酔い痴れる花と

蒼谷 猫介

煙草

 


 煙草の煙が、朧げな月の光にゆらゆらと揺れる。

 まるで溜息を吐くかのように煙を吐く彼女の唇は夜に妖、桜色のグロスは静かにその存在の淫靡さを主張している。

 静寂に満ちた夜。木枯らしが肌をなぐ十一月。

 彼女の手からこぼれた煙草は、吸い込まれるようにして硬質なアーモンドトゥの爪先に踏み消された。


 彼女の強気な瞳が、ほの暗い景色に柔く揺れて俺を捉える。

 彼女はとても端正な顔立ちをしている。

 吊り目気味の大きな瞳は、その気質の強情さを醸しており、薄い唇は笑みを浮かべたらば綺麗でいてどこか悪戯な曲線を描く。

 特に左目尻の泣きぼくろは、その雪のように白い肌と、存在自体が放つ空気感にうまく調和していて、初見では強い印象を抱いた。

 少しやせ気味のすらりとした体躯と合わされば、彼女はまるで、たとえるならば『猫』のようであると、そのように感じる。


 彼女を横目にしながら、もう短くなってしまった煙草を地に落として踏み消す。

 脇に立つ時計台を見てみれば、もう既に時刻は二十四時を回っていた。


「雪音……そろそろ終電の時間だけど、どうする? 家、泊まっていくか?」


 少しおどけた調子で彼女にそう言ってみると、彼女は少し考えるようにも目を細めた。


「んー……別に、泊まらなくてもいいんだけど……ふふん、泊まって欲しい?」


 彼女の唇が緩やかな曲線を描く。

 悪戯に細められた瞳がやけに妖しく映えていて、そうして俺は彼女から少し視線を離した。


「……まあ、できるなら、な……」


「顔、真っ赤になってるよ?」


「なっ……!」


 彼女が俺の顔を間近に覗き込んで、恥ずかしくて反射的に仰け反った。

 そうした後に、自身は彼女の掌の中にあると気づくのだけれど、もう遅い。


「嘘。 真っ赤になんてなってなかったよ? まあ、今は違うけれどね」


 くすくすと楽しそうに笑う彼女を少し強めに睨めつけるも、彼女の調子が変わることはない。

 これは一杯食わされたな───と、大きな溜息をこぼせば、彼女から視線を逸らして家の方に歩き出す。

 彼女も歩き出した俺の隣に並んで、そうして強引に俺の左手を取る。

 彼女の掌は、俺と比べれば幾分も冷たい。

 温めてやるようなつもりで彼女の掌を強く握り返してやると、横で小さく彼女が微笑んだような気がした。




「ただいま〜」


「いつからここはお前の家になったっけ?」


「いやだなぁ、最初からだよ。 ほら、『お前のモノは俺のモノ』って言うじゃない?」


「お前はジャ○アンかよ」


「失礼ね。 性別的にジャ○子よ」


「いやそういう問題かよ」


「そういう問題よ」


 俺が今現在暮らしているワンルームマンションに辿り着くと、そんなふうにふざけながら自室に入る。

 玄関に消臭剤が置かれているものの、部屋に入ればほのかに煙草の匂いを感じて、喚起をしようと窓に手を掛ける。


「この空気、落ち着くから窓開けないで」


 すると彼女に止められてしまった。

 煙草の匂いが落ち着くなんて、変な女だ。


「煙草の匂い、あんまり好きじゃないんじゃなかったか?」


「もう慣れた。 だって、私自身が吸っているんだし......まぁ、だからといって煙草の匂いが好きって言うわけじゃないんだけれど───秋人の部屋は、特別だから」


 彼女は座椅子にどっぷりと座り込むと、コタツをつけて、そう言って微笑んだ。


「意味ありげなセリフだな」


 俺は苦笑しながらそう言うと、同じく座椅子に座ってコタツに入った。

 この部屋には座椅子が二つある。勿論、片方は彼女の為に買ったものだ。いつからお前の家になったんだとは言ったものの、雪音の家のようにしているのは俺の方だ。

 コタツは小さいものだ。

 コタツに入れば俺の足が彼女の足に当たった。

 彼女の足はひんやりと冷たかった。


「で、俺の部屋は特別って、どう特別なんだ?」


「んー、感覚だから、具体的にはわからないなぁ」


「なんだそれ」


「こういうのは本能で理解していればいいのよ。 それにきっと、言語化できない感情だから」


「......なんか、ロマンチストっぽいな」


「うん、自分でもそう思う」


「......そっか」


 彼女のその言葉は、なんだかちょっと擽ったくて照れ臭かった。

 顔が赤くなってるのを誤魔化すように俺は立ち上がると、冷蔵庫を開いて


 「ビール、ワイン、チューハイ、阿蘇の天然水、どれがいい?」


 「ビールで」


 「つまみはバタピーしかないからバタピーな」


 コタツに戻ると、缶ビールの蓋を開ける。

 彼女が缶ビールをかかげたので、応えるように軽く乾杯して少し煽った。

