アキレウスの盾 inner universe

七瀬夏扉@ななせなつひ

inner universe

 あのうちの一番小さな星でも空をめぐりながら天使のように歌を歌っているんだ、嬰児みどりごの眼をした天使たちの声に合わせて。

               

               『ヴェニスの商人』第五幕一場――シェイクスピア


 ☆


『こんばんは、ムーン&テラ――今夜も宇宙から、そして地球の上に輝く月からお届けしています、『オールナイト・ムーン』。パーソナリティの――オブライエンです』

 

 月の六分の一の重力に、さざ波のようなラジオノイズと――色気のあるバリトンの声が伝わって、静かに空気を震わせる。


『さて、まずは本日のトピックス。月の行政府は、各「月面都市」を繋ぐ「月面横断エクスプレス」の拡張工事を発表。これにより、これまで「フォン・ブラウン月面宇宙港」を経由しなければならなかった三都市は、直接各都市間を行き来できるようになるとのことです。続いて――』

 

「――ラジオを消してくれっ」

 

 低くて艶のあるラジオパーソナリティの声をかき消すように――

 ガラスをひっかいたような声が響き渡った。

 

 ブロッコリーのような頭をかきむしった病的なまでに青白い男性は、苛立ちを隠さずにデスクを叩きつけて『観測チーム』のメンバーを睨みつけた。彼の好き放題に散らかったデスクの上から、書類が束になって床に落ちる。

 まるで太陽嵐でも起きたみたいに。


「ちょっとセーガン、思うような観測結果が出ていないからって――私たちに当たり散らすのはやめてくれる?」

「リン、君は黙ってろ。そもそも、なんで仕事中にラジオなんか聞かなくちゃいけない? ただ低い声で、意味のないことを並べたてるパーソナリティの話を聞くなんて、僕はゴメンだ。地球の古臭いクソみたいなポップソングばかりを聞かされるなんて、なおさらゴメンだ」

 

 神経質な表情で、ブツブツと言葉をまくし立てるセーガンに――

 リンと呼ばれた女性は、やれやれと肩をすくめてみせた。

 

 集まっている他のメンバーは、そんな二人の様子を戦々恐々と見つめている。

 先ほどまで、色気のある声で本日のトピックスを伝ていたラジオは、すでに沈黙していた。

 まるで棺桶のように。


 ここは、月の裏側の天文台。

 月面に設置された宇宙望遠鏡『エウレカ』が観測したデータを検証し、分析する――『宇宙観測センター』の『観測チーム』が勤務する最前線の現場。

 通称『チーム・エウレカ』とも呼ばれる。


 セーガンは『宇宙観測センター』のナンバー2で――観測と分析を専門に行う現場部門のトップ。

 リンは現場部門のナンバー2で――セーガンの助手を務めている。

 二人とも天文学の権威であり、その他多くの博士号を修める学者であり、研究者であり実務屋。


「あなた、もう一週間も天文台に籠りっぱなしでしょう? 少し気が滅入っているのよ。穴の中のネズミじゃないんだから、休暇をとってアームストロングに帰りなさいよ」

 

 赤いハイネックのセーターの上から白衣を着たリンが――まるで、暗い穴倉からい出てきたみたいに薄汚れた白衣姿のセーガンをなだめる。

 まるで、美女と野獣が向かい合っているかのような光栄だった。

 野獣とはいっても野ネズミだったけれど。


「こんな大事な時期にか? 観測中の『流星群』は――今この瞬間にも、この月に、我々に迫ってきているんだぞ?」

「ええ、大事な時期だからこそよ。それと、あなたの言葉を補足させてもらうと――『流星群』が到達するのは、約一年後ね」

「もう一年しかない」

「それは、見解の相違でしょうね? 一年も――という考えもできるもの。私も、こんな穴倉に籠っているにうんざりしてきたところだし、今週末は宇宙遊泳にでも行こうと思っているの――よかったら、あなたも一緒にどう?」


