第54話 奪われた壺

 コツ、コツ、コツ…………


 扉の外から足音が聞こえてくる。それは固い感じの靴音――人間もので、シルクやハイロ、ゴーストバスターのものとも違う、聞き慣れない足音だった。

 マルロはその音に気がつくと、ごくりと唾を飲みこみ、今しがた手に取った海賊剣をぎゅっと握りしめる。

 そして覚悟を決めたような表情で、剣に向かって口を開く――――。



 一方、扉を隔てた向こう側にいるその足音の主――クリムゾンは、長い長い階段を降りて、ようやく船の最下層に辿り着く。


「この辺りは……一段と霧が濃い。……近いな」

 クリムゾンはそう呟くと、紫色の霧が立ち込め視界の悪い中、手探りで船の奥へと進む。


 コツ、コツ、コツ……と自分の靴音だけが響く静かな空間の中、クリムゾンは濃い霧の隙間から、前方に置いてあるものを目で捉え、その目を大きく見開く。


「! ……あれ……か……?」


 クリムゾンが前方に向かって足を進めようとしたその時、背後から何者かがクリムゾンに覆いかぶさる。

 その強い力に拘束されて身動きできないクリムゾンに対し、その者は手に持っていた注射器を、クリムゾンの首元に刺そうとする――――


「‼」

 突如、クリムゾンは自分の周りに炎をまとわせる。

「………………‼」

 後ろにいた何者かは燃え盛る炎の熱さにもかかわらず、小さく呻き声を漏らしつつも、しばらくはクリムゾンを離そうとはしなかった。

 しかし、やがてその炎の威力には耐えきれずに、クリムゾンから体を離す。


 拘束を解かれたクリムゾンがゆっくりと振り返ると、その後ろにいたのは、頭に金髪の毛を少しだけ生やして顔の半分だけ骨を露わにし、緑色の体をしたゾンビ―――サムだった。


 クリムゾンは、その場で倒れ横たわった状態のサムを、冷たい目で見降ろす。

「……ゾンビ……か。人間ではないとはいえ、ゾンビにも肉体がある以上、この炎に近寄るとその身は焼かれ、やがて干上がることでしょう。……汚らわしいゾンビなどが、この私に近づくことは許しませんよ」

「………………っ」

 サムは大やけどを負ったようで、床の上にうずくまり、立ち上がれずにいる。


 そんなサムをその場に置いて、クリムゾンは何事もなかったかのように、再び足を進める。

 そして、ついに目的のもの――――生命いのちの壺が、濃い霧の間から姿を見せる。


「……! これが……あの男が作った……」

 クリムゾンは壺を手に取ると、目を見開いてそれを凝視し、あかい瞳を光らせる。

「……ここでこの壺を割ってもよい……のだが、これについては詳細を……あの男の持つ力について、今後のためにも知っておかねばなるまい。ひとまず持ち帰り……これからじっくり調べるとしよう」

 クリムゾンはそう呟くと、生命の壺にふたをし、壺から流れ出る霧を遮断する。

 そして壺を脇に抱え、甲板へ繋がる階段に向かう。



「……待ちなさい」


 壺を抱えたクリムゾンがひとつ上の階に辿り着いた時、前方から声がする。

 クリムゾンが廊下の先を見ると、シルクが腕を組み、仁王立ちで、クリムゾンの行く手を塞ぐように立っていた。

「その壺は、渡さない。あたしがこの船に来た時……この船の一員になった時に、この壺を守るのに協力するって、約束したの」

 シルクは紫色の瞳を光らせ、すぐ後ろの部屋――武器庫にあるありったけの刃物を魔法で宙に浮かべる。それらは空中でひとりでにさやを抜くと、一斉に刃先をクリムゾンのいる方に向ける。

