もののけどもと六年目

伏見七尾

もののけどもと六年目

 わたしは貴船千鶴きふねちづるという。

 割り算と逆上がりにうだつのあがらない十二歳である。

 わたしには昔から人間の友達がいなかった。

 こんなわたしもピッカピカの新一年生の時は期待に胸を膨らませ、人間の友達を作ろうと違って桜並木をくぐったものだった。

 ところがどうだ、この体たらくは。

 昼休み。私は三階の女子トイレに直行する。教室や校庭には居場所がない。哀しいものだ。

 四番目のトイレを三回ノック。

「チッス花子」

「らっしゃい大将」

 気の抜けた挨拶とともに扉を開ければ、黒髪おかっぱの女子がいた。

 こいつ、これでも怪異である。

 先日クラスの女子がビビってた花子さんである。

 で、その花子さんは今、便座の上で先週の週間少年ハネルを読んでいた。

「大将、早いとこ今週分をちょうだいよ。今週ハンタ載ってるんでしょ? 」

「待ってよ。兄上がなかなかくれないんだ。それより花子、一つ相談がある」

「ハネルもなしに?」

「代わりにサタデーならあるぞ」

「マジでか大将」

 私はなんとか上着の下に隠していたサタデーを出す。

 花子はそれをひったくると、貪るように読み出した。最近は探偵漫画が再燃しているらしい。

「それで相談なんだけど花子」

「おうよ。どんとこい」

「私、どうすれば友達できると思う?」

「なんだって大将、この七不思議筆頭花子さんが友達じゃないとぬかすか」

「いや、いい加減人間の友達がね」

「体操の時だってわざわざトイレから出て柔軟手伝ってるジャマイカ」

「手伝ってくれてるのはありがたいけどあんた体かったいんだよ」

「そりゃ大将、周り見てごらんよ。この一畳もないトイレ。こんなクッソ狭い空間にウン十年いりゃ体が柔らかくなりようもないぜ」

「外で遊べよ」

「アタシャ花子さんなんで。トイレの花子さんが外にいたら価値がなくなるんで」

 確かにそうだ。それはただのそのへんの花子さんだ。

 思わず納得してしまったがわたしが話したいのはそんなしょうもないことではない。

「ただ大将、なかなか人間の友達ができない理由はなんとなくわかるよ。だってアンタ、喋り方とか考え方が子供のそれじゃないんだもん」

「それほぼあんた達のせいだけど」

 寿命ウン百年とかウン千年のもののけと会話するうち、わたしは妙に斜に構えた子供になってしまった。

「いいじゃんいいじゃん大将。もののけとマブダチな小学生なんてなかなかいないぜ? このままアタシらと仲良くしようや。あ、なんなら友人帳つける?」

「つけようにもあんたノート持ってないじゃん」

 花子さんは黄金期から今までのハネルとサタデーコレクションといくつかの単行本以外所持品を持たないはずだ。

 そう言うと花子さんはいやいやと首を振りながら便器の後ろのあたりを探り出した。

「ノートなら二冊あるよ。修身のやつ。空襲で半分焼けちゃったけど」

「なんか話が重たくなりそうだから出さなくていいです」

 こんな感じで、わたしと花子さんは六年間同じような問答をしている。なのでもうぶっちゃけ友達とかそういうのは気にしていない。

 いや、嘘だ。

 実際はすごく気になる。

 実はわたしのクラスにこの春転校生が来たのだ。名前は桔梗院晴代ききょういんはるよ。まっすぐな黒髪にきりりとしたまなざしがステキな美少女。

 その美貌からか転校から一週間、彼女の周囲には人が絶えない。

 しかし桔梗院さんは

「私は用があるから」

 と淡々と言って、教室から出て行ってしまう。すると周囲は「恥ずかしがり屋だよな」とか「やっぱり綺麗だねぇ」とかわいわい。

 気にくわない。

 正直「爆発しろ」と思う。(この言葉は兄上がよく使う。)

 くそ、世の中顔か! あんな毎日そうめん食べてそうな顔した奴のなにがいいんだ!

 そんな事を音楽室のベートーベンにぶちまけたら「今作曲中で忙しい」と追い払われた。理科室の人体模型には心配そうな顔で顔面を差し出された。校庭の二宮金次郎は話も聞かずずっとスクワットをしている。

「はっはっは、なんだ大盤振る舞いだな。慰めてくれるのか。可愛い奴め」

 放課後。一段増えるどころか二段増えて十四階段になっていた十三階段。その最後の段に座り、わたしはキッズスマホを取り出した。

 とりあえず数十件にわたるメリーさんからの着信履歴と録音メッセージを全て削除する。(こいつは愛が重い面倒なもののけで、一回でも応答するとしばらく付きまとってくる。)

 廊下の窓から、夕焼け色に染まる校庭が見えた。桜並木の下、下級生が何人かじゃれ合いながら帰っていく。

 わたしはずっと、あんな風に人間の誰かといっしょに帰ることはないのか。

「……やだなぁ」

 私の口からほろりとそんな言葉が漏れた時。

 ――ぎゃあああ!