 彼女は頭の高いところでまとめていた黒髪をほどいて、『自分も息を抜く』といった仕草を取って見せる。


「僕は、運動は苦手だ。いいだろう、アームストロングに帰る。久しぶりに羽を伸ばして、図書館にでも行って調べものでもするさ」

「それって、羽を伸ばすことになるのかしら? 今の巣穴から別の巣穴に移るだけなんじゃ――まぁ、いいわ」

 

 リンは、上司を上手くコントロールしたことを隠す様子もなく――二人のやりとりを見つめていた他のメンバーに、とびきりのウィンクで戦果を報告してみせた。

 

 休暇いう名の戦利品を高く掲げるように。

 

 しかし、この瞬間も天体は自転と公転を続けている。

 宇宙は、ものすごい速度で膨張を続けている。

 

 セーガンが見つめていたコンピューターの画面の向こう側。

 宇宙望遠鏡『エウレカ』によって今も観測されている遥か遠くの宇宙では――数億を超える『流れ星』が『一つの群体』となり、長すぎる行進ロンゲスト・マーチを続けている。


『流星群』となって――

 この月と、地球に向ってきていた。

 

『星の歌』を響かせながら。


 ☆


 人類が月に進出してから、もうずいぶんと時が経っていた。

 かつて、たった一人の宇宙飛行士の小さな一歩でしかなかった足跡は――その後に続く多くの者たちの足跡によって、大きな飛躍を果たした。


 現在の月には、三つの『月面都市』と大規模な『宇宙港』が存在する。そして月は、地球に存在するどの都市や国家よりも、経済規模の大きな巨大な星となり――巨大な経済圏を築き上げている。


 月の経済圏を支えるのは、月面を覆う月の砂である『レゴリス』。

 この『レゴリス』という砂には、『ヘリウム3』と呼ばれる地球にはほとんどないエネルギーが含まれている。そして月には、人類が数千年使ったとしても使い切れない膨大な量の『レゴリス』が――『ヘリウム3』があった。


 かつて人類は、地球から宇宙船を打ち上げることによって宇宙に進出をしていたが、『軌道エレベーター』の開発と建造によって、コストをかけることなく宇宙に出れらるようになり――その結果、競うように月面への進出を果たした。


 月の金貨である『レゴリス』を求めて。


 その後、月面への大規模な『植民計画』を経て、宇宙開発の最前線は地球から月へその場を移した。

 

 そして現在、『ルナリアン』と呼ばれる新しい人類が月に誕生していた。

 そんな新しい人類であり、成長したルナリアンたちの多くは――宇宙開発の最前線で働き、今日こんにちの人類の宇宙進出の未来を担っている。


 ノンナも、そんなルナリアンの一人。


「セーガンさん、今地球に近づいている『流星群』の観測結果のなにがそんなに不満なんですか?」

 

 ノンナは、短く切り揃えられた黒髪をかきながら質問をする。

 森の小動物のようにつぶらな灰色の瞳と、雪原のように白い肌。その上にまたあどけない表情を残す彼女は――月の大学からのインターンだった。


「そんなことも分からないのか? 次から天文台に来なくていいぞ」

 

 セーガンは資料に目を落したまま、ノンナを冷たくあしらった。


「そんなー? セーガンさんはいつも冷たいんだから。たまには分りやすく指導してください。あと、できれば優しくがいいです。良くできたら、褒めてもほしいなあ」

「黙れっ。この出来損ないがっ」

「ひやっ」


 セーガンはアメリカ人のくせに、気さくさも、愛嬌もない――およそ面白味のない男だった。もちろんジョークの一つも言わないし、言えない。かなりの偏屈で、病的に神経質な性質タチで、同僚や部下からも変人として扱われている。優秀な天文学者ではあったが、優秀すぎる故に回りがついていけず、その気性や性格もあって距離を置かれている。


 しかし、ここにいる二人の女性は違っていた。


 セーガンの弟子を自称するノンナは、生来の人懐っこい性格で彼に冷たくあしらわれても気にせず、罵倒や嫌味もものともせずに彼に真正面から向かっていく。

 今も、セーガンからの助言をもらおうと果敢に挑んでいる。


「うるさい奴だ。『流星群』とは――そもそも何だ?」

 

