02 さりげなくプライベート
× × ×
ハートレス症候群――通称HLSという病気がある、らしい。
それは生まれつき人より心臓が小さく、また心機能も通常より劣るという物理的な症状があり――運動などが人並みに出来ないという日常生活に支障をきたすことはもちろんだが、
「無気力状態、意志薄弱、そして最終的には……意識消失。眠ったまま目覚めなくなり、それに呼応するように心機能も停止する」
HLS――それは、肉体的な心臓を、精神的な心を蝕む原因不明の病。
「この病を治す方法は……他人の心臓を移植する他ない」
バイト先のファミレスに現れた紳士――
そこまで来て、俺はようやく先の――「心臓をくれないか」という猟奇的な言葉の意味を悟った。
「私の娘に、君の心臓を提供してくれないか」
「えっと……はい?」
意味を悟りはしたのだが、どうして俺なのだろう。そんなもの俺じゃなくても他にいくらでも――いや、人の心臓なのだから、提供するという人も少ないだろうし、そうしたドナーは順番待ちだと聞いたことがある。
しかしだからと言って、個人にこうして直談判しにくるものか?
そもそも、俺は保険証なんかの裏にある臓器提供云々にサインしたこともないし、誰かに自分の心臓を提供するだなんてこれまで考えたこともなかったような人間だ。
どうして俺なのか。
「あ」
と、俺はふと気づいた。
これは――どっきりだ。
バラエティ番組によくある、何も知らない相手に悪戯を仕掛けて驚かせるというあれだ。
俺みたいな一般人がそんなはず、というのは「自分の身に起こるはずがない」という犯罪や災害に対する危機意識の欠如に通じる。そうした楽観は自惚れのようなものだ。そう思うから引っかかる。最近じゃ一般人を狙った番組も増えているのだから、これがそうじゃないとも言い切れない。
だって、いきなり心臓をくれはいくらなんでもおかしいだろう。
きっとこれは「もし自分の心臓をくれと言われたら、人はどういう反応をする?」といったような趣旨のモニタリング的なあれだ。
俺はそれとなくカメラを探して、意識して、無様な姿をさらさないよう努める。
……もしかするとバイト仲間全員がグルかもしれない。人を信じられなくなった。
ともあれ、まずはとりあえず――戦略的撤退を。
「えーっと……すみません、あの、お客様? 仕事がありますので……」
都合よくどこからかオーダーでも入らないものかと視線を巡らせつつ、紳士の席から離れようと後ずさる。
「では、注文しよう」
「……はい? いや、あの」
ハンバーグ定食、まだ手も付けてないじゃないですか。
戸惑う俺に構わず、紳士はメニューを開き……、
「そうだな……この『とろり濃厚チーズカツ定食』を」
「チーズ、カツ……定食……?」
いやいやいや、いくらなんでも、ハンバーグ定食に加えてそれは無理だろう。重すぎる。チーズだぞ。カツだぞ。ハンバーグ定食と二つ合わせてご飯何杯分だと。割と量あるんだぞ、目の前のそれ見て分かるだろ。ひと昔前の俺だってぎりぎり食べられるかどうかというメニューを……この中年男性が?
「君が注文を持ってきてくれ。その時にまた話そう」
「う……承りました……」
俺が頷くと、紳士はもう話は終わりだとばかりにハンバーグ定食を食べ始める。俺はしばしその紳士的かつ豪快な食べっぷりに気圧されてから、オーダーを厨房に伝えにいった。
「……ね、ね? どうだった? あの、お・じ・さ・ま」
オジサマスキーな先輩が寄ってくるが、構ってやれる余裕は今の俺にはない。
チーズカツ定食が出来上がるのを待ちながら、窓際の席に座る紳士の食事を遠目に眺める。
……黙々と、着実に平らげている。
「ねえったらー、なんの話してたん? んー?」
「…………」
あの人はいったい何を考えているのだろう。
まさか食べ物を粗末にするような真似はしないと思いたいが、しかしそうだとすれば、話を終えるまでいくらでも注文し、それを平らげるつもりなのだろうか。
「まさか、な……」
隣で先輩がむくれている間に、紳士はハンバーグ定食を食べ終え、俺は出来上がった『とろり濃厚チーズカツ定食』を紳士の元に運ぶ。
このメニュー、カツ自体は薄いものの、チーズの濃厚さが胃に溜まる強烈な一品であり、白米も大盛りだし、一見ヘルシーに見えるサラダのセットも実は具だくさんでこれだけでも人によってはお腹いっぱいになるようなものだ。
それをででんと紳士の前に置く――
「さて、話の続きだが……」
「……続くんすね……」
「今日、私がこうして君の前に現れた理由を説明しよう」
つまり、俺がドナーに選ばれた理由を。
「君は先日、病院で検査を受けたね?」
「え? なんでそれを……」
やはりこの紳士、どこかの社長で権力を持て余しているのか……?
