第2話 絶対
第二幕 絶対
一 教会の集会室
入り口の上にラテン十字が描かれている教会がある。
入り口横の掲示板には、「みんなの力で教会改築」という標語を書いた張り紙や大震災義捐金受付のポスターが貼ってある。
入り口付近には大きめの献金箱がおかれている。
教会の中には、椅子がおかれている。
教会の中で、A太郎は、髭を生やし、黒い服を着ている神父と向かい合って座っている。
神父 (自信たっぷりに)神の子イエスは、「心の貧しいものは幸いである、天の国はその人たちのものである」とおっしゃっているのですよ。あなたはこの言葉をどう思いますか? 神は我々のような弱い心を持った人間も救ってくださるといっているのですよ。
A太郎 はあ、左様で…
神父 イエスはまた、こう言っています。「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる」と。幸いなるかな。あなたは、すでに門をたたいたのです。門は開かれたのですよ。
A太郎 そうすると、ひょっとして私も救われて神の国に行けるということでしょうか?
神父 その通りですよ。神は誰でも救ってくださるのです。
A太郎 それでその、どうすれば私も神の国に行けるのでしょうか。
神父 神を信じ、愛すること。隣人を愛すること。これさえできれば救われるのです。
A太郎 神父様、本当にその二つだけですか。以前テレビのクイズ番組かなにかで見たのですが、モーセの十戒というものがあって、少なくとも十は守るべきことがあると思っていたのですが…。安息日は休めとか、偶像を拝むなとか。
神父 ほうほう、なかなかよくご存知ですね。実は旧約聖書と新約聖書では教えが変わっているのですよ。旧約というのはね。キリスト出現以前の聖典、つまりユダヤ教の時代の聖典です。モーセの十戒もその時代の話なのですよ。新約というのはキリスト出現以降の聖典です。
A太郎 あれ…、神は同一なのに教えは変わっているのですか?
神父 実はそうなのです。旧約の時代は様々な戒律がありそれを神との約束として守らなければならなかったのです。例えば食事については、こんなのがあります。反芻しない動物、蹄が割れていない動物を食べてはならないと…。豚は反芻しないから穢れていることになる。ユダヤ教徒の人たちが豚を食べないことはご存じでしょう。それから、らくだは、蹄が分かれていないので穢れている。またこういうものもあります。ひれとうろこのない水中の生き物を食べてはならない。だから、日本人の大好きなウナギなんかは禁止ですね。
A太郎 えっ! ウナギがダメなんて初耳ですが…
神父 まあ、旧約の話ですがね…。そのほかにも、子山羊をその母の乳の中で煮てはならないとかなんとか、細かな規定が多数あるのです。
A太郎 ずいぶん煩瑣な話ですね…
神父 それだけではありません。旧約では、社会生活に関してかなり具体的な規定があります。しかし、弱い人間にはその約束事をすべて守り抜くことはとても難しい。それに、旧約の社会生活に関する規定は、今の社会には適合しないものが多くあります。例えば、結婚相手のまだ決まっていない処女と寝た場合、花嫁料を払って妻にしなければならない、といった定めがありますが、これが現代社会の現実に適用するのははなはだ困難なことはわかるでしょう。
A太郎 なるほど…。今どき結婚するまで処女の人なんて国宝級ですからね。
神父 恐ろしいことに、今どきの性規範は大いに乱れていますから…。乱交、不倫、近親相姦、不純異性交遊はもちろん、同性愛などは許しがたいものですな。しかも、乱れを正すべき、警察官やら学校の先生やらが逮捕される…実に嘆かわしい時代ですな…。
A太郎 そういえば、この前、どこかの神父が幼児性愛かなんかでつかまりましたね。
神父 …。(目をそらしながら)それは、わたしたちの宗派の者ではなかったような気がするが…。まあ、それにしても、そのうちわれわれの町もソドムのように滅ぼされるかもしれませんね。まあ、ちょっと脱線しましたが、そこに現れたのが救世主のイエスなのです。イエスは旧約の約束事の内容を変更したのです。それがまさに新約です。新約では先ほどの二つの約束のみなのです。これこそ神の恩恵なのです。さあ、あなたも信仰に目覚めるのです!
