雲の上、空知の海

久北嘉一朗

雲の上、空知の海

 9月の秋空の中、平日の砂川駅前にはタクシーが数台居るのみだった。砂川交通でタクシードライバーをやってる阿漕は既に2時間も列の先頭でお客を待っている。顔見知りの婆さんが呼び出しの電話とかをくれてもいいだろうと思う時間だが、今日はそんな電話すら来ない。

 ミラーを見ると1組の老夫婦が近づいてきた。慌てて扉を開く。

「すいません、吉野の墓地までお願い出来ますか?」

 ご婦人の方が声をかけてきた。

「大丈夫ですよー、乗ってください」

 老夫婦はそのまま乗り込み私はアクセルを踏んだ。ロータリーを出て走りなれた道を走る。

「お墓参りですか?」

「そうなのよ、なかなか来れなくて10年ぶりに。何せ普段は神奈川に住んでるんですもの。来れるわけないわよね、あなた」

 威勢のいい、よく喋りそうなご婦人だ。例えばデパートで店員と長話をしてお金を落としていくような。

「そうだな」

 ご主人の方はかなり無口で普段から相槌しか打たないタイプと見た。

タクシードライバーをやってると人間観察が趣味みたいになってくる。

「10年ぶりの砂川ね!いつの間にか駅の隣に大きな建物が出来ているし駅の跨線橋も無くなっているわ」

「そうですね、駅の隣に『ゆう』っていう複合型の東西自由通路が出来たんですよ。他にも砂川ターミナルが無くなって市民病院が大きくなりました。ドクターヘリも飛ぶんですよ」

「私たちが居た頃とは大きく変わってしまったのね……」

「ここ10年で大きく変わっちゃいましたねぇ……お客さん、もう着きますよ」

 墓地の駐車場に車を停めて後ろのドアを開ける。外からはアブラゼミのやかましい声が入ってきた。

「帰りのこともあるでしょうし、待っていましょうか?」

「お願いします」

 そう言って夫婦は墓参りへと立ち去っていった。


***


 耳に深く残る炭鉱の音、金属や岩石のぶつかる音が町中に響き渡る。突如、町中に流れるサイレン、騒がしくなってくる第一坑口。坑夫たちの声、担架で運び出される人の姿、親友の顔……


***


 コンコン

目を覚ますと先程の夫婦が窓を叩いていた。ドアを開けて迎え入れる。

「運転手さん、なかなか目を覚まさないから待ちくたびれて叩いちゃったわ」

「本当にすいません」

 完全に居眠りしてて気づかなかったようだ。

「だから焦らず待てと言っただろ?時間もあるわけだし」

 ご主人が少し声を荒立てている。

「だって、せっかく砂川まで来たし上砂川にも行きたいんですもの。行くとなったら早く行きたいじゃない?」

「上砂川まで行かれます?」

「ええ、宿も上砂川岳にとろうと思いまして、上砂川岳までお願いします」

 今度は一路上砂川へと車を走らせる。

「あれ、あなた、鶉駅じゃない?」

赤い屋根のかわいい駅舎が見える、現在は喫茶店になっている昔の駅舎だ。

「そうだな、何度も通ったよあの駅は」

「聞いてください運転手さん、この人、実は上砂川線でSLの機関士をやってたんですよ」

「SLの機関士さんですか、私くらいの世代ですと、小さい頃に走ってたなっていう程度の記憶しかないんですよね。しかも上砂川支線はもう廃線になりましたし」

「そうよねぇ、SLの機関士辞めたのっていつだったかしら」

「勇人が8歳だったから1975年くらいかな?」

「勇人君ってお子さんですか?」

「ああ、ちょうど25年前に亡くなったのさ」

 北海道の澄んだ空気とは対照的に車内の空気が少し重たくなる。前方には上砂川町のシンボルとも言える三井砂川炭鉱の中央立坑が見えてきた。

「運転手さん、そこで停めて」

 婦人が指を指したのは上砂川駅の跡地だった。ドラマのロケ地として使われたためか未だに訪れる人が多い上砂川町の一大観光地だ。

 到着するとすぐにご婦人は降りていき懐かしそうに駅を眺めている。ご主人とともに車を降りるとあちらから声をかけてきた。

「間違ってたら申し訳ないのだが君は悟君じゃないか?」

「そうです、栗山さんですよね、お久しぶりです。勇人君が亡くなってもう25年ですもんね」

 裏の山から響くヒグラシの声が胸を打ち、余計に寂しさを感じさせる。

「やっぱりか、お墓に花を置いてくれていたのも君かい?」

「はい。今朝、掃除してお花をあげておきました。何年経っても親友を炭鉱事故で失った悲しみは忘れません」

「ありがとう、勇人のことを忘れないで居てくれて」

 栗山さんは泣き始めた。その姿を見つめていると自分の中の何かが溢れて来て栗山さんの姿がぼやけ始める……


 上砂川岳温泉に着いた時には陽も暮れかけていた。上砂川岳温泉は周りには住居もなく鳥のさえずりと川のせせらぎだけが聞こえる。精算をした後に栗山さんに声をかけた。

「明日の朝、朝食前にお時間頂けませんか?」

「大丈夫だよ」

「では、お迎えに行きます」


***


 翌朝、日が昇る前に阿漕は起床して、いつものタクシーとは違う、自家用車で上砂川岳温泉へと向かった。

 宿の前には栗山夫妻が既に立っていた。

「悟君、おはよう。朝からどこに連れてってくれるんだい?」

「着いてからのお楽しみです」

 まだ寝ぼけているご婦人が不機嫌そうな顔をしている。

 車を走らせ神威岳を登る道へと辿り着いた。霧が立ちふさがって視界が非常に悪い。

「いつもこんなに霧が立ち込めてるのかい?」

「いや、今日は特別深いですね」

 標高467mの神威岳の山頂へはすぐに着いた。

 太陽が昇り始めているのか空が少し明るくなっている。

「そういうことか」

「すごく綺麗ね」

 3人の眼前には美しい雲海が広がっていた。

海の無い空知に時たま現れる奇跡の瞬間、遠くにそびえ立つ十勝岳が、海に浮かぶ島のようで目を奪われる。言葉も出なくなるくらいの美しさを感じられる場所が空知地方にもあるのだ。

「空知の海だな」

「雲海の底には今でも石炭が眠っています」

 かつて石炭によって栄えた空知地方、美しい自然と炭鉱遺産を元手に新たな輝きを得られるといいなと思う。

 太陽が地平線から顔を出し雲海には希望の光が注いでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雲の上、空知の海 久北嘉一朗 @sunagawarailway

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