検査というのは……これもなんの因果か、臓器提供に関する事前検査だ。
病気の母親を治療するため、俺は自分の臓器を使えないかと考え、検査してもらったのである。心臓と違って別に提供して死ぬわけではないから、割と軽い気持ちで検査するだけしてみたのだが――不適合だった。
その理由が、もしかすると今回の話と繋がるのかもしれない。
「話は戻るが、HLSとは言ってしまえば突然変異のようなもので、そもそも我々とは人体のつくりが異なるとさえ言われるような奇病だ。そのため普通の心臓では適合しない」
「じゃあ……」
俺の心臓は、普通でないと?
……確かに、心臓だけでなく他の臓器にも病気とは異なる異状が見つかったと、再検査させられたのだが――
「君はまるでHLS患者のドナーになるために生まれて来たかのような、特異体質の持ち主なんだ」
……………………。
逆に言えば、HLS予備軍とも言えるが、無気力や意志薄弱といった目立った症状を発症していない、ある種の抗体を持った体質……らしい。
「私はこの数年……娘にHLSの兆候が見られ始めてからというもの、君のような体質の人間を探してきた。そしてようやく、先日ヒットしたのだよ」
「…………」
なんの因果だろう、まったく。
「今日ここに来たのは……君が明日、18歳の誕生日を迎えるためだ」
「……あぁ、そういえば」
「HLSは特殊な病気のため、臓器提供に関しても特殊な法律が設けられている。それが、ドナーの年齢が18歳以上であり、本人の意思のもと提供が行われること……国によっては成人以上が求められるところもあるが……」
……別に、だからどうしたという話だ。
俺が誰かのドナーになれるから、だからどうした。別に必ずしもその話を受けなければならないという訳でもないだろう。
その結果、見も知らぬどこかの女の子が死ぬようなことになったとしても。
しかし俺は、そこに希望を見いだしてしまった。
この人は恐らく――
「……これは一般の臓器提供に関しても言えることだが、提供に関して金銭等の授受は許されない。それは臓器売買になってしまうからね」
「…………」
紳士は冷めつつあるチーズカツ定食に視線を落としながら、
「だが、援助という形で……君のお母さんの治療費を出すことは出来る」
「…………」
「君が望むなら、他にも手を回そう」
たとえば、残される二人の弟妹のことを。
家族のこれからを。
そんな
「……俺、仕事がありますから、この辺で」
中年紳士の胃袋を心配して最後まで聞くことにしたが――今度こそ話は終わりだろう。あるとしても俺の説得くらいだ。
「次の注文をいいかな」
「……まだ食うんですか……。ていうか食べられるんですか」
「私はこれでも殻倉の人間だ。旺盛な食欲を日々持て余しているくらいだよ」
「…………」
この人もしかして、どこかの大食い選手権の常連か何かだろうか。あとで調べてみよう。
「これも娘のためだ」
「頑張る方向違くないですか?」
――俺はこのあと、紳士、殻倉条佳氏から連作先の書かれた名刺を受け取り、
「お会計は……」
「カード、ブラックで」
これ見よがしなお金持ちアピールを見届けたあと、別れた。
× × ×
「なあなあ、いいじゃんかよー。ちょっとイケてるサービスしてくれれば」
「イケてるサービスってなんだよ。それで相手が俺に惚れちゃったらどうすんの」
「それはない」
「……どこからくるんだよその自信は……だったらその自信のままアタックしちゃえよもう……」
――放課後。
朝からしつこいマエダに絡まれながら、俺は校舎を出る。
「オレも一肌脱ぐからさあ、お前も一肌脱いでくれよぉ、頼むよぉ」
「キモい」
「ばっ、そんな意味じゃねえよ!」
「照れんなよますますキモいから」
告白の協力を頼み込んでいるが実は、その相手は俺でした……みたいな展開を想像して寒気がした。
……どうせなら女子とこういうやりとりがしたかった。
「はあ……」
……だいたい、ファミレスに誘えるくらいなんだから、相手もその気があるってことじゃないのか。だったらもう当たって砕けろよ。
「告白にインパクトっていうか、なんか印象に残ることしたいんだよー。具体的にはサプライズをくれ」
「具体的じゃねえよ」
お前がほんとに砕けたらさぞインパクトあるだろうよ。
「……料理に指輪でも仕込めって? 訴えられたらどうすんだよ」
