#11In the middle of difficulty lies opportunity.

 クラスルームに入るなり、無数の視線が突き刺さる。

 開口一番、挨拶をしようと思っていたアリーは出鼻を挫かれた。

 どうにも、好意的な空気とは言い難い。

 息を呑んで自分の席へと視線を向けると、机の上が水浸しになっていた。よくよく見てみると、リングのついた透明なゴムがいくつも散らばっている。


(なに……?)


 呆然と席の方まで歩み寄って、首を傾げる。けれど、ゴムに書かれたとても口には出せないような単語を認識して、アリーは腰を抜かした。


 これは――、そういう、アリーがまだ見ぬ用途に使うものなのだ。


 無様に誰かの椅子とともにひっくり返る。哄笑がクラス中に広がった。


「なに、清純ぶってるんだか。この間、校門前でこの子が男のバイクに乗ってどこかに行くの見たって聞いたぁ」

「なんでも、すごいいい男だったらしいよ。ヒーローのブレット似だって」

「今日だって、ケアードのフットボールチームのキャプテンに話しかけられてたしさぁ。あの人一年前からレベッカのこと追いかけてて、レベッカもさっきちょっと気になってたんだけどなって言ってたよ。さすがは大人しそうな顔して男咥えこんでるだけあるってゆーかぁ」

「てゆーか、詐欺だよね。あんな顔隠して、あたしたちのこと馬鹿にしてたんでしょ。水かけられたくらいであてつけみたいに、男呼んでさあ。悲劇のヒロイン気取りかよ。ブスを見返せて満足? みたいな」

「やっぱリドルはちがうよねぇ。昔ブラックローズっていうリドルのヒロインが片っ端からヒーローと寝てたって、ママが言ってたもん。ほんと、リドルの女ってこわぁ。力使って、男侍らすなんて朝飯前らしいよ。どんだけ欲求不満なんだよっての」


 容赦なくぶつけられる悪意に、身体が竦む。

 アリーのリドルにそんな力はない。けれどそんな主張はもはやまったく意味をなさないだろう。

 今までのアリーを見てきたら、そんなことを望むような人間じゃないなんて簡単にわかるはずなのに、だれも反論しようとはしない。


(ううん、ちがう)


 これは、アリーがこの学校という舞台でなにも、なにひとつ築いてこなかった証だ。

 だれひとり信用しないで、ひたすら自分の殻に閉じこもっていたアリーに、彼女たちを責める資格がどれほどあるだろう。

 みんながみんな、最初からアリーを虐げていたわけではない。

 クラスが変わってすぐ、話しかけてくれた子もいないではなかった。なのに、そっけない返事をして、相手の目を見ることもできなかった。

 もちろん、そんなふうになってしまったのには理由もある。アリーがリドルだと知ってからかうために話しかけてくる子もいて、それで傷つかないための予防線を張ったのだ。

 心を先に開けば、裏切られたとき傷を負う。そう言い訳をして、なにも言わずともアリーのことをぜんぶわかってくれる子が現れるのを待った。

 そんなアリーにだけ都合のいい存在なんて、現れるはずもないのに。


「あれ、みんなどうしたの?」

 鈴を転がしたような声に、アリーに集中していた視線が掻き消える。


「レベッカ……あんた大丈夫?」


 ジェーンの戸惑ったような声に導かれるようにして顔を向けると、レベッカが花束や紙袋を抱えて戸惑った様子でクラスを見渡していた。

 その目は、泣きはらしたように赤く染まっている。


「やっぱり、レベッカ、あのキャプテンのこと好きだったの?」

「え、ううん、ちょっといいな、って思ってただけ。だって、アリーちゃん、こんなにかわいいんだもん。心変わりしても仕方ないよ」


 全世界を虜にしている笑顔にも、どこか無理がある。

 無意識にか、痛みをこらえるように、レベッカは胸のあたりをぎゅっと押さえた。


「――レベッカ。あんたってば……!」


 そう言って、ジェーンがレベッカに駆け寄り、彼女のことを思いきり抱きしめる。


「やだなあ。ジェーンてば、涙もろいんだから。聞いて、みんな。この間、私が出演したドラマでね、ジェーンたら最終回の最初から泣きどおしで、ティッシュひと箱使い果たしちゃったんだよ」

