第九節 『とうとろ』と黄金像


「野松と桑津」

「飲まずと食わず」

 ほたるは言った。

「飲んではいけない、の警告が時代が下って転じたのか」

「あるいは水だけでなく『食えない』ほど汚染が進んだのかもしれません」

 カルトは答えた。

「どちらにしろ、なかなか興味深い地名よね……」

 君谷ほたるは陰のある笑みを浮かべた。

 今、食堂のテーブルの上にはあの黄金像が鎮座していた。

 高さは約十センチ程度。決して大きくはない。

 だがその異形。その冷徹な笑み。その輝き。

 極めて不気味な存在感を放っていた。

「森倉さん。怪異には怪異の、狂人には狂人の世界観があるの」

 君谷ほたるはそう説明した。

「世界観、ですか……?」

 不思議そうな顔をする森倉に、ほたるは重ねて言った。

「馴染めなければ『ルール』や『原則』と考えれば良いわ。その怪異の『ルール』を理解することが、解決への糸口になる。……ねえ、カルト君。貴方は森倉さんのお話をどう思った?」

「そうですね……そのまま鵜呑みにするなら、『邪神崇拝』型の世界観だと感じました」

「崇拝対象としての『鬼陀仏様』ね。そして繰り返し出てくる『とうとろからお守りください』というメッセージ。見て取れるのは、『鬼陀仏』と『とうとろ』の二元対立。これは根源的な宗教構造と言えるわ……」

 そこまで言って、ほたるは森倉に問うた。

「ねえ、森倉さん。宗教はどういう時に発生すると思う?」

「え、宗教の発生ですか?」

 話をふられた森倉は、目を白黒させた。

 宗教の発生など、今まで興味を持ったこともないだろう。

「えっと、聖人とか救世主が現れると発生する……とかでしょうかぁ……」

 まごつきながら返した答えに、しかしほたるは感嘆の声をあげた。

「あら、なるほどだわ」

「面白いですね。先に教祖ありきですか。たしかに世界の主だった宗教は、必ず教祖がセットで思い浮かびますからね」

 カルトも感心して頷く。

「宗教は救世主的な超人がもたらすもの、という考えね。……深いわ。森倉さんは、随分と現代人らしくない発想をなさるのね」

「え、変だったでしょうか?」

「いえ、素晴らしいわ。さすが文芸部のエース。目の付け所が違うわね」

「え、エースってなんでしょうかぁ……」

 森倉は困った顔をするが、カルト達は気にもせず話を続ける。

 基本マイペースな二人組なのだ。

「正直言ってしまうと意外です。いや、てっきり『願い事を叶えたいとき』みたいな答えが返ってくると思ってましたよ」

「あ、あっ、なるほど。そうですね。それは納得です」

 森倉は勢い込んで頷く。

 恋愛成就に合格祈願。安産祈願に商売繁盛。

 日本で生活していれば、そういった願望成就を主体とした『神頼み』が最も身近な宗教行動だろう。

「けれどね。願望成就は、とても現代的な『プラスの宗教』なの」

「プラス……ですか?」

「ええ。私達は現代社会の中で高いレベルの『安全』を確保している。だからプラスの『利益』を神頼みする」

「けれど原初の宗教は違ったはずなんです。太古の宗教の根源にあったのは『恐怖マイナスからの逃避』。それは現代の宗教よりもっと強力な心の動きだったはずです」

「それも……想像は出来ます……」

 原始時代であったならば、獣や飢えの恐怖。

 近代に至っても、病や災害の恐怖。

 そして究極命題である死の恐怖。

 それを避けるための神頼み。

 人知を超える『わざわい』から逃れる手段としての宗教。

「さて、それを踏まえて考えてみると、ね」

 ほたるはその謎を投げかけた。


「『とうとろ』ってなに?」


 カルトは言った。

「鬼陀仏様は分かる。鬼が……まあ、もし居たらですけど……鬼が神や仏に成り代わって、人々の信仰心を集めている宗教。それはまあ理解可能な世界観です」

「気になるのはむしろその相手ね。『鬼にすがってでも救済を望まざるを得ない恐怖』とはいったい何かしら」

 二人に目で問われて、森倉は申し訳なさそうに答える。

「すみません……検討もつかないないです。先程は『とうとろ』と言いましたが、酷く曖昧な発音だったので……『とうとろう』あるいは『とうとるう』や『とうたるぅ』だったかもしれません……」

「……とうたるぅ、ですか」

 カルトは舌の上で味わうように呟いた。

「病、天災、あるいは怪異……いったい『とうとろ』とは何かしらね?」

「怪異の線は薄いように思えますけどね」

 カルト自身も半信半疑という口調ながら、そう言った。

「あら、なぜかしら?」

「あまり聞かないでしょう。『とうとろ』という怪異は。そんなマイナーな怪異なら、力は限られています。鬼なんかに頼らずとも、その辺の拝み屋程度で退治できるでしょう。もし怪異だとしたら、おそらくマッチポンプ路線の可能性が高いと思います」