 セーガンに短く尋ねられたノンナは、再び髪の毛をかきながら考える。


「『流星群』とは? その軌跡が天球上の一点を中心に放射状に出現する一群の流星のこと。流星現象を引き起こす『流星物質』を放出した『母天体ぼてんたい』があって、『母天体』の周囲には一群の『流星物質』が細い帯状に伸びている。これを『ダストトレイル』と呼んで――」

「センスのない解答だ。そんな教科書に乗っている説明が今必要だと思っているのか?」

「えー、ちょっと待ってください。えーっと、そもそも『流星群』とは――とわ? とわ? とわ?」

 

 ノンナはパニックになりながら必死に頭を回転させる。

 星の輝きのように閃きを求めて。


「少し落ち着いて整理してみましょう」

 

 すると――


 二人の様子を眺めていたもう一人の女性――リンが助け船を出す。セーガンの優秀さと勤勉さを誰よりも知っている彼女は、いつだってセーガンと周囲の人間との軋轢あつれきを軽減するための、緩衝材の役を買って出ていた。まるで、セーガンと周囲の人の間を渡る一艘いっそうの小舟のように。

 男勝りな性格で、さらに我の強いタイプの女性ではあったが、日本人らしい細やかな気配りができるのも彼女の特徴だった。


「まず、今回の『流星群』の特徴は?」

「えーっと、これまでの『流星群』とは比べものにならないくらい『母天体』が放射した『流星物質』の空間分布が広いことですか?」

「そうね。この『流星群』は、かなりの広範囲にわたって『ダストトレイル』が伸びている。あまりに広範囲なので、私たちは『流星群』の全体像をつかむのに苦戦していて、今も解析と分析を続けている。そうよね?」

「はい。なので『仮想マッピング』を用いて、『流星群』の全体像をシミュレーションしました」

「なら、全体像が見えた『流星群』から、私たちが理解できることはなにかしら? その解答と――セーガンの質問の解答は一致すると思うけれど」

「そうかっ」

 

 リンは優しく道を照らして、ノンナを導いて見せた。

 まるで星と星を繋いで星座を描くように。


「『放射点ほうしゃてん』ですね? 『流星群』が飛び出してくる一点に見える場所――そこを探しているんですね? ああ、どうしてこんな簡単なことに気が付けなかったんだろう?」

「ようやく分ったか。そうだ。その『放射点』がまるで見つからないから苛立っているんだ」

 

 セーガンは言葉通り苛立ちながら言った。


「でも、『流星物質』は万有引力が働いているわけでもありませんし、恒星の引力や磁場なんかで『放射点』がズレたりすることもあるので――」

「知ったような口きくな。そんな単純なことを、我々が計算に入れてないとでも思っているのか?」

「ひやっ」

 

 セーガンから落ちた隕石で、ノンナは泣きそうな表情を浮かべた。


「マッピングした『流星群』の全体像をいくら分析しても『放射点』はおろか、この『流星群』がどこから来たのかも分らないから苛立っているんだろうが? 通常、『流星群』には『放射点』に近い星座から名前をとるが、この『流星群』は出自が全く分からない為、未だに『X流星群』のままだ」

 

 Xとは――つまり未知であるということ。

 この未知の『流星群』がどこから来たのか、観測チームはまるで手掛かりもつかめずにいて、そのことがセーガンを苛立たせていたのだった。


「途中で大きく進路や軌道を変えているってことでしょうか?」

 

 ノンナは負けじとセーガンに質問をぶつけた。

 隕石が降り注ぐことを覚悟して。


「その可能性も考えられるな」

「ええっ、でもそんなことってあるんですか」

 

 隕石が落ちずに、自分の意見が肯定されたことにノンナは驚く。


「あくまで可能性だ。この『流星群』は、これまでの『流星群』とは、まるで性質が違う。まるで我々人類にその姿を見せるためだけに、真っ直ぐこちらに向かってきているかのような軌道だ。有意とでもいうべきか――何者かの意志が介在している気さえする」