「だから……そう簡単には奪わせないわ! みたいに……!」

 シルクはサッと手を振りかざすと、無数の海賊剣を操り、一斉にクリムゾンを襲わせる。


「‼」

 クリムゾンは襲い来る海賊剣から自分をかばうように、腕を体の前に持ってくる。そんなクリムゾンを見てシルクはニヤッと笑う。

「……物を操る魔法はわりと得意なの。死霊を操る時と少し感覚が似ているから。さあ、武器なら後ろの部屋にまだまだ沢山あるから――――」

 シルクはそう言い終える前に――――突如、鋭い痛みを感じる。

「…………っ!」

 痛みのする箇所を見ると、一本の海賊剣が、長年愛用している母親に貰ったローブに――自分の腹部に、グサリと刺さっていた。


「刃物を人に向けるのなら、反撃されることは予想しておくべきですよ」

 クリムゾンは、自分めがけて飛んできた海賊剣を冷静に魔法でなぎ払いながら言う。それから苦痛に歪んだシルクの顔を見て、にやりと笑みを見せる。

「私も、炎魔法しか使えない訳ではありませんからね。魔法全般の使い手として、まだまだあなたのような小娘には負けませんよ」

 そして、静かにシルクを見降ろす。

「ましてや……忌まわしき魔術の使い手、死霊術師ネクロマンサーなどにはね」 

 クリムゾンはそう言うと、銀色のライターを握った手を真っ直ぐに伸ばし、シルクに向ける。

「そういえば……あなたのことはずいぶん前に、消しそびれていたんでしたね。あの時あなたはただ一人、命拾いした……。しかし結局ここで果てるとなると、数年生き永らえただけのようですが……残念でしたね」

 そして開眼し――――あかい瞳に鋭い光を宿すと、殺気を込めた表情で、カッと目を見開く。


「‼」

 その時、突然武器庫に入ってきたアイリーンがシルクをかばうように、前に立ち塞がる。そしてその瞬間、アイリーンの体――身につけているドレスが発火する。

「…………っ!」

「ア……アイリーン!」

 アイリーンは顔を歪めつつも、燃え盛る炎の中、シルクを守ろうとする体勢を崩さぬままなんとか耐え忍んでいる。骨の体はすぐに灰になることはないようだったが、徐々に身につけていたドレスがちりちりと焼けて、黒焦げになってゆく。


 そんなアイリーンの様子を見て、シルクが泣き叫ぶ。

「アイリーン……! あなたは船室に入って、砂漠の遺跡から持ってきたあの棺桶に隠れてるようにって、さっき言ったじゃない!」

「……私は……大丈夫。死霊だから、船の霧から生命いのちを与えられていても、熱さは感じにくいようになっているし……人間の肉体と違って骨の体は、簡単には燃えて灰にならないのよ……。これ以上……シルクを、傷つけさせないわ……っ。だから、シルクは後ろの部屋に、隠れていて……。この男には、部屋に一歩たりとも入らせないから……!」

 アイリーンはそう言ってキッとクリムゾンを睨みつける。それを見たクリムゾンは、再びライターを持った手を伸ばすが――――やがてかぶりを振り、その手を下ろす。

「……死霊術師ネクロマンサーの娘は、ここで始末しておきたいところでしたが。しかし骨の体に身を呈してかばわれている状況となると……なかなか厄介だ。骨の体を燃やし切るには、時間がかかりますからね。……仕方がない。今は、こんな所で時間を無駄にするわけにもいかない。先を急ぐとしますか」

 クリムゾンは誰に聞かせるともなくそう呟くと、二人に背を向け、その場から去ってゆく。


 それを確認すると、アイリーンはシルクを守る体勢を崩し、息を切らせて床に骨の膝をつく。シルクは急いでアイリーンの元へ駆け寄り、泣きじゃくりながらアイリーンに謝る。

「アイリーン……あたしのために……ごめん……。あたしが今すぐに、魔法でその炎を消すから……っ!」

 シルクは手を伸ばし、アイリーンのドレスについた炎をシルクは必死で消そうとする。

「それより、シルク……あなたも手当てをしなきゃ。血が……」

「そんなに深くは刺さってなかった。たぶんこのローブ、あたしの死んだ母さんの手で、ある程度の防御魔法がかけられてあるの。それにさっき、魔法で一時的に止血もしたわ。大丈夫」

 シルクは有無を言わさぬ様子で言うと、全力を振り絞って、なんとか炎を鎮火させる。

 シルクは息を切らせながらも、アイリーンの体に異常がないか確認し、ほっとして思わず涙ぐむ。

「ああ、よかった、アイリーンが無事で……。でも、綺麗なドレスが台無しね……。また、新しいの……もっと綺麗なドレスを、必ず買ってもらうから……」

「そうね……楽しみだわ、シルク。新しいドレスは何色にしようかしら」

 アイリーンはそう言って優し気に微笑んだ後、体をゆっくりと起こし、シルクの肩を支える。

「さあ、わたくしよりもシルクの方こそ、急いでサムに手当てをしてもらわなきゃ……」


「サムは……下の階にいるよ。でも、たぶん……今は治療できる状態じゃない……」


 その声に二人が振り返ると、マルロが船室の階段を上がってきて、二人の近くにやって来ていた。その右手には……これまでに見たことのない、立派な海賊剣を持っていた。

 そんなマルロの姿を見て、シルクは息を呑む。

「アンタ、それ……」

 マルロはシルクの言葉を遮り、ボロボロになったシルクとアイリーンの様子を見て、頭を下げる。

「……シルク……生命いのちの壺を守ろうとしてくれて、ありがとう。アイリーンも……シルクのこと、守ってくれたんだね……。……ありがとう」

 シルクは即座に首を横に振る。

「マルロ……。でも、あたし……ダメだった。壺を守るのに協力するって、前に約束したのに……」

「大丈夫だよ」

 マルロはきっぱりとそう言うと、手に持った海賊剣をぎゅっと握りしめる。

「僕が……生命いのちの壺を、取り返しに行ってくるから」



 生命いのちの壺に蓋をして船内から持ち出したクリムゾンは、長い長い階段を上り、ようやく甲板に出る。

 甲板では、幽霊たちが船内から拾い集めた爆薬ダイナマイトを、次々と海へ放り投げていた。


 そしてクリムゾンの姿を見つけるや否や、幽霊たちが一斉にやってくる。

「この野郎、さっきはよくもやってくれたな!」

「だが残念だったな。てめぇが船内にぶちまけた爆薬は、ぜーんぶ拾い集めて海に捨ててやったぜ!」

「これでもう、船が爆破される心配をすることなく、ようやくお前のことをこてんぱんに――――」


 幽霊たちのお喋りと、その動きが突然ぴたりと止まる。皆、クリムゾンが抱えているものを見て……表情を一変させているようだった。

 後から来たスカルもそれに気がつくと、震える骨の指で生命いのちの壺を指さし、口を開く。

「お前、それ――――」


 クリムゾンは不敵な笑みを見せた後、開眼し、あかい瞳を光らせる。

「死霊ども。お前らの既に尽きたはずの命も……今度こそ、ここまでのようだな」

 クリムゾンがライターをカチリと鳴らすと、クリムゾンの立つ後ろから、ぶわっと炎を伴った熱風が吹いてくる。


「ぐわっ!」

 その熱風の勢いに、船員たち……スケルトンたちは飛ばされないように足を踏ん張るが――やがてカランカランとそこら中から乾いたような音がして、甲板上に無数の骨が散らばり……スケルトンたちの骨の体が、次々と崩れ落ちてしまった。

 そして幽霊たちも、ぼんやりと光る霊魂になり果て、うろうろと甲板の上を、意思もなく彷徨さまようだけの存在になってしまった。

 クリムゾンの放つ熱風は、残っていた生命いのちの壺の霧を全て、甲板上から遠くに吹き飛ばしてしまったのだった。

 

 先程発した炎を伴う熱風により、火の海と化した幽霊船の甲板にただ一人残されたクリムゾンは、満足気に辺りを見渡すと、一人呟く。

「やれやれ。これで忌々しい霧の掃除が済みましたね。……さて。私の乗ってきた帆船は化け物どもに集中的に狙われ、沈められたようですが……沈まずに残った船に乗り込んでから、この幽霊船を回収し――――」


「返してください」


 その時、後ろから少年の声がする。クリムゾンが振り返ると、先程対峙した死霊術師の少女の前に、赤毛に銀色の瞳をした少年――――マルロが、クリムゾンもかつて見た事のある剣――――シルバ船長の海賊剣をその手に握りしめ、立っていた。


「その壺は……僕らのものだ!」


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