A太郎 それならひょっとして自分にもできるかも…。信ずる価値はあるかもしれませんね。ただ、そのー、本当に神というものはいるのでしょうか? 本当に神がいるならこんなありがたいことはないと思います。しかもその神が救ってくださる。全くありがたい話だと思います。しかし神がいるという証拠がないとどうも信じられないのですが…
神父 (考え深そうに)なるほど。それはもっともな疑問ですね。多くの人がそこに躓くのです。しかし神はいるのです。神が世界を創造し世界を支配しているのです。もちろんこれは証明可能です。しかし、それを理解するためにはそれなりの準備というものが必要です。そうですね、あなた、聖書を読んだことありますか?
A太郎 あのう、断片的にしか知らないのですが…
神父 やはりそうですか。まあ、ほとんどの人はそうでしょうね。西欧のキリスト教徒だって、聖書を通読した人が本当はどれほどいるのか…。(語気を強めて)神の啓示たる聖書を読まないとはどういうことであるか! だいたいキリスト教徒でありながら、その本分を果たさない人間が最近多すぎる。聖書は読まない、教会にも来ない、隣人愛を誓っていながらボランティアにもいかない、義捐金もケチる、教会改築のための献金もしない、この教会もかなり老朽化してますからな。実に嘆かわしいことです。
A太郎はあわてて席を立ち、財布から札を何枚か抜き出して、入り口近くの献金箱にお金を入れる。
A太郎席に戻る。
A太郎 あのうあれは些少ではありますが、改築費用にお遣い下さい。
神父 (相好を崩して)ハレルヤ! 良い心がけですな。まずあなたはとにかく聖書をお読みなさい。ほら、(聖書を差し出しながら)あなたに聖書を貸してあげよう。そして疑問なことがあったらいつでもまたいらっしゃい。
A太郎 (聖書を受け取りながら)そうですね。そうします。
A太郎が教会を出て教会前の広場を通り過ぎようとすると、劇団が公演の宣伝活動をしている。
劇団員はキリストを題材としたミュージカルの歌に合わせて踊っている。A太郎はそれをしばし眺める。
(暗転)
二 街灯付の電信柱とベンチがある広場
A太郎は、広場で新約聖書を手にしている。
A太郎 イエスってのは、ある意味ディベートの達人だな。まさに、「ああいえばこういう」、という感じかな。なんていったらいいのかな。とにかく、奴はかなり頭の良い男だったのだろう。ひょっとして、こんなに確信をもって、あんなふうにものが言えるなんて本当に神の子だったのだろうか…。普通の人間はこんなに自信をもって何か言ったりできないだろうな。言えるのは頭がおかしい人か、あるいは嘘をつくのが職業の政治家連中くらいかな。例えばここだ。
「右の頬を打たれたら、左の頬も向けよ。下着を取ろうとする者には、上着も与えよ」。
電信柱 お前たち如きに、そんなことができるのかね。
A太郎 そうなんだよな…。以前キリスト教徒の敬虔な信者の中年のおじさんが未成年の悪ガキどもに集団暴行されて死んじゃったという事件もあったな。何をしてもそのおじさんが抵抗しないものだから悪ガキどもが面白がって、それでもっともっと図に乗ってほんとに死んじまうまで暴行したらしい…。結局イエスの教えも悪ガキには通用しなかったってことかな…。それからここなんかも気になるな。
「地上にあなたたちの宝を積むな。あなたたちの宝を天に積め」。
電信柱 お前は、天だの来世だのを信じて、今我慢などできるのか?
