エクアドルでプラナリアを千切る簡単なお仕事

阿部藍樹

第1話

 2117年。これは「西暦」っていう暦らしい。僕にはカレンダーのことなんてよく分からないし、気にする必要もないから、実際にはよく分かっていないし、この国が昔からエクアドルって呼ばれていた、その由来も僕は知らない。

 僕はぼうっとした目で、いつものように演習室で教官が見せる仕事の実演を、横から眺めていた。

「いいか、プラナリアは、ここで分ける。よく見ておけ……これで右が『プラナ』、左が『リア』になる」

 そう教官がプラナリアを割って見せた。

 僕はここでプラナリアを千切り始めて3年目、もう「プラチナプラチギナリアン」のエクアドル国家資格を持っている。僕の同期はまだ大体ゴールドで、未だにシルバーって奴もいる。

 でも、そういうのはあんまり意味がない。

 ウチの職場は資格に手当が付かない。「ウチの」っていうと、語弊がある。実際はどこも付かない。だからこの国家資格はまあ「ちゃんと労働者を見て評価してるよ」っていう、政府の自己満足以外にはほとんど意味はない。

「ジョゼ、やって見せろ」

 そう言われて、僕は立ち上がる。培養層からプラナリアを取り上げる。場所はもう指先の感覚が覚えてしまっている。

 素早く正確に、僕はプラナリアをプラナとリアに分割し、保存容器に収めた。

「流石、プラチナだな」

 そう教官が、事務的に僕を褒めた。

「よし、やってみろ」

 プラチナ資格を保有する僕の役得と言えば、この時間――ルーキーの指導に当たる時間があることくらいだ。お陰でこの2日に1回の午前中の時間帯は、他の奴らみたいに一心不乱にプラナリアを千切らなくても済む。

 ここに居るルーキーたちは6歳から8歳くらいで、中には5歳以下の子もいる。境遇は色々だけれど、総じて言えるのは、初等教育の代わりにプラナリアの千切り方を学ばなければならない身の上だということだ。それでも、一回の仕事で3割は生還できないらしい「アリクイ狩り」なんかよりは、随分マシな職業だとは思う。

 アリクイは種として元々「アリクイ」という動物から進化したもので、実際にはアリなんて食わない。多分、人間くらいのサイズの生き物がちょうどいいアリくらいに見えているんだろう。体長は15メートルから、大きいものだと20メートルを越え、ショットガンのスラッグ・シェルを急所に何十発もぶち込んで、やっと殺すことができる。「こんな大きいアリを食うんだから自分も大きくならないと」と張り切り過ぎたんだと思う。ペルーとの国境沿いの山脈地帯に生息するこのアリクイを獲ってくるのが「アリクイ狩り」で、このエクアドルの最底辺「死んだ方がマシ」と言われる仕事の一つだ。

「お前ら、声を出せ!!」

 教官の檄が飛んだ。僕は30人ほどのルーキーたちに目くばせをしながら、ああ、また始まったな、と思った。

『プラナ!! リア!! プラナ!! リア!!』

「もっと速くだ!! そんなんじゃ仕事にならんぞひよっこども!!」

『プラナ!! リア!! プラナ!! リア!!』

 僕はこの時間が嫌いだ。教官連中はこの指導を「間引き」って呼んでいる。間引きというのは元々植物栽培の用語で、密集した苗のうち、弱いものを敢えて抜いてしまうことで、残りを強く育てる栽培方法を指すらしい。

「……ぷらな、りあ、ぷ……あっ」

 演習室の右奥で、掛け声が乱れたのを僕は耳敏く聞いていた。それは教官も同じだった。

 この時、だ。この顔が僕は一番嫌いなのだ。

 どの教官も神妙な面持ちを作ろうとして、いつも失敗する。僕はその破れた薄皮に包まれたような醜悪な表情が、たまらなく嫌いだ。

「おい……お前」

「……はい」

 僕は教官と、声を乱した少年の元に駆け寄った。手もとを覗き込む、想像通りだった。

「これは何だ?」

「す、すみません」

 僕は口を挟まずに、教官と少年のやり取りを聞いている。

「すみませんではなく、これは何だ、と聞いている」

「……『プラ』と……『ナリア』です」

「最初に、俺はお前たちにプラナリアを何と何に分けろと教えた?」

「……『プラナ』と『リア』です」

「何故、間違えた? お前はこいつの価値が分かっているのか?」

「あ、あの!! もう二度と失敗しません、だから、だからお願いします!!」

「首を出せ」

「か、母さんと妹がいるんです!! アリクイ狩りの父は、この前の仕事で、帰ってこなくて、それで」

「俺はどうしろと言った? 命令に従え」

 少年は、何も言わずに、作業台に首を載せた。こうなった以上はそうするのが一番楽だってことを知っているからだ。教官の目が、愉悦か何か、訳の分からない気持ちの悪いものを宿して光ったように見えた。

 そこで僕は、初めて口を挟んだ。

「教官」

「……何だ、ジョゼ」

「まだ、一回目です」

「……だからどうした?」

「他の教官は、殺しますが」

 僕はただ一言、そう言った。

「そうだな……!」

 瞬間、僕の顔の横を、唸るようにして教官の右手が通り過ぎた。

 教官の放った全盛期の大山倍達の牛を殺す威力の空手チョップが、次の瞬間には、少年の首の手前、ぎりぎりの所で作業台だけを切り裂いていた。

「ひっ」と、息の漏れる音が聞こえた。

 教官は何もなかった、という顔で僕を見た。

「ジョゼ」

「はい」

「そいつは使い物にならん、手続きを取って『遊郭』送りにしろ」

「はい」

「あと、誰か使ってその不良品を処理しろ。『プラ』は資源ごみ『ナリア』は燃えるごみだ」

「はい」

「他の奴らは手を止めるな、作業を続けろ!」

 教官の声で、息を止めたような演習室がまた時の流れを取り戻した。

「教官」

「何だ?」

「ありがとうございます」




「何であんなことをしたんですか!!

 最初に僕が浴びたのは罵声だった。僕はそれには耳を貸さず、プラナリア工場の屋上から見える景色を眺めていた。

「『遊郭』送りになるくらいなら、死んだ方がマシだった……」

「ねえ」そう僕は、彼の悲痛な声を無視して訊いた。

「こんな時になんだけど、君、名前は?」

「の、ノックス……ですけど」

「つらいことをしたのは分かってるんだ、ノックス」

「めめしいって言われてきたけど、本当に女になるなんて」

「トイレもいけやしない」そうノックスは自嘲し、付け加える。

「ギルバート」

 僕は唐突にそう言った。ノックスは怪訝な表情で僕を見た。

「誰ですか、それ」

 僕の目の前には、色とりどりの屋根が斜面に連なるように広がっていた。このエクアドルでは金持ちは高い所に住み、貧乏人は低い所に住む。彼がこれから行くことになる「遊郭」は、高い所にある。

「元、僕の同僚の名前。『遊郭』に飛ばされたんだ、そいつも」

 遊郭というのは、金持ちたちが、まあ人前で堂々とは言えないような遊びをする場所らしい。僕は直接見に行ったことはないから、実際の事はよく分からない。

 その職場で使い物にならなければ、別の職場で使い物にするしかない。それもできなければ死ぬしかない。『遊郭』はそういう場所の一つで、多分、ノックスがギリギリで救われたのは、顔が良かったからだと思う。

「……噂通りなんですか?」

 そうノックスは僕に訊いた。僕は頷く。

「多分ね。ギルバートは、実際にそうなってた」

 ギルバートが、一度だけ休暇を貰って帰ってきたことがあった。

 正直、驚いた。

 彼は本当に、巨乳の女の子になっていた。名前は変えて、リネットと名乗っている、と言っていた。

 遊郭に送られる子供は、男も女も関係なく手術をされてロリ巨乳にされてしまうらしい。

 そんな噂は、ギルバートを見れば、やっぱり嘘っぱちではないんだろうなってことになる。

 ノックスにとっては、残念な話だけど。

 僕はバッグから紙の切れ端を出すと、ペンで簡単な手紙を書いた。

「あっちに行ったらこれをギルバート――今はリネットか。とにかく、探して渡すといい。面倒見の良い奴だから力になってくれると思う。それと……」

 僕がバッグから取り出したものを見てノックスは目を丸くした。

「それ、カニカマじゃないですか!?」

「餞別。上じゃ、こっち以上に現金が役に立たないらしいからね。そっちの方が便利だと思う。そいつは無期限加工品だから、まあ、安く見積もってもグラム金と等価くらいにはなるはずだ」

