コバルトブルーの想い出

コバルトブルーの想い出

 西日の差しこむ窓のすぐ傍、パチパチと火花の弾ける暖炉の前に、くすんだ白のロッキングチェアが揺れている。そこが、彼女の特等席だった。

「あら、また来たの」

 あなたも物好きね、と柔和に微笑む彼女は、グレーのロングスカートに隠れた膝の上に、赤紫のチェックのストールを掛けている。オレンジの陽を吸い込んで朱色のように見えるセーターは、実のところ淡いクリーム色だ。

「わたしには、淡い色の召し物で十分なのよ」

 彼女はいつも言うけれど、私はそうは思わなかった。もともとモデルのように華やかで、くっきりとした顔つきをしている彼女は、きっとビビッドな色合いの服装でもよく似合うだろう。化粧だって施せばきっと映えるだろうに、全くもったいないことをしているな、と、私は会うたびいつも思う。

 ロッキングチェアに座った彼女より少し離れた位置に、小さな木の椅子が置いてある。いつものように、私はそこへためらいなく腰掛けた。

 私を眺めていた彼女が、可笑しそうにクスリと笑う。

「なんだか、アンバランスねぇ」

 貴方、そんなに立派なスーツを着ておいでなのに。

 ふふふ、と口元に手を当てる彼女。アンバランスなのは貴女の方でしょう、と言いたい衝動に駆られたが、ただ口元に笑みを浮かべるだけで留めておく。私はお褒めに預かった自らの三つ揃いスーツの上着を脱ぐと、ためらいもなく自らが座っている古い椅子の背に掛けた。

 とは言っても、彼女の部屋に暇つぶしになりそうなものはない。まぁ、いつものことなので気にしないが。

 私はぼんやりと頬杖を突きながら、窓際の彼女を眺める。

 私がこの部屋に来ると、いつも彼女は編み物をしている。小物だったりストールやマフラーだったり、手袋や帽子だったり、作っているものは日によってさまざまだ。使っている毛糸の素材も、色もまた然り。

「貴方もつくづく、変わり者ねぇ」

 視線は手元にやったまま、彼女がゆったりと口を開く。「何がです」と問えば、彼女はまたふふふ、と笑った。

「こんな山奥まで、よくおいでになること」

「貴女に逢いに来ているんですよ」

「御冗談を」

 クスクス、と声を立てながら、身を屈めて彼女は笑う。

「貴方ほどのお美しい容姿と御立派な肩書きをお持ちなら、他に有意義な娯楽場などいくらでもございましょうに」

「それは私が決めることですから」

「本当に、変わったお方」

 その柔らかい笑みが、私の癒しであることを、この人は知らない。

 彼女が言うように、私は上流の肩書きとそれなりの容姿を持つ。人はそんな私を恵まれた人物だというが、それ故に外側しか私を評価しない人間が多いのも事実だ。そんな下卑た人間たちを周りに置きながら過ごす生活は、私にとってほとんど苦痛でしかない。

 だからこうやって、心を開いてリラックスできる空間は、貴重なのだ。

「それより」

 いつもより少し甘さを込めた声で、私は彼女に尋ねる。

「今日は何を編んでおいでなのですか?」

「ベストよ」

 綺麗でしょう、と嬉しそうに、どこか誇らしげに微笑みながら、彼女はこちらへ編んでいるものを広げてみせてくれる。コバルトブルーのそれは、女物にしては少し大きいような気がして、私は小さく首を傾げた。

「出来上がるまでのお楽しみ、よ」

 なんだかよく分からないことを言って、彼女は広げた編みかけのベストを元に戻した。木でできた二本の棒針をゆっくりと、確実に動かしながら、引き続き編み進めていく。

 私はその姿を、飽きることなく眺め続けていた。


    ◆◆◆


 数日後、私はいつものように彼女の部屋を訪ねる。いつもなら『あら、また来たの』なんていう、特徴的な掠れた声が聞こえてくるはずなのだが、今日は何故か返事がない。

 不思議に思いながらも、私はいつもそうするように、彼女の部屋へ足を踏み入れた。

 彼女はいつもの場所にいた。僅かに揺れる白いロッキングチェアに、その身を預けている。パチパチと、赤い火花を飛ばす暖炉の音だけが、静寂に満ちた部屋に響いていた。

 私が来たことに気付いていないのか、彼女は同じ体制のまま身じろぎもしない。そっと近づくと、すっきりとした甘い香りがした。彼女が好む、ジャスミンの香り。

 赤いチェックのストールが掛けられた膝の上には、何やら小袋が置いてある。何気なく手に取って、開けてみた。

 中に入っていたのは、彼女があの日編んでいたコバルトブルーの大きなベスト。それと一緒に、淡い緑のメッセージカードが同封されていた。流れるような字で記された宛名に、目を見開く。


『Dear my grandson』

 ――愛する、我が孫息子へ。


『貴方には、コバルトブルーがよく似合うわ』

 まだ幼い頃。膝の上に乗せられ、あたたかな体温とかさついた手の感触に心地よさを覚えていた私に、あの人が囁くように言ってくれた言葉。

 もうずっと、昔のことだった。私でさえ、今までずっと忘れていたのに。

「……おばあさま」

 彼女が最後に残してくれた、甘い香りの残るベストを、そっと腕に抱き締める。彼女に抱き締められた時のあたたかさが、じんわりと蘇ってくるような気がした。

 ベストをもとのようにしまい直した後、動かない彼女の前に跪き、私はその手を取った。記憶と同じ、かさついた彼女の手は枯れ枝のように軽く、ひんやりとしている。

「おやすみなさい、おばあさま」

 そっと、手の甲に口づけを落とす。ぱちり、と暖炉の火花が勢いよく弾けた。

 乾いた感触を唇に感じながら、目を閉じた私は静かに涙を流した。

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