何でもない日の歩き方
本陣忠人
劇的からは程遠い道程。
別に、何か特別で劇的な出来事や事件があった訳ではない。
ただ、何となく──今日は何だか、何やら無性に会社に行きたくなかった。
平凡な仕事なんてしている場合じゃないと感じたから。
何というか、もっと別に――大して理由も根拠もないけどさ。
だけど、もっと他にも有用で――意味のある
だから僕は、通勤用の折りたたみ自転車を途中で乗り捨てて、みっともなく駆け出した。
思考や志向を持たないながらも繰り出したその脚に、存外迷いはなくて。
いつも会社に行く時とは反対方向の電車に飛び乗った。完全なる思い付き。
その場所は、日常的に見る人達の姿がない。そこから感じる異質の臭い。
化粧バッチリでイキリ肩をした派手なOLもいないし、朝イチで顔を真赤にした老人もいない。
神経質そうな学生も、独り言を唱える薄幸の女性も存在しない。
もちろん、似たような人は沢山いるけれど、それは僕が日常的に見る人とは確実に違う人達。
画一的に四角く切り取られた箱の中に存在する、日常に見える非日常が僕の心を躍らせる。
時間差のせいか余裕がある車内。ボックス席を独り占めにする。
好きな音楽をイヤホンから鼓膜に垂れ流し、非日常を視界に捉える現状。
悪くない。罪悪感は最寄り駅に置いてきた。
見慣れない町並みに、チリペッパーズが溶けて
耳の中に緩く流れるのは高校生の時から色褪せない音楽。
僕の心と生活に同化し、欠かせないピース。
窓の外に流れていく異国にも似た光景。いつもとは違う景色。意外と見慣れない風景。
足早に過ぎていくのは知らない町並み。一瞬で消え去る彼らの生活を想像する。
罪のない妄想に浸るのは楽しく愛おしい。
そうこうしている内に終点、名前しか知らない駅に降り立つ。
マジで何処だここ? まあいいか。改札を抜け異邦人として街に繰り出す。
自分が知らない街、自分を知らない街を歩く。背徳感を伴う高揚感。
見るもの全てが新鮮で目新しい。長い歴史を内包した白壁の街を抜ける。
記録装置としての
今日の記憶が忘却の彼方に消え去れば、改めて訪れれば良いだけの話だ。
とてもインスタントで刹那の旅路。
適当な食堂に入り、常連客に混じって食事を摂る。
異物を見る不躾な視線と商売する目線、許容の態度が入り混じる空気。
決して居心地がいいとは言わないが、非道く可笑しく面映い。
その後の僕はただのツーリスト。お気に入りの音楽を背景に散策し放浪する。
地元住民からアバウトな情報を聞き
そこから見えたのは、耳にした話とは違う光景。
愛嬌ある婦人の話では、断層岩と灯台を結ぶ水平線に夕日が沈むと言う話だった。
が、今僕に視える風景から予測すれば…時間が悪かった。
確かに灯台とホルンフェルスを繋ぐ水平線は存在する。
しかし、太陽はその線のかなり上。浅慮な計画を反省。
まあしかし、ローカリズムに基づいた絶景は地元民だけの特権だ。
彷徨う余所者にはお似合いの結末。
さて、そろそろ帰ろうか。僕の町に。
帰りの電車は30分後、驚きの時間間隔。
イヤホンから伝わるクリームソーダが僕の隙間を埋めてくれる。
帰路の電車は閑散としていて、駅を越える毎に少しずつ空席が減っていく。
その中にはすれ違ったことのある人もいたかも知れない。
僕を知り、僕が知っている人も或いは在ったのかも知れないが、
結局誰とも会わずに電車を降りる。
最寄り駅ではないが、見知った駅。
自転車が無いので歩いて行くしかない。
一応君の好きそうなお土産を買ったんだ。
喜んでくれれば良いのだけど。
恋人の住む部屋のインターホンに親指を載せる。悲しいかな無反応。
合鍵を使い、見慣れた部屋に身を寄せる。
暖かな灯りの付けた部屋に彼女の姿はなかった。
そりゃそうだ。今日は月曜日でこの時間帯。彼女は普通に仕事をしているはずだ。
そんな当然を失念していた事実に苦笑い。
手荷物を冷蔵庫に仕舞う過程でビールを失敬。
誰もいない部屋のソファに偉そうに腰を掛け、煙草に火をつける。
プルタブを空けて、冷えたビールを喉に流し込んだ。
ゆっくりと深く、不健康極まりない紫煙を吐き出しながら物思いに耽る。
さて、明日は会社でどんな言い訳をしようか……。
何でもない日の歩き方 本陣忠人 @honjin
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます