第55話 父の海賊剣

「……お前たち……」


 クリムゾンの呟きを耳にしたマルロは、ハッとして後ろを振り返る。

「え……シルク! どうして君も来て……さっき怪我をしたのに、大丈夫なの?」

 マルロは自分の後ろにいるシルクには気が付いていなかったようで、驚いたように目を見開いて言う。

 シルクはマルロの持つ剣をちらりと見て、口を尖らせる。

「その見慣れない剣で、何をするつもりなんだか知らないけど……あたしだけ船室に隠れて、アンタ一人だけ行かせるわけにはいかないでしょ。これくらい平気よ」

 シルクはそう言った後、いつものような生命力に溢れる船員たちの姿の無い、火の海と化した甲板の様子を見て、小さく呟く。

「それに、あの子たちがああなっちゃった今こそ、あたしの力、使わないと……」


「……やれやれ。あなたは先程深手を負ったばかりだというのに、再び私に立てつく気ですか? 先程死霊に身をていして助けられた命を、またも私に差出しに、こんなところまでのこのこやってくるとは。……今度はもう、助けてくれる存在もいないというのに」

 クリムゾンはシルクに向けて冷ややかに言うと、甲板に散らばった数々の骨に目をやり、薄ら笑いを浮かべる。


 そして、今度はマルロのことをじっと見つめ――――やがて、ゆっくりと口を開く。

「……お久しぶりです。あなたとは、サウスの街……以来でしょうか。これまでもあなたの足跡そくせきは、辿っていたのですがね」

「………………」

 マルロは何も言わず、クリムゾンを見てごくりと唾を飲み込む。


 それと同時に、クリムゾンの背後に見える甲板の光景に、マルロは目を奪われる。

「……みんな…………」


 マルロは、動かなくなった船員たちの骨が、あちらこちらに散らばった甲板――――いつか見た悪夢と同じような光景を見て、サッと顔を青くする。

 そして勢いよく顔を上げ、クリムゾンを睨む。その瞳がぎらっと銀色に鋭く光る。

「みんな……少しの間だから、待っててね。必ず生命いのちの壺を、この人から取り返すから!」


「その眼…………忌々しいですね。あの男を思い出す」

 銀色の瞳をしたマルロを見て、クリムゾンはぽつりと呟いた後、再び口を開く。

「私は……罪人の子どもには、罪はないと考えているのですよ? とはいえ、その子に自由を与えるべきだという点に関しては、話は別です。罪人の子どもが親と同じ道を辿ることは、なんとしても防がねばなりませんから。……特に、あの男と同じ道などは、断じて許さない……。そのためにも、あなたにはサウスの街のあの家の中で、おとなしくしていてもらいたかったのですが……」

 クリムゾンは、不敵な笑みを見せる。

「そうしていれば、あなたの親族が一家揃って死に至るようなことも、なかったでしょうに」

 マルロはその言葉を聞いて、はっとしたようにクリムゾンを見る。

「……! じゃあ、叔父さんと叔母さんとラルフのことは、やっぱりあなたが…………っ」


 クリムゾンはその質問には答えず、再び大きく開眼し、小さな瞳をあかく光らせながらマルロを見下ろす。

「しかし……お前もこの船で、奴と同じ道を歩むというのなら……容赦はしない。奴をおびき寄せる駒として、これまでは生かしておいたが……お前が成長して大人になる前に、ここで息の根を止める」

 クリムゾンはそう宣言するや否や、マルロに向けて、銀色のライターを持った右手を突き出す。そして、それを大きな音でカチリと一回鳴らす。


「……っ!」


 その刹那、マルロはまるで何かに引っ張られるように、素早く右方向に跳躍する。

 それとほぼ同時に、マルロの先程までいた場所に向け、勢いよく炎が放たれる。

(⁉ 避けた……だと? この、ちっぽけな小僧が、私の攻撃を……?)