「マッチポンプというと、同じ宗教内で悪役も用意してしまう感じね」

「そう。自分に頼らせるために、脅かす側の怪異も自分で用意しておくんです。それなら対抗する『フリをする』だけなので、エネルギー消費は最低限で済む」

 それを聞いたほたるは、くすすすと堪えきれず笑みをこぼした。

「そうね、たしかに。鬼はそういうの大得意だものね」

「ん? そんな鬼の伝承ありましたか……」

「あら、あるわよカルト君。伝承ではないけれど、とても有名なマッチポンプ式の鬼の物語が」

 ほたるがそこまで言ったところで、残りの二人もそれを察した。


「なっ--」

「--泣いた赤鬼!」


 ほたるは微笑む。

「大正解。くすすす。面白いわね。もしこれが『泣いた赤鬼』の偶像結晶体だとしたら……非常に面白いわ……」

 しかし興が乗っているほたると裏腹に、森倉は青ざめていた。

「ひ、酷いです。そんな。それってつまり神さまのフリをして、むしろ自分で村人を苦しめてるってことですよねぇ……」

「あらあら森倉さん。世界の宗教のほとんどは、その聖典の中で悪魔に関しても詳しーく書いてあるのよ。信者を脅すためにね。文学部エースの貴女なら分かるでしょう。悪が不在の物語に、正義はありえないって」

「あ、あのぉ、そのエースって言うの止めていただけるとぉ……」

 森倉は渋い顔になる。

 一方でカルトは腕を組んで、考え込みながら言った。

「うーん。泣いた赤鬼だと興味深い事例ですが、そうなると例の症状……『黄金の呪い』とでも名付けましょうか。お父上の症状とは全然合致しないエピソードになってしまいますからねぇ……可能性は低そうですね」

「そうねぇ。まあ、現状ではこれ以上推理する材料はないわね。じゃあ『とうとろ』は一時保留にして、もう一つの疑問点に行きましょうか」

 ほたるは再び疑問を提示する。

 さらに重要な疑問点を。


「なぜ黄金像は『まだここにある』のかしら?」


 その疑問を提示され、森倉は気味悪げに問い返した。

「えっとぉ……ここにあるの変なんでしょうかぁ……?」

 その言葉に対して、二人は一斉に答えた。

「とても変だと思うわ」

「しかし、説明は可能です」

 二人はそう言ったのだ。

 ほたるは説明する。

「貴女の話の筋を追うなら、お父上はこの像を盗み出したために当初は『罰』かのように黄金の呪いをかけられた。そしてやがて自我を失い、鬼陀仏に操られているような言動をし始めた」

「はい……そう、です、けどぉ……」

「最後には完全に自我を失った末、お父上は桑津へ向けて旅立った」

「はい。変ですかぁ……」

「私達はこの話を聞いいている最中、てっきり黄金像はお父上が持ち去ったものと思っていたわ。だってお父上はもう、ほとんど黄金像の言いなりであったんでしょう。だったら黄金像にとって最も都合の良い行動……つまり京都なり桑津なり、本来あるべき場所に返しに行くという行動をとると思うのよね」

「京都が本来の居場所か、という点は微妙ですけどね。京都では陰陽師とかに封印されていて、桑津が本来のありかという可能性が高そうです」

「そうね。あとさらに言えば、お父上が持っていれば毎晩保証される『水をかける儀式』を、現状はやってもらえないというデメリットもある」

 ほたるはそう指摘した上で、改めて疑問を発する。


「なのになぜ、黄金像はまだここにあるのか?」


 その疑問に対して、カルトが説明した。

「しかしその疑問には、実は簡単に答えることが出来ます。つまり『この黄金像にとって、ここに残るのがベスト』だという可能性です」

 それを聞いて、森倉は気味悪そうに言った。

「つまり……どういうことでしょうか」

「この黄金像はたぶん『釣り針』なんです。釣り針で端末。本拠地の桑津ではなくて、世の中を渡り歩いて獲物を捜し回るのが役割の子機」

「だから完全に支配し終わったお父上は桑津に向かわせ、次の獲物を探すためにここに残ったのね」

「……じゃ、じゃあ、もしかして私も父のように……」

「それはどうかしら。短期間で完全に支配するには、相当に世界観の条件が厳しいはずだけど……まあ、ともかく」

 ほたるは黄金像を手にとって言った。

「その仮説が正しければ、この黄金像には次の犠牲者を支配するだけのパワーが残っているということね」

 そう言いながら、ほたるは妖しい微笑を浮かべた。


 カルトは気がついていた。

 ほたるが黄金像を見るふりをして、森倉から口元を隠したことを。

 薄く開いたその口から、ちろりとピンク色の舌がのぞく。

 それは音も無くひと舐めして、艶やかに唇を濡らした。


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恐怖の村でもほたるさん 白木レン @blackmokuren

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