#12I would rather walk with a friend in the dark, than alone in the light.

「もう最悪だよ、朝っぱらから呼び出し喰らってさあ。え、アリーもどっか行くの?」


 洗面台越しにコーディと目が合って、アリーはぎこちなく微笑む。まだ寝癖のついた髪にヘアウォーターを揉み込んでいる姿は、いつでもどこでも王子様スタイルを崩さない彼にしては珍しくかわいげがあった。

 結局アリーはコーディにデビューのことを伝えられないまま、GBCでの打ち合わせの朝を迎えた。呼び出しを喰らったということは、もしかするとコーディも目的地は同じだろうか。


(コーディ……怒るかな)


 ここで本当のことを告げたら、部屋に軟禁される気がする。ちょっとだけ後ろ髪を引かれながらも、アリーはコーディに背を向けてコートに袖を通した。


「い、行ってくるね」

「待って、アリー」


 首の後ろに手を差し込まれ、瞼の際に唇が掠める。もういい加減妹離れしてほしいけれど、満足そうな表情を見ていると、どういうわけかまあいいかなんて思えてくる。

 ここのところ、コーディの色々な面を見るようになったけれど、やっぱり少し嘘くさくても機嫌がよさそうな方がアリーも嬉しい。


「……コーディ、」

「ん?」


 歯ブラシをシャコシャコしながら、唇の端に白い髭をつけた兄に苦笑してから、首を少し傾げて呟く。


「ごめん、ね」


「アリー?」

 含みのある言葉に引っかかりでも覚えたのか、コーディが洗面所から出てくる。


「んーん、なんでもない、よ」


 テレビの天気予報が、午後からの積雪をがなり立てている。

 ニューファームに雪が降るのは今シーズンではじめてだけれど、このぶんではとてもロマンチックな気分に浸れる一日にはとてもではないがなれそうになかった。



   $$$



 灰色の曇天が重く垂れこめている。ニューファーム市庁舎でのリドルヒーロー登録手続きを終えたアリーは、ネイトとともに不機嫌な空の下に降り立った。

 GBC――グリモアン・ブロードキャスティング・カンパニーの本社は、ニューファーム・ピキオン西66丁目、アッパーウェストサイドにある。本社前の通りは、伝説のヒーロー・ジャバウォックにちなみ、ジャバウォック・ウェイと呼ばれ、ヒーローグッズ専門店が所狭しと軒を連ねていた。

 アリーもこのジャバウォック・ウェイには何度か通ったことがある。かつてはどの店にもブレットのブロマイドが置いてあったが、今では店の奥にひっそりと陳列されているか、コアなヒーローフリークが集まるような店でしかお目にかかれない。

 ショーケースの前では、同い年くらいの女の子たちがきゃあきゃあと盛り上がっている。横目でちらりと一瞥すると、シャツのはだけたコーディが甘く微笑んでいる抱き枕だったので、アリーはきっかり三秒ほど真顔になってしまった。

 本社のビルボードには、今をときめくヒーローたちが代わる代わる登場しては、決め台詞を叫んでいる。その下をくぐって玄関へと足を踏み入れると、吹き抜けの近未来的な空間がお目見えした。


「やあ、待っていましたよ」

 朗らかな声を仰向けば、長身の白髪交じりの男がネイトに手を差しだしていた。


「どうも。これがうちの新入りですよ。アリー、こっちおいで」

「は、はじめまして、アリシア・エヴァンズ、です」


 なんとか笑顔で歩み寄って、手を差しだす。歳は五十代半ばくらいだろうか。しっかりと撫でつけられた髪は清潔感が漂い、光沢のあるぴしっとしたスーツがエレガントに決まっている。


