第12話 雪積る街の女たち 3本当の望み
声、また声が聞こえる。暗闇の中で声が聞こえる。
「あなた、あなた……」
妻の声だ。身体を誰かが激しくゆすっている。
「気が付いたの……あなた、聞こえる?」
どうしたというのだ。私は死んだのではないのか。ならば、妻に言わなければならないことがある。
「すまない、私がいけなかった。すまない」
「何を言っているの。しっかりしてちょうだいな」
また激しく身体をゆする。体中が痛い。身体を起こそうと思っても思うように動かない。目を開ける。眩しい。真っ暗なトンネルから抜け出したような感覚。そして前に妻の姿が見える。
「よかった。気づいたのね。今、お医者さんよんできますから」
どうやらここは病室のようだ。私はどうやら病院のベッドの上に居るらしい。
なぜだ――なぜ私はここにいる。
「私はミサ。黒き望みをかなえる者。悲しき想いを見つめる者。深き闇をさ迷う魂の叫びに、耳を傾ける者よ」
誰だ。女の声――聞き覚えがある。カーテンの向こう側に人の気配がある。
「お目にかかるのは初めてよ。直接はね。でもずっとあなたを見ていたわ。そしてあなたの望みを、願いを、声を聞いていたわ」
彼女の声には聴き覚えがある。そうこの声だ。ユキの声だ。
「黒き望み……、私の、望み」
「まずは、あなたは、あなた自身のことを知る必要があるわね」
そう言って彼女は私の前に姿を現した。
彼女はまるで、フランス人形のような透き通った白い肌をしている。
髪の毛は少し重たく感じるくらいに黒々としている。
目はパッチリとしていて、どことなく日本人のそれとは違うような、色素の薄い色をしている。
確かに私の知っているユキではなかった。声は同じだが口調が違う。
ユキはもっと若々しくて、生命力に溢れていた。
だが彼女は違う。彼女には永遠に失われることのない不滅の魂のような永劫と、いつも死と隣り合わせでいるような危うさ、儚さ、そして絶対的な闇が横たえていた。
「あなた、あの雪の夜、どうして家に帰りたくなかったのか。いい加減に思い出すべきよ」
そうなのだ。
私は何もかもがすっかり嫌になっていた。
妻との関係はすっかり冷え込み、憎しみさえ持っていた。だからあの雪の夜――タクシー乗り場で待つ間中。どうやって妻を殺すかということをずっと考えていたのだ。
「私にはそういう声が、黒き望みがわかるのよ。だからあなたの望みをかなえてあげようと、姿を変えて近づいたの。あなたの理想とする女性の姿でね。まさかそれがあなたの奥様の若い頃だなんてね。人の本当の望みって自分自身でもわからないものなのよ。まったく迷惑な話よ。おかげで私は、らしくないことをさせられたわ。骨折り損のくたびれもうけとは、このことね」
何が何だかさっぱりわからなかった。どこからが夢でどこからが現実なのか。
「奥様のこと、大事にするのね。でもいいこと。"私のこと、誰かにしゃべったら、殺すわよ"」
カーテンの向こう側の影がすっと消えた。入替に妻と看護師がやってきた。そのときにことの顛末を聞くことができた。
私はタクシー乗り場で気分を悪くし、意識がもうろうとしたまま、私が最初に行こうとした店にたどり着いたらしい。店の前で倒れ込んでいた私を、たまたま忘れ物を取りに来た店のマスターに発見され救急車で運ばれたらしい。
つまりユキは幻か何かだった。その幻の中で、私は妻の死を願い、その夢を見たということなのだろか。
「むしの知らせっていうのかしら。不思議なことがあったのよ」
医師の診断を受け、体力が回復するまで、もう一日入院するように進められた。ベッドに横になった私に、妻が妙な話をしてくれた。
帰りが遅くなるって聞いていたけど、12時頃だったかしら。
玄関のドアが開いたの。
私、てっきりあなたが返ってきたものかと思って……
でも、なんだか雰囲気がおかしくて。
部屋に入って来た感じがしないし、それに部屋の空気が急に冷たくなってきたから、もしかしたら玄関が空きっぱなしになってやしないかと思って、様子を見に行ったのよ。
とても寒かったわ。
凍え死んじゃうかと思ったわよ。
でもね。誰もいなかったの。
おかしいなぁと思って、玄関の電気をつけたらあなたの鍵が下駄箱に置きっぱなしになっているじゃない。
私、大変、家に入れないと思って、心配で眠れなかったのよ。
そしたら病院から電話がかかってきて……
これってなんかよく聞く話じゃない?
死んでしまった人の魂だけが家に帰ってきたみたいな。
不思議なこともあるものよね。
でも違うかしらね。あなたは無事だったわけだし……おかしなことも、あるものね。
私は背筋に寒い物を感じた。
なぜ、こうも妻は楽しげに話をしているのだろう。
私が助かったことが、そんなにうれしいのだろうか……
それとも
私はミサという女の言葉を思い出していた。
"まずは、あなたは、あなた自身のことを知る必要があるわね"
"人の本当の望みって自分自身でもわからないものなのよ"
私は妻に何を望み、妻は私に何を望んでいるのか。
「そういえば、あなた、ずいぶんとうなされていたわよ。雪がどうの、願いがどうのって」
私はうっかり、ユキやミサのことを口に出しそうになり、戦慄した。
「そうか。よく覚えていないな……」
こころなしか、妻が残念そうな顔をした気がした。
それきり妻はいつものように黙りこくってしまった。
降り積もった雪は、簡単には解けないのだろう。
魔法少女 めけめけ @meque_meque
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