「有意? 何ものかの意志? 『流星群』自体に意志があるとか?」

「それが分れば苦労はしない。『アームストロング』に帰ろうとも思わん」

 

 そう吐き捨てながら、セーガンは車窓から月面の景色を眺める。

 三人は現在、月面都市アームストロングへの直通列車の中にいた。


「どこから来たのかまるで分からないなんて、ほんと不思議な『流星群』ですね? まるでレールの轢かれていない列車みたい。流れ星たちは不安じゃないのかなあ?」

「『流星群』に、不安を感じるような意識があるわけないだろが? この出来損めが」

「ひどいっ。セーガンさんが有意って言うから、星に意志みたいなものがあるのかと思ったのに」

「バカかっ? 『流星群』の全体像や、これまでの軌道、『ダストトレイル』を見ての分析結果だ。あまりにも人工的すぎるといういう意味に決まっているだろうが」

「でも、星が歌うって知ったました? もしかしたら意識みたいなものがあるかもしれませんよ」

「星が歌う現象は、すでに解明されている。あれは歌っているのではなく、星が固有の振動数をもっているだけという話だ。それも強力なレーザー照射しなければ発見もできない代物だ。さらに言えば宇宙は音を伝播できないので、我々がその音を聴くことは叶わない」

「もしかしたら星同士には聞こえているのかも。そう考えるとロマンチックじゃありませんか?」

 

 セーガンは、ついに呆れてノンナへの説明を止めた。

 ノンナは、進んでいくレールの先を眺めながら――遠い宇宙から向かってくるレールの轢かれていない『流星群』に思いを馳せた。

 

 星の歌に耳をすませるみたいに。

 

 ☆

 

 その未知の『流星群』――

『X流星群』と呼称された流れ星の一群が発見されたのは、大型宇宙望遠鏡『エウレカ』が稼働して直ぐのことだった。まるで、巨大な目で宇宙を眺めはじめた『エウレカ』に見つけてほしいと言わんばかりのタイミングで、それを発見した時、観測チームのメンバーは皆大声で「エウレカ、エウレカ」と叫んだほど。冗談ではなく。


 この『Ⅹ流星群』の特徴は、セーガンが言うように『放射点』が見つからないということも一つだったが――それ以上に、『公転周期』を持たず(あるいはまだ見つからないか、数千年以上の長周期を持つか)、ただ一直線に月と地球から観測ができる軌道を取っているということだった。


 通常、『流星群』は公転周期を持ち――数年から数十年、または数百年をかけて太陽の周りを待っている。三大流星群である『しぶんぎ座流星群』、『ペルセウス座流星群』、『ふたご座流星群』の公転周期は一年で、そのため毎年決まった時期に観測することができる。


『流星群』は、数百メートルから数キロの『母天体』一つと、その『母天体』から剥がれたり、崩れたりした星屑ほしくずである流星物質によって構成されるのだが――この『X流星群』は複数の彗星から構成されており、そして、その中心にある『母天体』の大きさは過去最大規模の大きだった。


 約五十キロの彗星核をもっていた1997年の『ヘールボップ彗星』の約倍――百キロを超えるという観測結果が出ており、この大彗星の周りを、数キロメートルを超える数千の彗星が取り囲んでいる。


『流星群』というよりは――まるで『彗星群』と言ったほうが適切な現象だった。

 そして、その巨大な彗星の一群は、この月と地球を目指して、今この瞬間も行進を続けている。現在の観測結果では、月と地球の軌道を通り抜ける際に、人類への被害は予測されていないが――何か一つでも見落としや計算違いがあれば、人類とその文明に甚大な被害が出かねない状況なのは間違いのないことだった。