 クリムゾンは目を見開いてマルロを見る。マルロはゆっくりと海賊剣を構えると、今度は力強く甲板を蹴り、その勢いと共にクリムゾンに向かって駆け出す。その今まで見たこともないようなマルロの動き――――まるで風のような素早い身のこなしを目にしたシルクは、思わず息を呑む。


「……お前のような小僧に、何ができる」

 クリムゾンはそう言うと、今度は自分の体の周りに炎をまとわせる。

 それを見たマルロは一旦立ち止まり、ぐっと海賊剣を握りしめる。そして剣に向かって何やら呟くと、海賊剣をすっと目線の高さまで上げて、クリムゾンに向ける。


 マルロはパッと剣から手を離す。すると、剣がその手から離れてひとりでに飛んでゆき――――速度を増して真っ直ぐにクリムゾンへと向かってゆく。


 それを見たクリムゾンは目をすっと細め、静かに呟く。

「……ほう。あなたも物を操る魔法……ですか? あの男の息子とはいえ、あなたに魔法が使えるとは、誤算でしたが……。なるべく使を、幼少期に用意したつもりでしたからね」

(魔法を使えない……環境を、用意した……?)

 マルロはその言葉にぴくりと反応するも、固唾かたずを呑んで剣の行方を見守る。

「しかし……たとえ魔法を使えたところで、これしきの魔法では、先程の少女と同じように……私には通用しませんよ」

 クリムゾンはそう言うと、自分に向かってくる剣に向けスッと手をかざす。


「これは……魔法じゃないよ」

 マルロは静かに呟く。その時、クリムゾンが物を操る魔法を使ったのだろうか、クリムゾンが静止する手の動きに合わせて、剣はピタリと動きを止める。

 しかし剣はやがてカタカタと小刻みに動き出したかと思うと、再びクリムゾンに向けて一直線に飛んでゆく。


「何……っ⁉」


 剣はそのままクリムゾンめがけて飛んでゆくと、クリムゾンのまとう魔法の炎をも突き破り、ついにはクリムゾンの心臓めがけて、鋭い銀色のやいばを突き刺す――――。



* * *



「やーっと俺を手にしたなァ、シルバJr.」


 ――――時は遡り、少し前の船長室でのこと。突然頭の中に聞こえてきた声に、マルロは驚く。


「え、だ……誰?」

 マルロがきょろきょろと辺りを見渡していると、再び声がする。

「ほら、お前の手の中にある海賊剣だよ!」

「け、剣って……」

 マルロは目を丸くして、手に持った海賊剣を見る。

「そう、その海賊剣。それが俺様だ」

「ええっ、君が喋りかけてるの? 君、剣……なんだよね?」

「おうともよ。といってもそんじょそこらの剣じゃねぇぜ。俺様は、俺の相棒だった、ジュニアの父ちゃんがお前のために置いてった剣なんだぜ?」

「! ……父さんが……僕のために?」

「そうだ。敵が来た時に息子が戦える武器が必要だって言ってな。それで俺は泣く泣く相棒とはここで別れ、この部屋でお前……ジュニアのことをずっと待っていた」

「僕を? でも僕、結構前からこの部屋で暮らしてるけど……」

「そりゃあ今までだって、心ん中では何度も呼びかけてたんだぜ。でも悲しいかな、俺ぁ本来生き物ではない剣だからか、生命いのちの霧の力じゃ不十分らしく、意識はあっても他の幽霊みてぇに口がねぇし自由に体も動かせねぇ。剣の持ち主の手から強い生命力を吹き込んでもらわねぇと、自由に動いたりだとか、今みてぇに頭の中に呼びかけるように会話ができねぇんだ。だからジュニアがいつ手に取ってくれるか、ずーーっと待ちわびてたんだぜ?」