「ちょっと、あんた、それは言わない約束でしょ!」

「だって、あのときのジェーンたら、つけまつげぜんぶとれちゃってひどい顔で、あ、そういえば写メったんだ。みんな興味ない?」

「レベッカ!!」


 普段取り乱さないジェーンが頬を染めて、レベッカのスマートフォンに手を伸ばしている。

 先ほどまでの張りつめた空気は霧散し、クラスルームはわいわいがやがやと陽気な音で溢れだした。目の前で繰り広げられているのは、アリーが憧れた青春そのものといった光景だ。

 だというのに、足の先から凍っていくような心地がした。


 アリーと彼女たちの間には、一本の線が引かれている。たった一本、視線を向ければあちら側の様子はすべて見えているのに、アリーにはどうしてもその線を越えることができない。

 自分にも非があるのはわかっている。

 でも、神さまはどうして、頑張ろうと決意した矢先にそんなアリーのすべてを嘲笑うような出来事を用意しておくのだろう。


 同じ境遇のレベッカと打ち解けられるかもしれない、なんて浅はかだった。

 彼女はすでにたくさんの友だちがいて、居場所がある。たまにしか学校に顔を出さなくても、みんなが彼女のことを思いやって、レベッカもみんなのことを大事にしている。

 きっとアリーがヒーローデビューしてテレビに出たところで、そうはならない。しばらく学校を休んだら、席すらなくなっているかもしれない。

 それが、アリシア・エヴァンズが歩いてきた道のりだった。


(……変わりたいって、思ったのに)


 泣きだしそうになるのをこらえて、スクールバッグを背負いなおす。

 不意に近くにいたジェーンと仲のいい女の子と目が合い、アリーは硬直する。彼女の唇が、声を発さずに動いた。


 ――消えて。

 

アリーはその言葉をすべて見届ける前に、逃げるようにクラスルームを後にした。



   $$$



 暮れなずむ街に、遠くトランペットの音が響いている。

 まだぐずぐずしている鼻を擦って、アリーはテレビに目線を向けた。

 画面いっぱいに映っているのは、世界一のテーマパーク都市と名高いロザリンドだ。かの有名なネズミのいる夢と魔法の国で、最近子供の失踪事件が相次いでいるらしい。その誘拐犯の尻尾を掴んだとあって、リポーターの実況はいつにも増して熱が入っている。

 画面のなかでは、赤と青のヒーロースーツに身を包んだキャプテン・グリモアが犯人を確保して勝利のポーズを決めていた。


「落ちついた?」


 ソファの向かい側で、ネイトがタブレットから顔を上げて、眼鏡を外す。

 アリーはまだあたたかいマグカップを両手で握りしめたまま、そっと頷いた。ほのかに湯気の立ちのぼるマグカップには、茶色く透きとおったカモミールティーがさざ波を立てている。


 学校でのあの悪夢の日から、アリーは結局ずるずると学校を休んでしまっていた。コーディに余計な詮索をされないために、毎日登校時間には学校に向かう振りをしていたが、結局登校途中でお腹の痛みがピークに達して、図書館に駆け込む毎日だった。

 今日はマックスがアルバイトに勤しんでいる日だと思いだして、カフェに向かったのだが、彼の姿はカフェにはなく、アリーは途方に暮れた。

 べつに相談したりしたいわけではなかったのだが、なんだか彼の傍にいるだけで元気になれる気がしたのだ。

 よほどひどい顔をしていたのか、見かねた店主がネイトに連絡をとったらしく、アリーは雇い主に保護されることとなった。説教を喰らうかと思っていたが、ネイトはサボりの理由を尋ねたりはせず、無為にテレビを観たり雑誌を捲ったりして過ごすのを許していた。

 アリーが突然ぼろぼろ涙をこぼしはじめても、ネイトはただお茶を淹れてくれるだけで、いつもと変わらない様子で仕事をこなしていた。

 学校でのことを聞かれてもなんと答えていいかわからなかったので、正直ほっとした。


「マックス、どこか行ったん、ですか?」

「あーうん。トレーニングセンターに通わせてもらえることになってね。ヤダって駄々こねられたけど、リドル能力の開発はプロに任せるのが一番だから」


 アリーがちんたらジョギングと筋トレ、ごく普通のスポーツジムでのトレーニングに明け暮れている間に、マックスはリドルのトレーニング段階に移行したらしい。

 マックスのデビューはアリーよりもまだ先だ。なかなか彼のバディとなるノーマルヒーローのスカウトが上手くいっていないらしい。

 バディ制度は厳密には一人のノーマルヒーローにつき、二人までのリドルヒーローの携行、、が認められている。だから、今のブレットとアリーとマックスの三人でヒーロー活動することも法的には問題がないのだが、ネイトはトリオでの活動を渋っていた。


「わ、わたしもそれ……参加できません、か」


 デビュー時期は後輩になるはずのマックスのほうがよほど先に進んでいることが、焦燥感を募らせる。


「その意気は認めたいけど、今回のプログラム仕切ってんの、JCの傭兵部隊でね。アリーちゃんじゃ、まだついてけないし、それに君、学校があるでしょ」


 傭兵部隊の名に怖気づいたが、アリーは首を左右に振った。


「もう、いいかな、って思って……わたし、このままじゃ、ずっと、ブレットさんに認めてもらえないと、思うの。だから、早く一人前のヒーローになりたい、です」

「学生の本分を疎かにしてたら、マックスみたいなアホになるぞ」

「……でも、未成年のヒーローは、たいてい学校に通えてない、し……勉強してても身になっている気もしなくて……この先ヒーローとしてしか生きられない、なら、勉強しても意味ない、し」


 アリーの言葉にネイトは眉を跳ね上げた。


「んなことない。たしかにアリーの言うとおり、リドルに限らずヒーローには無学な奴が多いよ。そのぶん、薬に溺れたり、下手な儲け話に引っかかったり、売れなくなってから破滅していく奴は腐るほどいる。なにより、ヒーロー活動してるのに、スフィンクスや自国の歴史についてもまるで知らないバカも山ほどいてな。……バカが蔓延った社会の末路は悲惨だ」

 言って、大儀そうにネイトは紫煙を吐きだした。


「見たとこ、君は頭も悪くない。未成年者を雇ってコキ使ってる雇い主の言う言葉じゃないかもしれないが、俺はね、君にはそういうバカにはなってほしくないんだよ」


 アリーは俯いた。

 ネイトの言うこともわかるような気がするが、ヒーローデビューすればますます学校での風当りは強くなるだろう。義務教育すら受けることのできないリドルがほとんどのなか、甘ったれだと言われるかもしれないが、あの空間でこの先上手くやっていける自信がなかった。


「……ま、なんにしろ結論を出すにはもうちょっと時間を置いてみるんだな」

 ちょうどスマートフォンの着信音が鳴り始め、ネイトが席を立つ。


「はいはい、こちらネイト。どうも、スティーヴ。今日の放送、うちの、、、が全然映ってなかったんだけど、どうなってんのよ。……え、ああ、来年デビューさせるつもりの子いますけど。……だからこの間、女の子だって言ったでしょ。は? いやだから、まだリドルもまともに使えないからって――なんだって?」

 低く声を落として、ネイトがアリーを振り返る。


 「HEROES SHOW!」のプロデューサーの名前が、たしかスティーヴだった気がする。もちろん、別のスティーヴである可能性も否定できないが。

 どうもネイトはその人物とアリーの話をしているらしい。

 なんだか落ち着かなくて、アリーはそわそわとマグカップを持ちあげては下ろすのを繰り返した。

 ネイトはどこか苛ついた様子で煙草の火を灰皿に押しつける。そのまま慌ただしく部屋を出て行った。

 アリーは固唾をのんで立てつけの悪い扉を見つめる。

 もし、通話相手がプロデューサーなのだとしたら。

 本当にかつて憧れたヒーローになるのだという実感にどきどきした。

 ネイトのことを疑うわけではないが、憧れのブレットとバディを組んでヒーローデビューだなんて、贅沢すぎて夢にも思わなかったから、いまだに半信半疑なところもあった。

 でも、プロデューサーの名前まで出てくると、一気に話が現実めいてきた気がする。


 十分もすると、ネイトが戻ってきた。

 じっと見上げると、彼はごく自然な仕草で目を落とした。灰皿には、火が消えきらなかったのか、細く煙が立ちのぼっている。


「単刀直入に言う。デビューが早まった」

「え……? でも、育成プログラムが終わってからって……」


「今日、捕まった犯人が、ラスルセスのオークションのチケットもってたんだって」


 ラスルセス。

 砂漠のど真ん中にある、カジノの都。遊興都市。その街は様々な異名をもっていることで知られるが、もっとも有名なのはシン・シティだろう。その名の通り、悪徳が栄える街、罪咎の都として、教会からも非難されている。

