遺留品

ツヨシ

本編

家の近所で殺人事件があった。


殺人事件自体は日本ではそう珍しいことではないが、それが自分の住んでいる近くで発生するというのは、結構珍しいことであると言えよう。


大半の日本人は、近所で殺人事件などないままに一生を終えるだろうし。


殺されたのは若い女性。


身元は今のところわかっていない。


市の北に位置する山の林道から少し脇に入ったところで、林業に従事する男性が見つけたのだ。


ちなみに私の家は、林道入り口のすぐそばにある。


あのあたりを整備するのはせいぜい五年に一度で、その整備期間は一週間程度とのことだから、死後数日の遺体が見つかったことは、被害者にとっては運がいいと言えよう。


誰かに殺されると言う不運を念頭に入れなければの話ではあるが。


死体は全裸で服以外の何かも身につけておらず、藪の中に放置されていたと言う。


林業従事者がその藪を刈り取らなければ、永遠に見つかることがなかったかもしれない。


山狩りが始まり、遺留品などの捜索が行われているが、まだ何も見つかっていないようだ。


死体発見の前日に大雨が降り、おかげで犯人の足跡などは絶望的とのこと。


身元も不明で、警察は早くも少しあせりの色を見せていると噂されているが、どちらにしても私には関係のない話だ。




死体発見の数日後、私は息子と近くの河川敷に出かけた。


野球好きの息子が「守備の練習がしたい」と言ったからだ。


本当はあと少しに迫った妻と娘の誕生日のプレゼントを買うつもりだった。


腹立たしい事に、妻と娘は偶然にも誕生日が同じ日なのだ。


だが、息子に変に甘い私は申し出を断れなかった。


どちらかと言えば、娘のほうを気に入っているはずなのに。


――まあ、どうしても今日買わないといけないというわけではないから。


言いつつ、私は誕生日プレゼントを買う資金、つまりお金に困っていた。


妻から月々もらう小遣いを数ヶ月切り詰めてプレゼント用に貯めこんでいたのだが、会社の先輩から「今日は新台入れ替えだから、必ず出るぞ」と半ば強引にパチンコ屋に連れて行かれ、気づいた時には資金の大半をつぎ込んでいた。


まずい、と思って止めることはやめたのだが、残りのお金でプレゼントを買ったとしても、いわゆる、安物、しか買うことができない。


そんな、安物、であの二人が満足するなど、あるはずもない。


そんなことを考えていると、息子が投げ返したボールを後ろにそらしてしまった。


地面に落ちたボールは、何かのはずみで大きく跳ね上がり、その勢いで後方にある藪の中に吸い込まれるように入っていった。


――まったくもう。


腰まである雑草を分け入っていくと、ボールはあっさりと見つかった。


――うん?


ボールのすぐそばに何かが落ちている。


布製の黒く小さな袋。


手にとってみると、袋の大きさのわりにはずしりと重い。


中を見ると、金のネックレスと金の指輪が入っていた。


昔とった杵柄で貴金属に詳しい私は、それが純金であることを見抜いた。


もし買えばいかほどになろうか。


デザインなどもあって、正確な値段が瞬時に出せるわけではないが、おおよその見当はつく。


どう少なく見積もっても、パチンコですってしまう以前の軍資金以上の価値がありそうだ。


一瞬、警察に届ける事も考えたが、私の手はその袋をポケットに押し込んでいた。


「パパ、まだ見つからないの?」


息子の声に我にかえり、「おうおう」と言いながらボールを拾って息子に投げ返した。


その時、誰かの声を聞いたような気がした。


はっきりと聞いたわけではない。


何を言っているのかもわからない。


ただ、それが若い女の声であることは、わかった。


そこであたりを見わたしてみたが、若い女どころか誰一人見当たらなかった。




家に帰り、飯を食って風呂に入り、寝る。


いつものことだ。


明日からまた仕事である。


――最近、休みが週に一回あればいいほうだな。


そんなことを考えながら、私はいつしか眠りについた。




どこだろう、ここは。


あたりは真っ暗だ。


いや、わずかながら光がある。


ただその光はどこからさしてくるのかがわからず、光の色も黒に近い赤なので、かなり暗く感じる。


その赤は、まるで凝固した血のような赤だ。


私があたりをきょろきょろしていると、何かが聞こえてきた。


若い女の声だ。


はっきりと聞こえる。


その声は、こう言っていた。


「置いてって」


――置いてって。何を?