「そ、そうだったんだ。ごめん……僕、剣でなんか戦えないから、僕が持っても意味ないやって、今まで思ってたから」

「なんだい。男の癖に、この最高にカッコいい湾曲したフォルムの俺様を見て、思わず手に取らないようじゃ海賊失格だぜ? ま、まだまだちっこいガキだから仕方ねぇか」


 マルロはその言葉を聞いて、どこか自分の不甲斐なさを感じ、少し顔を赤らめる。

「ご、ごめん……。それより君、さっきただの剣じゃないみたいなこと言ってたけど、一体何者なの? 君は……生命いのちの壺みたいに、父さんが作ったものなの?」

「うーん、そいつはちょっと違ぇな。俺はかつては、ジュニアの父ちゃんが愛用してた剣ってだけだ。だが、持ち主がずっと肌身離さず身につけてたような、思い入れのある物なんかには、霊魂が宿ることが稀にあんだよ。俺も、言わばその一種ってワケだ。ま、俺の場合は相棒が剣を握る度に、その手から魔力やら生命力やらをしこたま注ぎ込んでくれた影響もあるかもしれんが」

「……生命力」

 マルロはその言葉にぴくりと反応する。


 そしてゴクリと唾を飲み込んだ後、剣に尋ねる。

「じゃあ、父さんって、もしかして……何かに生命力を吹き込むような魔法が、使えたの?」

「ああ。それが相棒の一番得意な魔法だな」

「……そうだったんだ。だから、父さんは、生命いのちの壺を……?」

 思わずその場で考え込むマルロに構わず、剣はさらに言葉を続ける。

「だが……俺が今、ジュニアと話せてるってことは、ジュニアにも父ちゃんと同じ魔法の力があるみてぇだな。父親同様、生命力を与える、って魔法の力だ。これまでに、何か心当たりはねぇか?」

 マルロはその言葉に驚いた様子で、再び剣をじっと見る。

「ええっ……それはないよ。僕、魔法なんて、今まで一度も使えたこと、なかったんだから!」

「……そうか。だが、俺が話せている以上、ジュニアが今まさに、俺に生命力を与えてるってのは紛れもない事実なんだぜ。今まで魔法が使えなかったって原因はわからねぇが、おそらく魔法を使うのに必要な心構えができたり、使いかたのコツさえ身に付けりゃ、ジュニアもいつかは父ちゃんみてぇに魔法が使えるようになるぜ」

「…………本当?」

「ああ。だからベソかいてねぇで元気出しな! おっと、そういや俺を手に取った時、ずいぶん怯えていたようだが、一体どうしたんだ?」


 マルロはその言葉で今の状況を思い出し、ハッとする。

「そうだ! 船がクリムゾンって人に襲われて、生命いのちの壺が奪われそうなんだ。でも……僕の力では、どうすることもできなくて……」

「なんと。あの壺がな……。そりゃあ、一大事だ」

 剣はそう言うと、突然ひとりでに動き、剣を握りしめたままのマルロの腕をぐいと上に上げる。

「だが心配いらねぇぞ。この俺様が、何とかしてやるよ。お前の父ちゃんに託されただけあって、ジュニアが魔法で生命力を注いでくれりゃ、俺の持つ力は百人力だぜ? 」

「で、でも僕、魔法なんて、本当に上手くできるか ――――」


 その時。コツ、コツ、コツ……と、扉の外からクリムゾンのものらしき、聞きなれない人間の足音が近づいてくる。

 マルロは慌てて口を閉じ、固唾かたずを呑んでその場に佇み、息を殺してその靴音を聞いている。


 ――――やがてその音が去ってゆくのを確認したマルロは、ようやく覚悟を決めたような表情になり、剣をぎゅっと握りしめて口を開く。

「でも……今はそんなことも言ってられない。やるしかないよね。……君、力を貸してくれる?」

「お安い御用だぜ!」

 剣はそう言って、再び剣を持ったマルロの手をぐいと引っ張った後、マルロの手から一旦離れ、床を剣先でつんつんと小突く。

「じゃ、早速作戦会議だ、ジュニア……じゃなくて、俺の二代目の相棒。さっさと座んな」

「で、でも僕、魔法だけじゃなくて、剣を使ったこともなくて……」

「心配すんなって。俺にどーんと任せろよ、相棒!」



* * *



「何……っ⁉」


 再び、剣がクリムゾンの体を切りつけた先程のシーンに戻ると――――クリムゾンは一筋の血を流した左胸の辺りを左手で押さえながら、驚いたように目をカッと見開き、マルロを探るように凝視している。