A太郎 どうだかな…。他にもこんなのがある。
「あなたたちが人々からして欲しいと思うことすべて、そのようにあなたたちも彼らにせよ」。
電信柱 それが可能ならば、すべてが可能になるだろう。
A太郎 そうだよね…。これが本当に一般人に可能なら、国の福祉政策なんて必要なくなる。社会的弱者は、国なんか何もしなくても周りの人から手厚い援助を受けるはずだよね。まあ現実に普通の人がこの言葉を守るのは無理だと思うけど…。なにしろ、いまどき浮浪者をだましてなけなしの金をむしり取るようなビジネスが横行している時代だからな。いや、一番ひどいのは国かもしれないな。貧乏人を安くこき使って金持ちばっかり得をするような制度を作ることに日々邁進しているわけだからな…。それに、これができるなら、いじめなんかなくなるはずだよね。
電信柱 いじめも人間の本質の一部だろう。
A太郎 いじめのメカニズムについては、前、面白い話を聞いたことがあるんだよ。それによると、いじめっていうのは、単なる暴力的な腕力とかよりも、とにかく数で圧倒的多数を占めた方が勝ちらしい。いくら頭が良くても、かわいくても孤立しちゃうと負けってことだね。要するに、いじめは多数を作るゲームみたいなものだね。どういうゲームかっていうと、あらゆる手段をつかって仲間をふやすというゲームのようだ。だから、あんまり頭もよくなくて、スポーツが得意でもなく、その上性格が悪くても多数派のリーダーになれる可能性があるのですよ。必要なのは一種の悪知恵で、それにさえ長けていればクラスの中では天下をとれるということもあるということかな…。
電信柱 いじめのリーダーとはガン幹細胞の如きものなり。
A太郎 そういうことかな。ガン幹細胞がもとになって通常のガン細胞、つまりいじめる人間を増殖させる。ガン細胞を攻撃してもダメで、ガン幹細胞を死滅させなければ完治はない、いじめはなくならないということだね。しかし、そんなガン幹細胞のような心根の腐った人間が他人のことを自分のように考えることなどできるのかなあ…。
電信柱 三つ子の魂百まで。
A太郎 聖書の話だけど、弟子の情けなさはどうだ。銀貨三十枚でイエスを売りとばしたユダは別格としてもだよ、一番弟子のペテロでさえ、イエスを裏切っているんだよね…。イエスが捕まったら、自分も巻き込まれるのが怖くなって、イエスのことなんて知らないなんて言い張るんだからな。ペテロってのは、イエスに教会の創設者として任命されているはずなのにな。しかし教会っていうのも、そんな人間が初代のトップってことになっていても平気なのかね。それとも得意の詭弁論理学を駆使して、黒も白と言いくるめているのかね…。他の弟子だって、イエスが捕まった時にイエスを見捨てて全員一目散に逃げるし、師匠が殺害されて墓に放り込まれても誰も墓の近くで弔うことすらしなかったらしいしな…。ひどい話だよね。直接の弟子でさえこの様かって感じだ。
電信柱 それがお前ら人間の本性だ。
A太郎 それにしても、福音書ってのはわりと読みやすかったけどほかのところはちょっとな…。黙示録なんてまったく意味不明だよ。(ため息をつきながら)こんどは旧約聖書も読まなきゃな…。(旧約聖書を手にしながら)それにしても旧約聖書は分厚いな。なんかめげるけど、これで救われるのかもしれないわけだからな。頑張ってみるか…
(暗転)
三 教会の集会室
なんとなく冴えない顔のA太郎。
教会で神父と向き合って座っている。
A太郎 実は聖書を読みまして、いろいろわからないところが出てきたので質問したいのですが。
神父 (微笑をたたえながら)まず、あなたが聖書を読まれたということを非常に喜ばしく思います。あなたはすでに神の国の門をたたいているのです。それで、聖書を読んで疑問に思ったところがあるということですね? それは当然です。聖書は、神の啓示であり、すべての書物の中で別格のものでとても奥が深いものですから。
A太郎 神父様、あのう、最初の質問ですが、福音書のなかでイエスがパンを増やして多くの人間が食べる話がありますよね。三匹の魚と五つのパンがなぜか増えて千人の人々が満腹になった話ですが、これは作り話ですか? それともイエスは手品でも使ったのでしょうか?
神父 あなた、三匹の魚じゃなくて二匹ですよ。それに千人ではなく五千人です。
A太郎 細かいことはいいじゃないですか。
神父 何を言っているのですか! 聖書の記述は神聖なものですよ。どっちでもよいなどというところはどこにもない! よいですか、私は聖書を正しく読むために、コイネーやヘブライ語を学び、日々刻苦しながら聖書を読んでいるのですよ。どうでもよいなどとは冒涜ですぞ!
A太郎 「小イネ」ですか? 小さい稲と聖書って何か関係があるんですか?