「こんなの、どうやって……」

「僕は子どもだけど、君よりもずいぶん子ども歴は長い。それなりのやり方も知っている」

 僕たちは「裏ナリア」と呼んでいる。僕たち本職の千切り屋は恐ろしい速度でプラナリアを処理するから、当然だけどある程度は失敗も出る。許されるロス率が僕らには決められている。それを失敗しないように処理して、その一部を「ロスした」ことにして、そのままアリクイ狩りなんかに流してやる。プラナリア流通は政府が完全に牛耳っているからカニカマなんかよりずっと価値があるけれど、僕ら下層民には使い道もなければ売り先も無い。けれど、命を切り売りしている代わりに街を出る事が出来る彼らにはプラナリアを上手くさばく闇ルートがある。持ちつ持たれつって奴だ。

 ――何でそこまでするんですか。

 ノックスはそういう顔をしていた。答えにならないけど。そういうつもりで僕は続けた。

「君はきっと、死んだ方が良かった、って思ってるんだと思う。それこそ噂じゃ、遊郭で生きるのは死ぬより辛いって話だからね。だから僕は訊いてみたんだ。ギルバートが帰ってきた時、死のうとは思わないの? って」

「何て答えたんですか?」

「分からないって、言ってたよ」

 僕は鞄の口を閉じる。そろそろ次の仕事の準備を始める時間だった。午後は他の奴らと一緒にプラナリアを一心不乱に千切らなければならない。

「生きるっていうのは、多分、そういうことだ。もう二度と会うことはないと思うけれど、元気で」

 僕はそう付け加えた。

「……あの」

「何?」

「ジョゼさんは、死にたいと思ったことはありますか?」

 僕は小さく笑って答えた。

「僕はこの職場にいる間は、プラナリアを上手く千切ること以外は考えないことにしている。それは正解だったと思っているよ、お陰で君のようにならずに済んでいる」




 帰りの電車はいつもの如く、およそ人の乗り物とは思えない乗車率だ。旧時代、人間を売り買いする為に使われた船では、輸送中に結構な人数が死んでしまったらしい。それは野菜の出荷中に数パーセントが傷んで売り物にならなくなる、みたいなもので、つまり「船の中のモノ」はあくまで積荷であって、人間ではなかったってことだ。

 僕は間引きという言葉の醜悪なセンスを思いながら、いつもの如く窓際に体を滑り込ませた。スペースを殺してしまうから、全員が立っていて席は無い。

「よう、兄弟」

「……ジャンか」

 僕は溜め息を吐きながら、隣に立った長身の男を見た。

 ジャンは僕の同期で、同じプラチナプラチギナリアンの資格を持っている。でも僕と違って気さくで人当たりが良く、大人の間を上手く立ち回るのも上手い奴だった。

「今日『集会所』だ。来れるか?」

 ジャンは口早にそう言った。

「……特に用事はない」

「じゃあ、夜の11時だ。つけられるなよ」

「僕をつける物好きはいない」

「模範工員だものな……でも、今日、ルーキーを庇ったらしいじゃないか」

「教官の立ち位置には配慮したよ、だからあいつも首を飛ばさなかった。ちゃんと伝わってる」

「あんまり表だって正義感を振りかざすのは止めた方がいい」

「そんなんじゃないよ」

僕は窓の外の、工場煙に霞む景色を見ながら呟いた。

「多分、そんなんじゃないんだ」




 家に帰った僕はじゃがいもをあるだけ出して、じゃがいもを断つ二本の槍で皮を向いた。どこの家庭にもある、ありふれたじゃがいもを断つ二本の槍は、母さんが生きていた頃から使っていたもので、もう研いでも切れ味が戻らない。

 僕は母さんがこの台所で、じゃがいもを断つ二本の槍でじゃがいもを料理している姿を思い出そうとした。けれど、何だか靄が掛かったようになって上手くその姿を想起することはできなかった。多分それは、苦しさと痛みと面倒とに、考えることを止めてしまった僕への、報いの一面なんだと思う。

 僕はじゃがいもを断つ二本の槍の槍先を布巾で拭うと、じゃがいもの半分は塩で炒め、半分は蒸かした。




 集会所は、3番区のガラクタ山の中腹に入り口がある。生きたコンテナがガラクタに混ぜられて捨てられたらしく、知らない人間にはくぼみにしか見えないその下に入り口があって、外見からは想像できない隠れ家になっている。


