エピソード 1
01 「君の心臓をくれないか」
あれから数日、ずっと考えていた。
どうしたらいいのか――堂々巡りで答えは出ない。
教室の喧騒もどこか遠く、その真ん中近辺の席に座っているにもかかわらず、俺は周囲のクラスメイトたちとの間に疎外感を覚えていた。
――だって、こんなこと誰に相談できるだろう?
「……はあ」
最近頻繁にこぼれるため息は、月曜朝ということで気だるげな生徒たちで溢れる教室の中で誰にも気付かれず消えていく――と、思いきや、
「どしたんきみがよー、朝から暗い顔して」
それを掬うような声に顔を上げると、今登校してきたのだろう、鞄を肩に担いだクラスメイトAが俺の手元を覗き込むようにして立っていた。
「10連ガチャ回して目当てのキャラ出なかったとか?」
やつが見ているのは直前まで俺が触っていたスマートフォンだ。
俺はそれとなく画面をスワイプ、開いていたサイトのページを閉じた。
「まあ気にすんなよがよたん。オレなんて課金しても☆5とか出ねえから」
がよたんとかきみがよとか好き勝手呼んでくれるが、俺の名前は
ちなみにその『きみがよ』というあだ名は、小学生の音楽の授業の際に誰かが俺のことを『君が代』と呼んだのが始まりで、その後もなんだかんだで高校三年生になる現在まで周りは俺のことをそう呼んでいる。なぜだ。こいつなんて小学校どころか中学校さえ違うのに。
「マエダ」
「マエダじゃねえよ、
「その実重田が俺に何か用かよ」
口はきいても別にそこまで親しくはない、友達かどうかと言われたらぎりぎり友達だろうというレベルの知人だ。故にクラスメイトA。
そのクラスメイトAことマエダは、さっさと自分の席にいって鞄を置けばいいものを、俺の前の席の椅子に座ると、
「ちょっときみよたんにお願いがあるんだけどさ……」
茶色く染めた短髪に、軽薄そうな笑みを口元に張り付けたマエダは、悪く言えば遊んでそうに見えるのだが、これがなかなかどうして――
「オレの告白に手ェ貸してくんない?」
一途で、片想いに胸を焦がしている純情文学青年だったりするから笑える。
今も周囲を気にするように顔を寄せて声を潜め、真面目な表情を作って俺に話しかけていた。
「告白って、急にどうした」
「いや……オレたちももう高三じゃん? 受験じゃん? いろいろ忙しくなってくるからさ……ここらで、決着っていうか――うまくいけば、学生生活最後の一年を華やかに過ごせるだろ? 一緒に勉強したりさ」
「……しくったら?」
「その悲しみを受験にぶつける」
「お前……」
良いやつという表現は何か違う気がする。真面目、とでも言っておこうか。
「……少なくとも、告白しないまま終わるって選択肢は絶対ダメなんだわ。それじゃ受験も手ェつかないだろうし、後悔引きずったままじゃこれも良い思い出でした、なんて笑えない」
「…………」
話は分かったし、出来ることがあるなら……なんて、自分の事情も棚に上げて思うのだが。
どうしてそんな話を、恋愛マスターでもなければどちらかと言えばぎりぎり友達なんて言っているような俺にするのか。そこが疑問だった。
「きよたん氏、ファミレスでバイトしてんじゃん?」
「あー……」
なんとなく見えてきた。
「そこでだな――」
と、
「おはよ」
タイミング良くというか、マエダからしてみれば会話を遮るように、俺の後ろからそんな素っ気ない声がかかった。マエダが変な顔して見上げるので、俺も振り返る。
二つ後ろの席で鞄を下ろす、黒いジャージ姿で……一見すると、男だか女だか分からない人物が立っていた。
体格はすらりと細く、割と脚が長い。ただ立っているだけでも凛として見えて、格好いいとも美しいとも表現できる容姿をしている。
色の薄い黒髪のショートと白い肌に彩られた、中性的で可愛らしい顔には澄ました表情が浮かび、何を考えているのか分からない。視線に気付いてこちらに向ける瞳には不思議な色が湛えられていた。
「おはよ」
さっきと変わらないトーンで繰り返す。どうやら先ほども今も俺たちに向けて挨拶していたらしい。
「……うす、
「おーっす……?」
いまいち掴みどころのない相手で、俺もマエダも返事が微妙なものになる。