神父 (憮然として)何をいっている。ギリシャ語の一種のコイネーだ。
A太郎 これは失礼。それでさっきの質問ですが、やっぱり作り話かなにかでしょうかね。
神父 違います。あれは神の子イエスが奇跡をおこした記録なのです。あなた、奇跡の意味が分かりますか? 普通の人は神がいるといってもなかなか信じることができない。もちろん学問があれば神の存在証明を理解することもできようが普通の人はそうはいかない。そこに奇跡の役割があるのです。説明のできないことがおこれば、それが神の御業であることが普通の人でも理解できる。そして、信仰へ進むことができるのです。
A太郎 なるほどねえ。そうはいっても、聖書に書いてあることはすべて本当なのでしょうか? 作り話も交じっているような気がしますが…。例えば、イエスが海の上を歩いたとか、イエスが「出てきなさい」といったら、死人が生き返って墓から出てきたとか。だいたい、聖書の内容は歴史学的に確認されているのですか? 他の中立的な文献にも同じ話が書かれていて裏が取れているとか…
神父 何を言っているのですか! 聖書は神の啓示の書なのですよ。聖書に書いてあることはすべて真実なのです。よいですか、これは歴代の教皇はもちろん、数々の聖人たちも認めていることなのですよ。
A太郎はなんとなく納得できないような表情をうかべ、頭を左右に振る。
A太郎 神父様、次の質問ですが、旧約聖書には神が人間に殺人の命令や戦争を命じるところが結構あるのですが、これはどういうことでしょう?
A太郎は聖書を繰る。
A太郎 (聖書を見ながら)例えば、そうここだ。神はモーセに、ミディアン人を攻撃し、彼らを打ち殺せと命じてますよね。その結果、処女の女の子以外は、幼児を含めて皆殺しにしたとされてます。皆殺しですよ、随分ひどいことをするものですね…。ほかにも、ええとこっちでは、約束の地だか何だか知りませんが、カナンの地を奪取するために、神はヨシュアという人に戦争を命じています。約束の地だなんてことを言うから、いまだにイスラエルとアラブ諸国は対立するんじゃないのですか? 神様ももっと気を遣ってくれればよいと思うのですがね…。また、別のところでは、ええと、サムエルに対しては、容赦なくアマレクを打て、男も女も、子供も、乳飲み子も、雄牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ、と命じています。いくらなんでも牛や羊に罪はないと思うのですがね。
これじゃあアメリカと態度は同じですよね。ちょっとテロかなんかされると、倍返しどころか、十倍返しくらいにして攻撃して、女子供を含めた一般市民でもなんでも容赦なく殺してしまう。そういえば最近は無人機というものがあるらしいですね。飛行機を無線で操縦して、爆撃を加える。もはやゲーム感覚ですよね。ピコピコ遊んでいるだけならいいけど、遠い向こうではそのゲーム機みたいなものでほんとに人殺しをしているわけですからね。ピコピコ、ピコピコ、ドカーン、ドカーンってね。殺人ロボットとかも開発中らしいですね。判断も自分でできるやつ。まさにハリウッド映画の世界ですよね。人工知能が動く限りは殺戮を遂行し続けるっていうの。まあそれは別としてもですね、神様はアメリカの指導者程度ってことなんですかね。神は隣人を愛せと命じているのではないのですか?
神父 (渋い顔をしながら)よいですか、神というのは絶対的な存在なのです。神は全知全能でありとあらゆることをすることができるのです。つまり神の命令は絶対であり、神が正義なのです。わかりますか? 内容を問わず神が命じたことが正しいのであり、人間が道徳的に判断したことが正しいのではないのです。基準は神であり、人間の判断ではないのですよ。人間は神に従うことのみが正しいのです。
あなたは、ヨブ記を読みましたか? ヨブは、神に試されて全財産と子供を失い、そのうえとんでもない皮膚病になるが、信仰を失うことはなかった。いいですか、ヨブはね、頭のてっぺんから足の裏まで悪性のできものができたんですよ。ヨブは器のかけらで体を掻き毟っていたとされています。そのうえ、神の意向でヨブは死ぬことすらできなかった。つまり、死ぬことさえ許されず、地獄の苦しみを受けたのです。それだけみると、神は何も悪いことをしていないヨブをひどい目に合わせたようにみえるでしょう。しかし、それは、人間の基準から見た話にすぎないのです。神を基準として見れば、神のすることはすべて正しいのであって、ヨブを苦しめることも正しいのです。
A太郎 (あまり納得できない顔をしながら)アブラハムも子供のイサクを殺せと神に命じられて、本当に殺そうとしたという話もありますが、そうすると神に自分の子供を殺せと命じられれば、殺すのが正義だと…
神父 (不愉快そうな表情を浮かべ)まあ、あなたは教義について素人だからよくわからないかもしれないが、神の真の命令であればそうなりますね…
A太郎 キリスト教は恐ろしいことをいうのですね。隣人愛といいながら神の命令ならば人を殺さなければならないなんて…。おかしくないですか?