 ――集会には酒を一本、食い物を一皿持ち寄る。


 いつから始まったしきたりかは分からない。けど、僕たちがこの集会所を引き継いだ時にはもうあったルールだし、先代も同じように引き継いだものだと言っていたから、僕らその日暮らしの人間からすれば「伝統」って言って良いくらいの歴史はあるのだと思う。あとは、メンバーの選別の意味もあるのだろう。これくらい持ち寄れる余裕の無い人間は、すぐに裏切るだろうから。

 僕が行った時には11時半を回っていた。既にあらかたのメンバーは揃っていてセブンカード・スタッドポーカーに興じていた。他の集会所ではテキサス・ホールデムが多いけど、ここはずっとセブンスタッドだ。これも伝統なのかもしれない。

「ジョゼ、今日は何を持ってきた?」

 ゲームを降りたメンバーの一人がそう声を掛けてくる。

「芋」

「何だ、お前も芋か。他に何か無いのかよ」

「無いよ。あればお前らに食わせたりなんかするもんか」

「酒は?」

「ジョニー・ウォーカーの黒」

「本物か?」

 わざわざ分かり切ったことを訊く奴だ。

「本物だったら、相方に芋を持ってきたりはしない」

「だよな」

 そんな軽口を叩き合っていると、後ろからジャンが顔を見せた。昼間電車で見た笑顔は無い。

「揃ったな、本題に行こう」




「これは……ベネリM4?」

「ああ。レミントンもあるぜ。自動小銃やサブマシンガンもある」

「拳銃はグロックに、シグのP220……おいおい、USPか? 俺らは軍隊じゃないんだぞ」

 ジャンが裏から出してきたのは、型こそ揃っていないものの全て法執行機関や軍が装備するクラスの銃火器だった。

「軍隊にでもならなきゃ、俺らは犬死にするだけだ」

「……本物?」

 僕はジャンに訊いた。彼は頷いて答える。

「お前のブラックラベルと違ってな、コピー品は無い。知り合いのアリクイ狩りのツテを使って、南の国境経由で揃えた」

「金は? 裏ナリアをけちけちさばくんじゃ何世代掛かっても揃わないだろ、こんなの」

「まあ……色々だ。とにかく現物がここにある、それで良いだろう」

 ジャンが色々って言う時は、それ以上訊くなってサインだ。相当に危ない橋を渡ったのは明らかだった。

 でもこれは、何代も前からの悲願で、僕らがこの集会所を引き継いだ時から、準備が出来たらやるものと決まっていたことだ。迷いはない、というよりも、迷うことは許されないことだった。

「電車は?」

「もう公社の運行係はカニカマで買収してある。明日、直通が始業後に一本多く出る。それを使う」

 僕は集まっている面々の顔を見合わせてから、もう一度ジャンを見た。

「……やるんだな?」

「ああ。明日、工場を潰す」




 翌朝。本当に電車は一本多く出た。

 15分遅れの電車の運転手は、僕たち完全武装の少年兵士が20人乗っても、何も言わなかった。僕はメインアームとしてベネリM4スーペル90ショットガンを、サイドアームにシグザウアーP250を選んだ。ストッピングパワーに優れた45口径弾を使えるモデルだ。

 電車から降りた僕たちを見た瞬間、警備はすぐに異変に気付いた。だけど、最初から殺す気でいる僕たちに対処するには遅すぎた。脳天に吸い込まれた弾丸に、警備員はすぐに動かなくなった。

「ここからはスピードが勝負だ、予定通り人員を割るぞ!」

 あらゆる「集会所」は、革命と解放という悲願の為にある。

 目標は全ての工場区の制圧、教官の無力化、そして工場長の始末だ。この為にわざと電車の到着を始業時刻後にしたのだ。今ならば僕たちが居ない理由に困惑し、対応準備ができていない状況で、なおかつ、始業後の他の工員の暴徒化を図ることが出来る。