 場合によって月面開発始まって以降――初となる『宇宙軍』の出動や、核爆弾の使用さえ考えられる。


 セーガンが苛立っているのもそのためだった。

 せっかく羽を伸ばすために休暇を取って図書館に来たのだが、読んでいる本といえば天文学関連の物か仕事の資料ばかりで、リンが言った通り別の巣穴に移っただけ。一週間の休暇のうち、すでに四度この『静かの海記念図書館』を訪れているセーガンの顔色は、青白いを通り越して土気色だった。

 

 ずらりと並んだ書架に背を預けたセーガンは、床に積んだ山のような書籍に次々と目を通していく。放っておけば、彼は閉演時間まで平気でそうしていただろう。それが、さも当たり前といった顔で。


「あー、セーガンさんいたー」

 

 しかし、彼を放ってはおかない女性の一人が――セーガンを見つけて嬉しそう声をかける。


「やっぱり仕事してますね。リンさんに怒られますよ」

「黙ってろ。わざわざ邪魔をしに来たのか?」

「ひやっ」


 セーガンはノンナの服を見て、顔を丸めた資料のようにしかめた。天文台にいる時とはまるで違う――白いブラウスに、黒のタイトスカートと黒のタイツ。バレエシューズに良く似たパンプスに、赤のベレー帽という装いだった。


「なんだ、その格好は?」

「仕事中じゃないんですから、これくらい普通ですよ。私だって年頃の乙女なんですからね? 今日だって、仕事をしに図書館に来たわけじゃありませんし」

「仕事以外で、どうして図書館に用がある?」

 

 本気で意味が分からないと首を傾げるセーガンを見て、ノンナが重い溜息を吐いた。


「本当に仕事しか頭にないんですね? 今日もそんな白衣姿で」

「ほっておけ。で、何の用なんだ?」

「私は、ただ本を読みに来たんですよ。まぁ、リンさんにセーガンさんの様子も見てくるように言われましたけど」

 

 ノンナは言いながら、手に持っている古くくたびれた紙の本をちらつかせる。

 そこには『イーリアス』と記されていた。


「ホメーロスの抒情詩か。またずいぶんと古臭いものを」

「セーガンさん知ってるんですか? いがいですー」

「アキレウスの怒りから始まるトロイア戦争の物語。ギリシアの抒情詩としては最古の詩だ。神話と天体は古くから密接な関係をもっているからな。地球にある、およそ全ての神話には目を通している。物語自体には興味も持てんが」

「すごいー」

「当然のことだ。で、どうして『イーリアス』なんてものを?」

「私、大学で天文学を専攻するか、文学を専攻するか悩んでたんです。結果、天文学を専攻しましたけど、文学は今も好きで最近は抒情詩や神話を読むのにハマってるんです。シェイクスピアとかプルーストとかトルストイなんかも好きです」

「文学を専攻したほうが良かったんじゃないか? 今からでも遅くはないぞ」

 

 セーガンの辛辣な物言いにも動じることなく、ノンナはにっこりと笑ってみせた。


「私、そんなに才能とかセンスがないですか?」

「どうして天文学を専攻した?」

「隣、良いですか?」

 

 ノンナは彼の隣を指差し、セーガンは構わないと視線で合図をした。

 彼女は書架に背を預けた。

 

 図書館は森の中にいるような静けさに包まれていて、紙やインクといった本の匂いが充満している。ノンナはまるで無限の星のように広がった知識の宇宙を眺めて、ゆっくりと口を開いた。


「天文学を選んだのは――私の中の星が、そうささやいたからです」

「星? ルナリアンの直感というやつか?」

「かもしれません。私は、この宇宙で一番ロマンチックなことを仕事にしたかったんです。地球の文学を研究するのもとても素敵だけど、この宇宙で一番遠くまで行ける天文学が、一番素敵でロマンチックだなって――私の中の宇宙で、星がそう囁きました」

「『私の中の宇宙』か」

「おかしいですよね?」

「いや、おかしくはない。僕はルナリアンの直感の鋭さを何度もこの目で観てきた」

 