「スティーヴです。よろしくお願いしますね、アリシア」

 白い歯が覗き、若い頃はさぞやと思わせる微笑みが広がる。やり手敏腕プロデューサーと聞いていたが、思っていたよりもずっと物腰柔らかな印象だ。


「今日は出動していない主要なヒーローには集まってもらっているんです。君も、ご多分に漏れず、ヒーローフリークと聞いています。今日のメンバーは豪華ですよ」


 悪戯っぽくウインクすると、スティーヴは先導するように歩きだす。


 ――豪華。

 心臓が大きく跳ねだすのを意識せずにはいられない。最近のヒーローはそこまで詳しくないけれど、各社の主要ヒーローのデータくらいは頭に入っている。

 アリーはそわそわとブラウスのリボンの結び目を何度もいじりながら、小走りにスティーヴを追いかけた。


 VIP用のエレベーターに乗り込み、みるみるうちにガラス張りの昇降路の視界が開けていく。夜はさぞや美しいニューファームの街並みが見渡せるだろう。やがて展望台の手前の階でエレベーターが静止する。

 広い扉の前で待つように言われ、アリーは深呼吸を繰り返した。


「大丈夫だって。なにも、大統領と面会するわけでもないんだしさ」

 ネイトはあくびをしながらスマートフォンをいじっている。


「ブ、ブレットさんには、このこと話したんですか?」

「言ってないよ。あいつに言ったら、アリーちゃんを拉致監禁してでも打ち合わせに来させないようにするに決まってるしさ。あ、ちなみにブレットもこの打ち合わせお呼ばれしてるから。ま、なんとかして説得してちょーだい」


 まるで他人事みたいに言わないでほしい。抗議したかったが、その前にアリーの鼻先で扉が開いた。

 円卓を囲うように、ずらりと人が並んでいる。

 まず目に入ったのは、赤と青のヒーロースーツがトレードマークの現役ヒーローのリーダー格、キャプテン・グリモアだ。そのすぐ横には、豊満な身体をぴっちりとした青いコスチュームに包んだインディゴ・ウィッチがいる。最近人気急上昇中のグリムリーパーJr.や中堅の雄エレクトリック・タイラントの姿もあった。


「さて、ご紹介が遅れましたが、彼女が、先ほどご説明した作戦の要となるSGCのニューヒロイン、アリシアです」


 スティーヴがその台詞を言い終わる前に、ガタ、という椅子の倒れる音が響いた。音源はひとつではない。

 見れば、ブレットとコーディが立ち上がってアリーを穴が空くほど見つめている。かと思えば、ネイトとスティーヴを射殺さんばかりに睨みつけた。


「どういうことだ」

 獣の唸り声のような低音はブレットだ。


「デビューを早めてもらったんですよ。彼女なら顔が割れていません。聞けば、聡明で慎重すぎるきらいがあるとか。潜入ミッションには適任かと」

「リドルもまともに使えない子どもになにができる? ――アリシア」


 アリーは目を見開いた。

 初めて名を呼ばれた。

 アリーの名前なんて、どうせ毎日目まぐるしく移り変わる新顔タレントと同じで、記憶するに値しないと思われているにちがいない。

 そう、思っていたのに。


「そいつらの口車に乗せられるな。お前がやる必要は、どこにもない」

「わ、わたしがやりたいって言ったん、です」


 アリーの言葉に、ブレットは小さくため息をついた。

 彼の言葉を継ぐように、コーディが近づいてきて、ネイトやスティーヴからアリーを引き離す。


「あのね、アリー。君はいたいけでけなげで純粋ないい子だから、君しかいないとかなんとか言われて責任感を感じちゃったんだろう? でもね、君が気に病む必要はないんだよ」


 アリーは首を左右に振った。


「……利用、されてるって、言いたいんでしょう?」


 コーディの肩越しに、ブレットがわずかに目を瞠る。当のネイトは垂れ目がちな瞳を細めて口角をつり上げた。


(ああ、やっぱり……)


 顔の割れたヒロインは使えない。だからといって、デビュー前のヒロインであるアリーを作戦の中心に置くというのは、唯一の選択肢でも最善の答えでもなんでもない。

 ネイトは昨日、他の選択肢を提示しなかったが、本当はもっと別の方法がある。

 たとえばJCの傭兵部隊から女性を選ぶことしかり、諜報活動に長けたFBSに協力を依頼することしかり。なんなら、警察や軍と協力して正面突破したっていい。その方が確実だ。