 剣はひとりでにマルロの手の中に戻ると、マルロの頭の中で勝ち誇ったように囁く。

「へっ。あの野郎、ムカつくことに俺をただの剣だと思いやがったらしく、物を操る魔法なんて小癪こしゃくなものをかけてきやがった。だがそいつぁ奴の得意分野の魔法ってわけでもねぇようだし、俺らの生命力が勝ったようだぜ。どんなもんだい! おーし、もういっちょいくぜぇ!」

「……あっ、ちょっと!」

 マルロの返事を待たずに、剣はクリムゾンに向かって飛んでゆき、そして先程のように、クリムゾンに対して何度も痛手を与える。


「……くはっ!」


 クリムゾンは何度か剣に切りつけられ、顔を歪めながらも、その都度ゆっくりと立ち上がる。


「んん? ……何度か剣をお見舞いしてやったが、あの野郎、なかなか死なねぇな。こいつの周りの火、防御魔法的な効果もあんのか?」

 剣は、自分に注がれた生命力が尽きないうちにひとまずマルロの手に戻ってくると、どうも腑に落ちない様子でマルロに囁く。

「……そんな。じゃあこれ以上、一体どうすれば……」


 マルロと剣がひそひそと考えあぐねている間、クリムゾンは落ち着き払って自らの傷を魔法で簡単に治療しながら、ぶつぶつと何やら呟く。

「剣が動き、こちらの魔法も効かぬとは……なるほど、そいつも死霊の一種というわけか? だがこの船に残った霧は、先程全て吹き飛ばし、この場には既に跡形もない。ならば……考えられる可能性は――――」

 クリムゾンはゆっくりと振り返り、三白眼の中にある小さな瞳をあかく不気味に光らせ、静かにマルロを見る。


(…………っ!)


 その視線に、マルロの本能が働いたのか――――突然、体中の毛が逆撫でられたようにぞわぞわっとした感覚がし、マルロは危機を察知する。

 しかし、その殺気に当てられてか、それとも相手の持つ能力なのか――――マルロの体はまるで金縛りが起きたように固まってしまい、そこから一切動かなくなってしまう。


(! まずい、体が……っ!)

「ぐ。な、何だ。俺も、動けねぇ……」

 マルロの体が動けない影響か、剣も動けなくなってしまったようで、焦ったようにマルロの頭の中で呟く。


 そんなマルロと剣の前に、クリムゾンがコツ、コツと靴音を甲板に響かせながら、近づいてくる。


「……もしも死霊術……か何らかの父親と同じ力をお前が持っているのなら、小僧、やはりお前のことは、断じて生かしてはおけぬな……!」

 クリムゾンはマルロから一切目を離さぬまま、自身の右手の中にある銀色のライターをゆっくりと顔の前まで持ってゆき、いつものように、カチリと鳴らそうとする――――。


「!」


 その時、クリムゾンは突如目を見開いたかと思うと、その場に崩れ落ちる。


「……えっ」


 クリムゾンが倒れたと同時に、ようやく体の拘束を解かれ声を出したマルロは、目を大きく見開いて、甲板上に崩れ落ちたクリムゾンを――――そして、先ほどまでクリムゾンの立っていた場所に見えた、小さな黒い影を見る。


 マルロが目にしたのは――――その手に大鎌を握りしめた、ムーの姿であった。


「ムー⁉ どうして、動いて……」

 マルロはそう口に出しながら、ムーの姿を見てハッとする。その顔をよくよく見ると、その目はいつもの丸っこい白い目ではなく――――どこか不気味な光を放つ、紫色の目をしていた。


(あの色……確か、前にも見たことが……。……もしかして……)


 マルロは後ろを振り返る。そこには、ムーと同じように紫色に瞳を光らせた、シルクが立っていた。


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幽霊船の船長 ほのなえ @honokanaeko

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