 ノンナの話を聞いたセーガンは、ノンナの言葉を否定せずにそう言って続けた。


「僕は、宇宙飛行士になりたかった。憧れだった。でも、運動はクラスで一番苦手だった。過酷な訓練に耐えられる肉体も持って生まれてはこなかった。しかし、僕が生まれた時代は誰でも宇宙に上がれる時代で、僕は運が良かった。僕は誰よりも優秀で、天文学は宇宙に上がるための手段に過ぎなかった」

「嫌味な話ですね」

「世の中には――初恋の女性との約束や、星の囁きなんかを原動力する人間がいるが、そんなものはどうでもいい。始まりが何であるかなんて全く関係ない。才能やセンスがあるかもどうでもいい。大事なことは――常に探究心を持ち続けるということだ」

 

 セーガンは、かつての自分を思い出すように遠くを見て言った。

 これまで読んできた数々の本の背表紙を眺めながら。


「ノンナ、確かに君には才能やセンスがない。その上、私のように優秀でもない。しかし、未知にたいして臆せずに向かっていく勇気と探究心だけは備わっている。後は、ルナリアン独特の直感がある。今のところは、それだけ備わっていれば十分だろう」

 

 セーガンの言葉を聞いたノンナは、目に星屑のような涙を浮かべながら彼を見た。


「セーガンさんって、たまにすごく優しいですよね」

「黙ってろ、この出来損ない」

「ひやっ」

 

 会話を終えた二人は、それぞれの宇宙に戻って行った。

 弛まぬ探究心を胸に灯しながら。

 

 ☆

 

 それから三カ月が過ぎても――

『X流星群』の『放射点』はおろか、この星たちがどこの宇宙から来たのか、なぜ複数の彗星を伴っているのか、そして、なぜこのような有意とも思える軌道を取っているのかを、観測チームはまるで解明できずにいた。


 そのことで、セーガンの苛立ちは頂点に達していて、剃刀カミソリのように鋭い神経質さは他人を切りつけんばかりだった。

 ノンナでさえ、声をかけるのを躊躇ちゅうちょするほどだった。


「セーガンさん、頼まれていた資料持ってきました」

 

 ノンナが声をかけるが、セーガンはホワイトボードに張り付けられた『X流星群』の『ダストトレイル』――『流星群の空間分布の全体像』を映した画像を眺めながら、まるで呪詛じゅその言葉を呟くようにブツブツと言っているばかり。


「いったい、この『母天体』と彗星群の位置関係は何なんだ? まるで『母天体』を中心に据えた円を描くように配置されていて、さらに、その周囲を『流星物質』が取り囲んでいる。通常、『ダストトレイル』は尾を引くように、その名称の通り『塵の通り道』のように見えるはずだが――この『ダストトレイル』はなんだ? まるで完全な円を描いているようじゃないか? それに、これによく似た映像をどこかで見たことがあるような気がするんだが、まるで思い出せん――」

 

 ノンナもセーガンの隣に並んで『X流星群』の画像を眺めてみる。

 すると、あることに気が付く。


「これ、『アキレウスの盾』みたいですね」

「――何っ、今なんて言った?」

 

 セーガンが顔色を変えてノンナに詰め寄る。


「『アキレウスの盾』ですよ。英雄アキレウスが、トロイア最強の戦士ヘクトールと戦う時に用いた盾です。その盾の装飾は、中心から外側にかけていくつも階層に分けられていて――大地や海や空、太陽や月や星など、まるで宇宙全体を閉じ込めたように描かれているんです」

「宇宙全体を閉じ込めたような盾?」

 

 その瞬間、セーガンの脳裏に閃きが生まれた。

 まるで、彼の中の宇宙で星が囁いたみたいに。

『私の中の宇宙』と言ったノンナの言葉と共に、その星は輝きを増す。


「『私の中の宇宙』? そうか、この『流星群』自体が一つの宇宙を形成していると仮定すれば? 移動する銀河のようなものだとしたら? だとしたら、『母天体』が彗星群を留めている力は何だ? 万有引力が働かない状態で、いったいどうしてこの一群は――ノンナ、君はあの列車の中で、この『流星群』にたいしてなんと言っていた?」