 ビールの心地いい苦味が口に広がる。


 「ツマミは裂けるチーズの方がよかったんだけどなぁ」


 「コンビニすぐそこじゃん」


 「......寒いし面倒だからいい。 ていうか、彼氏なら『買いに行こうか?』ぐらい言わない?」


 「ないな」


 「ないのか」


 「寒いし面倒だからな」


 「あ、うん、そだね」


 そんなくだらない会話をしながら、ゆったりと酒を飲む。

 彼女が家に来る時は毎回こんな感じだ。

 無理に気負わず、くだらないことを話して、無言だって、彼女となら心地が良い。


 終電が通り過ぎる音が聞こえてくる。

 ふと、唐突に煙草が吸いたくなった。


「なぁ、煙草吸っていいか?」


「ん、なら私にも一本頂戴」


「ピアニッシモじゃなくてラッキーストライクだぞ?」


「大丈夫だよ、多分。 私のピアニッシモは切れてるし......それに、秋人が吸ってるの、私も吸ってみたいから」


 彼女はそう言って笑った。

 そうか───と言って微笑み返すと、俺は煙草を咥えて、ライターで火をつけた。

 彼女にも一本煙草を渡して、ライターで火を勧める。


 だが彼女はライターの火を拒んだ。


 「ねぇ、秋人───シガーキスしようよ」


 彼女は、そう言って悪戯に微笑む。

 その笑みはどことなく艶やかで、自然に俺の何かを昂らせる。


 「ライターあるのにするのか?」


 「嫌なの?」


 「......別に、嫌じゃないけど」


 そう言って俺は一度の煙を吐いて、そうして煙草を咥えて彼女に近寄った。

 彼女が煙草を咥えて目を閉じる───俺は彼女が咥えている煙草の先端に、自分の煙草の先端を当てた。


 ジリジリと、焼ける音がする。

 彼女の煙草の先端にも火が点いて、俺は煙草を人差し指に挟んで煙を吐いた。

 彼女も同様に、煙を吐く。


 「......満足か?」


 彼女に問う。

 ───ゆったりと、彼女はまたあの悪戯な笑みを浮かべる。


 あぁ、そうだよな。

 お前はこれくらいじゃ満足しない。


 「分かってるくせに」


 「......あぁ、分かってるよ」


 俺は煙草の灰を灰皿に落として、笑った。

 きっと俺も、彼女と同じような笑みを浮かべているだろう。


 彼女は煙草を灰皿に置いて───俺は彼女に寄ると、首の後ろに手をやり、彼女に口づけた。

 彼女の唇はほんのり湿っていて、口づけると、淫らな音が小さく鳴った。

 煙草と、ビールと、甘い彼女の匂いがする。


 軽いキスを何度か交わし、彼女から唇を離す。

 切なく、名残惜しそうな彼女の表情は、俺の心を揺らした。


 「換気してないから、煙草臭くなるぞ」


 「いいよ、別に。 煙草の匂い好きになっちゃったから」


「煙草、まだ吸い終わってない」


「じゃあ吸い終わってからにする?」


「......いや、いいか」


 俺はそう言って彼女を姫抱きにすると、ベッドに下ろして、押し倒すようにしてのしかかる。

 部屋は既に煙たい。

 ビールは飲み掛けで放置。

 ───全く、不健康極まりないなぁ。


 彼女が俺の首の後ろに両手を回す。

 その表情は、求めていて、艶めかしくて、どこかいじらしい。


 そうして俺は2度目のキスをする。

 今度は深く、いやらしく、意地悪に。

 触れるだけの軽いキスを何度も交わして、彼女の下唇を軽く吸う。

 彼女はそれに反応して切なそうに身をよじる。

 舌を入れ込んだ時には、互いを求め合うように抱き締めあっていた。


 彼女の綺麗な髪が枕に広がる。

 辺りには唇を貪り合う淫靡な音が静かに響いている。

 灰皿に放置した煙草はもう消えていて、部屋はとても、煙草臭い。


 ふと、ポツポツと、雨の降る音が聞こえてくる。


 驟雨だ。

 雨は少しずつその勢いを増して、静かな夜を彩る。


 俺はゆっくりと彼女から唇を離すと、服を脱がせて、電気を消した。


 雨粒の張り付いた窓からはネオンの光が差している。


 「このまま、溶けてしまいたいな」


 ふと、そんな言葉が漏れる。

 彼女は、暗がりの中で妖しく笑って、まるで誘惑するように言葉を紡いだ。


 「じゃあ、このまま溶けちゃおうよ」


 外には依然として雨が降っている。

 部屋にも響く雨音は、どこか心地いい。


 彼女の甘い声は、その薄暗い空間によく響いて───俺は彼女の首筋に、キスを落とした。

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酔い痴れる花と 蒼谷 猫介 @Bluesurei

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