とある神学者の言葉と

本陣忠人

とある神学者の言葉と

「もしも明日世界が終わるのなら、私は今日林檎の木を植えるだろう」


 これは、かの有名な偉人である所のドイツの神学者――当時の社会の諸々の形勢や形成における異端の改革派であるマルティン・ルターが遺したとされている言葉である。


 近代から連なる現代日本に生きている中での学生時代、歴史の授業なんかの全て。


 その人生の渦中において、概ねを居眠りや欠席していない限り、恐らく一度位は教科書や参考書などで見たことのある名前のはずだ。


 そんな没して久しい異国の有名人がどういう人間であるのかと言うと。

 ざっくりと平たく評して称するなら、現行の宗教制度に批判を持って立ち向かった人物位の認識で良いと思う。


 なんせ大切なのはこの言葉の持つ意味であり、発言者の詳しい生い立ちや思想なんかは二の次で三の次未満の些事であるのがこの国の常だから。


 名言とは誰が言ったかではなく、何を言ったかで決まるとは……はて、至言だが誰の言葉だろう?


 それはそうと、冒頭に引用し述べたこの名言の解釈にもいくつか分岐や余地があって。


 学と教養ある小賢しい人物はこの言葉を小難しく分析し、無闇矢鱈に深い心理を見出すのが常である。


 具体的には、偉大な神学者の信仰する宗教の教典になぞらえ、文言における『世界』の終わりを文字通りの世界滅亡、『林檎』を禁断の果実のメタファーとして捉えた。


 そして、そういった絶望的な世界の状況で、禁忌を侵してでも自分の信念を地面に植え、後世に残そうという彼の意気込みを表した言葉だというのが大勢の具合である。


 或いはタブーを侵す自身の行動を皮肉った自虐的な言葉であると賢そうな持論を唱える者も少なからずいる。滅びとは程遠い位置に必ずいる。


 けれど、逆に。


 学と教養の無い、殊更学習意欲の薄い私の様な人間は──特に分析する脳も知識も無いので言葉を額面通りに受取り、そのまんまの解釈をする。


 本当に明日世界が終わるかどうかなんて解らないから林檎の木を植えるのだとか。


 例え破滅が確定的事実であったしても、それでも前向きに行動し、ささやかな命を残すことを選択するポジティブな名言であると考える。

 

 繰り返しのようだが、私は断然後者であると思う。


 浅薄な人間としてマルティン・ルターという人間についての知識は教科書に記載された数行の情報――宗教改革をした人物でドイツ人――としか知識を持ち合わせていないが、それでも後者であると思う。根拠は無いが、確実にそうであると思う。

 

 そもそも、土台として。

 発端として。

 前提条件として。


 言ったかどうかも不確定な文章一つから発言者の真意を読み解こうという行為が既に無意味でナンセンスなのだ。


 この文における作者の意図を選択肢より選びなさい。

 答え―何も考えていません。


 せいぜいこの程度であると思う。この位には愚かで詮無き考察であると思う。

 言葉を変に疑い、無駄に深読みすることは無意味かつ非生産的で愚かな選択だ。 


 自分の胸に手を当てて考えてみれば、一目瞭然なのだけど。


 ヒトは毎回そんなに考えて発言したりはしないし、上の空で意味の分からない返事をすることもある。

 時には適当に格好良さげなことを何となく意味ありげな表情で言ってみた場面だって少なからずあるだろう。

 

 故に私は前述の名言を深読みする価値と意味が無いと考えて、そのままの言葉通りに捉え解釈し、飲み込んだ。


 自らの血肉にするために。

 絶望的な状況でも前向きに林檎の木を植える様な人間になりたいと願った。


 さて、こんな感じのこんなふうに。


 ここまで散々拙い講釈を垂れ流して来たが、この状況で私はどうするべきだろうと弱音めいたこともついでとばかりに吐かせて貰おう。


 大気圏外から飛来した隕石が雨のように降り注ぎ、地面を大型のあられの様に叩きつける地獄絵図。


 奇しくも『それ』は、林檎によって発見されたとされる万有引力に従い散弾の様に容赦なく母なる大地に無遠慮にも突き刺さる。


 その悪魔の果実が一粒落下する度に馴染み深い地が裂け、見知らぬ生命が吹き飛んでいくこの地獄の釜を目の前に──さてはて、そんな状況で一体私はどう行動するのが最善なのだろうか?


 この世のものとは到底思えぬ惨状を自宅であるタワーマンションのベランダから見下ろしている私は何をどうすれば良いのか、全くを以て皆目見当がつかない。


 沈みゆく夕日を肴に一杯やろうと気軽な気持ちでベランダに出てきた先が抗えない絶望であった私の取るべき最適な形を是非教えて欲しい。


 逃げ惑う人々を横目にタブーと理解していながらそれでも前向きに林檎の木を植えるべきなのだろうか。

 それとも何も考えずに眼下で開催されている最悪のブラックパレードに身を投げ入れ、仲間入りすべきだろうか?


 様々な案が浮かんでは消え、あらゆるifを想定する。


 その間に一体幾つの命が消え、何本の道が歪んだのか。

 そんなもの、途轍もなくて途方すら無くて、一切合切想像も出来ない。


 そうこうしている内に、益体無き想像を重ねている内に――私の自宅と隣接するビルの根本に審判の雷槌が落とされた。

 避雷針たるビルディングが将棋倒しの様にこちらに向かって倒れてくるのが視認できる。


 いよいよ最期の時が眼前に刻一刻と近づいているが、どうやら先人の様に林檎の木を植える程の猶予は無さそうである。


 はて困った。どうしよう。今正に自分の世界が終わろうかとしている訳で。


 取り敢えず、ビールを飲み干し、手に持っていた柿の種をパセリの生えたプランターに植えてみた。


 明日には何か変わるかも知れない。

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