第53話 炎の脅威

「うわぁっ! 燃えてるぞ!」


 幽霊船の前方部から、突如火の手があがる。それに気づいた船員たちは大慌てで火の元へと駆け寄る。

「くっそ、いつの間に火ィつけやがったんだ!」

「とりあえず、ありったけの水をもってこい!」

「だが、あの炎は水ぶっかけたくらいじゃ、簡単には消えねぇぞ!」


「じゃあ、あたしがやる」


 そこへ、船内から騒ぎを聞きつけてシルクがやってくる。スカルがシルクの方を振り返り、問う。

「シルク。これ、魔法で消せんのか?」

 シルクは火元のそばまで行くと、着ているローブのそでをたくし上げながら答える。

「水の魔法は、あたしには使えないけど……炎を小さくすることなら、できると思う。ちょっと時間はかかるかもしれないけど、これくらいの炎の大きさなら、まだ有効なはずよ」

 シルクはそう言うと、パチパチと燃え盛る炎の前に立ち、炎に向けて両手を突き出しながら何かを呟く。

 すると、炎の威力は徐々に弱まってゆき、幽霊船に残っていた幽霊たちの持ってくる水との合わせ技で、船に生まれた火種を、時間をかけつつも鎮火させることに成功する。


「助かったぜ、シルク」

 皆がほっと一息ついたところで、スカルが疑問を口にする。

「でも、一体どこから火ィつけやがったんだ? 奴の船は、ついさっき、海坊主どもが総出でひっくり返してたはずじゃあ……」

 幽霊船に残っていた数少ない幽霊たちも、揃って首を傾げる。

「じゃあ、あの船にはいなかったってことか?」

「で、この船に向けて魔法を使える位置にいるってことはだな……」

「すぐ近くに奴が……クリムゾンの野郎がいるはずだ!」

 スカルはハッとした様子でそう言うと、すぐさま部下のスケルトンや幽霊たちに号令をかける。

「おい野郎ども、奴を探せ!」


「ク、クリムゾンって……?」

 マルロが尋ねると、幽霊とスカルがそれに答える。

「ああ、シルバ船長をしつこく狙ってる奴だよ」

「お堅い感じの、どっかの役人みてぇな雰囲気の人間だ」

「黒い四角いかばんと銀のライターを常に持ち歩いて、黒いスーツを着てる、スカした野郎だ」

 幽霊やスカルの語るその特徴に、マルロは覚えがあり――――それに気がつくと、サッと顔を青くする。

「それって、もしかして……」


「動くな」


 船の後方から、突然声が聞こえてくる。

 その聞き覚えのある声に、マルロは心臓が凍りつくような思いがする。


「動くとこの船を、即座に炎で焼き尽くす」


 マルロはできるだけ相手にはわからない程度に振り返り、後ろを見る。


 船の後方に、銀色のライターを持った黒いスーツの男――――クリムゾンが、ライターを持った手を前方に突き出しながら、立っていた。


 それを見たマルロは、サウスの街にいた頃、何度も家を訪ねてくるクリムゾンを見る度に、何故だかとても恐ろしく感じていた記憶――と同時に、ひたすら家にこもっていた弱い頃の自分の姿が、まざまざと思い出された。

 しかし、マルロの記憶にあったクリムゾンはきつねのような細い目をした男だったが、そこに立っているクリムゾンは――――目を大きく見開き、燃えるようにあかい小さな瞳を光らせていた。

