たなごころ
から
「」
………………ザザッ ………………ザザッ…………ザーッ……
『おはようございます。マスター。今日も一日よろしくお願いします』
朝、今日も「」の声で目覚める。若干の眠さをこらえながら、ベッドから起きだして私は「」の声に応える。
「おはよう、「」。今は何時?」
『マスター、午前7時18分です。今日のスケジュールは午前10時に「」様と待ち合わせとなっていますので、そろそろ準備をされるとよいかと思います』
「」が私のスケジュールを伝えてくる。そうだ、今日は「彼」と会うんだ。
「ん、わかった。」
私は「」に応え、朝食をとるためにノロノロと動き出す。何か変な夢を見たようで気持ち悪い。私は「」が用意している食事をとることにした。食事は「」がトレイに載せて準備してくれている。
「なんかいつもと味が違う」
『マスターは最近睡眠不足です。少し配合を変えさせていただきました。夜更かしは控えたほうがよろしいかと』
「ん、わかってる。次から頑張る。仕方ないでしょ?忙しかったんだから」
『また次からですか?マスターの次からという言葉は信用できませんね』
わざわざ呆れたような口調で「」は私に注意をしてくる。そんな機能はつけなくてもいいのに。
「今日はちゃんと早く寝ます!」
私は少々むくれながら、「」に返事をする。
先週はちょっと忙しかったのだ。残業続きの上、先輩の愚痴を聞くための飲み会…
ああ、うんざりする…と思っていたら何か違和感を感じた。なんでだろう?
『どうかされましたか?』
「」が私の顔色でも見たのか尋ねてきた。
「んー、何か変な感じがしたんだけど…よくわからない?夢のせいかな?」
『マスターが起きる直前に少し心拍数の変化が見られました。夢のせいかもしれませんね。どのような夢でしたか?』
「」は私の体調管理もしている。まあ、さすがに夢の中まではわからないらしい。
「もう覚えてない。まあ、覚えてないってことはたいしたことないんでしょ。早く準備しないと」
私は急いで食べる。時計を見ると結構な時間が過ぎていた。手早く出かける準備をすませ、ガジェット(携帯端末)を手にする。
これが「」の分身。「」はネット上に存在する社会的生活補助用人工知能。このガジェットを通じて「」は人が必要とする情報を提供してくれる。私のもつガジェットは人が「」と繋がるためのツールであり、「」はあらゆる道具に端末を備え、情報収集し管理する。人には個人コードが与えられ、情報が関連付けられる。ちなみに私の個人コードは***21****となっている。とはいえ最低限の活動は人間にとっても必要なので、人のような手足を持っているわけではない。先ほどの食事は配膳と食料供給マシンを「」が使って用意したもの。もっとも一部の医療機関や介護の現場では人型の端末も普及し始めているらしい。
『マスター、9時2分の電車が待ち合わせの合流に最適かと思われます。あと10分以内に家をでないと間に合いません』
私の耳から「」の声が聞こえる。正確には右の耳介に埋め込まれた端末からだけど。「」がガジェットから端末へデータを送信している。人の体内にはいくつかの極小の端末が埋め込まれており、ガジェットと繋がっている。「」はその端末を通じて、人の体調管理の補助を行う。私の心拍数なんて「」には筒抜けだ。
「うん、わかった」
私は「」の忠告に従い、家を出た。
待ち合わせ場所には「」の言うとおり、10分前には到着できた。そこでは先に「彼」が待っていた。
「ごめんね、待った?」私が「彼」にそう尋ねると、
「いや、ちょうど来たところ」と「彼」は答えた。
実のところ、このやり取りは様式美としてしか意味がない。なぜなら「彼」も「」の指示に従って行動しているからだ。「」はすべての人に適切な指示を与えてくれる。交通機関の遅れもほぼないといっていい。
「じゃあ、行こうか」と「彼」は私の手を握り、歩き出す。「彼」の体温が伝わって、私は安心感と共に鼓動が少し早くなるのを感じる。この一瞬も「」が記録していると思うと恥ずかしい。
今日の目的地は東大寺。国宝「奈良の大仏」を観ること。あそこは小学校の時に行ったきり。私と「彼」が仲良くなったきっかけの場所。「彼」とはそのころからの付き合いで、先日恋人から晴れて婚約者となった。まあ、お互い社会人として勤務地が離れているものだから、一緒に暮らすのは当面先になりそうだけど。
