エピローグ

それから 猫たちと旅立つ日まで

 白銀のじゅうたんに足あとを残しながら小さくなっていくナツキ。それを見送る彼の後ろ姿は、いつになくさびしげです。白くかすんだガラスに、力強さを失った緑色が映りこんでいます。

「またそんな顔して。ナツキが学校から帰ってこなかったことなんて、今までないじゃない」

 からかい口調でマノルが言うと、ドライトはすねたようにそっぽを向きました。

「分かってるよ……うるさいな」

 ナツキの家で暮らすようになってからというもの、彼はずいぶんとかわいく――いえ、甘えんぼうになった気がします。

「しっかし、不思議なこともあるもんだよなぁ」

 気を取り直すようにせきばらいをして、ドライトは言いました。

「お前が世話になってた人間が、オレの命の恩人だったなんてさ」

 あの夕暮れの日、ナツキが助けてくれなければ、ドライトはここにいなかったかもしれません。彼女のお父さんが獣医さんだったおかげで、どうにか一命をとりとめることができたのですから。

 なんでも、ケンカで負った傷口からばい菌が入り、ドライトの体に悪さをしていたらしいのです。四十度をこえる高熱にうなされる中、ドライトは「もうちょっとで手遅れだったんだから! もう! 無理禁止!」とナツキにこっぴどくしかられていました。

 事の流れで二匹そろってナツキと生活することになり、あたたかい部屋で自由に過ごす毎日です。「クリスマス」と「お正月」という人間の行事も、ちゃっかり一緒に楽しんでしまい、気がつけば新しい年がやってきていました。

 冬休み中だったナツキが数日前から学校に行くようになり、それでドライトは落ちこんでいるのです。

 このごろは何かと不満げな彼ですが、一日三回の食事と、十分な睡眠、こまめな手当のおかげで、体調は順調に回復してきています。背中の傷もピンク色が見えなくなり、だいぶよくなりました。

「ちゃんと恩返ししなきゃダメだよ? ナツキのおかげで、二度も命拾いしたんだから」

「そうだな」

 そう言って、ドライトは小さく笑います。今度は優しい笑顔です。

「後悔しないようにねっ!」

 部下に忠告する上司のようにマノルが胸を張ると、

「お前、言うようになったじゃねぇか。このっ!」

 なんて言いながら、遊び半分で飛びかかってきました。二匹は一緒になってクリーム色のカーペットを転げ回ります。しばらくキャッキャと声を上げてふざけ合っていたふたりでしたが、やがてドライトからいたずらな笑みが消え、すっとおだやかな表情になります。

「……あの、さ」

 ためらうような彼のその一言で、部屋の空気がきゅっと引き締まるのを感じました。

「オレは、桜の季節になったら、ここを出ようと思ってる」

 続けられた言葉に、マノルが特別おどろくことはありませんでした。なんとなく予感はしていたのです。ドライトがナツキと少しでもはなれることをおしむのは、一緒にいられる時間が限られているからなのだろうと。

「……お前はどうする?」

 だからその問いかけにも、迷わず答えられます。

「ボクは、ナツキのそばにいるつもりだよ」

 そう伝えると、ドライトはちょっとさびしげに、でもうれしそうに、ほほ笑んでくれました。長い間一緒にいるせいか、言葉にしなくても、おたがいの気持ちが分かるようになってしまったみたいです。

「だれかに飼われるって形が、ボクにはすごく合ってる気がする。それに、せっかくナツキが喜んでるのに、またひとりにしちゃったらかわいそうだしね」

「そうか。お前がいてくれるなら安心だ」

 ちょっとさびしいけどな。そんな小声のひとりごとは、聞こえないフリをします。

 二匹は起き上がって、いつものようにとなりに寄りそい合うと、外の景色に目をやりました。

「桜がさくのは、まだ先だね」

 ガラスごしに、しんしんと降りつもる雪をながめながら、マノルが言います。

「ああ」

 ドライトが答えます。

「もうちょっと、一緒にいられるね」

「ああ、そうだな」

 いずれマノルは、ナツキから新しい名前をもらうでしょう。毎日おいしいごはんを食べて、狩りをする機会だって減るのです。ドライトがいるうちに、そういう、新しいことに慣れておかなくてはいけません。

 お別れのときがきたら、胸を張って見送れるように。それが、マノルにとってフツーになっているように。

 二匹の旅は、まだまだこれからです。

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