 その表情もどこか不気味で、マルロの中にある恐怖心がいっそう煽られた。


 クリムゾンを見るマルロの動揺に気がついたのか、サムがマルロを背中に隠すように前に立ち、小声で言う。

「ぼっちゃんは……あっしの後ろに隠れておいて下せぇ。あの人に目をつけられたら、シルバ船長の息子だということで、何をされるか……」

 マルロは小さく頷き、おとなしくサムの後ろに隠れる。


 その近くにはスカルとヘルがいて、クリムゾンの様子を注意深くうかがっている。

「まさか奴が、単身乗り込んでくるとはな……油断した」

 唸るようなヘルの言葉に、スカルも悔しそうに頷く。

「ああ。前に船長と一緒に奴の艦隊を撃退した時は、奴は自分の大型帆船にいた……。今回もそうだと思ってたんだが……くそっ、裏をかいてきやがったか」

 スカルはそう言うと、クリムゾンを見て舌打ちする。

「しっかし、たった一人で堂々と乗り込んできやがるとはな……。船にシルバ船長がいないとはいえ、俺らも舐められたもんだぜ」


「よお、依頼人さん」


 その声を聞いたスカルは振り返り、驚いたように目をぱちくりとさせる。クリムゾンもゆっくりと振り返り、声のした方を見る。

 そこにはゴーストバスターがいて、軽く挨拶するように片手を挙げていた。


 それを見たクリムゾンは、冷ややかに言い放つ。

「……ゴーストバスター。なぜお前がここに?」

「なぜって……しらばっくれちゃって。あんたが俺を、この船に寄越した張本人だろ?」

 クリムゾンは瞳をぎらりと光らせ、ゴーストバスターを睨みつける。

「……そういう意味ではない。なぜお前がここにいるにも関わらず……死霊どもが未だ動いているのか、と聞いている」

 それを聞いたゴーストバスターは素早く顔のあたりを手で覆い、大げさに怖がるような動作をしつつも、口元には笑みを見せながら言う。

「おお、怖い怖い。そんなにおっかない目で見んなよ。カネで繋がってる関係とはいえ、一応協力してやった仲だろ?」

 クリムゾンは少しの沈黙の後、うつむいてふっとため息をつくと、ゆっくりと顔を上げる。その目は、今はマルロのよく知っている、きつねのような細目に戻っていた。

「では……どうやら、失敗したようですね」

「ああそうだよ。今はこいつらに武器を取り上げられて、お手上げ状態ってとこだ」

 ゴーストバスターはそう言って両手を上げた後、クリムゾンに向けてニヤッと笑ってみせる。

「だからよー、俺の武器がこの船のどっかに隠されてんだが、もし、アンタが見つけたら、俺んとこに持ってきてくれると助かるんだけどなァ」

「なっ……あいつ……っ」

 スカルがそれを聞いて、ゴーストバスターに対して何か言いたげにしている。

「……なるほど。奴はこうなる可能性を期待して、クリムゾンの襲来について黙っていたという訳か」

 ヘルは横目でゴーストバスターを見て、ぼそりと呟く。


 クリムゾンはゴーストバスターをじっと見ていたが、やがて呆れたようにため息を吐く。

「……仕方ないですね。ここでは私の目的が最優先ではありますが、あなたの能力は……色々と使い道がありますからね。再び私のために鎌を振るうというのなら……この船が私の手に渡った後、部下に探させましょう。もしも見つかった場合は、持って来させますよ」

「恩に着るぜ」

 ゴーストバスターはそう言うと、落ち着いた様子で甲板に腰かける。それを見たスカルは、忌々し気にゴーストバスターを睨みつける。

 

「……さて、話を戻しましょう。まずは……この船の船長を、私の前まで引きずり出せ。さもなくば、この船を即座に燃やす」

 クリムゾンが再び目を大きく見開き、瞳を光らせながら脅すように言う。サムの後ろに隠れたマルロがそれを聞いてドキリとしていると、スカルがすかさず答える。

なら、ここにはいないぜ?」

 その言葉を聞いたクリムゾンは、スカルに目をやる。

「やはり……未だ船に帰ってはいない、ということか。ならば、奴は今……どこにいる」

「俺たちにもわからんが……おそらく一足先に、この先に行ってるはずだ」

 スカルはそう言って、前方に見えている暗雲の壁――――魔の海域をあごで指す。

「魔の海域に、再び…………。幽霊船を伴わずに…………正気か……?」

 クリムゾンはうつむきながら、ひとり考え事をするようにぼそぼそと呟く。

 それから顔を上げ、ゆっくりと辺りを見渡すと、口を開く。

「奴は、ここにいない……。それでも、お前たち死霊が動いているとなると……奴の何かしらの魔法の仕掛けが、この船のどこかにあるのだろう。それは……一体どこだ?」

 その言葉を聞いたスカルは目の色を変え、海賊剣のつかに手(の骨)をかける。

「そんなこと、教えるはずねーだろ。あれは、俺たちの生命いのちの源……そして、今はここにはいないシルバ船長の、魂の一部とも言えるものだ。たとえこの船が燃え尽きたって、それをお前なんかにゃ、金輪際こんりんざい渡さねーよ!」


