おわりに

第23話 おまけ:その後の二人



 ――――その日。




 起きたことを誰も知らないような夜だった。

 この夏木市の片隅で、誰かの夢が閉じて消えたことなど、誰も知らないような夜。

 どんなに耳をそばだてても、ひとりの少女が消えたことも、暫しのあいだ失われていた人々がこの世界に戻ってきたことも、その物音すら立てさせないような夜。


 勝者に与えられるはずの栄誉も栄光も王冠も、行方を失って途方に暮れる。


 それこそが、守護者たちガーディアンズが願う調和と均衡が保たれた夜だった。


 片や、何もかもを失った敗残者たちは、死にかけの灰色鼠のような体で街を彷徨するほかなかった。

 傍目に彼は大きな旅行鞄を担いだ旅行者のように見えただろう。あるいは、その姿はギターケースを背負ったミュージシャンだったり、大きな荷物を運ぶ運送屋に見えたはずだ。

 彼は光について熟知し、この粒とも波ともつかない性質を少しばかりいじくってやることで、自分の見え方が幾通りにも変化することを知っていた。

 レネゲイドウィルスの影響が広まった現在では、ネタばらしの済んだつまらない手品だ。

 彼は目には見えない追跡を振り切って、夏木市のかた隅にあるホテルへ、裏口から入った。


「お待ちしておりました、茨様」


 支配人が待ち構えており、上客を迎えるように恭しく案内する。

 このホテルが丸ごと、ファルスハーツのセーフハウスに作りかえられていることは幸い、まだ誰にも気がつかれていない。従業員はオーヴァードではないが、みなファルスハーツ側の人間だ。ただの人間にも、UGNの敵は腐るほどいる。

 最上階の部屋に案内され、そこでようやく茨王子は傍らに担いだ重たい荷物を思いっきり放り捨てることができた。


      *******


 楠木連の目覚めはいささか乱暴なものだったと言わざるを得ない。

 上司の茨王子が部屋に入ってくるなり、最悪の目覚ましを食らわせてきたからだ。

 光そのものを収束させた矢で穿たれたシーツは焼け焦げて穴があき、まともに受け止めた脇腹からは煙があがっている。


「あっち! いってーな! 何すんだ……」


 文句を言おうと開けかけた口は、自分より一回りは若い上司の目つきが妙に据わっているのを目撃して、即座に黙りこんだ。手負いの状態で光の速さと競争しよう、というポジティブすぎて自殺一直線な破滅思考にはとてもなれそうにない。

 周囲を見渡すと、そこは拠点でもなく、黴臭い洋館でもない。綺麗な内装にキングサイズのベッドが置かれている。茨が個人的に所有する隠れ家のうちのどこかだろう。

 どうやら無事にアナザーワールドを脱出できたらしい……が、夏木支部の連中にこっぴどくやられた傷はろくな手当もされず、そのままだった。


「いつまで寝てるつもりですか、役立たずで無能なオッサン。起きなさい」

「……お前がここまで運んできたのか?」

「他に誰がいるっていうんです」


 イリュージョンキングのリーダー、茨王子は渋い表情のまま医療トランクを投げてきた。治療はしないが、見捨てずに連れ帰ってきたらしい。

 変なやつだな、と思いながら救急キットを取り出す。

 女神、とかいうジャームの姿が無いところをみると、彼女はUGNの連中に処分されてしまったのだろう。

 あの泣きじゃくる少女を、大の大人がよってたかって痛めつけたのだと考えると、やりきれない怒りが湧く。ただ、すぐに「いずれはそうなったはずだ」という諦めが頭をもたげた。ジャームになった者が元に戻る手段は無いのだから、どれだけ心が痛んでも最後は割り切るしか、できることはない。

 そのあたりは相応に年を食ったのだな、などと考え、彼は自嘲気味に笑った。


「そうそう、朗報ですよ。夏木の支部長から伝言です。貴方をもう一度、UGNに迎え入れたいとかなんとか」

「……なんだそれ。どういう意味だよ」

「言葉通りの意味ですよ。行きたいなら、どうぞご勝手に」


 ご勝手にといわれても、寝耳に水といった申し出に、楠木は治療の手を止めて呆気にとられていた。

 支部長はUGNを出たところで、FHにもなりきれないだろう、そう言っていたそうだ。

 内面を見透かされたことに驚くよりも、確かにな、という納得が先に来た。


「そもそも貴方は何故、FHに寝返ったんです」


 楠木は問われ、考えこむ。

 そもそもオーヴァードになったからといって、力を使ってなさなければいけないことがあるとも考えたことはない彼には、FHに対してもUGNにも特別な感慨があろうはずがなかった。

 オーヴァード優位の社会を築く、というファルスハーツの基本方針にさえ、楠木はなじまない。馴染まないどころかどうでもいいとすら考えている。

 ファルスハーツが唱える新世界像など、彼にとっては《何故そんなことをしなければいけないのか必要性が感じられない謎》でしかなく、かといってUGNのようにひた隠しにしなければいけない、という方針も《これだけ世界中に仲間があふれているのに、意味がない》でしかない。

 よくいえば中庸、悪く言えば考えなしのバカだった。


「さあな、でもこっちなら思いっきり暴れても文句言われねえからな」

「しょうもない三十四歳もいたものですね」

「うるせえな」

「その程度なら大人しくUGNにもどったらどうです。あんたにはこれといった思想はなくとも、ほんの少しばかりの良心が備わっているようですからね」


 楠木連はそっちはどうなんだ、と言い返したいところだが、光の矢を全方位に向けて撃ち込まれる未来が目に浮かぶようだったので、やめた。


「うーん、どっちでもいいようなもんだけどな。どうすっかな」

「向こうにつけば、少なくとも私にこき使われなくてすむでしょうよ」

「そうなんだけどな。……お前は心の底から気に食わない野郎で、俺のことをアレだコレだとか言うが、こういうどっちつかずなとこをバカにしたりはしなかったからな。そこだけはいいところだ」

「なんですか、それ。褒めてるんですか」

「要するに似たものどうしなんだろう。そういうやつがFHで何をするのか見たいから下についたってのもあるんだぜ」


 茨は左右非対称な妙な表情を浮かべたまま、しばらくの間、治療を続ける楠木を前に黙りこんでいた。

 杜撰な応急処置を終えた楠木はトランクを放りだし、光線で焼けた腹を包帯の上から撫でた。


「……ああ、腹が減ったな。新しい拠点はさ、ラーメン屋かなんかにしようぜ」

「ふん、誰が店員をやるんですか」

「構成員にやらせりゃいいじゃねえか、そんなの」

「ファルスハーツのやることじゃな……いや、なんかそんなやつもいましたっけ……」


 あれこれ考えていたようだが、茨は「バカバカしい」と言って立ち上がる。


「このあと、どうする気だ?」

「構成員の大半は、夏木支部に捕まってしまいましたからね。落ち着いたら嫌がらせにジャームの二、三体でも送り込んでやりますよ」


 相変わらず嫌な野郎だな、という悪口が、ふん、と鼻を鳴らして部屋を出ていく背中に投げかけられる。

 瞬間、室内を閃光が走り、悲鳴が上がった――が、窓には遮光カーテンが引かれ、完璧な防音が施された室内で起きたことゆえ、夜の静寂を乱すことはなかった。


 調和の夜は続く。

 暗く静謐な、誰かの願った平穏に満ちた夜は、まだ明けない。

 いまは、まだ。



 その後の二人

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DX3リプレイ&シナリオ《魔本導くアナザーワールド》 実里晶 @minori_akira

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