奈良名物の鹿を見ながら歩いていると大きな建物が見えてくる。東大寺、別名「
『大仏は745年に
「」が解説をしてくれた。「彼」も同じ内容を聞いたようだ。
「大きな手だね。人が乗れそうだ」、と彼が言う。
『あの手は右手が畏れなくても良いということを表し、左手が人々の願いを叶えるということを表していると言います。
「へえ、じゃあ私たちの願いは大仏さまが叶えてくれたのかもね」
と私が言うと、「彼」は
「そうだね。あの柱の穴を通り抜けたというのもあるかもね」と言った。
『北東にある柱の穴は大仏の鼻の穴と同じ大きさをしています。くぐり抜ければ無病息災の御利益があると言われています』
とはいえ、今の私たちにはもうくぐれそうにはない。小さな子供の体だったからくぐれたのだろう。
「子供のころの願いは叶えてくれたけど、これからの僕たちの願いを叶えてもらえるようにお願いしていこう?」
「そうね」
私たちは手を合わせて、大仏さまに願う。どうかこれから二人で幸せになれますように、と。
会話ログチェック。対象ファイル「××××年×月×日■■■■■ 病院・個人コード*********及び*********2名の会話ログ」
「どうだ?何かおかしなところはないか?」
「どこも。あるわけないだろ?これは「」が管理してるんだぜ?」
「そりゃあな。「」はいつだって完璧な仕事をしてくれている。けど、俺たちの仕事はそれを確認することだよ」
「わかってるって。でも可哀想な話だよな。その完璧なはずの「」の管理下で事故が起きるなんて」
「「」だって神様仏様じゃないってことかもな。けど、事故処理は次の事故対策も含めて完璧だよ。「」がいなかったら"彼女"も今頃ここにはいなかったよ」
「だよな。もう一人はどうなったんだ?確かあっちは全部潰れてたんだろ?」
「身体は再生可能だよ。俺たちの時代にはなかったけど、彼らぐらいの年代には受精卵から分割したストックがある。それを成長促進させればスペアボディの出来上がりだ。まあ、成長促進っていっても速度は今のところ3倍が限界だから、"彼女" にはしばらく待ってもらわないといけないけどな」
「はれて二人はご対面というわけだな。けど、記憶はどうするんだ?」
「「」がすべて記憶している。記憶の再生も可能だよ。問題は技術的な問題じゃなくて倫理的なところだな。それも「」が法案を作成して現在審議中だよ。まあ、身体が再生できる頃には解決してるだろうさ。「」は完璧な仕事をしてくれる。誰も反対はしないよ」
「なるほど、それでお姫様はそれまで夢を見てるってわけだ」
「そういうことだよ。「」が記憶を書き換えることで夢を見続ける。さすがに眠ったままというわけにはいかないようだから、メンテナンスを兼ねてるんだよ」
「幸せな夢だよな。「」が人生で一番いい場面を再生してくれるなんてな。そうそう最近じゃ「」のことを『シャカ』と呼ぶらしいぜ。社会的生活補助用人工知能の最初の文字をとってな」
「へえ、それはまたぴったりの名前だな。西遊記に出てくるお釈迦さまみたいだ」
「西遊記?」
「そう、孫悟空がお釈迦さまから逃げるのさ。お釈迦さまに捕まったら孫悟空の負け。孫悟空はどこまでも遠く世界の果てまで逃げたけど、世界の果ての柱だと思ったところはお釈迦さまの指だったって話。孫悟空はずっとお釈迦さまの手のひらの上だったのさ」
「へえ、それじゃこのお姫様も『シャカ』の手のひらの上ってことかな?」
「そうかもな。本人は何も気づかず夢を見てるんだろうからな」
「事故で身体を無くしてしまったお姫様は今日も夢を見続けるってわけだ。まあ、身体が再生するまでの間だけどな」
会話ログチェック終了。対象ファイル名を変更。
「××××年×月×日■■■■■ 病院・『再生待機臓器保管室A・保管臓器名「脳」』・個人コード*********及び*********2名の会話」
個人コード***21****の生体ファイルとの関連付け終了。
………………ザザッ ………………ザザッ…………ザーッ……
『おはようございます。マスター。今日も一日よろしくお願いします』
たなごころ から @kara_
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