 クリムゾンはそれを聞いて、顔を伏せる。それからゆっくりと顔を上げ、にんまりと笑う。その顔は、再びマルロのよく知っている細目に戻っていた。

「お望みならば、船はいくらでも燃やしますよ。けれどもそれは、目的を果たしてからのつもりでしたが……致し方ありませんね」

 クリムゾンはその場から歩みを進めながら、再び口を開く。

「あなた方に問うたものの……私にも、おおよそ検討はついていますよ」

 クリムゾンはそう言うと立ち止まり、細い目を再び開いて瞳を光らせ、辺りを見渡しながらぼそりと呟く。

「例えば、この霧……出処でどころは、一体どこだ?」

 マルロはそれを聞いて、ぎくりとする。スカルもまずいと思ったのか、海賊剣を二本同時にスラッと抜くと、その片方を高く掲げ、船員たちに向けて叫ぶ。

「野郎ども、奴が単身乗り込んできた今が好機だ! やっちまえーーっ!」

「「「おおーーーーっ!」」」


 スカルの号令を聞いて、船に残った幽霊たちやスカルの部下のスケルトン部隊の全員が、一斉に剣を抜き、クリムゾンに向かって飛びかかる。

 その瞬間、クリムゾンはライターをカチリと一回鳴らし、自分の体の周りを囲むように炎上させる。


「う、あちっ!」

 炎を体の周りにまとったかのようなクリムゾンに向かって、一番にとびかかろうとしていたスカルがその炎の勢いに、一歩退く。

「大丈夫か」

 ヘルも背後から大鎌を構え飛びかかろうとしていたが一旦下がり、スカルに声をかける。

「……ああ。くっそ、あの炎、死霊の俺たちにも効くようだな」

「ああ、流石に我らの骨の体も、あの炎に長時間焼かれるのはまずいだろう」

「だが、あの野郎は人間のくせに平気なようだな。自分の魔法だからか?」

「ああ……自分の魔法ゆえに、自分の意思で操ることができるのやもしれぬ」


「なら、俺たちが行くぜ」

 その声にスカルとヘルが振り返る。そこには幽霊たちがいて、幽霊船の危機を察知したのか、先程攻め込んだ大型帆船から徐々に戻ってきているようだった。

「ああ。流石に物体のねぇ俺たちを焼き尽くすことは、さすがの奴にもできねぇだろ?」

「俺たちの方が温度も感じにくい体だろうし、万が一多少の熱さを感じようが、この体には支障ないはずだぜ」


(確かに幽霊たちなら、あの炎も大丈夫なのかもしれない。でも……本当に大丈夫なのかな……)

 マルロがその様子をはらはらしながら見ていると、誰かに後ろから腕を強く引っ張られる。

「ぼっちゃん、こちらへ!」

 サムがマルロの腕をつかみ、船室へと促しているようだった。マルロはいつもより力づくのサムに戸惑いながら、半ば無理やり連れられて船内へ入りつつ、サムに尋ねる。

「え、ど、どこ行くの?」

「いいから、付いてきて下せぇ!」

 戸惑いながらも、マルロはサムに腕を引かれてついていく。


 サムはマルロの腕を掴みながら階段をどんどん降りてゆき、やがて船の最下層にたどり着く。そして船長室の扉を開けると、マルロをそこに押し込む。

「船長室は鍵がかかりやすから……とりあえず、ここに隠れておいて下せぇ」

「そ、それなら! あの人の狙ってる生命いのちの壺も、一緒に船長室に隠して……」

 マルロの言葉に、サムは首を横に振る。

「奴の狙いはそれですから……生命いのちの壺と一緒にいるのは、一番危険でやんす。壺が見つかるまで船内をくまなく探し回られては、いずれこの部屋のことも嗅ぎ付けられやしょう」