考えているとまた聞こえた。


「置いてって」


悲しげな声だ。


何か言おうとしたところで、意識が途切れた。


気がつくと朝になっていた。


目がさめたのだ。




次の日も同じ夢を見た。


昨晩と同様の赤黒の塊の中に閉じ込められた私に、若い女の声が響いてくる。


「置いてって」


――何だというんだ。


何処にいるかも、誰かもわからぬ声に問いかけた。


「置いてって、って何を?」


すぐに返事が返ってきた。


「置いてって」


それだけだ。


質問には答えてくれない。


再び聞こえた。


「置いてって」


その直後、私は不可解な闇の世界から解放された。




二日続けて同じ夢を見た。


もともと夢などめったに見ない私にとっては、記憶にある限り初めてのことだ。


その上、夢が妙に生々しい。


あの奇怪な空間に自分が実際に居るような現実感。


おまけに怪異な光には、生血のような強い匂いが漂っているのだ。


むせかえるほどに。


だが夢で匂いなど、感じるものだろうか。


少なくとも私は、そんな経験をしたことが一度もない。


だが確かに匂っていたのだ。




翌晩も同じ夢を見た。


色、匂い、女の声。


しかし前と違うところもあった。


声は最初はいつものように「置いてって」と言っていたのだが、最後に「置いてってくれないのなら……」と言葉を変えたのだ。


置いていかないと、いったい何があるというのだろうか。


いやそれ以前に、置いていくものとはいったい何なのだろうか?




朝になった。


今日は妻と娘の誕生日である。


私はネックレスと指輪をかばんにしまい込むと、朝のラッシュの中、会社へとむかった。




会社からの帰りに、私は知り合いのギフトショップに寄った。


二人へのプレゼントを買うためではない。


誰も知らないうちに二人へのプレゼントに決まったネックレスと指輪をきれいに包装してもらうためである。


「これですか」


知り合いは嫌な顔一つせずに、ていねいに包装したくれた。


これでようやく満足のいくプレゼントができた。


胸をはって帰れるというものだ。




夕食後、気づけば娘がちらちらとわたしの方を見ている。


それは妻も同様だ。


息子だけがいつもと同じ。


二人とも催促しているのだ。


誕生日プレゼントを。


「はい、これ。お誕生日おめでとう」


唐突だった。


いきなりポケットからプレゼントをだすと、娘に渡した。


娘はびっくりしていたが、言った私もびっくりした。


もっともったいぶるつもりだったのだから。


しかし私がまだ驚いている間に娘は立ち直り、包装を取りのぞいて小さな箱を開けた。


「まあ」


金色の指輪。


女子中学生が身に着けるには、ちょっとババくさいか。


娘も最初そう思ったのだろう。しばらく何も言わずに指輪を見ていた。が再び立ち直り、指輪を手に取り、指にしっかりとはめた。


「パパ、ありがとう」


満面の笑み。


「娘でよかった」と思う瞬間だ。


息子は間違ってもこんな顔はしない。


次は妻である。


ポケットからプレゼントを取り出し、妻に手渡した。


妻は手に取ったとたんに包装を破り、中を確認した。


「まあ」


娘と同じことを言ったが、その印象はやや違う。


嬉しいという響きが、その声の中にあった。


「ありがとう」


めったに礼を言わない妻だが、高価なプレゼントは別のようだ。


さっそく首にかけると、金以外にさしたる特徴のないネックレスを指でつまみ、しげしげと見ている。


やがて、いつまで見ていても金がダイヤモンドに変わることがないと気づいたのか、立ち上がって台所に足を運んだ。


食後の後片付けのために。


妻が去ったあと娘を見ると、リビングに移動してソファーに寝転がり、私の知らないマンガを読んでいた。


もう指輪の事は、頭から消え去っているようだ。


――まあ、これでよしとするか。


私もリビングに移り、さして面白くもないテレビに目を向けた。


その時である。


「ぎゃっ!」


娘が悲鳴とも奇声ともとれるかん高い声を上げた。見れば左手を右手で押さえている。


「どうした!」


娘のもとに向かうと、娘は何も言わず、蒼白な顔でがたがたと震えている。


その時気づいた。娘の手から何かが、赤い何かがぼたぼたとしたたり落ちている。


「見せてみろ!」


強引に娘の手を取り、自分の目の前まで持ってきた。


生まれたときから毎日のように見てきた愛娘の手。


しかしその手は、いつもの娘の手とは違っていた。


その手には人差し指がなかったのである。


そしてその指にはめていたはずの指輪もなかった。


指輪とその先にあったはずの指が同時に消え去っている。


まるで誰かが、指輪ごと指をむしりとったかのように。


私は呆然と娘の手を見ていたが、不意に何かの予感、嫌な予感、強烈な予感が頭の中におりて来た。


――まさか?


私はつかんでいた娘の手を放り投げるように離すと、指を一本なくしたばかりの女子中学生を残し、急いで台所へと向かった。


台所には妻がいた。


しかし洗い物をしていたわけではない。


妻は台所の奥で、力なく床に倒れていた。


そしてその妻には、首がなかったのである。




      終                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

遺留品 ツヨシ @kunkunkonkon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