「列車? アームストロングに帰る時のですか? えーっと――『流星群』に意志があるみたい、ですか?」

「意志?」

「ほら、『星の歌』ですよ」

 

 ノンナの言葉を聞いて、またしてセーガンの宇宙で星が囁く。

 そして、アームストロング行きの鉄道で交わした会話を鮮明に思い出した瞬間――まるで流星が降り注ぐように、彼の中で閃きの連鎖が起こった。


「星の持つ固有の振動数か? 星同士の振動――つまり、共振によって互いを引き寄せ合っているとしたら? リンっ、今直ぐにレーザー照射の準備をしろっ」

 

 セーガンは、巨大な列車が動き始めたことを理解した。

 おぼろげながらも見え始めたレールの先の終着駅に――期待で胸を震わせる。

 

 探究心という名の列車は、大きく前に進みだす。

 人類の未来を乗せて。

 

 ☆

 

「全員、傾聴けいちょうしてくれ。大型宇宙望遠鏡『エウレカ』が発見した、公転周期を持たない未知の『流星群』――『X流星群』は、中心の直径百キロを超える『母天体』を核に、数千を超える彗星の一群によって構成されている。この『母天体』と、彗星群を引き合わせ、繋ぎ合わせている要素が何であるか? それがようやく判明した。大出力のレーザーをこの『流星群』に向けて照射し、その様子を観測した所――このような結果が出た」

 

 セーガンは、スクリーンに一枚の映像を映し出す。

 そこには中心の『母天体』から周囲の彗星群、さらには『ダストトレイル』を構成する『流星物質』が互いに固有の振動を放ち、その振動によって密接に結びついている様子が克明に映し出されていた。


「そう、この『流星群』は互いに固有の振動を放ち、共振し合うことで『流星群』を形成しているのだ。そして諸君らは、この映像を見て何か気が付かないだろうか? この映像は――我々人間のある部分と非常に酷似しているのだ」

 

『流星群』を構成する『母天体』、『彗星群』、『流星物質』――数億を超える星や星屑が、互いに振動を放ちながら密接に結びついている。


 まるで光の道で互いを繋ぎ止めているみたいに。


「大脳の神経細胞ね?」

 

 リンが信じられないと漏らした。

 彼女の答えこそ、セーガンが『流星群』を見た時に引っ掛かりを覚えていた――どこかで見たことがある映像そのものだった。


「その通りだ。この『流星群』は、我々の『脳』によく似た構造をもっている。『母天体』を脳核、彗星群や『流星物質』をニューロン、そして固有の振動をシナプスに置き換えれば、この『流星群』は、まるで『アキレウスの盾』のように、一つの宇宙や世界をもった『脳』と仮定することができる?」

「つまり意思や意識があると? この『流星群』が何かものを考えて、目的を持って人類に近づいていると? 信じられない」

 

 メンバーの一人が、意味が分からないと声を荒げる。


「もしかしたら、人類に恋をしてるのかもしれませんよ?」

 

 ノンナの冗談で笑い声が漏れ、場の空気が和らいだ。


「そうね。これを公表すればハリウッド映画化は間違いなしでしょうね? 全米が泣くかも」


 リンも冗談めかしてノンナの発言に続いた。


「つまらない冗談で、私の発言を遮るな。意思や意識があるとは言っていない。しかし、私はこの『流星群』が一種の『万能チューリングマシン』――つまり、『計算機』ではないかと仮定している。これを一つの『コンピューター』だと思ってほしい。星たちは、互いに振動を送ることで何かを計算しているのだ。あるいは――星たちが、長い夢をみているのかもな」

 

 セーガンのその言葉に、集まったメンバーの全員が言葉を失った。

 まさか、彼が冗談を言ったのかと。


「すまない、つまらない冗談だ。残念ながら、我々にその計算の内容を知ることはできないが――『X流星群』が月と地球の軌道を通過する間、この固有の振動数を記録し続けることで、我々は未来にこの問題の答えを託すことができる」

 

