第二話 破

 冥土めいどを流れる三途の川には、賽の河原がある。

 親よりも先に死んだ十歳に満たない子供の亡者は、この賽の河原で父親や母親のことを想いながら、現世で積み切れなかった功徳くどくを積むために、小石を重ねて塔を作ることになっている。

 そして、それを絶えず邪魔するのが地獄の獄卒たる鬼の役目である。

 ある程度積み上がったところを見定めて、鉄棒でそれを完膚かんぷなきまでに突き崩すのだ。

 子供が泣きながら、それでも現世の両親のことを想って石を積み上げていると、いつしか地蔵菩薩が現れ、

「今日からは私のことを冥土の親だと思いなさい」

 と言って、抱き上げる。

 それが救済の合図だ。

 法華経の中の一節から始まって、鎌倉時代に次第に形を成し、江戸時代に『賽の河原地蔵和讃』という本に書き記されたという、由緒正しい様式美である。


 *


 ところがその子供は、全くその流れを知らなかった。

 まあ、今日びそう珍しいことではないので、私が、

 ――現世の連中はなんでこんな重要なことを、死ぬ前にちゃんと教えておかないんだよ。

 と、内心むっとしながらも時間をかけて説明していると、急に彼はこんなことを言いだした。

「それ、なんだか理屈がおかしくない?」

 最前の渡し守の話から面倒臭い餓鬼だと知っていた私は、威厳を持ってこう答えた。

「おかしくはない。子供は現世で徳を積む時間がなかったから、賽の河原で両親のことを想いながら石を積むことで、同時に功徳を積んでいることにしているのだ」

 ――さあどうした。これが大人の道理だぞ、納得しろよ。

 私がそう考えながら上から目線で腕を組んでいると、顎に右手を当てて考え込んでいた子供は、ぽつりと言った。


「親のことを二度と思い出したくない子は、どうすればいいのさ?」


「はあ?」

「虐待されて殺された子だっているはずだよね。昔からそういうのってあるんじゃないの? なのに親のことを想って石を積めって、随分と残酷過ぎる仕打ちだよね」

「あ? それは君、生んでもらった恩というのがあってだね――」

「生んでくれて有り難うだなんて、そんなの親の側の身勝手な妄想だよ。中絶、虐待、育児放棄と、親としての義務は全部放棄して感謝しろというのはおかしくない? そりゃあ、事情がある人もいるだろうから百歩譲ってもいいけどさあ。普通はさあ、黙ってして貰っていたことに後になって自分で気がついて、そこから深く感じ入るのが『親の恩』というものじゃないの? それを上から押し付けるのはどうなのかなあ?」

「あ、あ?」

「それにさあ、児童虐待のようなひどい目にあったかもしれない子供が積んだ石を、貴方は無慈悲に崩すんだよね。それって大人として恥ずかしくないの? 現世の公園の砂場で、いい年した大人がそれをやったら大変なことになるんだけど。ヤクザでもやらないよ、そんな恥ずかしいこと。さらに世界の残酷さを教え込むってこと? 何の教育的指導なの? ただのハラスメントだよね、そんなの」

「あ、あ、あ?」

「それとも、自分の仕事だから仕方ないとか思っているわけ? 仕事のためなら良心を売り渡すの? そんな人が親の恩を僕に説くの? 鬼だからって、心まで鬼になりきる必要があるの? それが貴方の自己実現なんですか? それこそ親に恥ずかしくは――」

「……この餓鬼ァ、黙って聞いてりゃ四の五の五月蝿ぇんだよ!」

 私は思わず、赤鬼の如くたけり狂った。

 すると、目の前の子供は急に黙りこんで、下から見上げる嫌な目つきをする。

「な、な、なんだよその目は」

「いるよね、こういう大人」

「はあ?」

「仕事だから――それでこの世のことわりを全部説明したつもりになっている人。決まり事には無言で従い、最善を尽くすのが大人だと思っている人。自分では何も判断してない、できない癖に、身分だけで偉そうにできると思っている人。駄目駄目じゃん。子供より子供じゃん」

「……」

「ああ、やだやだ。鬼ってもう少し男気があるのかと思っていたのに、ただの色のおかしなおっさんじゃん。はいはい、こちらが大人になって大人しく従いますよ。それならいいんでしょう? よかったね」

 そう言って子供は、本当につまらなさそうに石を積み上げ始める。


 私は四方から自分を見つめている子供の目を感じ、大層居心地が悪かった。

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