台所の英雄
硯
台所の英雄
卵を割ろうとした。
まずはキッチンの角に叩きつけた。
殻は、当然のごとく割れない。
なんとも憎たらしい卵だ。可愛げが無いから飾ったところで面白みも無い。
次にフライパンに叩きつけた。底と角、両方とも試した。
しかし、割れない。やはり割れない。憎たらしい事この上ない。
このキッチンには、フライパンよりも硬い物が他に無い。
仕方がなく、フライパンを壁に密着するように吊るし、固定した。私はそこへ思いっきり卵を投げつける。
ごつん。という音が鳴るばかりで、卵は割れない。ヒビすら入らない。
フライパンにぶち当たったのち、平然無表情に床を転がる卵を見て、私はたちまち癇癪を起こしそうになった。踏み潰す。やはり、割れない。
「なんだ。なんだ。どした。どした」
旦那がキッチンに顔を出す。
私は、ごろごろと厭らしい音を立てて転がる卵を拾い、旦那の顔面をめがけて投げつけた。
「や、ややや」
旦那はぴょこっと飛び跳ねながら顔を歪め、その鼻っ柱に卵を受ける。
その直後、旦那があげる「ぎゃあ」という断末魔の中、たしかに聞こえる音がひとつ。それこそが私の悲願ともいえる、卵が砕けた事を意味する「ぱきん」という清々しい軽快な音であった。
私は歓喜に打ち震えながら旦那の脚を掴み、ひょいと持ち上げ、そのまま頭部をガスコンロのゴトクに乗せた。
「嗚呼、こんなに晴れやかな気分になったのは何年ぶりかしら!」
《旦那の分厚いツラの皮! 使いみちはこれっきゃない!》
台所の英雄 硯 @InkJacket13
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