 その声に、私は思わず立ち上がる。

 隣を帰宅する途中のサッカー部の男子達がふざけあいながら通り過ぎた。彼らには、あの悲鳴は聞こえていないのだ。

 でも、わたしには確かに花子さんの悲鳴が聞こえた。

 わたしはばっとあたりを見回す。人影はない。

 段差に足をかけ叫ぶ。

「十三階段ッ!」

 その瞬間、階段の段差が高速で動き出した。高速エスカレーターと化した十三階段を駆け上り、私は数秒足らずで一階から一気に三階へと到達した。

 また花子さんの悲鳴が聞こえた。

 あの花子さんが追い詰められるような事態。きっとわたし一人じゃどうにもできない。

 女子トイレへと走りつつ、わたしはキッズスマホを開く。

 通話の必要などはない。ある番号に一回かけるだけでいい。

 わたしはトイレのドアを蹴り開けた。

「花子ぉお! どうした!」

「なっ……!?」

「ぐ……大将……! 来ちゃダメだ……!」

 誰かが息を飲む音と、花子さんの苦しげな声が聞こえた。

 四番トイレのドアは開け放たれていた。

 薄暗いその空間で、花子さんは光の糸に縛り上げられている。足元には、さっきわたしがあげたサタデーが。

「どうしたんだ花子! なんだこれタランチュラ!?」

「ダメだって大将! こいつは陰陽師の術だ! 下手に触ると無事じゃ済まないぜ!」

 なんとか光の糸を引き剥がそうとするわたしを花子さんが必死で首を振り、遠ざけようとする。

「陰陽師……?」

 その言葉に、わたしはようやく女子トイレ内に立つもう一人に気づいた。

 彼女は洗面台の脇に立っていた。花子さんを縛る糸は彼女の指先から出ている。

 黒いさらさらの髪。色白できりりとした――毎日そうめん食べてそうな美少女。

 彼女はわたしを見て、難しそうな顔をした。

「あなた……名前は、えっと……」

「て、転校生……」

 桔梗院晴代だった。

「そう……貴船千鶴さんと言ったわね。邪魔しないでくれない? 今悪霊を退治するところよ」

「あ、悪霊……花子さんが? なに言ってる、花子さんは少年漫画を愛するもののけだよ。人を脅かしても危ない目に合わせたりしない!」

「関係ないわ」

 晴代は切れ長の瞳をすっと細めた。

「もののけは闇のもの。人間とは相容れない。そいつが安全? 信じられないわね……わたしはね、転校前の学校でももののけを倒してきたの。この学校のもののけも桔梗院家の名にかけて根絶やしにしてやるわ」

「な、なにぃ……」

 この転校生は十三階段も、二宮金次郎も、ベートーベンの絵も、動く人体模型も――花子さんも、全て消すというのか。

「逃げな大将……! こいつは人間には手を出さないから! 大丈夫だって、他の怪異も、皆強いから……!」

「無駄よ。この学校の怪異は調べ尽くしたわ。所詮、有象無造に過ぎない」

 花子さんの必死の訴えを、晴代は冷ややかに断ち切った。

 手の中でキッズスマホが震えだした。

「有象無象なんかじゃない……」

「何?」

 晴代が眉をひそめる。

 わたしは握りしめた拳を晴代に向け、裏返った声で叫んだ。

「この学校の怪異は、全てわたしの友達だ……友達に手を出すなら、まずはわたしを倒していけ!」

「大将!」

 花子さんが叫び、

「何をふざけたことを……ただの一般小学生に何ができるというのです?」

 晴代は大げさに肩をすくめてみせた。

 そこにわたしは言葉を叩き込む。

「なんだ、怖いのかそうめん女! 陰陽師だとか桔梗院家とかははったりか!」

「な……」

 途端、晴代の顔色がすっと青ざめた。

 それでもわたしは言葉を続ける。

「この中二――いや小二病! もう小六だぞ! 現実見ろよ!」

「くっ……言わせておけば! 良いわ、凡人! 黙らせてあげる!」

 真っ赤な顔になった晴代がポシェットから札を抜き取る。

 同時にわたしはキッズスマホの画面の通話ボタンを選ぶ。

「急急如律令――!」

 そして晴代が光り輝く札をわたしめがけて投げたその瞬間、

『ワタシ、メリーさん。今あなたの後ろにいるの』


 勝負は一瞬で終わった。

 学校のもののけは相手にならないと豪語した晴代。

 しかしそんな彼女も、全国級の都市伝説には一切太刀打ちできなかった。

 わたしと花子さんは、敗北した晴代の首を刈ろうとする相手をなんとか押し留めた。

 そして交渉の末、晴代は『明日二十四時間メリーさんと電話する』という条件を与えられた上で許された。ちょうど次の日が土曜日だったのは幸運というべきか不運というべきか。

 そして今は月曜日。

 図工の時間。わたしは校庭の片隅で絵を描いている。他は仲良し同士で絵を描いているが、わたしにはそんな相手はいない。

 画題は桜の木なんだが、枝の下でポーズ決めてる軍人の霊は描くべきか描かないべきか。

「こないだの大将、カッコよかったなぁ」

 隣にはトイレの――いや外に出てるからそのへんの花子さん。

「『わたしの友達だ!』とかマジやばいわ、惚れる」

「うるさい黙ってろ」

 正直すごい恥ずかしい。

 一心不乱に色鉛筆を走らせていたら、背後から声をかけられた。

「あの……貴船さん」

 晴代だった。

 二十四時間の電話の後のせいか、やややつれている。

「な、何?」

「隣で描いてもいい? ……違うわ、これは馴れ合いとかじゃないの。ただ敵情視察で」

「大将、小二病が仲良くしよって言ってるぜ」

「黙りなさいもののけ!」

 ぎゃあぎゃあと言い合う晴代と花子さんとを見て、わたしはなんとも言えない気分になった。

 なんというか。

 これから一年、わたしの周りはもののけだけでなく人間の騒がしさも加わるんだろうと。

 春の日差しの中で、そんな予感をたしかに感じた。

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もののけどもと六年目 伏見七尾 @Diana_220

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