「でも……僕は船長だよ! ここに初めて来た時に、スカルに言われたんだ。この船とみんなの命とも言える、生命いのちの壺を、僕が守らなきゃ……」

「ぼっちゃんがあいつに見つかると……おそらく、次は確実に殺されやす。シルバ船長の残したマルロぼっちゃんが、そうなるくらいなら……まだ壺を奪われる方が……あっしは我慢できやす。この身がちたとて……あっしらはすでに、死んだ身ですから」

「だめだよ、サム! 僕、そんなこと……!」

「いいでやんすね、そこでおとなしく隠れてて下せぇよ」

 有無を言わさぬその口調に、マルロは仕方なく頷く。怖い顔をしていたサムはそれを見て表情を緩めると、マルロの頭に手をぽんと置く。

「あの人間のことは、あっしらがなんとかしやすから……必ず、ここにいて下せぇね」

 サムはそう言うと、マルロにくるりと背を向け、船長室から出ていく。



 その頃――――甲板では、船に残っている幽霊たちが揃って、船室へ入ろうとするクリムゾンの前に立ち塞がっているところであった。

「おっと、ここから先へは行かせないぜ」

「そのライターで、俺たちのことも燃やす気なんだったら……」

「残念でした。俺たちにゃ既に実体がねぇから……ないものを燃やすなんてことは、さすがに炎の使い手のアンタにもできねぇだろうな」

 にやにやと笑ってそう言う幽霊たちを見て、クリムゾンは一言呟く。

「……これだから、死霊は嫌いなんですよ」


 クリムゾンは突然、手に持った四角い大きな黒いかばんをカチャリと開けて、がばっと大きく開く。

 そのかばんの片側には――――棒状の爆薬ダイナマイトが、びっしりと敷き詰められていた。

 それを見た幽霊たちは、思わず声をあげる。

「……あ」

「まずいぞ」


 クリムゾンはかばんをひっくり返し、爆薬を船室に繋がる階段に無造作にばら撒く。

 階段を転がり落ちていく無数の爆薬を目にした幽霊たちは、クリムゾンの元から一旦離れ、死に物狂いでそれを追う。

「やべぇ! さすがにあの量の爆薬を船内にばら撒かれると……」

「急げ! 遠隔で爆薬に点火される前に、俺たちでひとつ残らず回収して、なんとか外に出さねぇと!」


 幽霊たちがそれを追い、その場からいなくなったところで、クリムゾンはゆったりとした足どりで船室に入ってゆく。

「……やれやれ。騒々しい死霊どもが消えて、やっと静かになりましたね。火をつけるのは……少しだけ待ってあげましょう。私が探し物をする邪魔にもなりますからね。ただ……目的が果たされたその時は、一斉に点火させるとしましょうか」

 クリムゾンはそう呟くと、ニヤリと笑って銀色のライターを握るその右手を、スーツのポケットへと突っ込む。



(どうしよう……。サムはああ言ってたけど、僕にも何かできることは……っ)


 サムの言いつけ通り船長室に隠れているマルロは、船長室をうろうろと歩き回りながら考えてみたものの、自分にできそうなことは、何ひとつ考えつかなかった。

(……僕って本当に無力だな。こんな時に何にもできないなんて……。僕もシルクみたいに魔法が使えたり、船のみんなみたいに、武器を……海賊剣を使って戦えたらいいのに……)

 マルロはそう考えたところで、ふとあることを思い出し、船長室の壁を見る。

 その目線の先には、一本の立派な海賊剣が、壁に飾ってあった。

(そうだ、あれって……確かここに来た時にスカルが言ってたけど、父さんの海賊剣……なんだっけ)


 マルロは剣を手に取ろうとしたが、マルロの背の高さでは届かない位置にあったため……足場にするために、近くに置いてある木の机を剣の下まで運んでくる。


(スカルに初めて船長室を案内されたあの時は、武器で戦うなんて想像できなくて、しばらくは壁に掛けてあるままになりそうだなって思ったけど……今はそうも言ってられない。いきなり上手くは使えないんだとしても、せめてあの人に立ち向かうための武器として、手元に持っておきたい……!)


 マルロは持ってきた机を足場にして、壁に飾ってある剣に手を伸ばし、それを手に取る。


 するとその時――――頭の中から、声が聞こえてくる。


「やーっとを手にしたなァ、シルバJr.」


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