、これ以降俺から音沙汰もなければ、マエダは俺を探すなり俺の知人に今のこの一件を伝えるはずだ。そうすれば突然の失踪なんて事態は避けられるだろう。なんらかの形で捜索の手が伸びる。

 その時にはもう、車で送られた先で俺は心臓を奪われ死んでいるかもしれないが。

 それでも、俺の死は世間に明らかになり、家族にも知れ渡るはずだ。

 諸々の賠償金もとれる……はず。


「……と」


 そこで俺は気付いた。

 俺の他に、一人分のスペースを挟んで――後部座席に誰かが座っている。


「…………」


 たまにバイト先で見かける他校の制服に華奢な身体を包んだ、色素の薄い長髪を頭の両横でツインテールにした女の子。

 中学生くらいだろうか。幼さを感じさせる、不機嫌そうな横顔をして、視線は左手に持ったスマートフォンに注がれている。投げ出された右手の指がシートを叩く。リズムをとるようなその動きで気付いた。ツインテールに隠れた耳のあたりからコードが伸び、スマフォと繋がっている。


 見るからに年下だが、だからこそ可愛らしいと思える女の子である。


 ……この子が、そうなのだろうか?


 だとすると、なるほどその横顔はお金持ちの家の我が侭お嬢様感が滲み出ている。

 シートベルトをちゃんとしているあたりも育ちの良さを窺わせた。俺も見習おう。


 そちらを気にしつつ俺が居住まいを正していると、運転席にメイドが乗り込んだ。ちらりと見れば、バックミラー越しに目が合った。


 確認するまでもないことだが、どうやら彼女が運転するらしい。てっきり運転手は別にいて、メイドはここまで助手席にでも乗っていたのだろうと思っていたのだが。

 ついでに言えば、バックミラーにはキーホルダーのようなものが下がり、運転の邪魔にならない程度にフロントガラス前にはぬいぐるみが置かれていた。この車は彼女のものなのかもしれない。


 カーナビも搭載されていて、メイドが何か操作したのだろう、オーディオから音楽が流れだす。聞いたことのない明るいポップス。女性ヴォーカルの弾むような声。知らない曲だが……なんだろう、まさかアニソンじゃあないよな……?

 ともあれ、ここまでいろいろ自由にやっているということは、この車はメイドのもので間違いなさそうだ。


 ――うちで働くメイドの乗る車は新車に決まっているだろう?


 殻倉氏のそんなさりげないお金持ちアピールを感じる。

 対価を支払うだけの資金はあるから安心しろ、ということだろうか。


「発進します」


 エンジンがかかり、車が動き出す。

 窓から外を見ると、校門前にはまだマエダが立っていて、俺に手を振っていた。視界が進む。グラウンドを走る野球部員が見えた。目がいいのかなんなのか、その内の一人が――春休みの間だけ同じファミレスでバイトをしていた後輩が――まるで俺に気付いたような顔をしたが、お互い確認する間もなく車は学校を後にした。


 さて――話は動き出してしまった訳だが。


 この車はどこを目指しているのだろう。それとも、車内で顔をあわせ話をするためのドライブで、特に目的地はないのか。終わったら自宅まで送り届けてくれるだろうか?

 幸いというか、こちらのシフトを把握した上なのかもしれないが、今日のバイトは夜のコンビニで、時間には余裕がある。気が済むまで話せるだろう。


「…………」

「…………」

「~~~♪」


 ただ……相手に話すつもりがあれば、だが。

 それにしてもメイド上機嫌だな、おい。



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