彩透は何事もなかったように鞄の中身を自分の机に移し替え始めた。
「……え? 何? きみよたんあいつと仲いいの?」
マエダがまた声を潜める。
仲がいいかと言われれば、そうでもない。マエダとはなんだかんだで三年間同じクラスだが、彩透とは今年が初めてだ。それまで面識もなかった。
ただ、同じクラスになってからというもの、今のようにむこうからよく挨拶してくる。それだけで、特に何かある訳でもなく、本当に朝挨拶を交わすだけの間柄だ。
「……ていうかあいつ、マジで男じゃない?」
「なんだよ、何か不都合でもあんのか?」
「いやぁ……ほらさ」
俺はちらりと後ろを振り返る。彩透は机の上に腕を投げ出し、椅子に背中を預けてぼんやりしていた。目が合うが、その視線は俺を見ていたというよりただ前方に向けられていただけのようだ。
「……ないから」
「そうかー?」
まあ、可愛いとは思うけど。
ちょっと謎すぎて、近寄りがたい。
「それより――」
俺は話を元に戻そうとして、やめた。面倒なことになりそうだったからだ。
「あぁそうだそうだ、マイペース不思議空間に取り込まれるところだった」
「空間っていうか空気な」
「オレからきみよたんにお願いなんだけど……」
「キモいからパス」
「待てや」
「逆に」
と、俺は意味もなく机の上のスマートフォンに触れながら、
「お前の話を聞くとして、マエダ……代わりにお前、俺のために死ねる?」
「少なくともひとの名前を間違えるやつのためには死ねない」
「死んでくれたら金出す」
「そんなにウザいかオレ!?」
「自覚があるなら改善しろよ」
別に死んでほしい訳でもないし、このウザさには慣れっこだけど。
「たとえばの話。お前が死ぬ代わりに、金払うっていう人が現れたらどうする?」
言い値を支払うと言う、黒いカードを持った人が現れたら。
「まずオレは……告白するまで死ねないし、金もらうったって自分のものにならないんじゃしょうがないだろ」
「……そうか」
冗談みたいなやりとりの中ぶっこんだたとえ話にもかかわらず、マエダは真面目に答えてくれた。
「何? 小説でも書いてんの、きみよたん」
「……いんや」
……ちょっとした、悩み事だ。
× × ×
――数日前のことだ。誕生日の前日。その人は、突然現れた。
その日はファミレスのバイトが夜まであって、その人は夕食時を少し過ぎたあたりに、他の客と変わらず来店した。
いや、来店自体は特に何か変わったことがあった訳ではないが、その人は〝普通の客〟とは明らかに異なる雰囲気をまとっていた。
家族連れや学生なんかがよく利用する店に、高価そうなスーツを着て現れたのだ。もっとこう、洒落たレストランで食事をするのが絵になるような、そういう紳士めいた男性だった。
その人の来店はすぐにホールスタッフの間で噂になった。その人の注文を誰がとりにいくかを押し付け合ったりした挙句、じゃんけんで負けた後輩がオーダーをとったのだが――
「……なんか、先輩に用があるみたいっすよ……?」
そう言うので、注文のハンバーグ定食は俺が運ぶことになった。
近くで見るとその人は本当に場違い感の凄まじい、上品で気品溢れる男性だった。
その時の俺は外食チェーンを全国展開しているどこかの会社の社長かと本気で思って、「俺をスカウトに来たのかも?」なんて馬鹿な想像を膨らませていた。だいたいなんのスカウトだと思っていたのか。
妥当なところでこのチェーン店を運営しているグループの人間で、店の様子を視察に来たと考えるべきだろう。
結局そのどちらでもなく――
「君代夜明くんだね?」
中年男性と言うとイメージにケチがつきそうだが、そのくらいの年齢で、大人の色気というか渋さを感じさせる低音ボイスが俺の名前を呼んだ。
「は、はい……そうですが……」
完全に委縮しきっていた俺に、その人は微笑みかけて、
「実は君に折り入って頼みがあって、今日はここを訪れたのだ」
マジでスカウトか!? と、俺の緊張はその時ピークに達していて――すぐには、彼の言葉の意味を呑み込めなかったんだ。
「君の心臓をくれないか」
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