第6話 凡庸

最終幕 凡庸


街灯付の電信柱とベンチがある広場


A太郎は広場のいつものベンチに座っている。

A太郎の足もと付近に、石ころと空き缶がある。


A太郎 俺もずいぶん禅の修行をしたなあ…。なにか最近は心が落ち着くというか、常に心が波ひとつない湖水の水面のように穏やかだ。俺も解脱が近いってことかな…。

電信柱 お前が解脱だと。

A太郎 まあまあ。考えてみれば、近頃俺もいろいろなことを体験したな。まず、教会か。キリスト教ってなんか道徳的にすばらしいという印象を持っていたんだけど、どうも本当は違うみたいだな。神様次第でどうにでもなるってことなのかな…。その次は、投資セミナーだったね。一度は結構いい線まで行ったんだけどなぁ…。俺って金運がないからなぁ…。これに対して、川溝会…。夢の共同体生活みたいな話だったけどな…。野菜だけはうまかったよ。あの販売所のかわいい店員さんにだけはまた会いたいけどな…。そして禅だ。これもまだ修行中だからな…

電信柱 それにしても、お前は自分のことばかりだな。

A太郎 そう言われるとね…。確かに、他人はどうなるのかな…。もしも解脱したりしたところで、俺が人を助けたり救ったりということはできるのかな…。他人に金をあげたり、教育を施したり、医療を受けさせたりということなら、財力や技術なんかがあればできるのかもしれないけどな。俺には金も技術もないけどね…。でも、なぜ自分に限って不幸になるのかっていう悩みとか、金があっても精神的に満たされないなんてことになると他人にはどうしようもない感じだよな。

電信柱 見殺しもまた人間の本質なのさ。

A太郎 結局、救いみたいなものはそれぞれの人が自分自身で何とかしなければ得られないということなのかな…。禅の修行だって、自分でするしかないし…。神様に救ってもらうといっても、それはその人と神との関係の話だからな。他人ができることっていうのは、せいぜいこういう方法があるって勧めるくらいのことって感じかな。そうか、だからわざわざ家まで来て宗教の勧誘とかしている人がいるのかねぇ…。それがひょっとして慈悲心という奴なのかね…。逆に言うと、誰も本当の意味で俺を救ってくれないということなのだろうか? 

電信柱 最後はこの世でただ一人。

A太郎 それに慈悲心とやらを出して他人に何か勧めても、人によって感覚が違うからな。こっちの感覚や言っていることが通じているのやらいないのやら…。一緒に同じものを見ても、そう思い込んでいるだけで、違ったものを見ているのかも。このおかしな電信柱だって、あんたのことだけどさ、俺には灰色に見えているけど、誰かには茶色に見えるのかもしれないからな。(足元の石ころを拾い上げて)それなら、この石ころも、他人から見たら黄金だっていうなら都合がいいんだが…

そういえば、よく石ころを何とかに効く石、例えば恋愛に効くとか、運気が上がるとかいって売っている石ころマーケットとかいう店があるけど、あれはいい商売だな。原価たぶん一円するかしないかのものを何百円とかで売るわけだから。まあ、ちょっと話が違うか。

まあとにかく、他人と話をしていても、話が伝わっているのかどうかすら怪しいってことだな…。じゃあ、いままでの体験が無駄だったなんてことにもなりかねないな。でもそれも困るしな…。なにしろずいぶん金と時間をつかったからな。

電信柱 結局、お前は暇なんだよ。

A太郎 いやあ、そうなのかな…。確かに、いまどきこんなことで悩んだり、人に聞いて廻ったりする人なんているのだろうか。溺れる者は藁をも掴むというけど、ホントに藁を掴んだんじゃ助からないよね…。もっとシンプルに、動物的な感覚で生きた方がよいのだろうか…。俺も石ころでも売りさばいて生きていく方がいいのかな…


A太郎の背後からスリが現れる。


スリ (独白)おやおや、あそこに格好のカモがいるぞ。なにを一人でぶつぶつ言っているのかねえ。おかしな人だねえ。しかもカバンから財布が覗いているじゃありませんか。財布が私を呼んでいる。そろりそろりと参ろう。そろりそろりと…


A太郎の背後にいるスリがA太郎のカバンから財布を抜き取る。

そしてこっそり去ろうとするが、捨ててあった空き缶を蹴飛ばしてしまい、大きな音がでる。

A太郎が振り向くと、自分の財布らしきものを持ち去ろうとしているスリがいる。

A太郎はカバンの中を確かめて、自分の財布がないことに気が付く。


A太郎 コノヤロー、この泥棒め、財布を返しやがれ!


A太郎がスリを追いかける。

スリ逃げる。

二人は広場を何周か走りまわる。

二人とも息が切れ、疲れて足取り重く歩き出す。


A太郎・スリ (声を合わせて)そろりそろりと参ろう。そろりそろりと…



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黄金のわら 空沢真二 @saitoyyy

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