第三話 急

 地蔵菩薩が、眉をひそめて私のところにやってきた。

「君、ちゃんと仕事をしてくれないと困るじゃないか。賽の河原に小石の摩天楼が林立しているぞ。ここは紐育ニューヨークか?」

「……すんません」

「世の中の無常を知り、救済の有り難さを知ることで、次の輪廻に備える心構えが出来るのだよ。それが、賽の河原で達成感を得て、努力が報われる喜びを知り、次の世界で一層自己実現に励むという煩悩を抱いておるではないか」

「はあ、面目次第もございません」

 先日の問答から、どうにも塔を崩しづらくなってしまったのだが、私の職務怠慢とそしられても仕方のないことなので、素直に謝る。

 地蔵菩薩も、事情はなんとなく聞いているらしい。

 私を詰問するためにではなく、必要な苦情を正確に伝える役割に徹している。

 さすがは地蔵菩薩だけのことはある。

 ところが、

「……まあ、いまさら言ってもせんのないことだがな。ところで、だ――」

 と、そこで地蔵は口ごもった。

 明らかに迷惑そうな顔をしている。

 いつもは人の良さそうな笑みを浮かべている地蔵菩薩の、本心から迷惑そうな顔というのはなかなか稀少価値が高いが、私はすぐに原因に思い当たった。

 案の定、地蔵菩薩はくだんの子供のほうを見ながら、声を潜めて言った。

「あの子なんだが、もう暫くここに置いて貰っては駄目かのう?」

「ええっ、なんでですか?」

「いや、今極楽に連れて行くとあれやこれやに『これはおかしい』と難癖をつけそうで、正直面倒臭いのだ。先ほど『救済してあげましょう』と言ったにもかかわらず、『どうして貴方を親だと思わなければいけないんですか』と返された」

「ああ」

 私は納得した。

 確かに彼ならばそう言うだろう。

 しかしながら、せっかく厄介払い出来そうなのに地蔵菩薩に日和ひよられて、ここに置いていかれても困る。

「極楽のほうならば気の長いお方が一杯いらっしゃるじゃあありませんか。その方々が丁寧にご説明されるから、別に宜しいのでは? お時間も死ぬほどあるでしょうし」

 私は少々焦りながらこう言いつのった。

 すると、地蔵菩薩の顔がさらに引きる。

 こうなるともう稀どころの騒ぎではなく、私は今までに一度もそんな姿を見たことがなかった。

 嫌な予感がしたので訊ねてみる。

「――あの、もしかして他にも何か言われたとか?」

「……ああ」

 地蔵菩薩は、不動明王もかくやというほど立派な火焔を背後から巻き上げながら、押し殺した声で言った。

「極楽のような自己実現欲求のない、ぬるい人たちの中で生きていくなんて嫌だ。向上心のない、人の善いところだけが取り柄の大人なんて、悪人以上に百害あって一利すらない。ご免です。そう言い切りおった」

 善人というのは、怒らせると際限がなくなるので、とても怖い。

 地蔵菩薩は顔色まで変わっている。

 私は二の句が告げなかった。


 *


 ところが、この話はその後、意外なところに落ち着いた。


 地蔵菩薩の、

「面倒臭い子供が賽の河原にいる」

 という話を聞きつけた、文字通り地獄耳の閻魔大王から、直々に、

「そういう子供ならば、是非私のところでお預かりしたい。実に得がたい貴重な人材ではないか」

 という要請があったのだ。

 そのことを子供に伝えると、

「ふむ」

 と言って、いつものように右手を顎に当てて考え込んだ彼は、さほど間を置かずにこう言い切った。

「流石は閻魔大王様、よく分かっていらっしゃる。そのオファー、つつしんでお受け致しますとお伝え下さい」

 現在、その子供は閻魔大王の側近として地獄の法廷にいる。

 今でも、

「なんだかおかしくないですか」

 と言っては、亡者に圧迫面接を行っているらしいが、私は詳しく知らないし、知りたくもない。

 しかしながら、次第に賽の河原にも、

「閻魔様のところに面倒臭い餓鬼がいるから、早めに極楽往生しないと大変だぞ」

「この間も『また貴方ですか。何度ここに来たら気が済むんですか? 馬鹿なんですか? 死ぬんですか? いや、既に死んでいますけど、もう一遍死にますか?』って、虫でも見るような目で言われた奴がいたらしいぞ」

 という噂話が聴こえてくるようになった。


 誠に地獄らしい仕儀ではある。合掌。


( 終わり )

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賽河原獄卒問答(さいのかわらごくそつのもんどう) 阿井上夫 @Aiueo

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