第36話 展望

「……誰かいるの?」


 不安気な声が、少し開いていたガラス戸の向こうから発せられた。

 

「わりぃ。起こしちまったか」


 俺は意図して明るく出した声を投げてやる。

 辺りを見回す雨宮。そして俺に視線を固定したあと、首をひねり、


「……誰かいるの?」

「っていや俺は透明人間かなにかなの?」


 明らかに俺を見て確認したよなぁん? まったくこの女は。

 その問題の女の子は、ほっと息をなで下ろすと、改めて他に人影のないベランダを見回した。


「八坂だけ? 他に誰かいなかった? 話し声、聞こえてたんだけど」

「ああ、……いや。俺の独り言だよ。うるさくてすまん」

「そう。それほどうるさくはなかったから大丈夫だけど」


 ついさっきベランダの下に消えた少年の事は黙っておくことにした。理由は、なんとなくだ。「そう」と呟いた彼女は、少し納得していないようだったが、ふっと笑みを浮かべた。


「騒音より童貞の匂いがきつくて起きたし」

「それな。って童貞童貞連呼れんこすんな。あと考えてもいないだろうからこの際言ってやるが、一人暮らしの男のところにいるんだぞ。少しは気を付けろよ。油断してるとそのうち犯すぞ」

「あらいいわよ。やってみる?」


 手すりまで歩いてきた彼女は、挑発的な笑みを浮かべた。

 蠱惑的なそれにドキリとしたが、肌寒い風が過ぎると同時に、「……はくちゅっ!」と可愛らしいくしゃみをしたので、逆に俺が笑う結果となった。


「ここで襲われたら、大声で、きゃー八坂浩一郎へんたいに襲われてますー! って悲鳴をあげてやろうと思ってたのに」

「悲鳴? お前がそんな可愛らしいかよ」

「じゃ試してみる?」

「いや、やめとく」

「……ふぅん。私じゃ襲うのに不満があるってことね」


 その声には、いつものあざけりの色はなく、むしろどこか残念そうな、そんな気配が混じっていた。俺を嵌めて警察の厄介にさせたいのかな?


「不満はないがもし警察なんかの厄介になったら金が稼げなくなる。ま、雨露木メモを手に入れたら、その心配も必要なくなるが」


 雨露木メモという単語を聞いた雨宮は、ほんの少し眉を寄せる。


「そういえば八坂、言っていたわね。冒険にはお金がいるって」

「なんだよその顔は。金が欲しいのって普通だろ。そもそも金ってのは人類が決めた最古の約束の一つで、別に悪いもんじゃ――」

「そうじゃなくて。お金それの為に、今回の生徒会と選挙の話が複雑になってるって思ったから」


 確かに。金と権力が絡むとどんな話も単純ではいかなくなる。

 しかしこいつでも複雑だなんて思うこと、あるんだな。いつも何食わぬ顔で解決策を見出してるのに。


「なに、その気持ち悪い笑い顔」

「いやお前でも分かんないことがあんだなって思ってさ。ちょっと安心した」

「……私をなんだと思ってるのよ」

「革命を起こす奴」


 どう勝利するか。まだ道は見えていない。

 けど見つけるとしたらこいつしかいないだろう。


「簡単に言ってくれるわね」

「お前だって、けっこう俺に無茶振りしてるじゃん?」

「だってできそうなんだもの。実際私の目に狂いはなかったと思ってる……ってなぜ目を丸くしてるのかしら」

「いや意外に評価が高くてびっくりしたから」

「……最初から結構買ってたわよ」


 本当かよ。出会ってからずっと、童貞とか変態とか言われ続けてるんだが。

 とまあ雨宮さんの評価ともかく。


「確かにあの地下室にある箱を開けるだけなら、もう少し話は単純だったんだよなぁ。生徒会が雨露木メモを資金源にしてなけりゃ生徒会長バッジを手に入れて終わりだったし、大野みたいなのが生徒会を変質させてなけりゃ阿賀山先輩がなんとかしてくれただろうし」

「お金が絡むとね。人間誰しも負の部分を排出するものよ」

「けどそれは金に限ったことじゃないだろう。さっきも言ったが金その物は悪いもんじゃない。企業から金を集めてサクライのために還元するってのは、方向性としては素晴らしいシステムだし、変質させていった大野やつが間違ってるってだけでさ。

 そう考えると、雨露木メモの存在があるとはいえ、企業と今の力関係を築いた初代会長ってのはやっぱキレ者だったんだろうな」

「初代会長は、今、都議会の議員をやってるわ」

「そりゃ納得。金の使い道を正しく整えるのが政治とかそういうのだし」

「あなたも今みたいな考え方ができるなら大したものよ。政治家でも目指してるのかしら」

「冗談。そりゃお前向きの職業だ。俺の役目じゃない」


 軽く笑って反応を待ったが、雨宮から軽快な軽口は返ってこない。

 見ると、顎に手を当てなにか思案しているようだった。

 無形の風が雨宮の傍を流れていき、ひとつ頷いた彼女の肩にかかった黒髪を、ふわっと流した。


「そっか……。そういうのなら……、手がないこともないわね……」

「なにか思いついたのか?」

「八坂の言葉がヒントになった。ありがと」

「……? よくわからんがどういたしまして」


 さすが雨宮るりかだ。きっとまた、予想もつかない考えを思いついたのだろう。

「いったいどんな方法なんだ?」と聞こうとして雨宮を振り返ったが、彼女はガラス戸を開け部屋に入って行ってしまった。直後、カチャっという鍵をかける音がして――――っておいぃ⁉


「私は寝るわ」

「そりゃいいが、なぜ俺を締め出す?」

「罰よ」

「なんの⁉」

「もちろん、みのりと二人きりでいちゃついていた罰よ。あたりまえよね」


 よく分からない理由により、容赦なく閉められるカーテン。間際、べーっと舌を出しジト目で睨みつける雨宮が見えた。



  *******



 次の日の放課後。

 雨宮は、俺、阿賀山先輩、それに鹿倉要を集め、選挙に勝つ方法を説明した。

 それは極めて意外で、やっぱり法外で、そして雨宮るりからしい方法だった。

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雨宮るりかは革命をゆく 十津川さん @hizili00

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