神父 (怒気を含んで)あなたはいったい何者か。無知であるのに、神を問答する者は!これだから素人は困る…。さっきも言ったように、正しいか正しくないかをきめるのは人間ではないのです。神が決めることなのです。人間はただ従うのみ。それが信仰なのです。神を信じ、愛する、これが原点です。
A太郎 人間は自分で判断できないということですか。なんのために頭があるのだろう。
神父 (したり顔で)人間というのは、原罪によって汚れきった存在なのです。これは誰でも知っているエピソードだと思いますが、人間は、神が食べることを禁じた、善悪を知る木の実を食べてしまった。それによって人間は自分で善悪を判断できるようになった。しかし、無原罪のときは、人には我欲などなく、自然に暮らしていればそれがそのまま善であったのに、原罪後は欲望が生じ、それに人は振り回されることになった。つまり、その欲望のせいで、人間は自分自身で正しいことを判断することが極めて難しいのです。だから、神は恩恵として人間に啓示を与え、正しい道を示しているのです。(やれやれという調子で)わかりましたか?
A太郎 あのう、それでは、神を信じ、隣人を愛すれば救われるということでしたが、どの程度すれば救われるのでしょうか。ダメな人間でも懸命に努力さえすれば救われると考えてよいのでしょうか。
神父 あなたは、まだ神を疑っているようですね。疑いを少しでも持っている限り救いはないでしょうな。これは私の力不足にもが原因がある…。(上を見ながら)神よ、我に力を!そしてこの愚かな子羊を救いたまえ!
A太郎 (おずおずと)神父様、それなら、完全に信じているならよいので?
神父 何を言っているのですか! それは傲慢というものですよ。よいですか。神は絶対の存在なのですよ。救うか救わないかは神が決めることです。神との約束を破った者はまず救われることはない。これは確かです。しかし、人間の方が約束を守ったつもりだからと言って、本当に守ったかどうか、そして救うかどうかを決定するのは神であって人間ではないのです。人間は神の恩寵にすがるのみ!
A太郎 えっ。信じても救われないことがあるってことですか? それでも信じろと…
神父 (怒気を含んで)信じなければ煉獄の火に焼かれる。そうだとすれば、可能性を信じて信じるしかないということだ。わかったか!
(暗転)
四 街灯付の電信柱とベンチがある広場
A太郎は、例の広場にいる。
A太郎 キリスト教なら救ってくれると思ったのだが、別に信じたから救ってくれるというものでもないらしい。少なくとも、女の子が恋愛かなんかをさ、「神様おねがーい」、なんてお願いする神様とはえらい違いがあるようだな。こんな宗教をなぜ信じる人たちがいるのかな。割に合わないよな…。神を信じ、嫌いな奴にも親切にして頑張っても、結局救われないかもしれないなんて…。信じている人たちはこのことをわかってるのかな? それこそ奇跡の話でも信じているのかな…。
電信柱 奇跡はここにある。
A太郎 それにキリスト教は、隣人を愛せとか、敵を愛せとか、一見よいことをいっているようだけど、何が正しいのを決めるのは神様だ。ということは神が考えをコロリとかえて、隣人を皆殺しにせよとか、他人を陥れろとか命じるなら、それが正義だってことになるらしい。これって、恐ろしいカラクリだよ…。神を信じて、本当に人殺しも厭わない人は、狂っているか、大間抜けに見えるけどな…。 歴史にでてくる中世の異端審問なんかこんな感じだったのかな。拷問とかしてなにがなんでも異端にしてしまうやつ。
電信柱 それが宗教さ。
A太郎 そういえば、以前、幼稚園に乱入して、逃げ惑う子供を多数殺害した犯人がいたけど、その犯人は刑務所にいるときマスコミに手紙を書いて、こんなことを言ってたな…。子供を殺された親はいいね。手間も金もかかる厄介者の子供はいなくなるし、国から犯罪被害者給付金ももらえるってね。こいつが、神の啓示を直接受けて神の命令で子供を殺したと言い出したらどうなるのかな…。神が本当に命じたというなら、正しいということになるよね。だけど、本当に命じたかどうかを誰が判断できるのだろう? 聞いたっていう本人だって、単に精神的におかしかっただけかもしれないし…。ああ、だめだだめだ、これじゃ納得も得心もできないな。もっと別の考えはないのかな…
A太郎が電信柱をみると、ビラが貼ってある。
A太郎 「投資セミナー 無料」だって。やっぱり金かな…
A太郎はのろのろと歩き出す。
A太郎 そうだな…そろりそろりと参ろう。そろりそろりと…
(暗転)
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