 けれど、ショービジネスは得てして、確実性を選ばない。話題性やマネーが優先される世界だ。

 これが、しばしばヒーロー業界が批判される所以でもある。


「ネイトさんは、わたしに、ショービズの商品になる価値があるって……そう、言ってくれたんだと、思う、の」


「つまりアリシアは私たちに利用されてやると、言っているのです。……賢い子だ」

 顎に手をやって、満足そうにスティーヴが笑う。


「なあ、ブレット。お前、アリーが今ここにいるの、だれのためだと思ってる?」


 囁くように落とされたネイトの声を、ブレットの耳は拾ったらしい。

 その顔に後悔にも似た感情が露わになるのを認めて、アリーは慌ててたたらを踏んだ。


「ち、ちがう。わたしのため、です」


 アリーの言葉に、ネイトと、そしてエレクトリック・タイラントが身じろぎをした。興味もなさそうに自分の爪を眺めていたインディゴ・ウィッチが、気だるげに顔を上げる気配がする。


 押しつけがましく、ブレットのためなんて言うつもりはさらさらない。彼はあなたのためなんて言われたところで、嬉しがるような性質でもない。それに、バディを拒否しつづける彼にしがみつきつづけるのは、アリーのエゴでしかなかった。

 だからこれは全部、アリーのためだった。

 それだけは、ブレットに間違えてほしくない。


「わたしが、勝手に、ふさわしくなりたい、の。今はまだ、形だけの、バディ、だけど……いつか、ブレットさんに認めてもらえるようなバディに、なりたい、から」


 アリーの言葉に、ブレットはますます苦虫を噛み潰したような顔をした。

 その表情を見て、なんだかんだこの人は根っからのヒーローのままだなあとアリーは思う。

 ブレットにとってアリーはまだ、守るべき一般市民にすぎないのだろう。だから、ただの女子高生が危険な場所に単身乗り込むことに反対する。


 でもアリーは、ブレットに守ってほしいわけではない。過ぎた望みだとはわかっていても、背中を預け合う相棒として認めてほしいのだ。


「だからこの機に乗じて華々しくデビューして、あわよくば功績を残してブレットに認めさせてやろうってわけ? 豪胆なコ」


 婀娜っぽい声を振り向けば、議場の奥の席に座っている美女と目が合う。

 インディゴ・ウィッチだ。その豊満な身体は、すぐ隣の地味な眼鏡のバディにしなだれかかるように預けられている。癖のない黒髪は肩で切り揃えられ、コスチュームはまるでビキニのようなデザインをしていてどこを見ていいのかわからない。白い肌に浮いた泣きぼくろがひどく扇情的だった。


「おい、アビー。そういう言い方はないだろう」

 たしなめるように声を上げたのは、キャプテン・グリモアだ。


「気安く呼ばないでって言ってるでしょ。それに非難しているんじゃないわ。あたしは好きよ。こういう貪欲なコ」

 インディゴ・ウィッチは立ち上がってブレットの方まで歩いていくと、彼の胸に指を滑らせた。


「ねえ、ブレット。乗ってみてもいいんじゃない? それともあんた、こんな女の子ひとり守りきる自信がないの? ――そうよねえ、あんた、いつだって大事な女は守れないんだわ」

「アビー!」


 いつも鷹揚に構えているキャプテン・グリモアが、声を尖らせてインディゴ・ウィッチの肩を掴んだ。インディゴ・ウィッチはうるさそうに身体を揺すって、その手を逃れる。


 アリーはおそるおそるブレットを見上げた。

 口の端こそ笑みの形に吊り上げられていたが、その眸は空虚な硝子玉のようにただ光を照り返している。


 大事な女。それもブレットが守れなかった、となれば思いつく名前はただひとつだ。

 ブラックローズ。

 ブレットの最初のバディで、スフィンクスに喰われて死んだ。遺体は肉片ひとつ残らなかったという。

 アリーは一度だけ彼女に会ったことがある。殺しても死ななそうなくらい生きることを謳歌している女だったので、アリーは正直いまだに彼女が死んだことを信じられずにいた。


「わたし――、わたしね、ブレットさんに守ってほしいなんて、思ってません。わたしがどうなっても、それはわたしの選んだことで、ブレットさんに責任はない、の。でも、リドルヒーローは、バディがいなきゃ舞台に立つことすらできない、から……」