「それはプロポーズだろ?」
「それくらいしか浮かばないんだよ。あとは……そうだな、俺が悪役やって、それをお前がスカッと退治するとか。……なんかムカつくな」
「でも頼もしさはアピールできるぜ。よしそれにしよう!」
「そんな悪役と今こうして一緒にいるところが知られたら、むしろ逆効果になると思うけどな?」
自分で言い出しといてなんだが、やっぱり悪役はやりたくない。この場合の悪役といえばやはり、『嫌な店員』だろう。店の評判に関わる。
と、そこで俺は閃いた。
「……誕生日とか?」
サプライズといえばやっぱりそれだろうと、我ながら名案だと思ってあえてタメを作って言ったのだが、
「まだまだ先だよ馬鹿野郎」
「お前ひとにもの頼んでおいてどういう態度だよそれは」
「……ず、ずみません」
胸倉掴んで揺さぶるとさすがのマエダも大人しくなった。
別に俺はこの程度のことでキレるような子じゃないのだけれど。
ちょっと静かにしてほしかったのだ。
いつもの風景に何か違和感があった。
進行方向に――
「……なんだあれ?」
マエダもいい加減それに気づく。
何か……校門前がざわついている。
人だかりというほどではないが、何人かが立ち止まって携帯で写真を撮ったり、こちらからは見えない向こう側に隠れる何かを見て囁きを交わしながら通り過ぎていくのだ。
「芸能人……がいるって風じゃあないな? どっちかっていうと……」
「マエダみたいなのがいるっぽいな?」
「
じゃれ合いながらも着実に校門に向かう。
果たして、そこにいたのは――
「めい、ど……?」
校門脇にいたのは、メイドとしか表現できない格好をした女性だった。
二十代くらいだろうか、真面目そうな顔をしながら、身に着けているのはクラシックな白と黒のメイド服。白い額を見せるように前髪を分け、長い黒髪を二つにまとめており、頭に乗った白いヘッドドレスがよく映えている。
似合っているようにも見えるがコスプレ感も同居した彼女は、スマートフォン片手に突っ立っていて、時折顔を上げては――野次馬たちを威嚇するように「しっ」と声を出し睨みをきかす。
……何なんだろう。
近くに見慣れない……いや、最近テレビのCMか何かで見た覚えのある黒い新車が停まっているが、あそこに『ご主人様』でも乗っているのだろうか。
戸惑う俺と違って、隣のマエダはなぜか感動したように声を詰まらせていた。
しばらくぷるぷる震えてから――
「メイドさんじゃんマジかよ!」
「馬鹿っ、マエダ声大きいんだよ……ていうか『メイドさん』ってお前――あっ、ほら、こっち見た……っ」
メイドが顔を上げ、俺たちに目を向ける。ゲームでもしているのか視線を一度手元のスマートフォンに落としてから――確認するようにまたこちらを見た。目が合う。
……嫌な予感がした。
「お、おいきよたん、こっちくるぞ……どうする? 逃げる?」
「お前のせいだよ馬鹿っ。お前ちょっとこっち立っとけよ。俺その間に逃げるから」
「囮!?」
などと、押し問答している間にも――
「
はい……?
固まる俺とマエダ。メイドは手にしていたスマートフォンの画面をこちらに突きつける。
そこには――どういうアングルから撮ったのか、薄暗い場所に立っている俺が映っていた。まるで斜め上から俯瞰するような写真だ。恐らくバイト中のものだろう。店の裏にゴミを出していたのだ。
スマフォを持ったメイドの親指が画面を滑る。
写真がスライドし――これまた斜め上からのアングルで自撮りしたのだろう、目の前の彼女がメイド服姿でピースしている写真に切り替わる。無表情なのにどことなく楽しそうだと感じる顔をしていた。完全にプライベートな写真だがこれはいったいなんだろう。
「……おっと失礼」
対応に困る俺たちを見て、メイドは写真が変わっていることに気付いたらしい。特に動じた様子もなく、スマートフォンを仕舞った。
「……えーっと……君代は俺ですけど……?」
名乗るのには抵抗があったものの――
「そうですか」
メイドは頷くと、そそくさと俺たちから離れ――近くに停めてあった黒い車に向かう。その後部座席のドアを開き、軽く頭を下げた。
「お車を用意しております。どうぞご乗車ください」
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