「お前たちは工場区を解放して各教官室を制圧しろ。俺とジョゼは工場長を始末する」

 僕とジョンはプラチナ資格持ちだから、工場長室の場所を知っている。守りを固められる前が勝負だ。

 僕たちは一直線に工場長室を目指した。経路は事前に入念に練ってあり、邪魔者は全て他のメンバーが抑えられるようになっている。




「俺が工場長になってから暴動は3度目だが、俺の目の前に生きて出てきた奴は初めてだな? 大したもんだ」

 そう工場長のオリバー・ビスケットは、悠然と椅子に腰かけたまま笑った。デスクに肘を突き、こちらを見る。

「ジャン、ジョゼ。お前らは優秀だった。期待はしているつもりだったが」

「……過去形ですね」

 僕が冷たくそう言い放つと「賢いじゃないか、まるで学校に通ったみたいだな」とビスケットは笑った。それから体を起こす。

 ビスケットや教官連中は、ギルバートとは違う手術を――身体強化の術式を施している。しかしビスケットのそれは全身に、しかも過度に施されたもので、彼の姿形は既に人間であることを止めてしまっている。上半身の筋肉は異常に発達し、下半身の数倍の体積がある。腕は手首から肩に掛けて筋肉量が異様に増大し、まるで棍棒のような形になっている。特注のスーツの下で彼の筋肉は、怒りに今にも弾けそうになっていた。

「まあ、そういう事だ……考え直す気は無いのか?」

「もう過去形なんでしょう?」

 僕がそう返事をした瞬間、ビスケットがデスクをこちらに向かって蹴り飛ばした。弾丸のような速度で飛来したそれは僕たちのいた空間を食い千切り、扉に衝突して粉々に砕けた。

 僕とジャンは左右に飛び退きそれをかわした。回転しながら僕はショットガンを構える。ビスケットはこちらに向かってきている。

「……!」

 引き金を二回連続で引く。込めてあるのは中型動物用の散弾――バックショットだ。

「散弾ではなぁ!」

 僕は舌打ちをする、ビスケットの異常硬質化した筋肉にはバックショットじゃ威力が足りない。顔を腕でガードしながらショットガンによる攻撃をものともせずに突進してくる。

「ジョゼ!」

 ジャンが声を上げる。しかし撃つことはできない。デスクの破片が巻き上げた粉塵が邪魔で狙いが定まらないのだろう。

「まずはお前から死ね!」

 ビスケットが左腕を振り上げ、致死的な速度で振り下ろす。その怪腕から繰り出される全盛期の大山倍達の牛を殺す威力の空手チョップは床を打ち抜いて階下まで穴を穿った。

 僕は脇を掻い潜るようにしてそれを避け、背後に出ると、振り向きざまにP250を撃った。

「……!」

 ビスケットも俊敏に体勢をこちらに向けてガードした。腕に当たった分はノーダメージだが、腹に当たった分は明らかにダメージを与えている。貫通はしないが痛みはある。

「これなら痛いんだ、やっぱり」

「小癪なガキだな、お前は!」

 拳銃の弾を嫌がり、飛び跳ねるようなステップで僕に迫ってくる。

 ――チャンスは一度きりだ。

 僕はP250で牽制しながらビスケットを引き付けた。

「……!」

 机の破片に左足を躓いた。僕は体のバランスを崩す。

 ビスケットの、全盛期の大山倍達の牛を殺す威力の空手チョップが迫る。その、勝利を確信した悦に入った表情が、僕にははっきりと見えていた。

 僕は右足で思い切り地面を蹴り、ビスケットの胴体の下に潜り込んだ。チョップをすり抜け、僕はビスケットの喉の下、天を仰ぐようにしてM4を構えた。

「誰が散弾しか込めてないって言ったの?」

 僕は躊躇なく引き金を引く。放たれた弾丸が、喉の下から頭を突き抜け、天井に穴を開けた。

「……アリクイ用のスラッグ・シェル。最初から一発目はダミーだよ」

 僕は体を起こすと、横に倒れたビスケットに向かってそう種明かしをした。

「まあ、もう聞こえていないか」




 僕とジャンは、屋上から街を眺めていた。これからすぐに騒がしくなるだろう。

「……それで、どうするの? 僕らは大犯罪者になったわけだけど」

「警察は来ない」

「それも買収?」

「いや、バックに付けたのはそんなチンケな奴らじゃない」

 そう言って、街の右手、遠く山脈が広がる南側を指した。

「ペルー政府の切り崩し派だ」

 僕は首をすくめて笑った。

「……兄弟、ホントに君は一体何をしたんだよ?」

「まあ、色々だ」

 そう言ってジャンも笑った。

 工場の中庭から、勝ち鬨のつもりだろうか、白花火が上がった。乾いた音と共に、碧空に白い雲がなびいた。

「そういえば、知ってるか?」

「何?」

「今日、年が変わったんだぜ」

 ……そうか。僕は大きく伸びをすると、ジャンに向かってこう返事をした。

「カレンダーなんて、気にしたことなかったよ」

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