 だから、わたしの夢を奪わないで。

 アリーの声にならぬ願いは、その場にいた全員に伝わったらしい。

 円卓を取り巻いていた空気が、一気にアリーに同情的になる。


「キングってば、女の子の夢を踏みにじるのォ? それってサイテー。ボク、そーゆーの、キラーイ」

 幼い声は、グリムリーパーJr.だ。膝小僧を丸出しにした半ズボン姿で、色とりどりのチョコをまぶしたドーナツを咥えて、もひもひと咀嚼音をこぼしていた。


「Jr.の言うとおりだぜ。なんにしろ、もうあの頃みたいにお前ひとりには戦わせねえよ。そろそろさ、お前もバディを迎えていいころだと思うぜ」

 ブレットの肩を叩いて、エレクトリック・タイラントが言う。

 JC所属のヒーローで、歳はブレットの一個上。バディこそ組んだことはなかったが、JCのマブダチコンビとして、誌面に登場することも一度や二度ではなかった。

 さっぱりとしていて義に厚く、ポストキャプテン・グリモアとの呼び声も高い。そんな人物像もあいまって、ファンからは兄貴などと呼ばれて親しまれている。


 ブレットは肩に置かれた手を振り払ってから、尚もネイトを睨みつけた。ネイトはいつもの喰えない笑みを貼りつけたまま、腕組みをして壁に背を預けている。

 一言も言葉を発していないのに、交錯する二人の視線からは膨大な情報のやりとりが成されているような気がした。

 やがてブレットはストレートチップの革靴に目線を落として、小さく嗤う。

 途方に暮れたような、なにかを諦めたような、やけくその空笑いのような、不可思議な笑みだった。


「……勝手にしろ。ただし、リドルだけは間違っても使うな」


 ネイトと同じようなことを言って、ブレットは踵を返す。

 その大きな背中がはじめて、ひどく頼りなく見えた。『銀の弾丸』が頼りないなんて、――そんなことがあるはずもないのに。


「さて、めでたくバディのお墨つきも得たようなので、ひとまずランチといたしましょうか。一時にはまた席についていてください」

 スティーヴの散会の合図に、ヒーローたちがめいめい立ち上がって散っていく。


(いいの、かな……)

 ブレットを納得させたわけではなくて、他のヒーローたちから押し切られる形での合意だったから、心情としては複雑だ。


「アリー」


 見知った声に顔を上げれば、コーディが目の前にいた。微笑んでいるのに全然笑っていない目に、アリーの肝が少し冷える。

 そういえば、もう一人厄介な難敵がいたのを忘れていた。


「ブレットはどうあれ、僕が必ず守るから、安心していいよ。……万が一のことが起こったら、奴ら全員八つ裂きにしてやるから」

「コ、コーディ、そういう冗談は、言っちゃ、だめ」


 慌てて取りついたアリーの指先にキスをして、コーディもスマートフォンを片手に滑るように歩きだす。

 コーディが兄としてアリーを大切にしてくれるのはとてつもなく幸せだと思う。けれど、彼はあまりにそれ以外の人を蔑ろにしすぎている気がした。

 なんだかこのまま行かせてはいけない気がして、アリーはコーディに手を伸ばす。けれどその手はなにも掴まないまま、空を切った。

 部屋を出て行く刹那、コーディが華やかな容貌をした女の腰を抱くのが見えた。あれが今の彼のバディだろうか。女が爪先立ちをして、コーディの耳元になにごとかを囁く。

 そのバディというよりは男女の仲めいた雰囲気に、結局アリーは一言も言葉を発せぬまま、緊張の糸がほどけたようにその場にへたりこんだ。

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泣き虫アリーと銀の弾丸 雨谷結子 @amagai_y

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