 彼の都市もニューファームと同じでリドルの居住権が認められていて、多くのリドルがショービジネスに関わっているという話だった。


「オークション……」


 「HEROES SHOW!」の関係者が色めきたつようなオークションの入札対象は、宝物や絵画などでは決してないだろう。

 司法も警察も、あの手この手で人身売買を取りしきっているギャング集団を追いつめてはいるものの、蜥蜴の尻尾切りに終わっている。


「そのチケット、まあ、女の子にしか使えないんだわ。コンパニオン用なんだって」

「コンパニオン……」

「つまり参加者を接待するための係ね。今回捕まった男、オークション用の小児誘拐とコンパニオンの勧誘を担当してたみたいでね。そのチケットがあれば、コンパニオンとしてオークション会場に潜入できるってわけ」

「……まさか、その役を、わたし、に、なんて言いません、よね……」

 おそるおそる問うと、ネイトはアリーの背中を元気づけるように叩いた。


「察しがよくて助かるよ。なにせ、ヒロインズはみんな顔が割れてる。だからデビュー前のヒロインにってことで、アリーちゃんに白羽の矢が立ったわけ」

「わ、わたしひとりでギャング集団と戦うなんて、できませんっ」


 アリーが半泣きで抗議すると、ネイトは噴きだした。さすがのアリーも眉を吊り上げる。笑いごとではないのだ。


「大丈夫。ヒーローと連絡とりあって、侵入の手引きをしてくれたり、奴らを攪乱する程度でいい。それにこれは――チャンスだ」


 たしかにそれはそうだろう。

 JCの期待の新星のデビューならさておき、「HEROES SHOW!」が普通の新人ヒーローのデビューにフィーチャーしてくれることはほとんどない。

 もしアリーが犯人側を追いつめることに貢献できれば、いきなり名を売ることができるかもしれない。

 生き馬の目を抜くヒーロー業界。普通にデビューしたところで、アリーが埋もれるのは目に見えている。

 その他大勢と同じ新米ヒロインなんて、ブレットにふさわしくないことこの上ない。


「わ、わ、わかり、ました。わたし……わたし、やります」

 ひっくり返った声でそう宣言し、アリーはぎゅっと拳を握りしめる。


「いやあ、見込みあるよ。アリーちゃん」


 ネイトは片目を瞑ると、スマートフォンをタップしてスティーヴに快諾を伝えた。

 電話の向こうから、盛り上がる男の声が聞こえる。

 すかさずギャラを弾むようスティーヴに迫っているあたり、ネイトが一部からがめついだのハゲタカのようだの言われるのも合点がいくような気がする。


 そういえば。

 大事なことを聞き忘れていたことに気づいて、アリーはカレンダーに目をやった。


「それでその、オークションは、いつ、なんですか」

「来週の日曜だってさ」

「ら、らら来週!?」


 さすがに早すぎる。

 なんとか掻き集めた決心が鈍りそうになるが、アリーの動揺などどこ吹く風でネイトはスケジュール帳に予定を書き込んでほくほくしている。


「せ、戦闘訓練、とかは、どうする、の?」


 どう考えても一週間でリドルをマスターできるとは思えない。

 コーディなどは、未来予知のリドルをもちいて、攻撃は自身の体術でもって立ち回っている。だが、これまた一週間で男を投げ飛ばせるようになるとは到底思えなかった。


「んー、ま、アリーちゃんはあくまで連絡係だから。アリーちゃんのリドル、まだ敵味方で行使対象分けたりできないみたいだし、リドルは使用禁止ね」

「し、使用禁止って……!」

 それしか攻撃手段をもっていないのに、なにをどうやって立ち回れというのだろう。


「あ、明日、GBCで打ち合わせだから八時に迎えに行くから」


 あっけらかんとした口調に、ネイトのことが恨めしくなってくる。

 最近ネイトのことを意外とちゃんとしたいい人だと思っていただけに、地団駄を踏みたい心地だった。

 さっきもちょっとイイ話っぽいことを言っていたのに、この落差はどうしたことだろう。

 とはいえ、選択したのはアリーだ。


(ブレットさんに、認めて、もらうんだから)


 祈りのような衝動だけを頼りに、アリーはSGCを後にした。

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