 セーガンは答えを口にしつつも、この問題の真の解答を自分たちで見つけらないことに悔しさを感じていた。


「しかし、この『流星群』を観測したことで、僕は一つのことを確信した。この宇宙には、有意な『何かが』存在しているということだ。今の人類では到底及ばない、『未知の何か』が存在しているといことを。この『流星群』をたどった先に、我々の観測するべき答えがあると――私は今、確信している」


 セーガンは、一つの決意を口にした。

 見えないレールの先を進んでいくのだという、断固たる決意を。集まったメンバーから割れんばかりの拍手が巻き起こる。まるで、流星群が降り注いだように。

 

「さて、この『X流星群』の報告書を今夜中にまとめなければいけなのだが、残念なことに、この『流星群』と『母天体』である大彗星には――まだ固有の名称がつけられていない。そこでだ、ノンナ――君に、この『流星群』と『母天体』の名称を付けてもらいたい」

「私ですか?」

 

 ノンナはあまりの驚きで、目と口を大きく開いて尋ねた。


「そうだ。君の中の宇宙で囁いた星が――私を、私たちをここまで導いてくれた。だから、君が名前をつけろ」

 

 セーガンにそう言われたノンナは、迷いことなく口を開き――そして命名した。


「『アキレウス彗星』」

 

 母天体である大彗星には、『イーリアス』に登場する大英雄の名を冠した。


「『アキレウス彗星』。『流星群』の名称はどうする?」

「『トロイア流星群』です」

「『トロイア流星群』? 理由を聞いてもいいか?」

「私たち人類に何か新しい気付きをもたらす――きっと、『神話の始まりのような流星群』だからです」

「感傷的でロマンチックすぎるが――まぁ、悪くはないだろう」

 

 その瞬間、『X流星群』は――


『トロイア流星群』となった。


 母天体である『アキレウス彗星』によって降り注ぐ、公転周期を持たない流星群。固有の振動を放ちあう『万能チューリングマシン』の役割を持つ宇宙の計算機。

 

 神話の始まりを予感させ――

 人類に気づきを与える何か。


 ☆


 その『流星群』の観測を続けた結果――

 人類は、星の歌を記録することに成功した。

 聴くことができない歌を。


 それは、まるで何も録音されていない真っ白なレコードだった。

 しかし、未来に託すべき一枚のレコード。

 

 いずれ人類が解読し、その『流星群』が何を計算し――どんな夢を見ていたのかを知るための大切な記録。

 

 今夜、『トロイア流星群』が月と地球の軌道を通過する。その存在を示し、人類に観測されることを目的といるかのように。何かの気付きを与えるように。

 

 そして、今夜――

 多くの人たちが、その流れ星を見つめながら願いをかけるだろう。

 

 未来に希望を託すように。

 


『こんばんは、ムーン&テラ――今夜も宇宙から、そして地球の上に輝く月からお届けしています、『オールナイト・ムーン』。パーソナリティの――オブライエンです』



『本日は「トロイア流星群」がピークを迎える絶好の観測日和。遠く離れた宇宙から旅をしてきた無数の流れ星たちが、太陽系を通り過ぎて別の宇宙に旅立っていく姿が――最も美しく見えるはずです。「トロイア流星群」の様子は、昨年稼働した月の裏側の大型宇宙望遠鏡「エウレカ」がバッチリと観測をしています。ライブ配信もしてくれているので、そちらもチェックしてみてください。むむむっ? たった今、僕も流れ星を一つ見つけましたよ。さぁ、リスナーのみんなも――流れ星を見つけて願いをかけてみよう』



 それから約数週間後――セーガンたち観測チームは、『トロイア流星群』の『予測放射点』を発見することに成功する。

 

 月の裏側の宇宙望遠鏡『エウレカ』はそれを注意深く観測し、再び人類に新たな気付きをもたらす発見を、神話の始まりを予感させる発見をするのだが――


 その話は、また別の星の巡りで。

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アキレウスの盾 inner universe 七瀬夏扉@ななせなつひ @nowar

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